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戦争と女の顔 Dylda

制作:ロシア

制作年度:2019年

監督:カンテミール・バラーゴフ

 

(あらすじ)

第二次大戦終戦直後のレニングラード(現サンクトペテルブルク)。戦場で重度のPTSDを患った女たちは、それでも懸命に生きていく。

 

(解説)

友人と、新宿武蔵野館に観に行った。

ノーベル文学賞に輝くノンフィクション、「戦争は女の顔をしていない」からインスピレーションを受けた渾身の力作である。

いわゆる独ソ戦争において、兵力不足に苦しむソ連は、大勢の女性を兵士として登用し、最前線の過酷な任務に就けていた。そして、過酷な戦場で心身ともに重傷を負った女性たちは、戦後も長く苦しむことになる。

この映画が画期的なのは、BGMが全く存在しない点である。劇中で音楽が流れるのは、人物がダンスホールでレコードを聴きながら踊る場面のみ。制作陣がBGM使用を拒否した理由は、主人公イーヤの苦しそうな呼吸音を観客にはっきりと聴かせるため。なぜなら、冒頭からラストまで、PTSDの発作に苦しむイーヤの呼吸音こそが、この映画のメインテーマだからである。

イーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、高射砲部隊での勤務中に攻撃を受けて、深い心の傷を負ったため、戦友マーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)が戦場で生んだ幼い息子を連れて、一足先にレニングラードに帰って来た。しかしイーヤは、過呼吸を起こして全身が硬直する発作をしばしば起こすのだった。そして、たまたまマーシャの息子とじゃれ合っている最中に発作に見舞われたため、その子を絞め殺してしまった。

やがて復員して来たマーシャは、子供を産めない体になっていた。イーヤに一人息子を殺されたマーシャは、イーヤに責任を取らせるために、自分の代わりに子供を産むように彼女を脅迫する。そんなマーシャは、発作こそ起こさないが、イーヤ以上に心を病んでいるのだった。

イーヤの場面は背景に赤色を、マーシャの場面は背景に緑色を配する彩色が美しい。そして、互いに対立し葛藤しながらも、共依存に陥り離れられなくなった2人の女の姿が哀しい。

戦争の真の恐ろしさは、戦場での破壊や殺戮ではなく、戦場で人生を奪われた弱者たちが、死ぬまで永遠に続く呪いを受け続けることなのだ。そう訴える制作スタッフの魂の叫びが、映画の行間から響き渡る。これは、そんな映画だ。

ロシアのウクライナ侵攻によって、ロシア国家のイメージは極めて悪くなってしまったが、ロシア人の中には、心から戦争を憎む立派な芸術家も多いのだ。我々は、そのことを決して忘れてはならないと思う。