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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

1.南北朝の悲劇

 日本史上、南北朝時代と呼ばれる半世紀がある。

 海を隔てた隣の中国にも、同じように呼ばれる時代があるが、ここでの南北朝は、異なる民族による異なる国家が、中国大陸を南北に割って対立したものであった。これに対し、我が国における南北朝は、二人の天皇が一つの民族を二つに割って主権を争った内乱である点で特筆すべきである。この対立は、皇統の争いであり、武士団の利権争いであり、また農村経済と貨幣経済の争いであり、保守と革新の争いであり、特権階級と下層階級の争いであった。半世紀の間、戦火は止むことなく、誰もが認める暗黒の時代が続いた。

  持明院統 ( じみょういんとう ) の北朝は、農村経済を基盤とした現実主義の政権であった。しかし、政務を掌るのは足利一族による室町幕府であり、朝廷は傀儡に過ぎなかった。また、天皇も偽の神器によって即位したため、堅実な政治を行ったにもかからわず、一般には正統の天皇とは見なされなかった。そのため、多くの武士の心をつかみ、強力な戦力を保持していたにも拘わらず、南朝勢力を完全に屈服させる決定打に欠けていた。

  大覚寺統 ( だいかくじとう ) の南朝は、貨幣経済を基盤とした理想主義の政権である。北朝とは逆に、天皇による中央集権体制を至上とし、しかも皇位の正統性を武器とした。しかし、人材に乏しく、軍事にかまけ、まともな政治を行わなかったため、北朝を打倒できる力は持っていなかった。

 歴史家や小説家は、しばしば善悪論を口にする。暗黒の時代の原因を特定の誰かの責任にして、物事を単純化しようとするのである。よく耳にするのは、南朝の後醍醐天皇の皇室を弄んだ我欲と時代錯誤、北朝の足利尊氏の野心と優柔不断、と言ったものである。

 だが、このような考え方は危険である。善悪論による単純化が、大衆の心を操作する悪しきイデオロギーに利用された経緯は、歴史が証明しているからである。戦前まで逆臣として一方的に糾弾されていた足利尊氏は、今や偉大な英雄である。これに対して、戦前までの無双の忠臣、新田義貞は、今では無能者の代名詞である。こんな、政策によって簡単に左右される価値観などは、無い方がましであろう。

 歴史を見る我々の視点は、既に結果を知っていることから、短絡的で無責任となることが多い。だが、激動の時代に生きる人々は、自己の行為の帰結を知ることはできない。結果的には時代の流れに外れた人々も、その時は自身の正義を固く信じて、子孫のために良かれと思って全力を尽くすのだ。後醍醐天皇は日本の将来のために天皇独裁を固め、貨幣経済の発展に尽力したのだし、足利尊氏は人々の現実の生活を保証するために、身を粉にして幕府の発展に努力したのである。それなのに、いくつもの不幸な偶然が累積し、あのような悲劇の時代を招いてしまったのだ。

 個人的視点で彼らを責めるのは容易い。しかし、歴史から人生を学ぶためには、歴史上の人物の立場になって状況を思い見ることが大切なのである。

 九州の菊池一族は、南朝方の無双の忠臣と言われる。江戸時代の国学者・ 頼山陽 ( らいさんよう ) は、彼らの忠誠を『 翠楠 ( すいなん ) 未必勝黄花 ( かならずしもこうかにまさらず ) (楠といえども、菊の花には勝らない)』と讃えている。しかし、これも物事を単純化した悪しき史観の一つであろう。菊池氏は、なぜ最後まで固く結束して南朝方に尽くしたのか。単なる忠誠心では無いはずである。その謎は、結局彼らにしか分からないのかもしれないが、我々は想像することはできる。彼らの立場に立って、その心情を思いやることはできる。

 南北朝時代を揺るがす彼らの活動は、いよいよ本格化する・・・。

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