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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

8.東西手切れ

 そのころ、鎌倉では足利尊氏が激怒していた。

  「直義っ、おまえが大塔宮を弑し奉ったというのは真なのかっ」

 「まことです。兄上、いや将軍は、今までご存じ無かったのですか」 足利直義は顔色も変えずに、怒り狂う兄を茫洋と見つめていた。

  「噂は聞いた。しかし、信じなかったのだ。我が弟が、囚われで丸腰の宮に、そのような惨いことをする男とは思いたくなかったからな。なぜじゃ、なぜそんな非道を・・・」

 「中先代が近くに迫っていて、お逃がし奉る暇がなかったのです」

 「嘘を申せっ。わしの妻子は無事に逃がしたではないか。そのような言い逃れが通ると思うかっ」 すると直義は姿勢を正し、尊氏の顔を睨みつけた。

  「ならば本当のことを言う。大塔宮は、都で我らの命を付け狙った憎い敵。それで、敗戦のどさくさに、積年の恨みを晴らさせてもらったまで」

 「お、おまえは、何という心の狭い男じゃっ。宮への恨みは、宮を失脚させて十分に晴らしたであろうに」尊氏は、震える声で弟をなじった。

  「理由はそれだけでは無いっ」直義は声を張り上げた。「兄上に、最後の決意を固めてもらうためじゃ」

 「ど、どういうことじゃ」

 「兄上は、帝の命に背いて出陣し、鎌倉に事実上の幕府を開いた。ここまでは良い。万民の幸せのためにも幕府は必要だ。しかし、問題はこれからなのです。つい先頃も、中院卿の勅命に応じて上京しようとなされたが、兄上は現状認識が甘すぎる」

 「わしに無断で勅使を追い返しておいて、直義っ、この馬鹿者っ。わしは帝に拝謁を願い、直々に幕府開設を認めてもらおうと思っていたのだ。それを台なしにしおって」

  「馬鹿は兄上よ。あの頑固な帝が、幕府を認めてくれるものかよ。あのとき、のこのこ都に出掛けていたら、今頃兄上の首は無くなっていましたわい」

  「そ、それでは、どうせよと言うのか」うろたえ気味の尊氏。

  「帝と戦うのじゃ。もはや戦しかない。武者所と三木一草を根絶やしにし、朝廷を裸同然にしてしまえば、さすが剛毅な帝もどうしようもあるまい。いやが応でも足利幕府を認めざるを得なくなるであろうよ」直義は、不敵な笑みを浮かべた。

 「そ、そうか、大塔宮を殺めたのは、帝への宣戦布告のつもりだったのか。よくも、こ、この逆臣がっ」

  「逆臣か、よくいうぜ。兄上だって帝の命令に逆らった以上、既に逆臣じゃないか」

  「う、うるさいっ。お前と一緒にするな。わしは嫌じゃ。戦をしたければ勝手にするがいい。好きにしろ。わしは仏門に入って帝に侘びるつもりじゃ」

 この日を境に、足利尊氏はあらゆる政務を放棄し、鎌倉のじょう 光明寺こうみょうじ に入ってしまった。とは言っても出家に踏み切った訳ではなく、謹慎しているのにすぎない。心のどこかで、弟の主張の正しさを認めていたのであろうか。

 「まあ良い。兄上も、いつかきっと分かってくれるさ」

 尊氏の職務を引き継いだ直義は、戦争工作を推進して行った。尊氏の名を使って、各地の豪族に新田義貞追討令を出した。その内容は、新田は朝恩を誇って都で暴虐の限りを尽くしているので、帝のためにこれを討つべし、というものである。同時に、朝廷にも同じ趣旨の建白書が提出された。

 直義は策士である。直接に帝と戦争するわけにはいかないので、帝のために義貞を討つという大義名分を掲げたのであった。

  「ふざけるな、尊氏っ」新田義貞は激怒した。当然であろう。その日から、彼は足利相手の戦争準備に取り掛かった。

 これは戦になる。だれもがそう思った。各地の豪族は行動を起こした。足利に味方する者は東海道を東に下り、新田に味方する者は西に上った。

  菊池武重は、出陣の準備の合間に、故郷の大叔父に派兵を求める手紙を送った。菊池千本槍の威力を試すときが来たのだ。それに、都の菊池勢は二百名足らず。強敵足利との戦いにはこれでは少なすぎる。増援が欲しかった。

 「あの足利どのが謀反とはな・・・・」

 武重は、いまだに信じられずにいた。口を利いたことは殆ど無いが、時々見かけた尊氏は、ぽっちゃりした丸顔の優しそうな男で、とても謀反を起こすような悪人には見えなかったからである・・・。

  新田、菊池、楠木、名和、結城、宇都宮、塩谷、島津、松浦。武者所の武士たちは、すべて臨戦態勢に入った。

 菊池からの増援部隊が到着したのは、十一月初旬のことであった。その中でも、武村率いる千本槍隊の勇姿は際立っていた。

 「どうやら、間に合ったようじゃな」武村は微笑んだ。「千本槍隊の準備は万全じゃ。いつでも戦えるぞ」

  「かたじけない、大叔父上。笑顔を返した武重は、しかし拡充されて三百名を越える槍隊の人数に驚いていた。「ばってん、これだけの人数をいつの間に」

  「ああ、次郎どのに謝らねばな。実は、この槍隊のほとんどが、武士出身者では無いのだ。なにしろ、槍の威力に疑問を感じる奴が多くてな。まともな武士では、槍隊のなり手が居なかったのだ。それで山の民や凡下に大勢来てもらったわけよ。彼らを『足軽』と呼ぶことにした。全てわしの一存でやったことだが、彼らは身分は低いが、訓練はしっかりさせておるから、その点は大丈夫じゃ」

 「・・・槍隊のことは、全て大叔父上にお任せしたのです。おいは、何も言いません」

 武重は、大叔父の英断にむしろ感謝していた。戦況いかんによっては、肥後も戦場になるであろう。だから、故郷の弟たちのために留守の兵力を多く残してやりたかった。足軽が大勢上京して来たということは、正規の武士の多くは菊池に残ることを意味し、むしろ好ましかったのある。

  朗報は、これだけでは無かった。この翌日には、肥前国司の六郎武澄が、松浦党の援軍や、肥前守護の大友貞載とともに都に駆けつけて来たのである。

  「六郎は、来なくてもよかったのに」と、喜色を隠しきれないくせに武重が言うと、武澄は不敵に言い返した。

 「肥後国司の兄上が出陣するのに、肥前国司のおいが指をくわえて見ている訳には行かんだろ。松浦や大友も一緒だ。きっと心強いぜ」 大友貞載も、笑顔を浮かべて近づいた。

  「肥後どの、わしが、惣領の氏泰に代わって官軍に参加する貞載です。これから共に、力を合わせて朝敵と戦おうぞ」

 こうして、都の菊池勢は三百騎千五百名に拡充された。その多くを構成するのは、新しい時代の新しい兵士、足軽であった。

 都に、次々と逆賊討伐の兵が駆けつけて来た。 しかし、明敏な後醍醐天皇は、足利氏の実力を正しく評価していた。尊氏の謀反は明白であるが、討伐して勝てる目算はつかない。足利との戦争は、建武政権の存亡の危機となろう。危険すぎる賭けである。それゆえ、ギリギリの線まで妥協しようと考えていたのだ。

  その天皇に足利討伐を決意させたのは、大塔宮暗殺の確報である。この知らせをもたらしたのは、鎌倉で宮の身の回りの世話をしていた女官、南のかた であった。南は、途中で病気をしたりして手間取りながら、やっとの思いで都にたどり着いたのであった。

  「お、おのれ尊氏、直義っ」 帝は激怒した。皇子を殺された恨みというよりは、朝威を傷つけられたことへの怒りである。これを放置していては示しがつかない。

 そこへ、新田義貞の足利尊氏弾劾状が上奏されて来た。尊氏の犯した罪を「八逆の罪」として八箇条にまとめて明らかにしたものである。 その内容は、

  一、この義貞が、尊氏の命令で倒幕に踏み切ったのだと世間に言い触らしていること。事実は相違し、義貞は既に千早攻めの時から旗上げを決意していたのだ。これ、罪の一。

 一、尊氏自身は鎌倉攻めには参加せず、幼ない嫡子を参加させただけなのに、この義貞の功績を全て自分の手柄とし、世間を惑わしている。これ、罪の二。

  一、六波羅占領後、帝の許しも無く奉行所をつくり、諸国の武士に御教書を発して勝手に恩賞を約束したこと。これ、罪の三。

  一、東国に勝手に幕府を開き、征夷大将軍を僣称したこと。これ、罪の四。

  一、恩賞は朝廷直々の令を待つべきなのに、北条時行を破って鎌倉に入るや否や、公の土地を部下に勝手に分配していること。これ、罪の五。

  一、大塔宮を、罠にはめて失脚させたこと。これ、罪の六。

  一、鎌倉において、大塔宮を私怨によって狭い牢獄に押し込めたこと。これ、罪の七。

  一、混乱に乗じて、宮のお命を部下に命じて奪わせたこと。これ、罪の八。

 後醍醐天皇はこの弾劾状を読んで、ついに最後の決意に踏み切った。

  「逆賊足利を討てっ!」

 ここに、悲劇の建武内乱の幕は切って落とされたのだ。

  都に集結している武士たちは、錦の御旗をひるがえし、威風堂々の進軍を開始した。目指すは敵の本拠地鎌倉である。

 時に建武二年十一月十九日であった。

 官軍の作戦計画は大掛かりだった。京を進発する軍を二つに分け、新田義貞を総大将とする武者所の主力を東海道から、洞院とういん 実世さねよ 卿を総大将とする公家や僧侶の私兵部隊を東山道から、同時に鎌倉に向かわせる。さらに、陸奥国司の北畠顕家に綸旨を送り、北方から関東を窺わせる。

 つまり、足利軍を同時に三方向から攻撃する作戦であったのだ。

※                  ※

 東海道軍として出陣する菊池武重は、相当な苦戦を予想していたので、河内から帰って来たばかりの楠木正成を出発の前夜に訪問した。正成を初めとする三木一草は京の守備に残る手筈だったため、場合によっては今生の別れとなるやもしれず、大恩ある正成に、それとなく別れを告げるつもりであったのだ。

 「肥後どの、よく来てくだされた」正成は笑顔で出迎えた。「ちょうど、お話ししたきことが御座った」

 「はて、なんでしょう」武重は、溌剌としている正成に朗報を期待した。しかし、この期待は裏切られた。

  「まずは、この手紙をご覧なされ」正成が差し出した手紙は、播磨の赤松円心が正成宛に寄越したものであった。

  「これはっ・・・・」

 手紙を読んで、武重は愕然とした。正成に謀反加担を勧める手紙だったのだ。

  「肥後どの、どうやら赤松は足利に味方するつもりや。彼には恩賞の不満もある上に、支持していた大塔宮を失脚させられた恨みもあるので、その気持ちはやむを得ない。肥後どのにお話したきこととは、このことや。敵は関東のみにあらず。北陸にも筑紫にも四国にも現れるやろうから、無理な攻め方をして大損害を出すのは禁物ということ。・・・しかし円心の失敗は、この正成にこのような誘いの手紙を寄越したことやで。これで我らは、赤松を敵とする戦略を前提できて、有利になるさかいな」

 だが武重は、真剣な顔で詰め寄った。

 「河内どの、七郎の話では、あなたも御新政の前途に悲嘆してたそうですな。お気持ちは分かります。あれほど仲の良かった大塔宮を陥れられたのですから。・・・その河内どのが、今は随分と元気なのが気になり申す。つまり、口とは裏腹に、本当は赤松と手を握っているのではありませんか。この武重には、本当のことを話してくだされ、河内どの」

 「・・・・・もし、そのとおりやったなら、肥後どのはどうなさる」

 「我らは、河内どのを徳として(尊敬し感謝して)いもうす。我が一族の栄達は、全て河内どののお陰。ばってん、それはあくまで私事にすぎもはん。公議のためには、この武重、恩人をも討ち取る決意です」そう言いながらも、武重の眼差しは正成が否定してくれることを必死に祈っているのだった。

 「さすが肥後どの。そのお言葉を聞いたら、帝は何と言って喜ばれることか」正成は微笑んだ。「わいは、実はな、帝をとるか足利をとるか、真剣に悩んだこともあるのよ」

 「・・・・・・・」

 「商人や運送業者の親玉だったころのわいなら、家のために迷う事なく足利についたであろう。足利どのの幕府の下で、商人たちの利益を守ろうとしたであろう。でも、わいは河内で写経をしていて悟ったのや。肥後どのの申された、私事と公議のけじめに気づいたのや。所詮、お家も大塔宮も私事。公議のわいは、左衛門さえもん 少尉しょうい 河内和泉守や。名もない土豪が、帝の特別の御計らいでここまでになれた。その厚遇に報いるためにも、一切の私情は捨て、知力のかぎりを尽くして帝をお守りし、事ならざるときは華々しく散る。これが、今のわいの偽らざる決意や」

 「河内どの・・・・・」

 武重はその大きな両手で、小さな正成の拳を握りしめた。彼の心は、今まで以上に正成に対する畏敬で満ちていた。正成の、私心を捨てた清らかな瞳を見ていると、前途に希望の光が輝く気がするのであった。

※                  ※

 十一月十九日。上将軍として尊良たかよし 親王(しばらく前に、大宰府から京に戻っていた)を仰ぐ新田義貞の軍が出陣した。古式に習い、足利邸の門柱を切り倒した義貞は、万軍の大歓声の中を、錦の御旗とともに堂々と行進した。

 菊池武重は、華麗な鎧兜に身を包み、馬上から市街を睥睨した。見送りの群衆の中に小夕梨を見つけて微笑み返した外は、厳しい表情を守り続けた。

  総勢三万を越える大軍は、今や東海道を驀進していく。

 菊池一族の苦難と栄光の歴史がここに幕を開けたのである。

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