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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

24.無常の風

 楠木勢の崩壊を誘ったのは、尊氏とともに和田岬から上陸した河野道盛勢であった。特に、その先鋒となった 大森 ( おおもり ) 盛長 ( もりなが ) 隊の奮闘は目覚ましかった。

 夏の日差しが西に傾くころ、全身傷だらけとなった楠木正成は抗戦を断念した。

 「もう、ここまでにしよう。戦は終わりや。新田中将も無事に逃げたようやし、もう、やり残したことはあらへん」

 彼の周囲に集まっているのは、弟の正季、執事の恩地左近ら、一族七十数名のみであった。みんな乗馬を失い、どこかに必ず負傷していた。その他の者はみな、戦線離脱したか、討たれてしまったのである。

 正成を囲み、死に場所を求めて北へとさすらう一行。戦い疲れた足利勢は、遠巻きにして見守っている。自決するなら今であった。

 「お待ちくださいっ」その時、楠木勢の前に一個の影が飛び出した。傷だらけで薄汚れているが、正成には、それが誰だかすぐに分かった。

 「おお、菊池七郎武吉どの。どうしてここに」

 「河内どのの身が心配で、新田中将の陣を抜けて参ったのですばい。河内どの、諦めるには早すぎます。おいが探ったところ、丹波道には敵の手は未だ及んでおりませぬ。そこから逃げれますぞ。おいが先導しますんで、なんとか一緒に京に落ちましょうぞ」

 「おおっ、これはかたじけない」正成は頭を下げた。自分たちのことを心から心配してくれる彼の気持ちが、涙が出るほど嬉しかった。

 しかし、菊池武吉の負傷はかなり重かった。彼は、敵の包囲網を突破するため部下の多くと乗馬を失いながら、気力を振り絞ってここまでたどり着いたのであった。

 「とりあえず、すぐ北に農家を確保しておきました。おいが放った斥候が戻るまで、そこでおくつろぎください」武吉は苦痛に耐えながら、強いて明るい声で言った。

 こうして、一行は開け放たれた大きな農家に集まった。家の主は戦を恐れて逃げてしまったらしく、まったくの無人であった。

 やがて、武吉が放った斥候三名が農家に帰って来て、丹波口の安全を報告した。

 「よしっ、わいが名前を呼んだものは、菊池どのと共に京に落ちよ」正成は、生き残りの中で比較的傷が軽い者の名前を読み上げた。その名は、三十名近くに上がった。

 「お屋形は、どうなさるのや」 ( きし ) 和田治 ( わだはる ) ( うじ ) など、名を呼ばれた者たちは訝しげに問うた。

 「わいは、ここで腹を斬る」正成は、憮然と言った。武吉を始め、一同は驚愕した。

 「な、なんでや」「そんなら、わいらもお供しますで」「お館、死ぬなら一緒と誓ったではありませんか」

帰参組の連中は、口々に抗議した。だが、正成には聞く耳は無かった。

 「傷の軽いお前たちは、我が子正行のために働く義務がある。ここで死ぬことは許さぬ。さあ、敵が動き出す前に、早く菊池どのと共に落ちるのや」

 「それなら、河内どのとて、帝のために生き抜く義務があるのでは」菊池武吉が口を挟んだ。「貴殿ほどの方が、ここで人生を諦めるのは、どうしても解せませぬ。逃げ道があるのです。落ちない法が、どこにありましょう」

 「七郎どの」正成は、涙で潤んだ目で武吉を見た。「察してくだされ。わいには、もはやこれ以上の苦しみは耐えられんのや。わいが築いた帝の世が崩れるのを、これ以上見ていたくないのや」

 「・・・・・」武吉は、あまりの言葉に身震いした。この人は、現世をあきらめている。

「さあ、七郎どの。わいの部下とともに京に落ちてくだされ。そして、肥後どのと共に、わいの分も帝をお護りしてくだされ」

 「・・・・・」武吉は項垂れた。正成の決意の固さを知って言葉に窮したのだ。

 戸外が急に慌ただしくなったのは、その時である。足利勢が動き出したらしい。

 「小次郎、一郎太は、おいに続け。嘉平は、みんなを連れて丹波口に落ちよ。おいたちは、敵に一泡吹かせてから後に続く」菊池武吉は、生き残った郎党とともに戸外に飛び出した。正成のために、せめて時間稼ぎをするつもりであった。

 「かたじけない、菊池どの・・・」南に走る武吉主従と、北に落ち行く帰参組たちを見送った正成は、静かに自決の準備を整えた。

※                  ※

 郎党二名とともに、傷の痛みに耐えながら南に向かった菊池武吉は、はからずも迫り来る足利勢先鋒に直面した。その旗印は、河野一族の大森彦七盛長であった。

 「大森どのっ、大森どのは何処っ」武吉は敵陣に向かって叫んだ。

 わずか三名の菊池主従に警戒を解いた大森隊の中から、主将の盛長が姿を見せた。

 「なんだ、お主は菊池武吉ではないか、あはっ、久しいのお」盛長は、思わず笑顔を浮かべた。二人は、まだ平和だった京で、共に酒を酌み交わした仲だったのだ。武吉の好奇心旺盛で外向的な人柄が、思わぬところで友人に巡り合わせたと言えよう。

 「なあ、彦七、お主とおいの仲だ。楠木主従の自害の邪魔をしないでくれ」必死で頼む武吉の姿に、盛長は腕組みした。

 「ふむう、そりゃあ俺だって、楠木どのほどの勇士の最期を邪魔したくはないぜよ。じゃけんど、楠木どのは、死んだ振りの名人じゃ。死んだと見せて逃げられては、俺が主人に叱られるぜ」

 「おいの目を見ろっ、おいを信じろっ、おいがお主に嘘を言ったことが、一度だってあったか。頼むよ、武士の情だ」

 出血多量で血の気を失っているにもかかわらず、落涙して頼む武吉の姿は、ついに盛長の心を動かした。

 「よし、分かった、ここで待とう。だが、楠木どのが死んだら、必ずおいに知らせてくれよ。やっぱり手柄は欲しいからな」

 「いいとも、首でもなんでも、お主にくれてやるさ」

 なんとか説得に成功した武吉主従は、急いで例の農家に引き返した。

 ※                 ※

 菊池武吉が戻って来たとき、既に全ては終わっていた。

 農家の大きな居間の床上で、楠木正成は弟の正季と刺し違えて事切れていた。その周りには、和田正遠や恩地左近を始めとする一族たちも、立派に腹を切ってうつ伏せに倒れていた。

 「ああ、ああ」武吉は頭を振った。

 兄の武澄と一緒に初めて会ったときから、彼の青春の大きな部分はいつも楠木一族とともにあった。あの辛い千早城攻防戦も、京での暖かい交流も、皆、忘れ難い思い出である。しかし、今やその思い出の人々は、血の香の中で動かない骸と化している。

 「現世とは、かくも無常か」両膝をついてうずくまった武吉の耳に、かすかな呻き声が聞こえて来た。まだ、死に切れていない者がいるのだ。

 「小次郎、一郎太、介錯してやれ」起き上がった武吉は、二人の郎党とともに、死に切れていない者たちの首を次々に切り落とした。

 「苦しいか、お前も苦しいか」一々声をかけて刀を振るう武吉の心を、無常の風が吹き荒れた。地獄絵のような惨状と痛む傷は、彼の心を強く動かし、理性の鏡を鈍らせたのである。

 やがて、血と悪臭でむせ返る農家の床に腰を下ろした武吉は、郎党に囲炉裏に火をくべさせると、淡々と語った。

 「お前たち、これまでよくぞ、おいのために尽くしてくれたな。おいは、これから河内どのの後を追うつもりじゃ。お前たちは京に帰り、次郎兄上によしなに伝えてくれい」

 「な、なんですと」驚き呆れる郎党たち。

「この首は面相が分からないようにするつもりじゃ。父のようにさらし首にされるのは後免だからな。ばってん、もしも面相が分かるようなら、お前たちで面の皮をはがしておいてくれ。頼んだぞ」

 言い終わるや否や、短刀を腹に突き入れた武吉は、そのまま囲炉裏の炎に突っぷした。その顔は、見分けが付かないほどに焼け爛れた。

 菊池武吉、その享年二十一。

 「お屋形っ」「お供しますぞ」残された郎党二人は、主人を見捨てるに忍びず、二人で刺し違えて倒れ果てた。・・・地獄図は、やがて永遠の静寂に満たされた。

 しばらくして、待ちくたびれた大森盛長が駆けつけたとき、もはや屋内に生きている者はいなかった。盛長は両手を合わせ、目を閉じて死者の冥福を祈るばかりであった。

※                  ※

 だが、無常の風は足利尊氏の心にも吹き荒れた。運ばれて来た正成の首を見ても、彼は勝者の栄華を感じなかった。

 「惜しい、今となっては、死なすに惜しい人物であったわ」尊氏は、平和なころの正成との親しい交流を思い出していた。どうして、この人を殺す羽目に陥ったのか。

 「この首は、河内の正行どのの元へ送り届けてやれ。勇士への、せめてもの手向けだ」

 そう言って項垂れる尊氏を尻目に、直義を始めとする諸将は、大敵、楠木正成を討ち取ったことに大喜びであった。もはや、宮方など恐るるにたらない。

 だが、戦いはまだ終わったわけでは無かった。足利本陣から遥か東方の生田の森付近では、正成を救おうと引き返して来た新田勢が、少弐頼尚隊と激戦を展開していたのだ。

 「新田義貞め、無茶なことをするわい。勝ち目があると思っているのか」頼尚は、呆れた口調で嘯いた。

 結局、新田勢を崩壊させたのは、土居、得能水軍の牽制を振り切ってその背後の浜に強襲上陸した細川水軍であった。少弐勢と呼応して、東西から挟み撃ちである。義貞や武重の奮戦にもかかわらず、ついに戦線は崩壊した。官軍はついに大敗し、唯一の逃げ道である北方の丹波道へと我先に潰走していった。義貞自身、何度も危機に見舞われ、郎党たちが身代わりとなって討ち死にしてやっと逃げられた程の難戦だったという。やはり、兵庫での決戦は無理だったのだ。湊川の会戦は、かくして足利方の完勝に終わった。

※                 ※

 楠木正成の戦死について、足利方の歴史書である「 梅松論 ( ばいしょうろん ) 」は、『まことの賢才武略の勇士とも、かやうな者をや申すべきとて、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける』と述べている。

 だが、これに対して宮方の北畠親房の「 神皇 ( じんのう ) 正統記 ( しょうとうき ) 」や洞院公賢の「 園大暦 ( えんたいりゃく ) 」には、正成の最期について全く記述されていない。大かたの公家にとって、正成などは歯牙にもかからぬ存在だったのだろうか。味方よりも、敵の中に惜しんでくれる人がいたとは、まさに悲劇というべきであろう。

 楠木正成の死は、戦時教育に利用され、天皇のために死ぬことが忠義であるという間違ったイデオロギーの材料にされてしまった。しかし、正成の死が忠義のためではなく、前途に絶望しての憤死であることは、見て来たとおりである。自分の死が、日本の若者たちを誤った情熱に衝き動かしたことは、冥府の正成にとってさぞかし不本意だったに違いない。

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