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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

26.偽りの和睦

 いつしか紅葉は散り、木枯らしが吹き始める季節となった。例年よりも遥かに寒い北風は、狭い盆地で殺し合いに明け暮れる愚かな人間たちを嘲るように吹き荒れた。

 延元元年、同時に建武三年の十月。比叡山を巡る攻防は益々激しさを増していた。しかし、佐々木道誉のおかげでようやく兵糧を確保できた足利軍の意気は高く、山に押し込められたままの官軍を圧倒しつつあったのである。

 そんなある日、延暦寺の行宮では、一通の書状を前に御前会議が開かれていた。と言っても、帝と少数の公家だけによる極秘の会合であった。

 「武家方降参や、めでたや、めでたや」「これで、胸を張って京に帰れますな」

 一部の公家たちは手を打って喜んだ。

 これは、書状の内容について楽観的な連中である。

 「いや、この書状は信用できまへん」「おそらく罠でっしゃろ」

 一方で、思慮深い公家たちは、腕組みをして渋面を浮かべている。

 問題の書状の骨子は、足利尊氏からの和睦の提案であった。もともと新田義貞を討伐するための戦であるから、義貞を追放した上で後醍醐帝が比叡山を出て京に帰ってくれれば、政権は朝廷に返上するとの趣旨であった。

 確かに、見様によっては武家方が降参を申し入れたようである。朝廷に政権を返すということは、取りも直さず幕府再興の断念と取れるからである。だが、武家方優勢の情勢でのこの提案は、逆にうさんくさいとも言える。

 だが後醍醐天皇は、さすがに賢明であった。このまま山で頑張っていても、どうせ破局は見えているのだ。和睦に応じた振りをして、態勢挽回の機会を得ようと考えたのである。つまり、和睦の提案が敵の本心であろうが偽りであろうが、天皇には渡りに船であった。

 天皇はまず新田義貞を呼び、尊氏の書状を見せて意見を求めた。

 「明らかに偽りです」もちろん、義貞はこう答えた。

 「朕は、これを逆に利用しようと考える」天皇は、御簾の後ろから言った。そして天皇の開陳した策略は、驚くべきものであった。

 まず、義貞を中心とする官軍の主力を北陸に落として温存する。越前(福井県)の 気比 (   けひ )      大宮司が以前から宮方に好意的であるから、彼を頼るのである。この際、天皇の側の和睦交渉を阻害しないための配慮として、義貞が天皇と決裂して皇子を奪って行ったと見せかける。しかし、義貞が逆賊の汚名を着ることは避けたいので、その皇子に事前に譲位しておく。そうすれば、義貞は正統な天皇を擁する官軍の大将として活躍できるであろう。

 さらに、他の皇子たちにも公家や軍勢を付けて地方に密行させ、地方に宮方の拠点をつくり、現地の豪族たちを結集し、京に攻めのぼらせる。その間に、天皇自身は、和睦の条件に従って一旦京に帰るが、隙を見て尊氏の手から逃れて畿南に拠る・・・。

 「これなら大丈夫であろう」微笑む後醍醐帝。

 「ははっ」義貞は平伏した。見事な策略だと思った。しかし、一つの疑念が彼の脳裏によぎった・・・・。

 もしも尊氏の書状が本心だった場合、帝はこの義貞をどうするのであろうか。まさか、見捨てるつもりでは・・・。

 だが、義貞は懸命にこの考えを振り払った。これまでこの帝を信じて来たのだ。これからも信じ続けるしかない。

 かくして、和睦を了承する帝の使者は京に走ったのである。

※                 ※

 「うまく行きましたね兄上」直義は喜色満面である。

 「うむ、叡慮浅からず、と人は言うが、案外簡単に乗ってきてくださったな」尊氏も微笑んだ。

 ここは東寺の将軍邸である。居室でくつろぐ足利兄弟は、比叡山からの和睦了承の使者を送り返したばかりであった。久しぶりに政務に戻った尊氏の最初の施策、すなわち和睦工作は、ここに見事に成功したようである。

 「だが直義、先帝(後醍醐)は丁重に扱わねばならぬぞ。上皇として新しい帝(光明)を後見してもらうのだから」

 「でも兄上、あの先帝が幕府政治を認めるでしょうか。騙されたと知れば、また何か行動を起こすのでは」

 「なあに、三木一草も枯れ果てた。残る先帝の武力は、新田を除けば千葉、宇都宮、それに菊池くらいのものだ。先帝が臨幸するとすれば、彼らも当然付いてくるであろう。そこで彼らを捕らえて先帝から引き離せば、もはや先帝はおとなしくなさるしかあるまい」

 「さすが兄上」

 兄弟は楽しげに笑顔を見交わした。

※                  ※

 ちょうどそのころ、東坂本の陣幕で仮眠していた菊池武重は、若党の源三に起こされて、つかの間の休息を奪われた。

 「なんだよ、もう少し寝かせてくれよ」武重は、目を擦りながら欠伸した。

 「お、お屋形、帝の御使いが参っとるのです」興奮気味に話す源三。

 「御使い、おいには関係ないだろう」

 「いえ、それが、お屋形にお目にかかりたいとおっしゃられて」

 「なにっ、おいに」

 「何でも、お忍びで参ったそうで」

 「よし、失礼なきようにお通しせよ」

 慌てて身繕いを整えた武重は、帝の使者を陣屋に通すと意外な言葉を受けた。

 「菊池肥後守武重。帝のお召しであるぞ。ただちに行宮まで出頭せよ」

 「は、ははあ」深々と頭を下げた武重は、あわてて身繕いを整え、数刻後には御簾の前に平伏していた。新調の直垂の上に鎧を纏った姿だったが、折角の正装も、既に緊張のあまり汗でびしょ濡れであった。

 「そちが菊池か」玉音が堂上に木霊し、武重は益々頭を低くした。

 「肥後守武重でござります」額を床につけたまま答える。

 「うむ、肥後守よ、面をあげよ」玉音と同時に、御簾が巻かれる気配が感じられた。

 「はっ、ははあっ」おそるおそる顔を上げた武重は、優しげに微笑む龍顔に向かい合った。そして武重は、この時の感動を生涯忘れることができなかった。

 「そちの活躍は、尊良からよく聞いておる。父の代からの変わらぬ忠誠、大儀である」

 「あ、ありがたきお言葉」武重は上ずる声を抑えかねた。

 「その忠義を見込んで、是非ともやって貰いたいことがある」

 後醍醐帝は、尊氏からの和睦の申し出と、自分がそれを受け入れるつもりであることを訥々と語った。そして、これが偽りの和睦であり、敵を欺くための一時の方便に過ぎず、機を見て反撃を行うつもりであることも打ち明けた。

 「朕は、いずれ京を脱し、高野か熊野、あるいは吉野に皇居を定めるであろう。肥後守は本国に帰り、筑紫の凶徒を討伐し、上洛の準備を進めて貰いたい」帝が微かに目で合図すると、これまで廟議の隅に控えていた女官に手を引かれ、小さな男の子が進み出て、帝の隣に、ちょこんと腰を下ろした。

 「わが子、 懐良 (  かねよし )    である。これから五条頼元らと共に筑紫に下向させる手筈である。既に、阿蘇惟時とも話がついておる。肥後守は惟時と力を合わせ、懐良をもり立ててもらいたい。よいな、菊池肥後守」厳かな玉音に、武重は再び平伏した。このとき彼の脳裏には、無邪気に微笑む懐良親王の気品溢れる笑顔が、くっきりと焼き付けられていた・・・。

 この後、南朝最後の柱石として活躍する征西将軍宮懐良は、この時まだ五歳の幼児に過ぎなかったのである。

 東坂本へ帰る途中の愛馬の上で、菊池武重は複雑な気持ちであった。彼の心の中では、二つの感情が火花を散らしていた。一つは、後醍醐天皇への盲目的な忠誠である。後醍醐天皇には、人の心をつかむ強烈な魅力があり、武重もそれに魅せられたのであった。しかしもう一つの感情は、前途への圧倒的な絶望感であった。

 そもそも、鎮西御三家を倒して九州を平定するなど、彼の目には実行不可能な空事のように思われるのだ。ましてや、九州の大軍を引き連れて京を回復するなど、どう考えても夢物語である。

 だが、故郷への郷愁は彼の心を強く動かした。和睦が成立すれば、それが偽りであろうが何であろうが、公然と故郷に帰ることが出来る。そのことは、とにかく嬉しかった。

 「ふふふ、龍顔を拝したなどと聞いたら、故郷の妻や母はどう思うだろうな」

 武重の難しい顔は、いつしか無邪気な笑顔に変わっていた。

※                 ※

 後醍醐天皇の秘密工作は着々と進んだ。

 小さな山伏姿の懐良親王は、今まさに父と今生の別れを告げ、まだ見ぬ九州に旅立とうとしていた。 五辻宮 ( いつつじのみや ) 守良 ( もりよし ) 親王や 宗良 ( むねよし ) 親王たちも、公家や武士たちに守られて各地に散って行った。

 一方、畿南では北畠親房が暗躍していた。親房は、密かに山門に忍者を送り、帝から三種の神器を受け取ると、代わりに偽物を製造して来てこれを渡した。万が一に備えての措置である。

 菊池武重は天皇を護って京に入り、隙を見て九州に向かう手筈になっていたが、用心のため六郎と八郎ら弟とその手勢は、親王たちを護衛して畿南に先発させることにした。

 「兄上、気を付けてな」

 「うむ、お前たちこそ、しっかりな」武重は、少し疲れた顔で二人の弟の手を握って微笑んだ。「今度会うときは、菊池かもしれぬな」

 「ははっ、おいたちが帰ったら、九郎(武敏)の奴、もう大将きどりが出来なくて残念がるでしょうね」軽口を叩いた八郎武豊は、しかし九郎がどんなに故郷で苦闘しているか知る由も無かったのである。

※                 ※

 そのころ肥後では、菊池九郎武敏が再び活動していた。八月下旬に敵の油断を見澄まして深川城を奪還すると、少岱、合志、川尻らの軍勢に猛攻を仕掛けた。それにしても、一年のうちに三度陥落し、三度奪い返された城というのも珍しい。

 この情勢に焦った鎮西大将軍・一色範氏は、肥後国府に待機させていた今川助時を主将とする軍勢を指し向けたのだが、これは益城の戦いで菊池、阿蘇連合軍に撃破され、筑後にまで退却してしまった。

 「よしっ、一気に追い討ちだっ」武敏と阿蘇惟澄は、一気呵成に筑後に進撃したが、今川軍は近隣の土豪をかき集めて上妻郡でこれを迎え撃ち、大損害を出しながら辛くも菊池、阿蘇連合軍を撃退したのである。

 しかし、一度は撤退した武敏と惟澄は、その後も各地で暴れ回ったため、九州は足利方にとって依然として不安定であった。尊氏が、九州の有力な武士のほとんどを京に連れて行ったことが、今となって裏目に出たのである。

※                  ※

 京では、比叡山から連日のように各地に落ちて行く怪しい軍勢に、足利直義は追討軍を派遣しようとした。だが、兄の尊氏がこれを制止した。

 「いいか直義、義貞以外の豪族は見逃すというのが、和睦の条件であるぞ」

 「それはもちろんですが、帝も油断できません。北畠親房などは、畿南で怪しい動きをしているようですし、どうも信用できないのです」

 「なあに、この戦は、義貞を倒せば蹴りがつく。そして義貞は和睦に反対だろうから、そのうち勝手に動き出すだろう。そのとき彼を討てば、さしも剛毅な帝とて、もはやおとなしくなさるに違いない」

※                  ※

 和睦は無事に成立し、後は後醍醐帝の還幸を待つのみとなった。

 いよいよ出発の日、帝が 鳳輦 ( ほうれん ) に乗り込もうとしたその時、新田一族の堀口貞満が駆けつけて来た。

 「我ら新田一族に内密のうちに、勝手に和睦を進めるとは何事でござる。我が一族の奮戦と犠牲をお忘れかっ。それでも帝かっ」

 後から駆けつけた義貞は、貞満を制止すると帝に奏上した。

 「貞満の狼藉をお許しください。私の不明のために戦に利あらず、このような結果になりました。我が一族が邪魔でしたなら、どうかこの義貞を誅してからお行きください」

 面食らった帝は還幸を延ばし、やむを得ず恒良親王に譲位し、尊良親王とともに義貞に預け、北陸に向かわせることにした。

 しかし、この義貞らの怒りは演技であった。譲位がやむを得なかったことだと、足利方の密偵に見せつけるため、このような芝居をしたのである。

 ともかく、山門の軍勢は二つに割れた。義貞とともに北陸に向かうのは、新田、千葉、土居、得能一族を中心とする七千。後醍醐上皇とともに京に向かうのは、多くの公家たちと、菊池、阿蘇、宇都宮を中心とする百数名である。

 「肥後どのっ、またいずれ京で会いましょうぞ」

 土居道増が馬上から手を振った。武重は両手を挙げてこれに応えた。

 中軍の義貞は、前途の暗雲を予期していたものか険しい表情であったが、武重と目が合ったとき、かすかに笑みを見せた。二人の瞳の中には、確かに友愛の輝きが見えた。

 だが、これが菊池武重と新田義貞の永遠の別れとなったのである。

 

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