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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

10.箱根の千本槍

 数日後、三島の菊池武重の宿営地を、肥前守護の大友貞載が訪れた。

  大友左近さこん 将監しょうげん 貞載は、九州御三家の一人、大友氏泰の兄であり、この戦いに弟の代理として官軍に参加している、少々冷たい感じのする三十男であった。

 「やあ、左近どの」出迎えた武重は作り笑いを浮かべた。

 彼の心境は複雑である。大友一族は父、弟、叔父、そして愛児の仇なのだ。しかし、今は味方。友人として接しなければならない。

  「肥後どの、お元気そうでなにより」貞載は静かに笑顔を浮かべた。

  「新田勢だけで片が付くので、後衛の我が勢は、ずっと戦には参加できませんでしたからな。体力が有り余ってますわい」苦笑する武重であった。

  二人は、奥の陣屋で酒を酌み交わし、よもやま話に興じた。

  「しかし、思ったより楽な戦でしたな」やがて、貞載が本題を切り出した。

  「ええ、朝敵尊氏は浄光明寺に籠もって出て来ないというし、今月中には足利一族は滅亡でしょう」と、武重は旨そうに杯を干した。

  「ばってん、その後が問題じゃ・・・・」

  「左近どの、何の事ですか」

  「旧足利領の事だが、どうせ公家と坊主に分け取りされるのではないかな。我らには恩賞は来ないかも知れぬ。これは考え物だぞ」

 「なるほど、それが貴君の本音か・・・・・」武重は鼻を鳴らした。

 「のみならず、帝のなされ方は新しすぎる。これは弟(氏泰)とも話した事だが、帝を頂点とする中国風の帝国を樹立なされるのは、突飛すぎるのではないかと思う。この国には、独立の気風を持つ大小豪族があまた居る。我らもその中の一人だが、彼らの利益を無視した政策を進める限り、第二第三の尊氏が現れることは明白と思うが。どうじゃ、肥後どの」 大友貞載の目は、怪しく光った。

  「それはそれで、優れた意見でしょう。ばってん、おいは帝を信じております。謀反人が現れたなら、それを速やかに討ち果たすのが我らの使命。黙って勅命に従うのみです。それに我が菊池の家は、恩賞目当てで朝敵と戦うほど浅ましい家柄ではありませんから」 平然と受け流す武重。最後の言葉には、貞載に対する皮肉が込められていた。

  「・・・・なるほど」微かに目を伏せた貞載は、しばらく当たり障りのない会話を楽しむと、そそくさと自分の宿営地に帰って行った。

 「大友め、菊池が損得勘定だけで動く家でないことを見せてやるぞ」

 貞載の後ろ姿を睨みながら、武重はある決意を固めていた。そのためか、彼は貞載の来訪の真の意図に気づかないでいるのだった。

  やがて十二月十日になると、諸国の戦況が次第に明らかとなって来た。

 洞院実世の東山道軍は、足利方についた信濃守護の小笠原貞宗さだむねに遮られ、未だに甲斐(山梨県)にすら到達できずにおり、北畠顕家の奥州軍も、足利一門の奥州管領の斯波家長に阻まれて、国府のある多賀城すら進発していないという。つまり、彼らの援軍を待つことは期待できない情勢であったのだ。

  「速やかに、鎌倉を攻略すべし」尊良親王とその取り巻きも、ついに決断せざるを得なくなった。三島の官軍陣営は、やにわに慌ただしさを増したのである。 軍議の席で、菊池武重が発言した。

  「この度の箱根攻め、この肥後守に先懸けをお命じくだされ」

  「よくぞ言った、肥後守」新田義貞は喜んだ。「よろしい、貴君の活躍を期待する」

 これが、菊池武重の決意であった。菊池一族の奮闘を世間に明らかにし、欲得につられる武士たちを啓蒙するつもりだったのである。

 ただちに官軍三万五千は進撃を開始した。目指すは、箱根に要塞を築いて待ち受ける足利直義軍三千。

 官軍は、大軍の利点を生かして二手に分かれた。新田義貞を総大将とする主力三万は、菊池武重を先頭に箱根峠を突破する。その間、義貞の弟、脇屋義助を総大将とする五千は、尊良親王とともに足柄峠を抜く。親王をこちらに回した理由は、足柄峠は敵の防備が薄いため、比較的安全な戦いが予想されたからだった。

  「来たな、義貞」

 箱根三島口の陣地の中で、足利直義は蒼白な唇を震わせた。彼はここを始め、箱根の山道伝いに三ヶ所の陣地を築いている。だが、もしも箱根を突破されたら、もはや鎌倉まで官軍の大軍を防ぐ地形は無いのだ。ここでの敗北は足利一門滅亡を意味する。直義は、ここを突破されたら自決する覚悟を固めていた。

 「敵の先鋒は誰だ」鎧姿も物々しく、直義は櫓の上の物見にたずねた。

 「旗印は、なら び鷹羽たかのはね 。菊池肥後守の軍と見受けられます。その数およそ二千」

 「そうか、よしっ、逆落としに攻め立てて、出端を挫いてくれるわ。越後(高師泰)、手勢を率いて菊池を蹴散らして参れっ」

 「おおっ」直義の傍らに控えていた師泰は、街道に向かって立て並べられた馬防柵の隙間に設けられた門から、手勢六百を率いて出撃し、箱根街道を突進して行った。

  そのころ菊池勢は、険しく細い山道に苦労しながらも、錦の御旗を押し立てつつ箱根峠を目指していた。二千近い兵力も、狭い道では十分に展開できない。細く伸び切った隊型のまま、えっちらおっちら進むのである。

 下り坂を突進する足利勢の目には、おあつらえ向きの好餌と映ったことであろう。しかし・・・。

  「お屋形っ、敵が攻めて来ますっ」先行していた菊池の物見隊が、息せききって注進してきた。

 「ごくろう。お前たちは下がっておれ」と、隊列の中軍の武重が命ずる。

  「よし、千本槍の出番じゃ」菊池武村は、この知らせに笑みを浮かべると、列を抜け出して軍頭へと馬を走らせた。

  「者共っ、日頃の訓練の成果を見せるときだ。手筈どおりにやれ。抜かるでないぞ」

 先頭の槍隊は、武村のこの訓示に片手を挙げて応えた。みんな徒歩であり、その防具は、動きやすい胴丸を始めとする軽装である。左手に大きな長方形の楯を持ち、右手に持った長い槍を右肩に寄り掛からせている。みんな、自信にあふれた太々しい顔付きであった。

  第一槍隊の指揮官は、城隆顕の息子、武顕たけあき である。彼は、部下たちの様子を注意深く眺めると、大声で命令を下した。

  「敵は騎馬武者を先頭に突っ込んでくるだろう。油断するな。一番隊形をとれっ」

 この指示と同時に、猛々しい顔の歩卒たちは横列を作り、楯を足元に敷き並べ、その後ろに片膝を付くと、槍を斜め上に突き出した。彼らが互いに肩を寄せあって、針鼠のような密集体型が形成されたのだ。

  「なんじゃ、ありゃあ」

  「かまわねえ、蹴散らせい」

 坂道を駆け降りて来た足利の騎兵部隊は、この中にまともに突っ込んだ。たかが歩卒と侮った彼らは、しかし城壁のようになった楯の列を突破できずに、次々に楯の後ろから繰り出される槍に叩き落とされ、自軍の馬蹄の下に踏まれて行くのであった。

 「脇の下を狙えっ。そこが騎馬武者の急所だっ」城武顕が叫ぶ。

 騎馬の死角、斜め下から繰り出される槍は、彼らを狼狽させた。当たり所が悪かった騎兵は、苦悶の声すら上げずに即死する。

  「いまだっ、突撃っ」武顕の若い声が寒気をつんざいた。 この指令と同時に、槍隊は一斉に攻勢に移った。左手に楯、右手に槍を抱えて。

 「いっ、いかん。陣まで退けいっ」繰り出される槍を太刀で懸命に払いながら、高師泰は絶叫した。愛する部下たちが、名もない下卒に取り巻かれ、名誉も意地もない死に方をするのに耐えられなかった。

  戦友と肩を並べたまま密集体型を崩さずに突き進む槍隊は、あたかも洪水のように足利勢を襲った。急な上り坂を引き返そうとする騎兵は、背中を突かれて次々に落馬してゆく。

 「これは、どうしたことか」我先に逃げてくる味方の哀れな姿に、陣の櫓上で足利直義は驚愕した。

 「筑紫つくし かま です。敵は筑紫鎌を使いますっ」真っ先に逃げて来た若党が、顔を引きつらせて注進してきた。

  「筑紫鎌じゃと。なんじゃそれは」

  首をかしげて前方を見張った直義は、ただちに状況を理解した。高師泰隊は、棒状の武器を抱えた歩兵に追いまくられているのだ。敗走する味方のすぐ後方を敵が追従して来るため、陣地内からの弓の援護射撃は行えない情勢だ。

  「馬鹿者、あれは槍という武器だ。筑紫鎌などでは無い」伝令の若党を叱り飛ばすと、直義は櫓を降りて兜を身につけた。「菊池め、槍をあのような下卒に使わせるとは。蒙古にでもなったつもりか」

  師泰隊が陣に駆け込むのと、千本槍隊が陣に突入するのと、ほとんど同時であった。そのため、直義の守備隊は陣門を閉める余裕を得ることができなかった。たちまち陣中は戦場と化した。城武顕を始め、槍隊は縦横無尽に暴れた。

  「矢の雨を降らせよ」直義の下知が飛ぶ。

 いつのまにか二つの櫓の上に配置されていた弓隊が、上方から猛射撃を始めた。しかし槍隊は、大きな楯を使って急所を庇い、矢を上手に防いでしまうので、あまり損害は受けないのだった。 やがて槍隊は、陣の中央で指揮官を中心にした円陣を組み、突撃を停止した。防御体型に入ったのだ。

  「今のうちに態勢を立て直せ。騎馬隊を集めよ。突撃して、槍兵どもを一気に追い出してくれるっ」混乱する陣の奥で、直義は声を限りに叫んだ。

 しかし、混乱は収まるどころか却って高まった。なぜなら、槍隊の築いた橋頭堡を頼りに、菊池武重、武吉、武豊、武澄の率いる騎馬隊が、続いて乱入して来たからである。

  「いかん、退けいっ。こうなったら箱根峠に撤退じゃ」

 直義は、もはや三島口の陣地を放棄するしかなかった。

 足利勢の無数の遺棄死体の上に、菊池の並び鷹羽の旗が翻り、凱歌が寒空を震わせた。千本槍隊の初陣は、こうして大勝利に終わったのだった。

  「よくやったぞ。よく頑張った」

 武重と武村は、汗みどろになった兵たち一人一人を労って回った。特に、槍隊の兵士たちは負傷者も多かったが、みんな初勝利の味をかみしめて、奪い取ったばかりの清水に喉を潤し、一息ついて満足そうであった。

 だが、逃げた足利勢も、それほど損害は出していなかった。

 「兄上、我らの騎馬武者はほとんど無傷です。このまま直義を追撃しましょう」 八郎武豊が提案した。騎乗が好きな彼は、内心、槍隊のみに名を挙げさせたのが癪であり、坂東の騎馬隊と、一度手合わせして見たかったのである。

  「待て、八郎。おいに策がある」知性派の武澄が横から口を出した。

  「そうか、六郎。遠慮なく言ってみよ」武重は思わず身を乗り出した。今こそ戦果を拡大し、敵の息の根を止めるときなのだ。攻撃の手を休めるべきではない。

 そのころ足利直義は、箱根峠の陣に敗兵を収容し、反撃の作戦を練っていた。

  「このままでは士気にかかわる。なんとか菊池肥後守に痛撃を与えられないものか」

 「先程は、敵の情勢も知らずに騎馬武者を突出させたため、槍隊に付け込まれ敗因をつくりました。今度は我らも、緩急自在に行動しましょう。下り坂ゆえ、勢いにおいて我らの方が有利ですぞ。慎重にやれば、必ず勝てます」 一族の今川いまがわ 範国のりくに と一色いっしき のり うじ の発言である。

  「よし、それで行こう」 態勢を立て直した足利勢は、再び勇躍して出撃した。

 今度は体型を工夫し、薙刀を抱えた郎党たちを前面に押し出した。歩卒なら、敵の槍隊にそれほど苦戦せずにすむだろうとの計算であった。

  斥候からこの様子を聞いた武重は、六郎を振り返った。

  「やはり、向こうから押してくるようだな」

 「そうだと思いました。直義は焦っていますから」

  「ようし、お前の策をやろう。敵を打ち破ったら、その足で一気に峠の陣も奪い取るぞ」 菊池兄弟は、にっこりと微笑んだ。

  「八郎、お前が先陣だ。得意の騎馬武者の威力を存分に発揮せい」

 「よっしゃあ」腕まくりをする武豊。

  「ただし、六郎の計画どおりにやるんだぞ」

 さて、菊池勢もこうして全力で出撃した。その先陣は、騎馬隊を率いる武豊。 両軍は、峠を少し降りた平原で遭遇したが、足利勢はこれを大いに喜んだ。自慢の東国の騎兵の威力を、縦横無尽に発揮できるからである。

  「菊池め、槍隊を出して来ないとは意外だったが、これは却って思う壷じゃわい」自ら騎馬隊を率いる直義は、敵の浅慮を哀れんだ。

  事実、戦いは足利有利に終始した。やはり東国の騎兵は強力である。たちまち武豊の騎馬隊は崩れ立ち、我先にと敗走を始めたのであった。

 「これはかなわん。三島口の陣に引き返すっ」絶叫する武重。

  「今だっ、追い討て。三島口の陣を奪い返すぞ」直義の号令一下、今川、畠山、一色、桃井もものい などの足利一族は、烈火のごとく追撃を開始した。矢作川以来の負け戦を、一挙にここで挽回する覚悟であった。あまりの無様な敵の逃げぶりに、偽退を疑う気にはとてもなれなかった。

  菊池の騎馬隊は、全力疾走で逃げた。下り坂ゆえ逃げ足は速く、歩卒を先頭に出した足利勢は追いつくのに一苦労。それで、いつの間にか歩卒は後方に脱落し、騎馬隊が突出してしまった。彼らの目には、逃げて行く敵の騎兵の背中しか見えていなかったのだ。

 やがて道が狭くなり、沿道に樹木が生い茂るところに出ると、直義は事態の危うさにようやく気づいた。

 「いかん、全軍停止せよ。罠かも知れぬ」

 しかし、もはや手遅れであった。左右の樹上に張り込んでいた菊池の歩卒たちが姿を現し、両足で枝や幹の上で上手に平衡をとると、一斉に頭上から矢の雨を降らせたのである。

  「うわっ」 「ぐうっ」 全身針鼠になって落馬していく騎士たち。混乱する彼らの恐怖は、次の瞬間、眼前に出現した千本槍隊を見て加速された。

  「しまった、さっきの二の舞いになるぞ」高師泰が悲痛な叫びをあげる。

 この時現れた千本槍は、若党の原源五はるげんご の率いる部隊であった。武澄の指示によって事前にここに待機していたのだ。

 「いけえ」源五が叫ぶ。穂先を揃えた槍隊は、新たな獲物の血を求めて走り出す。

※                  ※

 日没までには、決着はついていた。 足利直義は、肩の矢傷の手当を受けながら、呆然と暮れ行く冬の空を見上げているのだった。

 すでに箱根峠の陣までも菊池武重に奪われてしまった。味方の死傷は数知れず、士気は崩壊寸前である。この湯河原口の陣が最後の防衛線であるというのに、一体何が出来るというのか。

 「俺の命も明日までか」 沈みきった陣内を力なく見渡しながら、直義は遥かな峰から聞こえて来る菊池勢の凱歌に耳をふさぎたい思いであった。

 もはや足利一族壊滅は、よほどの奇跡の起きないかぎり免れ得ない運命のようにさえ思われた。

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