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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

6.寄合衆内談のこと

 大智禅師と二人の弟子が、肥後菊池に到着したのは、延元三年の五月のことであった。例によって、堺浦から梅富屋船に乗って博多に上陸し、後は陸路を徒歩で来たのである。

大智には、五年振りの九州は、以前にくらべて人心が荒んでいるように感じられた。もっとも、それは九州に限ったことではなかったが。

 肥後国内の安全を確保した菊池一族は、この頃には深川城を修築し、こちらに移り住んでいた。だが、かつて大智の心を和ませた亡き武時自慢の庭は、荒れ果てたままであった。

 さて、仏教が盛んな時代なので、大智禅師の到着に、菊池の人々は大いに喜んだ。

 「ごぶさたです、大智どの」意外な訪客に、武重の瞳は輝いた。深川城の居間に案内すると、よもやま話に浸ったのであった。

 「次郎どの、見違えるほど逞しくなられましたな」大智は白い歯を見せて微笑む。

 「いいえ、それほどのことは。根が無骨な田舎者ですので・・・。ところで、梅富屋の庄吾郎どのはお元気でしたか。近ごろお会いしておらぬのですが」

 「ええ、少し髪の毛に白いものが混じったようですが、相変わらずの恵比寿顔でしたよ。次郎どのや九郎どののことを、心配しておられましたなあ」

 「そうですか。いずれ少弐と一色を駆逐して博多を手中に入れたら、庄吾郎どのとゆっくり語り合いたいものです。そういえば、禅師は新田中将どのにもお会いなされたそうですね。新田どのはお元気でしたか」

 「ええ、お元気です。次郎どのにくれぐれもよろしくと、言っておられましたぞ」

 「相変わらず、大きな目をグリグリさせてましたか」

 「ははは、まさにその通りでしたわい」

 お茶をすすりながら談笑する二人を、大智の弟子たちや武重の近従たちが、少し離れてにこやかに見守っていた。

 だが、客間に案内され、弟子たちとくつろいだ大智は、少し浮かない顔であった。

 「どうなさいました、お師匠さま」心配そうに尋ねる禅古に、大智は笑顔を向けた。

 「なあに、わしの眼力も衰えたかと思うと、何やら寂しくなっての」

 「どういうことです」

 「・・・・実はの、わしは越前で新田義貞どのに死相を見て取ったのよ。この人も、そう長くないとな・・。ところが、わしは、ここの武重どのにも同じ相を感じたのじゃ」

 「な、なんと」「そ、それは」

 狼狽する弟子たちを笑顔で制した大智は、話を続けた。

 「考えてごらん、新田どのも武重どのも、若く逞しい壮者じゃ。それなのに、どちらにも死期が近いなど、考えられようか。きっと、わしの思い過ごしじゃよ」

 この大智の笑顔は、北陸から新田義貞戦死の知らせが入ると一転するのである。

                      ※                  ※

 さて、菊池武重は、大智のために寺の敷地を寄進した。迫間川の上流、国見山の南斜面に建てられた寺は、 鳳儀山 ( ほうぎさん ) 聖護寺 ( しょうごじ ) と名付けられた。

 菊池武時の未亡人たちを始め、多くの民衆がこの寺に帰依した。武重の弟たちも、戦の合間に聖護寺を訪れ、大智の教えに耳を傾けた。

 そんなある日、菊池武重が早苗を伴って現れた。

 「覚えておいでですか、禅師。禅師が名付け親となってくれた赤ん坊のことを」

 武重の横でもじもじしている女の子の姿をじっと見ていた大智は、やがて懐かしい記憶を呼び起こした。

 「おお、おお、あの折りの、寂阿(武時)どののお子ですか。すっかり大きくなられましたなあ」

 「早苗と申します」

 小さな両手を畳について挨拶する少女に、大智は頬をほころばせ、奥の間の弟子に声をかけた。

 「禅古や、納戸にお饅頭があったろう。もっておいで」

 それからしばらくは、早苗をタネにして世間話が続いた。

 「早苗どのは、いつもどんなことをして遊んでおられるのかな」と大智が聞けば、

 「 乙 ( おと ) 阿迦 ( あか ) 兄さん(菊池武時の末子)とお馬ごっこをしてますの」と早苗が答える。

 「お前は、女の子とは一緒に遊ばないのか」武重が驚いて目を向けると、

 「女の子は退屈でだめ。お馬ごっこや戦ごっこの方が楽しいもん」と早苗が答える。

 「ははは、これは末たのもしいですなあ」

 大智は大笑いであったが、武重は浮かぬ顔であった。早苗がお転婆な遊びに興じるのも、戦続きの野蛮な環境に原因がある。子供たちのためにも、なんとしても早く戦を終わらせたいと思う武重だった。

 やがて大智と二人きりになったとき、武重は持参して来た願文を禅師に渡した。これは、聖護寺寄進状の体裁をとっていたが、その内容は、菊池一族の目標を明示し、それについて大智の承認を得ることによって、大智を中核とした一族の結束を図るものであった。寄進状の末尾の文言が、それを如実に示している。

 「伏して願わくは、仏祖が庇護念じ給いて、家門久しく盛りに、子孫貞心にして、武略を天道に守って、長く本朝の鎮将たらん、よって忠を朝家にいたして、正法を護持し奉らんために、寄進状くだんの如し」

 我ら菊池一族は南朝の鎮将として活躍するが、このような菊池氏が仏法の庇護を受けられるようにと大智が念じてくだされば、一族で禅師に尽くすでしょう、と言う内容である。 大智は笑顔で寄進状を受け取った。彼は政治には興味なかったが、武重に深い好意を抱いていたから、菊池一族結束に一役買うことを快諾したのである。

 やがて聖護寺に夕闇が迫るころ、武重と早苗は寺の門前にいた。

 「長い間お邪魔いたした」二人して頭を下げる菊池兄弟に、大智も礼を返した。

 「おお、そう言えば」大智は、忘れていた大事なことを思い出した。「実は、次郎どの宛に託されたものを、今まで忘れておりました」

 そう言って奥へ引き返した大智は、小さな懐紙を抱いて足早に引き返して来た。

 「京の町で、瀕死の女性に託されたものです」

 大智が開いた懐紙の中には、小さな簪が輝いていた。それを一目見た武重は、驚愕の色を隠せなかった。

 「禅師、それで、この簪の持ち主は、いかがいたしたのかっ」

 「可哀想に、わしの前で息を引き取りなさった。肥後へ行けなかったことを、次郎どのに謝っておりましたぞ」

 「そうでしたか。ばってん、大智どののような高僧に看取られたことは、せめてもの幸せでした。今頃、冥府で安らかに暮らしていることでしょうよ」

 そう言うや、武重は顔をそむけた。愛する小夕梨を失った悲しみを、誰にも見られたくなかったのである。深まる夕闇が、彼の涙を隠してくれた。

 それぞれの思いを胸に、武重と早苗は山を下った。夏の最中とはいえ、里へと続く暗い山道は心細い。過ぎ行く樹木がみんなお化けに見えて、兄が一緒でほんとに良かったと、密かに胸をなでる早苗だった。

 ところが、その時である。山のような兄の巨体が揺らいだのは。

 地面に両膝をついて苦悶の表情を浮かべる武重の額から、脂汗が滴り落ちた。

 「兄様・・・」

 心配そうに兄の背中を撫でる妹の姿に、武重は無理に作った笑顔を向けた。

 「なあに、もう大丈夫だ。ほんの立ち眩みだよ」

 だが、幽霊のように力なく立ち上がった武重の顔は、夕闇の中で透き通るほどに蒼白だった。

 「兄様、お医者様に見てもらったほうがええよ・・・」

 心配そうに兄の手を握る早苗の頭を撫でながら、武重は厳しい口調で言った。

 「早苗、あの星空に誓え。この事は誰にも言わないとな。きっと誓え」

 「・・・うん、誓うわ」兄の見幕に、しぶしぶ従う妹の、小さな姿がそこにあった。

                       ※               ※

 武重の体は、かなり以前から衰弱していた。慣れない土地での度重なる激戦と、敗戦による心痛。菊池に帰ってからは、外交・内政両面にわたる休みない活動。それらに加えて生来の高血圧が災いし、彼の肉体は病気の巣となっていた。今までひた隠しにしていたのに、妹の前で不覚をとったのは、やはり小夕梨の死に衝撃を受けたためであったろう。

 やがて伝えられた北畠顕家と新田義貞の戦死の知らせは、武重の心を打ちのめした。特に、仲の良かった義貞の死に、全身の力が抜けて行くような喪失感を覚えた。

 「左中将(義貞)どの、小夕梨、おいも、間もなくそちらに参るぞ」

 それ以来、武重は軍事は弟たちに任せ、自身は政務に専心するとともに、密かに療養生活に入った。一色、少弐、大友らの動きは鈍く、付近の土豪との小競り合いにおいては、有能な武敏や武豊の軍勢は、向かうところ敵なしの感だったからである。

 自分の死後を意識し始めた武重の悩みは、一族の結束にあった。

 「豊後で戦っている大友貞順や、亡き武藤資時のように、一族内から裏切りを出す訳には行かない。軍事力はおろか、領民まで二分されてしまう。四方を敵に囲まれ、兵力も劣勢である我らが戦い抜くためには、一族の固い団結が不可欠なのだ」

 武重は、かくして一族団結を強化するための方策を案じたが、その結論は、一種の議会制度の導入であった。彼は、教養のある六郎武澄と相談し、三ヶ条からなる文書を作成した。その文面は、次のとおりである。

 

  寄り合い衆の内談のこと

一、天下の御大事は内談の議定ありと云うとも、落去の段は武重が所存に落し付くべし。

一、国務の政道は内談の議を尚すべし、武重すぐれたる議を出すと云うとも、 管領 ( かんれい ) 以下の内談衆一統せずば、武重が議を捨てらるべし。

 一、内談衆一統して、菊池の郡に於て訴え事を禁制し山を尚して五常の議を磨し、家門、正法と共に 龍華 ( りゅうげ ) の暁に及ばんことを念願すべし。謹んで、

 八幡大菩薩の明照を仰ぎ奉る

 

 第一条は、一族の基本戦略は惣領に決定権があることを述べている。北朝と南朝のどちらに味方するか、徹底抗戦か和睦か、と言った決定は惣領が下すのである。一方、特筆すべきは第二条である。具体的な政務や軍略の決定権は内談衆にあり、例え惣領が優れた発案をしても、内談衆が賛成しなければ棄却されると規定されている。この内談衆とは、一族の有力庶子から構成される会議体である。管領は、その議長である。内談衆の目的は、多くの一族諸氏のために政務参加の機会を設けることによって、彼らの反抗の芽を未然に摘むことにあった。最後の第三条は、自然保護を通して仏法を護ることを謳ったものであり、この時代から環境保護が重視されていたことがうかがわれ、興味深い。

 さて、深川城の大広間に一族を集めた武重は、この文書を全員に回覧し、意見を求めたが、みんな平等に政務に参加できるとあっては、反対する者などいようはずはなかった。

 「よろしい、それではこれを、一族の家憲とする」

 そう言うと、武重は自らの指を噛み、滴るその血で文書の末尾に血判を押した。これは、現存する我が国最古の血判とされている。武重は一族の見守る中で、その血判書を八幡の神前に供えた。大智禅師もその内容を支持したため、血判は家憲として大いに権威付けられた。この家憲は、遥か後年の菊池一族滅亡まで、固く遵守され続けることになる。

                      ※                 ※

 ところで、この家憲は現在でいうところの立憲君主政治を謳っている。そのため、この書状は江戸時代末期から 横井 ( よこい ) 小楠 ( しょうなん ) らの学者によって研究され、明治維新に際し、五ヵ条の御誓文の内容に影響を与えたといわれる。また、 井上 ( いのうえ ) 穀 ( こわし ) を通して帝国憲法制定の際、参考にされたといわれるから、菊池武重の着想の先見性には興味深いものがある。

 なお、この書状は、菊池神社の御神体となり、後には文化財として、今日まで大切に保存されている。

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