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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

23.湊川の合戦

 五月二十三日、勢揃いして西へと向かう楠木勢は、摂津の桜井で小休止した。ここは、播磨と河内の分岐点である。正成は、同陣の嫡男、正行を呼びよせた。

 「正行、ここからお前は一千の兵を連れて河内に帰れ」

 「嫌です、父上が決死の覚悟で戦に臨むのに、私だけ帰るわけにはいきませぬ」

 「正行、父にもしものことがあっても、一族の玉砕は避けねばならぬのだ。・・・わいが死んだら、天下は必ず尊氏卿のものとなろう。だが、どうせ短い命なのに、一時の栄華のために節を曲げてはならぬ。・・・後醍醐の君にお仕えしたのは、あるいは我が一族の不運やったかも知れぬ。だが、例えそうやとしても、一族の多年の忠節を無にしてはならぬ。よいか、これが父の遺言ぞ」

 「父上っ」泣き崩れる正行であった。歴史に残る、桜井の別れである。

※                  ※

 そのころ菊池武重は、兵庫湊川で陣屋構築を監督していた。うち続く負け戦に、郎党たちの意気は落ちる一方。みんな武重の前では強がるが、覇気の無い表情と落ち窪んだ目がすべてを語っていた。菊池勢に限ったことではない。新田も千葉も宇都宮も、同じ体たらくだった。わざと豪気に振る舞う武重自身も、歴戦の疲労に弱気になっていた。

 平時には風光明媚な和田岬の松原も、ヒグラシの鳴き声も、彼の心を目を慰めるには至らなかった。

 「兄上、京からの援軍が到着したぞ。楠木さまの軍勢だっ」

 駆けつけた七郎武吉の言葉に、そんな武重もようやく愁眉を開いた。

 「おおっ、河内どのがっ。それで兵力はどれほどか」

 「それが、わずか五百騎(総勢一千強)なんだ」

 「まさか」武重は耳を疑った。四万の敵に一千の援軍では、どうにも話にならない。

 「どういうつもりだ、河内どのはっ。よしっ、今から真意を糾しに行くぞ」

 武吉ほか数名の郎党を連れて馬を飛ばした武重は、 経島 (  きょうがしま )    に駐屯したばかりの楠木勢の、あまりの少なさに愕然とした。

 「河内どのはいずこかっ。菊池肥後守参上っ」愛馬から飛び降りた武重は、出迎える楠木郎党たちには目もくれず、まっすぐ本陣に駆け込んだ。

 楠木正成は、まん幕を張り巡らせた木陰の本陣の床几の上で、幕僚に囲まれながらしきりに汗と泥を拭っていたが、武重の姿を見て懐かしげに微笑んだ。

 「やあ、肥後どの。しばらく」

 「河内どの、遠路ご苦労でした。ばってん、兵庫での合戦は、宮方の死命を決する別れ道です。河内どのの覚悟が如何程か伺いたくて、参りこしました次第」

 「さては、我が勢の少なさに驚かれたのですな」正成は、武重のこわい顔を見て苦笑した。「ところで、肥後どのは、まことに兵庫で決戦なさるおつもりですか」

 「・・・どういうことですか」

 「有り体に申さば、官軍に勝ち目はありませぬ。認めたくはないでしょうが、肥後どのも、内心分かっておられるのでしょう。せやから、この戦は別れ道などではありまへん。ここは、いかに損害を少なく済ませるかの戦です。そのような戦には、大軍で駆けつける必要はおまへんのや」

 「なるほど」武重は感心した。「河内どのは、敵を京に引き入れ、正月の戦を再演するおつもりなのですな」

 「まあ、そういうことや」屈託なく、朗らかに笑う正成であった。

 しかしその表情の内面で、彼はこの戦いで死ぬつもりであった。時勢の見え過ぎる彼には、建武政権の末路が明白であったからである。例え尊氏を討ち取ったとしても、第二、第三の尊氏が現れ、いずれにせよ帝の治世も長くはないだろう。かといって、ここで尊氏に降参するわけにはいかない。三木一草としてあまりに御寵を受け過ぎたし、尊氏は建武政権の法制度を否定する立場であるから、自分が倒幕で勝ち取った地位は、もはや期待できなくなる。それは耐えられない。

 「肥後どの」しかし正成は言わずにおれなかった。「わいに、もしものことがあったとしても、帝をよろしく頼みますぞ」

 「何を言いますか」何も知らない武重は、静かに笑った。「いつまでも、共に帝をお護りしていきましょうぞ」

 しかしこの時が、二人の勇者の永遠の別れとなったのである。

※                 ※

 五月二十四日の夜、兵庫湊川の官軍本陣で会見する二人の武将があった。楠木正成と新田義貞である。周囲に誰も近づけず、まん幕の中で差し向かいに座り、京の美酒を酌み交わしながら作戦計画を固めていた。

 「なるほど、河内どのは、わざと負けて京に逃げよというのか」

 「そうです、敵は強力な水軍を擁しています。水軍は好きな所に上陸できますさかい、いつまでも兵庫に固執しては、背後を断たれて敵中に孤立する危険性もあります。そうなる前に、機を見て退却するのが最善の計です」

 「しかし、京からは兵庫で決戦せよとの勅命が来ているから、これに背く訳には行かない。第一わざと逃げるのは俺の面目が立たないし、公家たちの笑い者となるだろう」

 正成はこれを聞いて慨嘆した。義貞の欠点は、過度に律義で、誠実で、面目を重視するところにある。官軍がここまで追い詰められたのも、そのためと言っても過言ではない。しかし、義貞のこの性格は平時であればこの上ない美徳である。このような濁った時代に生まれたことが、彼にとって不運だったのだ。そのように考えると、もはや正成には義貞を憎む気にはなれなかった。

 「衆愚な公家の言うことなど糞くらえや。元弘の戦で鎌倉幕府を打倒したのも、正月に尊氏を筑紫に追い落としたのも、全てあなたの武略の賜物ではありませんか。自分に恥じることなど無いはずです。公家の言うことではなく、あなた自信の道を進むべきです」

 「・・・河内どの」義貞は胸が熱くなった。今までの連敗に、自責の念を感じていた彼は、ここでこんな風に励まされるとは予想していなかったのだ。

 「戦は、最後の勝利が肝要です。緒戦で敵に痛打を与え、武士の面目を保ちながら京へ退がる。これこそ、帝のために最善の作戦なのです」正成はきっぱりと言った。

 「・・・そうかも知れぬ。だが、勝機が皆無とも限るまい。その時は全力で戦うぞ」

 「それは、ごもっとも。ついては、左馬頭(直義)の軍勢はこの正成が一手に引き受けて牽制します。左中将どのは、尊氏の水軍に当たってくだされ」

 「・・・大丈夫か。直義は二万の兵力だ。わずか一千では抗すべきもないのでは」

 「なあに、わいに策がありますのや。ご安心ください」笑顔を見せる正成。しかし、彼の心中には実は策などなかった。

 「そうか、それではお頼みしますぞ」義貞は、素直に頭を下げた。正成の策は、これまでのところ百発百中。今の義貞には、それがもたらす奇跡を期待するしかなかった。

 圧倒的な敵に立ち塞がらんとする二人の武将は、夜も更けるまで酒を酌み交わした。

※                  ※

 児島党を粉砕し、備前児島に駐留していた足利勢は、五月二十四日にはここを出撃し、尊氏の水軍は、折からの西風にのって二十五日の明け方には兵庫湊川の沖合に達していた。その水軍には、讃岐の細川定禅や伊予の 河野道 (  こうのみち ) (  もり  )    や 忽那重 (  くつなしげ  ) (  きよ )    らの増援が続々と馳せ参じ、瀬戸内海をびっしりと埋め尽くしていた。船の数は一千隻。総勢二万。

 一方、唯一の宮方水軍である土居、得能水軍百隻は、神戸の沖合で、雲霞のごとき敵に手だしできずにいた。遠巻きに牽制することしか出来ず、切歯扼腕していた。そして、元弘の戦で手に入れた河野一門筆頭の栄光は今、彼らの目前で脆くも潰えようとしていたのである。

 旗艦の甲板で微風を浴びる尊氏は、眼前に広がる陸地に翻る官軍の旗を睨んだ。新田の大中黒と錦旗は和田岬周辺に、楠木の菊水旗は内陸の 会下山 (  えげざん )    付近にはためいている。総勢で一万数千か。数の上では味方が圧倒的有利。しかも、今度は自分も官軍である。官軍と官軍の戦なら、決して負けはしない。尊氏は思わず、己の船首に翻る錦旗を心強げに見た。

 「だが」尊氏には気掛かりがあった。「楠木河内守だけは侮れぬ。正月の戦での彼の謀略の恐ろしさは、思い出すだけで背筋が凍るわ」

 「その気持ちは、将軍だけでは御座いません」傍らに侍する高師直が言った。「多くの将兵も、楠木の策略にはビクビクものです。先日など、味方に加わるために接近してきた河野どのの戦船を見て、楠木の謀略と勘違いし、危うく同士討ちになるところでした」

 「うむ」尊氏は頷いた。「なんとしても、ここで河内守を倒さねばならぬ」

 一方、陸上の足利直義軍は、中央に直義本隊一万、浜手右翼に少弐頼尚隊四千、山手左翼に斯波高経隊三千を配し、しゅくしゅくと前進していた。海上の兄と同時攻撃する手筈である。

 迎え撃つ新田勢は、和田岬を中心に部隊を四つに分け、四段の陣地を敷いていた。海陸の両方に機敏に対処するためである。菊池勢は、義貞の本陣に遊軍として待機した。一方の楠木隊は、会下山麓の陣地に小さく固まり、静かに闘志を燃やしていた。

 午前九時、急激に陸地に接近した尊氏の水軍から鬨の声があがった。浜手の少弐勢も呼応して鬨を三度つくった。新田、楠木勢も負けてはいない。楯の端を鳴らし、 (  えびら )    を叩いてこれに応ずる。これが湊川の合戦の始まりであった。

 浜辺を走る少弐勢が、真っ先に新田勢に襲い掛かった。迎え撃った 大館 (  おおだて )    氏明 (  うじあき  )    隊は、必死に抵抗し、形勢は互角であった。これを見て、細川定禅率いる水軍の一部は和田岬を回り、その先の経島に威力上陸を試みた。しかし、新田の四段陣地は柔軟に機動し、駆けつけた脇屋義助隊がこれを一撃で粉砕した。

 「さすが義貞」船上で形勢を見ていた尊氏は臍をかんだ。「やはり敵前上陸は無理だ。敵の後方に迂回して、挟み撃ちにするしかないな」

 そのころ内陸では、楠木隊を包囲しようと北方に回り込んだ斯波勢は、それを予期して隘路に潜んでいた楠木 正季 (  まさすえ )    隊の要撃を受けて苦戦していた。不甲斐ない味方に業を煮やし、須磨口から本隊を進めて来た直義は、しかし翩翻とはためく菊水旗に恐怖し、なんとなく士気が上がらないでいた。

 「よっしゃ、目指すは左馬頭の首。者共、いくでいっ」正成の号令一下、それまで静かだった楠木本隊は会下山を下り、一気に直義隊に切り込んだ。選び抜かれた鉄の団結力を持つ、千早以来の強兵である。直義勢先鋒の赤松隊は、たちまち崩れ立った。

 しかし、官軍の優勢はここまでだった。沖合で戦機をうかがっていた細川水軍が、新田勢の背後に上陸するために東に船首を向けたからである。

 「尊氏め、やはりその手で来たか。このままでは挟み撃ちをくらう・・・・」しばし沈思していた義貞は、やがて決断を下した。「よしっ、ここを引き払おう。経島の敵を破って面目も立った。かくなる上は、河内どのの策に従って京に帰ろう」

 新田軍は、敵船を追う形で一斉に東に走った。もちろん、楠木隊にも使いを送って退却を促した。しかし、この使者は結局正成には会えなかった。正成自身乱戦の中にいたし、新田、楠木両軍の間には既に少弐隊が進出していたので、途中で捕らえられたのであろう。だが、使者が無事にたどり着いたとしても、結果は同じだったろう。正成には退却する気など最初から無かったのだから。

 東に向かう新田勢の中で、菊池武重は嫌な予感に襲われていた。彼は、弟の武吉を呼び寄せてこう言った。

 「七郎、手勢を率いて会下山へ行ってくれ。そして、河内どのをお護りし、退却を見届けてくれないか」

 武吉はにこやかに頷いた。「実は、言われなくても勝手に行くつもりでした。なにせ正成どのの軍勢はあまりに少ないから、ずうっと心配で心配で」

 「頼むぞ、七郎。なんとしても河内どのをっ」

 かくして、十数名の部下を連れた武吉は、新田軍から離脱して西北へと走った。

 残された戦場では、しかし楠木隊の攻撃は凄まじかった。赤松円心、細川頼春、島津 氏久 (  うじひさ )    (九州に帰った貞久の三男)の三隊を縦断突破し、いつしか直義の本隊に斬り込んでいた。赤松らは、まさか戦上手の正成が自殺的な突撃をして来るとは思わなかったので、奇策を警戒して柔軟な行動を取らなかったため、そこを正成に付け込まれた結果であった。

 そのため、直義は危難に見舞われた。彼は、馬に飛び乗って後方に逃げる途中で落馬し、楠木勢に追いすがられたのだ。味方の郎党が助けに入らなければ、確実に討ち取られるところであったという。

 足利尊氏は、新田勢の退却でガラ開きとなった和田岬に無血上陸した大軍の中で、弟の危難を知った。

 「いかぬ、新田を追撃するより、弟を救うのが先だっ。全軍、楠木を叩けっ」

 尊氏の大軍は、こうして楠木勢をその背後から襲った。この行動が直義の命を救った。

 「お屋形っ、尊氏が来ます」楠木家老の恩地左近が叫ぶ。

 「よし、直義勢は混乱してしばらく立ち直れまい。全軍転進して尊氏を討つぞ」正成は、汗まみれで息を弾ませながら陣頭で部下を励ました。「諸悪の根源、足利尊氏の首はすぐそこだっ。ふんばれ者共っ」

 一方、新田義貞は、楠木勢が逃げ遅れて敵の重囲に陥ったことを生田の森で知った。彼は追撃してきた細川定禅隊を撃退し、この森で陣型をなんとか立て直したばかりであった。

 「河内どのっ、どうしてじゃ」義貞は眦を裂いた。「河内どのは見捨てられぬぞ・・」

 新田勢は、かくして再び戦場に馳せ向かったが、その士気は奮わなかった。

 そのころ楠木勢一千は、足利軍四万の海の中に孤立していた。しかし、楠木勢の不屈の戦いは、夕刻まで六時間に亙って続いたという。だが、勝敗は最初から明らかであった。

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