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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

12.拡がる戦乱

 一方、凱歌の余韻の残る三島では、足利兄弟が難しい顔で話し合っていた。

 「兄上、かたじけない。新田義貞と菊池武重を逃がしたのがちょっぴり残念ですが、味方は大勝利。私の命も、こうして助かりました。かたじけない、兄上」

 「水臭いぞ直義。こうなったら共に朝敵だ。地獄まで突っ走ろうぞ」

 そういう尊氏は、少しヤケ気味であった。ざんばら髪が、妙に鬼気迫っていた。

 「ところで、これからどうしますか、兄上。源頼朝公を見習って、関東の安定に努めましょうか。それとも・・・」

 「京へ行く。武者所と三木一草を根絶やしにして、帝の目を覚まさせるのだ。それが、そもそものお前の計画だろう」

 「御意。それでは、仲良く上京しましょう」直義は、ニヤリと笑った。

 こうして足利軍は、全力を挙げて東海道を西進し、新田軍の後を追ったのである。

 この当時、東海道最大の難所は天竜川であった。特に大雨の翌日など、泥で真っ黒になった急流は、旅行者の肝を心底冷やしたものである。

 さて、雨後の天竜川に達した足利軍は、意外な光景に目を見張った。川に、頑丈な船橋が架かったままであったのだ。

 「はて、どういうことだ。新田義貞は、逃げるのに夢中で橋を落とすのを忘れたのか」

  「そんなはずは無い。何かの罠ではないのか」

 首をかしげる足利方の武将たち。やがて真相は、付近の住民の証言で明らかにされた。

  「へい、官軍の兵隊たちは、この橋を燃してしまおうとしたのですだ。じゃけんど、新田の殿様がやって来て、『敗残の我が軍ですら、三日で架け得た橋を壊してどうなるのだ。足利勢ならば一日で直してしまうだろう。なのに、追撃を恐れて橋を落としたと尊氏に笑われるのは後免だ』と、おっしゃりまして、橋を残して行かれたのですだ」

 「ふうむ、義貞め、味な真似をしおって。・・・・・よし、褒美を取らせるぞ。帰って皆を安心させるが良い」

  「ありがとうごぜえますだ」住民たちは喜んで帰って行った。

 これを聞いた足利直義の反応は、冷ややかだった。「将軍、義貞は愚かな男ですな。つまらぬ面子に拘って、我らの足止めを怠るとは」

 「いや、それは違うぞ直義」尊氏は首を振った。「敗残の身でありながら、武士の意気地を貫くこの余裕。彼は武将の鏡だ。我らは彼を見習うとともに、これからの戦、一層気を引き締めねばならぬぞ」

 「へえ、そんなものですか」現実主義者の直義は、尊氏が賛嘆する武士道のロマンチズムを理解出来なかったし、理解の必要すら感じなかったのである。

  そのころ噂の新田義貞は、菊池武重や宇都宮公綱とともに矢作川に到着し、防衛陣地を構築しようとしていた。彼には勝算があった。情報によれば、奥州の鎮守府将軍・北畠顕家がついに出陣し、二万の軍勢を集めて白河の関を越えたという。また、洞院実世の東山道軍も、急を聞いて信濃から引き返す途中だという。したがって、ここで日数を稼ぐことが出来れば、三方からの挟み撃ちで尊氏を打ち破ることも不可能ではないのだ。

 しかし、義貞の計画はご破算になった。諸国の事情が急変したからである。

 足利尊氏の箱根での大勝利は、日和見を決め込んでいた各地の豪族を奮起させたのだ。今こそ、恩賞を渋る建武政権を打倒し、足利幕府のもとでこの世の栄華を極めるべきだ。

 越中(富山県)の普門ふもん 利清としきよ 、播磨(兵庫県)の赤松円心、周防(山口県)の大内おおうち 長弘ながひろ らが、一斉に蜂起したのであった。

 中でも、讃岐(香川県)守護の足利一族・細川ほそかわ 定禅じょうぜん は奮戦し、四国東部を平定すると播磨に上陸し、赤松とともに西方から京に進攻しようとしていた。

 「京が危ない。ただちに京に引き返せとの綸旨だ」義貞は舌打ちした。「やむを得ん、京に帰るぞ。敵は足利兄弟だけでは無くなったぞ」

 菊池武重は、西へと向かう軍勢の中で、楠木正成の言葉を思い出していた。彼の言った通り、戦乱は諸国に拡がったのである。

 「弟たちは大丈夫だろうか」武重は、故郷を思いながら遥か西の空を心配そうに見つめるのであった。

※                  ※

 そのころ、大宰府の空の下では、有智山城の一室で、少弐貞経と頼尚の親子が将棋盤を挟んで一局手合わせしていた。

  「ううむ、太郎(頼尚)、強くなったなあ」

  「はははは、父上、今更気づいても手遅れです。それ、王手飛車取りと参りますぞ」

  「これは困ったわい」妙恵入道貞経は、坊主頭を掻いて唸った。彼は、既に惣領の座を退いていたが、今でも頼尚の良い相談相手なのであった。息子の単なる遊び相手ではない。 彼は、急にそのことを思い出した。

  「ところで太郎、将軍(尊氏)のための軍勢は、どのくらい集まっておるのか」と、上目使いに尋ねた。

 「やれやれ、父上、苦し紛れに話を逸らそうとしても無駄ですぞ」頼尚は嘯いた。

  「そうではない。真面目な話よ」

  「・・・随分と集まっておりますよ。筑紫各地の豪族たちは、続々と大宰府に詰め掛けております。大友、島津、龍造寺など、皆我らの同志です。我が少弐一族の、鎮西奉行時代の威光は、まだまだ健在と言うことですな」

  「ふうむ、大友貞載などは、箱根で随分活躍したようだの」

 「東山道軍所属の島津道灌どうかん 入道(貞久さだひさ )も、将軍(尊氏)に味方するために、官軍から離脱したそうですな」

  「そうか、奴らは将軍のお膝下で手柄を立てられるわけだ」貞経は、少し羨ましそうな目付きであった。

  「なあに、奴らが留守の隙に、筑紫の覇権は我が少弐一族が頂きます。再び鎮西奉行として筑紫を睥睨する日も間もなくですぞ」不敵に笑う頼尚。

 彼の目的は、あくまで少弐氏を九州の盟主にすることだったので、中央の戦局にはあまり関心を持っていなかった。

  「ところで」貞経は将棋盤をのぞき込みながら言った。

 「肥後の情勢はどうじゃ」

  「・・・川尻、少岱しょうだい 、相良さがら 、合志こうし 、皆我らに同心しております。菊池と阿蘇だけは宮方ですが、奴らに何が出来ましょう。菊池などは、二十にもならぬ幼い九郎武敏が留守居とか。問題になりませんな」頼尚はせせら笑った。

  「そうか、また菊池や阿蘇と戦うことになるのか」貞経は肩を落とした。「奴らは帝に深い恩がある。菊池などは、国司になれた。誘っても靡くまいのう」

 「なあに、我らの威光にかかれば、菊池も阿蘇も敵では有りません。九郎武敏など、今頃怖くて震えてることでしょう」頼尚は胸を張った。

  しかし少弐頼尚の観測は誤っていた。そのころ菊池深川城では、菊池武敏が出陣の準備に追われていたのだ。

  「少弐め、朝廷から任命された国司を追い払い、筑紫北部を軍事占領しただけでは飽き足らず、逆賊足利のために兵を集めるとは、調子に乗りおって。謀反人の変節漢に、目に物見せてくれん」

 軍勢を勢揃いさせた武敏の元に、阿蘇大宮司惟直が一人で駆けつけて来た。

 「掃部助(武敏)どの、どういうつもりですかっ」

  「なんのことですかな」居間に大宮司を招き入れた武敏は、静かに微笑んだ。

  「掃部どのは、本当に状況が分かっておるのかな。筑紫中の豪族が皆、足利の旗を掲げて蜂起しておるのに、我らだけで何が出来るというのか。ここは、下手に動かず様子を見るべきだ」 口から泡を飛ばす惟直。彼は、武敏が出陣の準備をしていると聞いて、あわてて制止に来たのであった。

  「然らばお尋ねいたす」九郎武敏は、若い頬を引き締めると大宮司の目を睨みつけた。「大宮司は、このまま城に籠もって震えているべきだと言われるのか」

  「そ、そうでは無い。しばらく様子を静観すべきだと言ってるのじゃ」

  「・・・我らは、筑紫に残された随一の宮方の戦力ですぞ。それが萎縮しておれば、ますます武家方の意気は上がり、状況は不利になる一方でしょう。ここは堂々と一戦を交え、宮方ここにあり、を喧伝するべきではありますまいか」武敏の目は鋭く光った。

 「おお、そこまで考えて・・・」惟直は感動した。乱暴者の武敏のことだから、何も考えずに血気に逸っているものとばかり考えていたからだ。それが、こんなに立派に状況把握をしていたとは。

  「そういうことなら、我が阿蘇一族も全面協力しましょう。目標は少岱か、合志か、それとも川尻か」惟直は身を乗り出した。

  「大宰府」

  「な、なにっ、大宰府。正気か掃部どのっ」

 「もちろん、正気です。大宰府は、今や敵の根拠地。占領できぬまでも打撃を与えることが出来れば、宮方の意気は挙がりましょうぞ。変節漢、少弐頼尚の肝を冷やしてやるのです」 武敏の拳は強く握られた。

 しかし若い彼は、心の奥底で私事と公事を混同していた。大宰府進攻の本当の目的は、父の仇を討つことであったのだ。だが、その感情は武敏自身はっきり意識していなかったし、惟直にも気づかれなかったのである。

 「分かりました。この阿蘇惟直、全力で掃部どのに協力いたしましょうぞ」大宮司は胸を張って武敏の手を握った。

  大宮司が戦争準備のために帰った後、九郎武敏は青空を仰ぎ、雲の流れに目をやった。

  「次郎兄上、菊池のことはお任せください。父上、涅槃で九郎をお守りください」

 武敏は心の底で、都の空、冥府の空へと語りかけるのだった。

※                  ※

 一方、都の空の下では、後醍醐天皇が京都の死守を決意していた。

 しかし、京都は平地がちの守りにくい地形で、古来ここを守りきれた軍勢は存在しなかった。しかも、敵は東西から圧倒的大軍で迫ってくるのだ。

 天皇とて、防衛戦の不利を知らぬでは無かったが、都は官軍の象徴である。手放す訳にはいかなかった。

  千種忠顕と結城親光、それに名和長年は三千の兵力で瀬田大橋に向かい、楠木正成の三千の兵力は宇治橋に向かい、川沿いに防衛線を引いた。これは尊氏に対する備えである。また、脇屋義助は五千の兵で山崎に布陣し、赤松、細川連合軍を待ち受けた。新田義貞の主力一万は、後方で待機して遊軍となった。

 しかし、官軍の兵力は、寺社の使用人まで動員しても全部で二万強、士気も全く奮わなかったのである。

  対する足利勢は、天を衝くばかりの勢いで道々軍勢を拡大し、今や総勢六万と言われる怒涛の大軍に成長していた。

  事態を憂慮した後醍醐天皇は、新たに綸旨を発布し、手柄を立てた者には望みのままの恩賞を与えるものとした。しかし、これを知った京童たちの反応は冷たかった。例によって河原に落書が張り出されたが、その文面は、

  かくばかりたらさせたまふ綸言の 汗の如くになどなかるらん

  これは、「天皇の言うことには嘘はないでしょう」と言う意味である。しかしその中には、どうせ綸言は汗のように流れて実行されないのだろう、という痛烈な皮肉が込められていた。京の人心すらこのとおりなのであった・・・。

 「小夕梨の住むこの都を、逆賊に渡してなるものか」菊池武重は、正月の寒風の中で強く拳を握り締めた。

 菊池勢は、宇都宮、松浦、千葉とともに、新田義貞の下で遊軍となっていた。瀬田、宇治、山崎のどこかが危なければ、ただちに援けに駆けつける手筈である。

 建武三年(1336)正月は、戦で幕を開けた。足利尊氏率いる大軍が、瀬田に襲い掛かったのである。

 この情勢に、宮廷では新年の儀式が大幅に省略され、代わりに怨敵退散の祈祷が盛大に行われた。

  千種、名和、そして結城勢は、必死に抵抗した。橋板を落とし、寄せ手に矢の雨を浴びせた。伯耆閥の中心であった彼らは、責任を感じていたのだ。自分たちが大塔宮を陥れなければ、尊氏がこれほど強大になることは無かったろうに。

 そのためか、足利軍は苦戦し、瀬田に橋頭堡を造ることが出来なかったのである。

  「直義、瀬田はお前に任せる。俺は西方に迂回し、宇治から都に入ることにする」

  「分かりました、将軍」

 足利尊氏は、瀬田に弟と高師泰を残し、残った軍勢を率いて宇治へと向かった。しかし、宇治にはあの楠木正成が待ち受けていたのである。

  「これは・・・」

 尊氏は唖然とした。宇治の南岸が、焼け爛れた不毛の土地となっているではないか。今夜の宿に予定していた宇治平等院すら、無残な焼け跡と化しており、焼け残ったのは阿弥陀堂(後に鳳凰堂と呼ばれる)のみという始末。

 「おのれっ、楠木め。所詮は河内の山猿だっ。あの平等院を焼き払うとはっ」

 文化人を自認する佐々木道誉などは怒り狂ったが、これが軍事的に有効な手段であることはいうまでもない。長旅で疲れている足利勢に、野宿を余儀なくさせたのだから。面子にこだわり天竜川の橋を残した新田義貞とは大きな違いである。正成は、義貞には無い、軍人としての特殊な強さを持つ人物であったのだ。

 驚きは、これだけでは無かった。

 足利勢は、宇治川の楠木陣を一目見るや慄然とした。橋は跡形もなく破壊され、その対岸は石垣を敷き詰めて切り立てられており、廃材を上手に利用した頑強な城塞がそびえている。そして、幾つも立ち並ぶ櫓の上には、楠木の菊水の旗が翩翻とはためいていた。

 「むう、これは千早城だ」

 足利尊氏は恐怖した。こんな頑丈な陣地に引っ掛かっている場合ではない。こうしている間にも、北畠顕家の奥州軍や東山道軍が背後に迫って来ているのだ。

  「さすがは河内どのよ」

 尊氏は宇治攻略を諦め、一族の畠山高国はたけやまたかくに を押さえに残し、残った全軍を率いて更に西方へと移動した。 楠木正成は櫓の上から、陣変えする足利軍をじっと眺めていた。

  「尊氏は、きっと大渡おおわたり に向かうつもりやろう。頼みますぞ、義貞どの、武重どの。あと五日を支えれば、奥州の援軍が敵の背後を突き、尊氏は万事窮すになるはずや・・」

 正成の予測どおり、北畠顕家率いる二万の奥州軍は、鎌倉の抵抗を一蹴すると、驚異的速度で東海道を西上していた。

 顕家に従うのは、結城親光の父である結城宗広、伊達だて 行朝ゆきとも 、南部なんぶ 師行もろゆき らの精鋭部隊。彼らは奥州産の名馬で武装しており、その攻撃力は日本一であった。彼らの到着が間に合えば、足利兄弟の野望は京の入り口で露と消えるであろう。

  正月八日、足利尊氏直率の三万の大軍は、男山八幡を占領すると、甲斐守護の武田信たけだのぶ たけ を守備に残して一気に北上を始めた。

 大渡で、淀の防衛線を突破する作戦であった。

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