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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

8.阿蘇大社の分裂

 「なんだと」知らせを受けて、少弐頼尚は耳を疑った。「阿蘇惟澄の軍勢が、北上中というのはまことか」

 「はっ、物見が確かに『違い鷹羽』の旗印を目撃したそうです。その兵力は、約一千」知らせをもたらした郎党が、低い声で答えた。

 「惟澄め、養父の方針に背いて我らに刃向かうつもりか。次代の大宮司職を諦めてまでも、菊池への義理に生きようというのか。・・・よしっ、まずは惟澄から血祭りにあげるぞ。全軍に伝えよ」

 こうして少弐軍五千は、菊池城の西方を阿蘇惟澄軍に向かって南下していった。

 しかし、南方から姿を現した軍勢の中に阿蘇惟澄の姿は無く、その陣頭に立つ若々しい影は、豊田十郎武光のものだった。

 これに先立つ二日前、兄・武重の危機を知った豊田荘の十郎は、あわてて旧友の阿蘇惟澄と連絡をとった。惟澄が本拠とする甲佐郡は、豊田とは地理的に近接している。十郎が駆けつけたとき、惟澄は養父・惟時の突然の裏切りに動転していた。

 「おお、十郎。まったく大変なことになったなあ」

 「げにも」小さく頷いた十郎は、低く言った。「惟澄どの、まさか御身も逆賊に味方しようというのではありませぬか」

 「何を言うかっ、おいは父とは違う。若き日にお主と誓った友情を忘れはしないっ」

 「それなら、頼みがある。おいには、惟時どのの良心が麻痺したとは、とても思えぬ。一時的に少弐の策略に躍らされただけに違いない。惟澄どの、なんとか養父どのを説得してくれませぬか。お礼はいくらでもしもうす」

 「お礼などと、水臭いことをいうな。言われなくても、今から父のところへ駆けつけるつもりであった・・・。ところで、菊池城が危ないのであろう。十郎どのはこれからどうなさるか」

 「むろん、小弐と戦う」

「ばってん、お主の兵力はわずか二百程度であろう。少弐に挑むのは余りに無謀じゃ」

 「そこでじゃ、惟澄どのの兵力と旗印を、そっくりお貸し願いたい。阿蘇惟澄の名で遊撃戦を仕掛け、敵の攻撃力を分散させようと思うのです」

 「・・・・・」

 惟澄は絶句した。いくら親しくとも、阿蘇と菊池は相互に独立の豪族である。その兵力と旗印のみならず、大将の名前まで拝借しようとは、並の考えではない。非常識このうえない。だが、これは確かに妙案であった。どんなに十郎武光が勇猛であっても、その知名度では少弐の大軍を吸引することなど不可能であろう。だが、惟澄の名と兵力を用いれば、話は変わってくる。さしもの頼尚も、城攻めを中断して野戦に備えなければならなくなる。

 「よしっ、わかった」惟澄は力強く頷いた。「おいの全兵力と旗印を貸そう。戦場ではおいの名を使えばよかろう。しっかりやれ」

 「かたじけない、惟澄どの」

 武光と惟澄は、しっかりと両手を握りあった。突飛な作戦を思いつく武光といい、それを快諾する惟澄といい、やはり両者はただ者ではなかった。

 そしてこの作戦は、見事に成功したのである。まんまと南におびき寄せられた少弐軍は、決戦を避けて動き回る武光勢の補足に躍起となった。住民は、例によって菊池氏に好意的であるから、武光の遊撃戦は功を奏し、菊池氏にとって貴重な日数が確保された。

 一方、阿蘇惟澄はわずか数騎の郎党を連れて、養父の陣中に駆け込んでいた。

 「義父上、惟澄ただいま参上」

 知らせを受けて、養子を本陣に招き入れた阿蘇惟時は、皺だらけの顔一面に笑顔を浮かべた。

 「おお、惟澄、寒い中をご苦労であったな。よく来てくれた。父は嬉しいぞ。ところで、お前の兵はどこにある」

 「おいの部下たちは、菊池一族とともにあります」憮然と言い放つ惟澄。

 「それでは、やはりお前はわしのやり方に反対なのか・・・」

 「当然です」阿蘇惟澄は眦を裂いた。「恩賞に目が眩み、この惟澄に黙って逆賊に手を貸すとは・・・、惟澄はこれまで、義父上を買いかぶっていたようですな」

 「誤解だ、惟澄。おいは恩賞目当てで節を変えたのではないぞ。天下万民のためじゃ。早く平和を取り戻したいがためじゃ。・・・確かに、事前にお主に相談しなかったのは悪かった。じゃが、今度のことは直前まで絶対に秘密にしておきたかったのじゃ」弁明する惟時も必死だった。彼は、この有能な養子を失いたくは無かった。

 「義父上、偽の帝と逆賊の下での平和が、万民のためになると本気でお考えか。確かに中央でも地方でも、戦局は逆賊が優位にある。ばってん、力こそが正義というのでは、この世はあまりに悲しすぎませんか。乱れた世の中こそ、大義の光が必要なのではありませんか」惟澄は、涙をこらえながら冷静に言葉を選んで語った。

 「惟澄よ、そんな甘い考えで家を保てるほど、この世の中は単純ではないのだ」

 「ふふふ、天下万民と言っておきながら、結局はお家が大事ですか。それなら聞きますが、足利尊氏が我が家のために何を報いてくれましたかな。あなたにとって実の息子である惟直どのや惟成どのを殺し、坂梨孫熊丸などという輩に家を奪わせようと企んだではありませんか。その恨みを忘れたのですか、義父上」

 「惟澄、お前に分かるか。実の息子を同時に二人も失った気持ちが。魂が張り裂け、手足がもがれる思いだぞ。おいはな、あのような悲劇に、二度と愛する家族を晒したくないのだ。そのためには、力の強い側に味方するののが一番ぞ。後醍醐の君が亡くなった今、吉野方には勝ち目はない。菊池に対する義理のために、あのような苦しみを味わうのは後免じゃ。意地を張り通して滅亡するのは、菊池だけで十分じゃ。おいは、もう嫌だ」

 髪を振り乱して声を張り上げる義父の見幕に、惟澄は戦慄した。義父は、一時的に少弐の策謀に踊らされているのではない。心変わりは、かなり前からの熟慮の結果に違いない。義父の頑固さを知っている惟澄は、これ以上の説得を諦めざるを得なかったが、菊池武重を救出する望みは、まだ残っている。養父は、恩賞目当てというよりも、不利な戦を避け安全を求めて寝返ったのだから、積極的に菊池を攻撃する意思は持たないはずだからだ。

 「よく分かりました、この惟澄、もはや義父上を止めはしますまい」

 「おおっ、惟澄、分かってくれたのか」

 「ばってん、義父上は一つ間違いを犯しておられます」

 「何のことだ・・・・」

 「菊池一族の戦力を過小評価しておられます。敵を足利から菊池に変えてみたところで、お家の安全を確保できる保証はありませんな」

 「むうっ」阿蘇惟時は唸った。養子の言うことにも一理ある。四方を敵に取り巻かれながら、常に優勢に戦を進める菊池軍の強さは、内心、惟時を脅かしていたからだ。

 「惟澄、それではお前は、このわしに、どうせよと言うのか」

 「お家のために最良の道は、中立を守ることです。足利にも菊池にもつかず、どちらとも鉾を交えず、信心深い人々を救済しながら阿蘇大社の伝統を後世に残すことでしょう」

「・・・・なるほど、それも道理ではある」

 「義父上、それでしたら、速やかに陣を解き、菊池武重どのに道を開いてあげるべきでしょう」

 「いや、それは出来ぬ」惟時は首を左右に振った。「少弐どのと約束したのだ。少弐軍が菊池城を占領するまで、武重を山地に拘束することをな」

 「それでは、本当に武重が攻撃してきたらどうなさる。彼の千本槍隊に勝てますか」

 「むむ・・・もしそうなったら、惟澄、お前はどうする。どちらの味方につく」

 「言うまでもない。武重どのと共に、義父上と戦います」

 この一言は、老いたる阿蘇大宮司を打ちのめした。唯一の世継ぎである惟澄に背かれては、阿蘇大社の存亡に関わる。

 「・・・・よかろう、今回はお前に免じて陣を解こう。・・・千本槍と戦うのも避けたいしな。ただし、今回だけだ。これ以降、わしの方針に逆らわぬことを約束せよ」

 「なぜですか」

 「阿蘇一族の分裂を避けたいからだ。一族内の争いは許されぬ」

 「ばってん、おいは、吉野の帝のために戦い続けます。初志を曲げるつもりはありません。分裂を避けるためには、義父上こそ、考え直していただけませんか」

 「・・・それは出来ぬ。実はわしは、京で将軍(足利尊氏)に誓ったのだ。菊池を見限って将軍に味方することをな。一族のためにも、民のためにも、そのほうが良い」

 「・・・ならば、もはやこれまでです」惟澄は、嘆息して項垂れた。

 「そうか」寂しげに肩を竦める惟時の姿は、寒気の中で小さくなったかに思われた。

 だが、菊池軍主力の前に立ち塞がっていた惟時の阿蘇軍は、数刻後に姿を消した。この時を境に、阿蘇惟時は阿蘇大社において、北朝の旗を掲げたまま中立の立場となる。

                      ※                ※

 「そんな馬鹿な」

 少弐頼尚は蒼白な唇を震わせた。

 有り得べかざる事態が現出したのだ。今や少弐軍は、四方を敵に囲まれていた。南からは阿蘇惟澄(実は菊池武光)軍、東方からは身動き取れないはずの菊池軍主力。さらに、主力の生還を知った菊池城からも、続々と攻撃部隊が出陣してくる。

 「阿蘇大宮司めっ、どうして数日を持ちこたえられぬのかっ、腰抜けめっ。やむを得ぬ、撤退だ」

 少弐軍は、猛追激を振り払いながら北方へと逃げて行った。包囲下の戦場では、せっかく編成した槍隊もほとんど活躍の機会が無く、その受けた打撃は大きかった。

 「えい、えい、おうっ」

 菊池軍の凱歌が天を圧した。かくして、菊池氏は最大の危機を回避し、少弐氏は千載一遇の機会を逃したのである。

 しかも、少弐・大友連合軍の敗北を知った博多では、一色範氏が準備中の遠征の中止を決定せざるを得なかった。今や、菊池軍の威力は当たるべからざるものと思われたからである。徒に貴重な兵力を消耗させる手はない。だが、範氏は知らなかった。菊池一族の大黒柱である惣領武重が倒れ、瀕死の床にあることを・・・・・・。

 

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