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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

9.官軍快進撃

 「思う壷」

 官軍出撃を聞いて、鎌倉の足利直義はほくそ笑んだ。

  「三河に進出している高師こうもろ やす に伝えよ。速やかに美濃に進出し、関ヶ原あたりで新田を迎え撃てと」直義は、近くに控える伝令に命じた。

  しかしその時、一人の使者が直義邸に駆け込んで来たのである。

  「左馬頭どの、将軍(尊氏)のご命令です。三河以西への進出は許さん、と」

 「なんじゃとっ。どうしてじゃ」

  「将軍は、賊名を受けることを恐れています。それで、攻めてくる官軍をやむを得ず防衛するという形にしたいのだそうです。それで、我が家の所領のある三河矢作川やはぎがわ 以西への進出は厳禁とか」

 「ば、馬鹿なっ」

 直義は唖然とした。練りに練った作戦が行えなくなってしまうではないか。

 「将軍めっ、念仏を唱えることに専念してれば良いのに。全てこの直義に任せる、と言っておきながら、なんだこれは」

  しかし、寺に籠もっていても将軍の命令は絶対である。直義は、計画を変更せざるを得なかった。

 足利軍の高師泰は、三河矢作川に防衛線を引いて官軍を待ち受けた。しかし、その兵力は五千に満たない。

  「畜生、関ヶ原の隘路に進出できれば、互角に戦えるのによう」師泰は、歯がみして悔しがった。

  一方、尊良親王を旗頭に掲げ、新田一族を中心に、菊池武重、大友貞載、松浦定、宇都宮公綱、千葉ちば 貞胤さだたね 、塩谷高貞などで構成される三万の東海道軍は、十一月二十五日に矢作河畔に達した。 矢作東岸には、足利の二両引きの旗が翩翻とひるがえり、寄せ手を待ち受ける。その陣型は、一見、極めて堅固であった。

  「さすが、師泰」

 不敵に笑う新田義貞は、密かに一族の堀口ほりぐち 貞満さだみつ を呼び寄せると、密計を授けた。そして自分の本隊を正面に押し出し、戦端を切ったのである。

  矢作川を挟んで猛烈な矢合戦が戦われた。紺碧の空は、東西を飛び交う矢玉で真っ黒に染まった。しかし、戦い半ばにして師泰軍は突如崩れ立った。その横腹を、密かに南方から徒渉していた堀口勢が突いたのだ。 朝敵の名を受け、しかも作戦を事前に制限されていた足利勢の士気は鈍かった。たちまち壊乱し、東へと逃げ散ったのである。

  「幸先良いぞ」

 新田軍の追撃は鋭かった。師泰軍は遠江とおとうみ (静岡県西部)の鷺坂さぎさか でも支え切れず、駿河へと落ちのびていったのだった。

  官軍の凱歌は天を圧した。

 「不甲斐ない味方よ」怒った足利直義は、自ら主力を引き連れて駿河に救援した。

 十二月五日、東西両軍の決戦は、駿河の手越てごし 河原がわら を戦場とした。一進一退の激しい攻防。阿部川の流れは真っ赤に染まって行く。

 「皆の者っ、この戦が正念場ぞ。一歩も退かずに戦えっ、踏みとどまれっ」

 直義の下知が飛ぶ。しかし、文人型の直義は戦が上手では無かった。戦場でもっとも必要とされる直感力に欠けていたのだ。得意とする政略も、怒涛の戦場では無意味であった。

 それに引き換え、新田義貞の陣頭指揮は見事と言うほかなかった。鋭く敵陣の弱点を見抜き、そこに速やかに部隊を投入してゆく。しかも、その主力である新田一族勢は実に良く訓練されており、その猛威を余すところ無く発揮したのである。

 「ううむ、これが鎌倉で北条一門を討ち果たした戦ぶりか」

 後衛として待機する菊池勢の中で、武重は思わず唸った。平場の戦での新田の強さは噂に聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかったのだ。

 数刻の激戦の後、足利勢はついに敗走した。この敗北は決定的であり、佐々ささ 木道きどう  をはじめ、多くの豪族が足利を見限って官軍に投降した。逃げて行く足利勢は、もはや軍隊の形を止めていない落ち武者の群れと化していた。

 「敵のあの有り様を見ろっ。息をつかせず追撃すれば、鎌倉攻略は難事ではないぞ」新田義貞は、流れる汗を拭おうともせず、一気に箱根に突入しようとした。しかし・・・。

 「追い討ちは停止せよ。三島で東山道軍と奥州軍の到着を待つのだ」尊良親王と、取り巻きの公家たちの命令が下ったのだ。

 彼らは一応、この東海道軍の指揮官である。義貞は唇をかみながら、その命令に服従するしかなかった。

  だが、この停止命令も、公家の立場からは決して理不尽なものではなかった。彼らは、今日一日の戦いを見て義貞に恐怖したのである。彼らの目からは、足利も新田も同類であり、どちらも恐るべき存在だった。ここで、もし義貞が単独で鎌倉を落としたらどうなることか。驕り高ぶった義貞は、鎌倉に居座って新田幕府をつくるに違いない。そうなっては元の木阿弥ではないか。これを防ぐためには、義貞一人に手柄を独占させてはならない。・・・このような公家たちの考えが、停止命令となって現れたのであった。

  そのような事情を知らない武士たちは、三島での滞陣に、のんびりと歴戦の疲れをいやした。

 「おお、あれが富士の山かあ。大きいなあ」

 「上から下まで真っ白じゃ。綺麗じゃの」

  「ほんに、ええ武者ぶりじゃのお」

 口々に言いながら、菊池の若党たちは、内心で故郷の阿蘇山を密かに憧憬しているのである。しかし、紺碧の空にそびえ立つ富士山の雄々しい姿は、自分たちの未来の栄光を指し示しているように思われた。彼らは、この戦いの勝利を疑わなかった。

 同じように富士山を見上げる新田の人々は、やや違った感慨を持った。彼らの心の眼には、故郷の赤城山と富士山とがダブって見えた。彼らは、元弘三年に鎌倉攻めに出発して以来、一度も故郷に帰っていないのである。早く鎌倉を落とし、その足で故郷に帰りたかった。赤城山の勇姿を再び仰ぎたかった。

  しかし、このような武士たちの純朴な感情の裏で、恐るべき謀略が進行していたのだ。

 その主は、近江の豪族・佐々木道誉入道高氏だかうじ 。後に「 娑羅さら 大名」と呼ばれる彼は、既成の秩序や道徳を逸脱した人物であった。彼は、手越河原の戦いで足利の命運を見限り、官軍に降伏した。しかし今度は、いつまでも三島で休憩している官軍に愛想をつかし始めていたのだ。

 「ふん、あの時追い討ちをかけていれば、今ごろ鎌倉は新田のものだったに違いない。そう思ったから、わしは官軍に寝返ったのだ。ところが、官軍は事もあろうに絶好の勝機を捨ておった。新田義貞は、公家の言いなりになる馬鹿者と決まった。これでは官軍には勝ち目あるまいて。さて、もう一度足利に返り忠したいが、ただでは受け入れてもらえんのう、きっと。さあ、どうするかな」

 佐々木道誉はしばし沈思していたが、やがて何か思いついたらしく、不敵な笑いを浮かべていた。足利直義以上と言われる道誉の政略が、ここに暗躍し始めたのである。

 それとは知らない三島本陣の新田義貞は、箱根山を厳しいまなざしでにらみ続けていた。足利直義は今、決死の覚悟で箱根山中に陣地を築いていると言う。これが完成すれば、山岳戦を苦手とする新田勢の攻撃は侭ならない。

 「攻めるなら、今のうちなのだが・・・」

 舌打ちする義貞だが、命令を違反する気にはなれなかった。律義すぎる性格が、結果的には義貞の足を引っ張る結果となる。

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