歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

長編歴史小説

黄花太平記 第二部

11.敵中突破

 奇跡は起きた。

  菊池勢の猛攻に先立つ三日前の十二月八日、浄光明寺の足利尊氏は、手越河原の敗報を聞き、悲痛な決断を迫られた。

  尊氏は、新田軍の京出立を知った時点でただちに髪のもとどり を切って遁世の準備をし、帝に恭順の意志を示した。彼は幕府を開きたかったが、帝と争うのは嫌だったのだ。なんとかして和平の道を開きたかったのだ。

 しかし、快進撃に驕り高ぶる官軍には、尊氏の気持ちが伝わるはずもなかった。

 尊氏は煩悶した。朝敵となるのは嫌だが、一族の危機が迫っている。愛する弟たちを見殺しにして、自分だけ生きながらえることが出来るだろうか。

 否。

 「もはや、これまで」 尊氏は、ざんばら髪のまま鎧を身に纏うと、鎌倉に残っていたわずかな兵力を連れて出撃した。

 細川頼春よりはる や高師こうもろ なお がこれに続いた。彼らは、尊氏一人に恥をかかせないように、自らの髻を断っての出陣であった。

 ざんばら髪の異様な武将たちは、十二月十一日には足柄峠に到着していた。そう、尊氏の狙いは新田軍の主力では無く、搦め手の脇屋義助軍を奇襲し、衰えた味方の士気を高めることにあったのだ。

  「行けっ、者共」尊氏の采配が空を切った。尊氏直属の二千騎は、白み始める空を背景にして、逆落としに足柄峠を駆け下った。

  竹の下から足柄明神にかけて野営していた脇屋勢は、完全に油断していた。大手の菊池勢の戦果を聞いて有頂天になり、当然するべき警戒を怠っていたのだ。

 「しまった、尊氏が出てくるとは」

 歯軋りして悔しがる脇屋義助は、混乱する敗残兵をまとめ、親王を守りながら撤退に入ったのである。

  「今だ、追い討てっ」

 足利軍の追撃は猛烈だった。数に勝る脇屋勢に、立ち直る隙を簡単に与えなかったので、官軍がやっと踏みとどまることが出来たのは、駿河の佐野山というところであった。そこへ、三島から後衛の大友貞載と塩谷高貞が応援に駆けつけて来た。

  「尊氏め、来るなら来い」援軍に勇気づけられた義助は、むしろ、進出して来た尊氏に逆襲を食らわせるつもりであった。

  「私めに、先陣をお任せください」塩谷判官高貞が勇躍して進み出た。

 「うむ、頼むぞ高貞」義助は大きくうなずいた。

  こうして、両軍正々堂々の戦いが幕を開けた。脇屋軍五千。足利軍四千。数の上では官軍が優勢であった。しかし・・・・・。

  先陣の塩谷勢がいきなり反転し、呆れる脇屋勢に牙をむいて襲いかかったのだ。

  「なんとっ、裏切りか」慌てる義助勢の後ろから、いきなり矢の雨が降りかかった。

  「大友貞載どの裏切りっ」どこかで誰かが叫んだ。

  「ば、馬鹿な、大友も裏切るとはっ」

 呆然とする義助は、しかし現実を認めざるを得なかった。疲れ切った義助勢は、今や前後から挟み撃ちを受けている。

  大友貞載は、弓隊を指揮しながら不敵な笑みを浮かべていた。

  「ふん、帝の新政の時代はもう終わりだ。我ら大友一族は、新しい足利幕府の世で栄えることとするぞ」

  脇屋軍は、こうして完膚無きまでに叩かれた。義助は親王を守って辛うじて西へと逃走出来たが、味方の死傷は数知れず、公家の二条にじょう為冬ためふゆ 卿さえも親王を守って討ち死にしてしまうほどだった。逃げ場をうしなった者は皆、尊氏に降参し服従を誓った。

  「皆、よく働いてくれたな」

 血の香りが醒めやらぬ佐野山の戦場で、足利尊氏は自ら功労者の名を発表し、その場で恩賞を読み上げた。この措置は、いつまでも恩賞審理に手間取る建武政権とは何という違いであったろうか。みんな心から感激し、尊氏のために働けることに喜びを感じるのであった。

  勝ち戦に勢いづく足利軍は、新附の塩谷、大友勢を先頭に、官軍の策源地である三島に攻め入った。手薄な三島はあっと言う間に陥落。この結果、新田義貞と菊池武重は、敵に背後を断たれ孤立してしまった・・・・・。

 さて、それとは知らぬ新田義貞は、三島口の陣まで進出していて、菊池武重の活躍に大いに喜んでいた。

  「さすがは武勇絶倫の肥後どのじゃ、俺の見込んだとおり。これで明日には、直義めの首を見られることだろう」

 そこに血だらけの伝令が飛び込んで来た。

 「殿っ、足利尊氏の攻撃ですっ。竹の下の味方は総崩れっ」

  「なにっ、尊氏がっ。奴は出家したはずじゃなかったのか」床几を倒して立ち上がった義貞は、さっきまでのにやけ面を硬直させた。

  「して、中書王ちゅうしょおう (尊良親王)と義助はどうしたか」

 「なんとか駿河佐野山まで退却できました。すぐにも尊氏に決戦を挑むご覚悟です」

  「・・俺が助けに行くまで自重しろ、と義助に伝えろ。いや、お前は怪我をしてるな。ここで休むがいい。他の者に行かせる。・・・・そこのお前、佐野山まで行ってくれ。それからお前は、箱根峠の肥後守に伝えよ。本隊は尊氏と戦うために一時後退するとな」

 あせった義貞は、ただちに全軍を転進させた。彼の本隊は、その兵力三万。この威力をもってすれば、大勢挽回も不可能とは思えなかったのだ。

  中軍の佐々木道誉は、この状況を大いに喜んでいた。

  「ふふふ、思う壷だわい。そろそろ潮時かな。・・・・おい、新田の軍監を呼んで来い」彼は郎党に命じると、馬上で大きな欠伸をした。

  「何か用でござるか」しばらくすると、義貞が佐々木勢に付けた軍監が、馬を添わせて近寄って来た。

  「おお、良きことをお教えしようと思いましてな」

  「はて、良きこととは」

  「三島で留守している塩谷高貞と大友貞載じゃが、今頃は敵に寝返っていますぞ」

  「ま、まさか、ご冗談を。第一、どうして佐々木どのがそんなこと知っていなさる」 苦笑する軍監。

  「簡単なこと。このわしが説得して、奴らが寝返るように仕向けたのですからな」

  「なんだとっ」

 驚いた軍監は、次の瞬間には血しぶきをあげて落馬していた。密かに接近していた道誉の部下が、袈裟がけに切り倒したのだ。

  「敵は新田義貞っ、者共かかれい」

 道誉の叫び声とともに、佐々木勢は無防備な新田勢に襲い掛かった。輝く陽光の中で、官軍はたちまち支離滅裂に分断されていった。

  「おのれ、道誉めっ」混乱する味方の中で義貞は切歯したが、さらに、三島から立ちのぼる黒煙は、官軍の士気を崩壊させる決定打となった。

  「あれを見ろ」 「おおっ、三島の陣が焼けている」 「右衛門うえもん のすけ (脇屋義助)どのは既に敗れたのか」 「俺たちは退路を断たれたということか」 「もう駄目だ」 「これまでだ。降参しよう」

 次々と敵に寝返る豪族たち。この時代の武士には、忠義という観念は根本的に欠如していた。強くて恩賞を呉れそうな側に付く、それだけである。忠義という言葉は、徳川幕府の支配を強化するために、江戸時代の儒学者が発明した造語に過ぎないのだ。

 こうして、気がついてみると新田義貞は、一族わずか数十名に守られて敵の海の中に漂っていたのである。

  「何ということだ。これが、あの大軍の成れの果てとは。信じられん。俺は官軍の大将だぞ。なのに、どうして皆、逆賊に味方するのだ。なぜ錦の御旗に弓引くのだ」

 律義な性格の義貞には、どうしても理解できないことであった。彼には、尊氏のように清濁合わせ飲む生き方が出来ないため、それが今度の敗戦の原因になったのかも知れない。しかし、今は考えている時では無かった。三島を占領した尊氏の軍は、いつしか一万を越える大軍となって敗残の新田勢に襲いかかったのである。

  「お屋形、こうなったら三島の北方を迂回して、富士川に向かいましょう」

 「そこまでたどり着ければ、ご舎弟の軍にも合流できましょう。散り散りになった味方を集めて、再起を図ることもできましょうぞ」

  旗本たちに励まされ、義貞は敵中突破の覚悟を固めた。

  「よし、行くぞ。新田源氏の闘志を見せてやる」 しかし、わずか数十名の一行は、敵の垂涎の的となった。

  「おお見ろ、あれは大中黒の旗印」 「敵の総大将、新田義貞の一行に違いないずら」 「義貞の首をとれば、手柄は思いのままぞ」

 足利方の豪族たちが、次々に襲いかかった。追い払っても追い払っても群がってくる彼らは、まるで餌にたかる蟻のようなものだった。篠塚伊賀守を始めとする新田一族の旗本の奮戦のお陰で、なんとか西進を続ける一行だったが、疲労の色は濃くなる一方。義貞自身の太刀もすっかり刃毀れし、血油で黒光りする始末であった。

  「みんな、もうすぐだ。頑張ってくれい。」義貞は、あえて明るい声を張り上げた。

  「ははは、敵の弱さに拍子抜けして、何だか物足りないですわ」執事の船田ふなだ 入道義にゅうどうよし まさ が、白い歯を見せて笑った。

  「そうとも、ちょろいもんだ」

 「楽なものずら」

  肩で息をしながらも強気な部下たちを見て、義貞は新たな闘志をかき立てられた。彼らの奮戦に報いるためにも、ここで死ぬ訳にはいかない。

  しかし、付近の小高い丘の上で、新田一行を冷たく見つめる影があった。誰あらん、大友左近将監貞載である。彼とその軍勢は、最前から新田勢を追尾していたのだ。猟師が手負いの猪を狩るように、頃合いを見て止めを刺すつもりであった。

  「おいが新田義貞の首をとったなら、将軍(尊氏)は我が一族に思いのままの恩賞をくださるであろう。中立を守っている少弐を差し置いて、我が家が筑紫の実権を握れるようになるかもしれんぞ」内心で皮算用をする貞載であった。

 「菊池武重め、おいが三島の陣を訪問したときに、あんなに邪険な態度を取らなければ、道誉入道の寝返り工作の仲間にしてやったのに。馬鹿な奴だ、これで菊池一族も終わりよ」

 貞載が大きく采配を振った次の瞬間、丘の上に待機していた大友勢二千が、騎馬武者を先頭に、新田勢目がけて突っ込んだのである。

  「命を惜しむな、名こそ惜しめっ」

 疲れ切った新田一族は、それでも義貞を中心に輪形陣を敷き、追いすがる大友勢に矢の雨を降らせ、刀をふるって応戦した。しかし敵の数はあまりに多い。もはやこれまで、と思われた丁度その時であった。

  突然、大友勢の後陣が崩れたち、混乱し、我先にと敗走を始めた。そして、その隊列を割り、風を巻いて飛び込んで来たのは、一流の並び鷹羽の旗であった。

  「藤原肥後守武重ここにあり。大友左近将監に見参っ」

 「同じく肥前守武澄、見参」

 「同じく七郎武吉」

 「同じく八郎武豊」

  そう。大友勢の背後を襲ったのは、箱根峠にいるはずの菊池勢だったのだ。

 この予想外の奇襲は、大友勢を痛打した。その陣型は無残にかき乱され、大混乱に陥った。もはや、立て直せない。

 「いかん、一先ず退けい。くそ、菊池武重め、まだ生きていたのか、しぶといやつめ」大友貞載はあわてて全軍を撤収した。

 「おお、肥後どの。よく来てくれた。かたじけない」義貞は泥だらけの顔で微笑んだ。

 「左兵衛さひょうえ のかみ (義貞)どのっ、安心はまだですばいっ。我らの背後から、左馬頭(直義)の軍が迫っていもうす。急いで西に向かいましょう」武重は馬上から叫んだ。

  菊池勢は、義貞主力の転進の後も箱根峠で頑張っていたが、三島の町の黒煙を見て事態を察知し、武村率いる千本槍隊を殿軍に、ここまで敵中突破して来たのだった。敵軍の流れから、義貞の位置を掴んだのだという。

  「敵が向かう方へと進んで来たのですばい。案の定、左兵衛どのに合流できましたね」

 やがて、後続の千本槍隊も武重に追いついて来た。戦いながら、機を見て西へ走りとおした彼らは、埃にまみれ、疲労困憊し、小川のせせらぎの音に喉を鳴らしていた。

 「大叔父上、かたじけない」

  「次郎どの、その言葉はわしにではなく、槍隊のみんなに言ってやってくだされ。本当によく頑張ったですわ」そう言う武村も、さすがに疲労の色は隠せなかった。

 菊池勢を加えて千五百名になった一行は、やがて愛鷹山の麓にたどり着いた。一同は、谷川の冷たい水で喉を潤し、やっと一息つくことができた。

  「おや、馬蹄の音が聞こえる」 「敵かっ」

  様子を見に行った新田の郎党は、やがて喜色を浮かべて戻って来た。

  「お味方ですっ。熱田大宮司と、堀口貞満どのの軍勢ですっ」

 「おお、大宮司と堀口は無事だったのか」 義貞は身繕いを整えると、急いで彼らを出迎えた。

  「殿、ご無事でしたか」新田一族の堀口貞満は、感涙にむせび泣いた。

  「喜んでいる場合じゃあにゃあ。左馬頭(足利直義)が、我らのすぐ後ろから攻めて来るだぎゃあ」熱田大宮司が緊迫した表情で口走る。

  「直義のことは、この武重にお任せを。我らが防いでいる隙に、ご一同は富士川へとお逃げください」そう言うや、菊池武重は兜を身につけ、再び馬上の人となった。

  「肥後どのだけに苦労させるわけにはいかん。俺も行くずら」堀口貞満も、手勢一千とともに後に続く。

  足利直義は怒りに燃えていた。なんとしても菊池一族を粉砕し、箱根での恨みを晴らしてやりたかったのだ。その直義に付き従う大友貞載は、新田義貞の首に執念を燃やしていた。自分を筑紫の第一人者として、尊氏に認めさせるためである。

  しかし、宵闇の中で敵を最初に視認したのは、目の利く菊池若党の源三だった。

 「お屋形、奴ら真っすぐこっちに来ますぜ。大友の旗も見えます」

  「ご苦労、よし、裏切り者の貞載め、目に物を見せてやるぞ」

 行く手の林に潜む菊池勢の中で、武重は大友の裏切りをむしろ歓迎していた。これで心置きなく父や愛児の仇を討つことができるからだ。

  足利勢は、まさか、すぐ手前の林の中に千本槍隊が待ち伏せているとは思わなかった。敵は一目算に逃げているものとばかり思っていたのだ。よく目をこらして林をのぞき込めば、枝の間にきらきら光る槍の穂先が見えたことだろうに。

  「いまだ、行けっ」

 武重の命令一下、城武顕と原源五の率いる槍隊が、一斉に押し出して来た。それに呼応し、堀口貞満の騎馬隊も攻撃を仕掛けた。

  「うわっ、待ち伏せだっ」 「しかも筑紫鎌だっ。また筑紫鎌かっ」

 逃げ惑う足利勢。

 彼らは槍恐怖症に陥っていて、槍を見ただけで腰を抜かす始末。一方の大友勢は、槍の恐ろしさを新たに身をもって学ぶ羽目となった。それだけではない。堀口の騎馬隊の突撃力は凄まじく、菊池勢と歩調を合わせて敵を追いまくったのだ。

  「くそっ、覚えてろ武重」 大友貞載は潰走する軍の中で、歯軋りしていた。

  「深追いは無用。本隊の後を追うぞ」白い歯を見せて笑った武重は、貞満とともに兵に凱歌を上げさせると、直ちに反転し、義貞の後を追ったのだった。

  彼らが富士川にたどり着いたのは、それから二日後のことであった。富士には、既に脇屋義助や尊良親王、それに宇都宮公綱や松浦定、千葉貞胤らが集まって来ていた。

 「兄上、申し訳ござらぬ」頭を下げる義助。

  「なあに、勝敗は兵家の常だ。ましてや卑怯な裏切りにあったのだ。やむを得ないさ。・・・それにしても、京を出るときのあの大軍が、今や一万足らずか。その多くが足利についたのだから口惜しいわい」

 彼ら兄弟の会話を輿の中で聞いていた尊良親王は、静かに口を挟んだ。

  「負け戦というのも良い経験だの。世の中が違った風に見えるぞよ」 親王は蒼白な唇を動かしながら、豪気なことを言って新田兄弟を慰めたのである。 「江串入道に連れられて夜道をさまよった昔が懐かしいわ。あのときは肥後守、そもじの父には世話になったの」親王は、新田兄弟の近くにいた菊池武重にも声をかけた。

 「今度の戦でも、そもじの活躍が見事だったとか。帝には忘れずに伝えおこうぞ」

 「ありがたきお言葉」

 武重は、それ以上申し上げる言葉もなかった。宮が自分のことを覚えてくれていたとは思っていなかったので、ひたすら感激だった。

  官軍は、やむを得ず尾張まで撤退し、そこで兵を増強し、矢作川で足利勢を待ち受けることとなった。西へと落ち行く錦の御旗は、寂しげにたなびいていた。

ページ上部へ