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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

13.武光起つ

 興国五年(1344)の正月を迎えるころ、菊池氏惣領・武士の苦悩は頂点に達しようとしていた。

 「おいは元々、惣領の器じゃない。次郎兄上(武重)のたっての頼みで惣領の座に就いたものの、結局一族を動かすのは寄合衆の決定じゃ。そのくせ、何か失敗があったときの責任は、全ておいが背負うことになる。ああ、こんなことならもっと早くに剃髪し、大智どのの弟子になるべきだった」

 だが、惣領は孤独だ。誰にも甘える訳にいかない。武士は、苦い思いをじっと噛み締める外はなかった。

 そんな武士を引退の決断に踏み切らせたきっかけは、半年前の秋の戦いにあった。

          ※                 ※

 この戦いは、阿蘇惟澄の攻撃に窮地に立った阿蘇惟時を救援すべく、少弐頼尚が肥後に攻め込んだために起こった。興国四年七月、養子の惟澄に敗れ去った惟時は、矢部の城を放棄して甲佐嶽に立て籠もった。ここでも苦戦する惟時は、大宰府に援軍を要請し、頼尚はこれに応じたのである。

 「少弐を迎え撃ちましょう。彼らの自由にはさせられない」

 筑後進撃にあれほど反対した武士は、今度は主戦派であった。彼は、必ずしも怯懦であったわけではなく、あのときは専守防衛を意図していたのに過ぎない。

 しかし、寄合衆、特に竹井城で敗北したばかりの木野武茂が反対した。

 「我が軍には、とてもその余力はない」

 結局、菊池勢は城に立て籠もり、少弐勢の通過を見送ることになった。そのため、少弐勢は肥後南部に容易に侵入でき、驚いた阿蘇惟澄は、甲佐嶽の包囲を解いてこれを迎え撃たねばならなかった。

 「菊池武士め、頼りにならぬ友軍だ」怒りで顔を歪める惟澄であった。

 だが、彼の焦りは杞憂であった。少弐軍の戦意は思ったよりも低く、ろくに交戦しないうちに兵を退いたからである。

 「ふん、ここで惟澄を滅ぼしても、どうせ手柄は一色範氏のものだ。馬鹿らしい。わしの目的は阿蘇大宮司の苦境を救うことだ。そして、その目的は達成された。長居は無用ぞ。大宰府に帰る」少弐頼尚は、苦虫を噛み潰したような表情で言い放った。

 鎮西探題が誕生してからというもの、彼の南朝方に対する戦意は日増しに衰えていた。

 こうして、北方に帰る少弐軍。その殿軍を引き受けたのは、饗庭弾正の嫡男の 宣尚 ( のぶひさ ) であった。彼は、少弐家中でも屈指の勇将で通っていた。ところが・・・・・

 「お屋形、宣尚どのの軍勢が総崩れですっ」中軍で白馬に揺られる頼尚の元に、後陣から泥だらけの郎党が駆け込んで来た。

 「なんだと、何が起こった」目を剥く頼尚。

 「豊田武光の攻撃です。いつのまにか、我が後陣に近づいていましたっ」

 「おのれっ、全軍転進だ。武光の小僧を踏みつぶせ」

 だが、少弐の大軍が戦闘態勢に入ったときには、すでに武光の軍勢は退去していて捕捉できなかった。後には、饗庭宣尚勢の無数の遺棄死体が残った。

 「お屋形、この不始末、申し訳ござらぬ」宣尚は、手をついて頼尚に謝った。

 「よい、じゃが、お前ほどの戦上手がどうしたことだ。武光の軍勢など、五百もおらぬはずだが。一千の兵力では適わなかったということか」

 「そ、それが・・・。現れたのは確かにわずかの軍勢だったのです。ところが、反転して迎撃した我が勢の前で、その陣型は次々に奇妙に変化するのです。あまりのことに、わしが対応し切れないうちに戦になり、結果、この不始末でした」

「変化していく陣型じゃと・・・。どういうことだ・・・」

「最初、敵の先頭は槍隊でした。それで我らが弓をつがえたところ、槍隊は左右に分かれ、その間から矢が降り注いで来たのです。いつのまにか、槍隊の後方に弓隊が待機していたと思われます。狼狽した我が勢の前に、次に騎兵が飛び込んで来ました。凄い早さで、実に良く訓練されており、我らの付け入る余裕はありませなんだ・・・つまり、ぶつかるまで敵の出方が分からなかったのです。完敗です」

 「・・・・・・」頼尚は息を飲んだ。

 この時代の軍勢は、中小豪族の寄せ会い所帯であるから、指揮命令系統の統一は困難であり、兵科ごとの完全な分業は不可能であった。ところが、宣尚の語るところでは、豊田武光はこれに成功したという。武光は、完全に自分の思いどおりになる精鋭部隊を育成し、槍、弓、騎馬の三種に区分し、しかも縦横無尽に陣型を操れるというのだ。

 「豊田武光か。その名を覚えておこう」頼尚の背中に、冷たい汗が流れ落ちた。

 他方、意気揚々と豊田に帰還した武光は、その日の戦果に満足であった。彼が考案した部隊編成、そして雲のように変幻する陣型『 鳥雲 ( ちょううん ) の陣』の実験は大成功である。あとは微調整を済ませれば、南肥後で武光に勝てる敵は無くなるだろう。

 「ああ、だがもっと力が欲しい。少弐頼尚や一色範氏と互角に戦える力が欲しい・・・。小競り合いで勝っても、筑紫の情勢を動かすことはできない」

 豊田武光は北の空を、菊池の空を睨んだ。

 ああ、菊池の惣領になりたい・・・・・。

 少弐軍の撤退の後、阿蘇惟澄は菊池武士に厳重な抗議を行った。自分の苦境に手を差し伸べてくれなかった寄合衆に、怒りを訴えた。だが、武士はひたすら謝罪するだけで、何も頼りになる保証を与えてくれなかった。

 「ちっ、菊池一族で頼りになるのは、豊田十郎武光ただ一人か。まあいい、こっちにも考えがある」

 そのときを境に、惟澄は谷山の征西府に急接近した。頻繁に懐良親王に手紙を送り、阿蘇大社の惣領職を自分に委ねるように勧告するとともに、武光の活躍を強調し、逆に菊池武士の頼りなさを印象づけた。

 このような情勢に、菊池一族内部でも、武士を惣領の座から追い落とそうとする動きが現れた。その急先鋒は、武士の一つ上の兄、 与一 ( よいち ) 武隆 ( たけたか ) であった。武隆は武士と違って向こうっ気が強く、以前から弟の意気地の無さに不満をもっていた。そして、寄合衆の中でも比較的立場の弱い一族が、主導権を握るために武隆に同調した。

 外からは敵に攻められ、内からは阿蘇惟澄や兄や一族に責められる。武士が引退を決意したとしても、それは仕方のないことだったろう。

         ※                 ※

 興国五年(1344)正月十五日、菊池又二郎武士は、引退を表明する文書を聖護寺に奉納した。その内容は、

 『武士は天性愚昧であって、天道の正理をわきまえません。家のため君のために後世に恥ずべき行為があれば、大智禅師の前で惣領としての責任をとる覚悟はありますが、武重から譲られた惣領の地位を、兄弟一族の中から選ばれた「器用の仁」に委ねて、隠居したく考えます。武士恐惶謹言』

 この文書は今日まで保存されており、筆者も写真で見たことがあるが、まず気がつくのは、字と文章の上手さである。武士の教養の高さが良く分かるのである。内容を検討するならば、大智の前に全ての責任を委ねる態度といい、跡継ぎをはっきりと指名しない態度といい、気の弱さというか優柔不断さが目立つ。

 「本当に、良いのか。又二郎どの」大智は武士の顔を注視した。

 「ええ、おいは家を出ます」

 結局、武士は大智の前で剃髪出家し、 寂照 ( じゃくしょう ) と名乗った。武士はそのとき、わずか二十二歳であった。そして、彼は菊池にいたたまれずに、大智の紹介で加賀の祇陀寺に住むことにした。祇陀寺は、大智が肥後に移る前に過ごしていた寺である。

 ただ一人で加賀へ向かう寂照の孤影に心を動かされ、大智は詩を詠んだ。

 「澄円の心は道環の虚に入り、月は寒潭に印して玉壷を転ず。眼を開いて成さず三際の夢、 迢迢 ( ちょうちょう ) たる劫外、一身孤なり・・・・・」

 惣領として不適であるとしても、大智は武士の教養と人間性を愛していた。武士が思いどおりの人生を送るためにも、この出家遁世は必要なことだったのだと、大智は自分に言い聞かせた。

 今や、僧服を身に纏い、編笠をかぶった寂照は、一族に別れを告げ、北へ北へと山道を歩いていく。ところが、その背後から馬蹄が近づいて来た。

 思わず振り返った寂照の前に、馬に乗った少女が現れた。早苗である。

 「又二郎兄さん」愛馬から降り立った彼女は、切なげな眼差しで寂照を見た。「本当に行ってしまうの?」

 「ああ」寂しげに微笑んだ兄は、妹の頭に手を置いた。「相変わらず馬に乗って遊んでるのか、お前は。少しは女の子らしくしろ。お嫁に行けなくなるぞ」

 「まあ、兄さんたら、最後までお説教するのね」くすりと笑う早苗。

「ああ、そうだよ。おいがいなくなったからって、勉強を怠るんじゃないぞ。読み書きは、毎日続けるんだぞ」

 又二郎は、政務の合間に妹の勉強を見てやっていたのである。

 「うふっ、考えとくわ・・・。でも、兄さんはもう菊池には戻らないの?」

 「分からない。でも、故郷が恋しくなったら、きっと帰って来るよ」

 「きっとだよ、待ってるからね」

 「じゃあ、早苗、元気でな」

 孤独な後ろ姿は、静かに山道の木立の中に消えて行った。

 しかし、残された一族は悲惨であった。武士の引退を契機に、惣領の跡目をねらって醜い争いが展開されたのである。対立したのは、与一武隆を支持する派閥と、 乙阿迦丸 ( おとあかまる ) (武時の末男で、後の 武勝 ( たけかつ ) )を支持する派閥である。外敵が多いために、さすがに武力衝突こそなかったが、両者の抗争は一族を分裂させた。寄合衆も、両派に割れた。

 「このままでは、亡き次郎兄上や父上に会わせる顔がない」

 寄合衆を支える木野武茂は、眠れぬ夜を過ごした。だが、彼にもどうにも出来なかった。彼自身は、与一にも乙阿迦にも惣領の器量は無いと考えていた。だが、他の兄弟を見ても、適当な者は見いだせなかった。武時の嫡腹は、もう残っていない。武茂自身は管領の職責を放棄できない。

 六郎武澄は有能なのだが、彼は肥前国司でもある。それゆえ、彼が肥後国司を兼務する菊池惣領に就くのには、一族内で反対が多い。

 また、八郎武豊は寺尾野に、十郎武光は豊田にそれぞれ分家の身であるから、何か特別な事情でも無ければ、惣領には指名できない。

 大智禅師に選んでもらおうと思ったこともある。だが、大智はこれを拒否した。そこまで現世に係わりあうのは、彼の信念に反するからだ。

 かくして、菊池一族に暗黒の時代が訪れたのである。

          ※                 ※

 豊田武光は、一族の醜い争いには中立の立場を取った。もっとも、肥後南部の戦に忙しくて、派閥抗争などやっていられない事情があった。

 武光と阿蘇惟澄の連合軍の活躍は目覚ましく、ほとんど無敵でさえあった。彼らの活躍のお陰で、谷山の征西府も島津氏との戦いに集中できた。

 「阿蘇惟澄と豊田武光は、宮方の柱石じゃ」懐良親王の目も、彼らの活躍を頼もしく見守っていた。

 だが、征西府は、まだ阿蘇惟時を諦め切れなかった。惟澄はしきりに大宮司職を要求してくるが、征西府はそれを決して認めなかった。もしもその主張を呑めば、阿蘇惟時を完全に敵に回してしまうことになるからである。

 そのため、惟澄と武光の活動は大いに制限された。どんなに二人が強くても、その指揮できる兵力には限りがあったからである。

 「このままでは埒があかない」

 「何か、我らの本当の力を宮様に見せつける機会はないものか」

 顔を合わせては、溜め息にくれる二人であった。

 だが、その機会は比較的早くやって来た。

 興国六年(1345)三月。筑後の 吉木 ( よしき ) 一族が南朝方から離反して、少弐氏と手を組んだ。これを制圧するため、六郎武澄と八郎武豊が手勢を率いて深川城を進発した。

 合志幸隆は、その隙を巧みに衝いた。手薄になった深川城に奇襲攻撃を仕掛け、これを占領することに成功したのである。木野武茂や与一武隆はからくも脱出したが、女子供は根こそぎ捕虜となってしまった。

 「なんてことだ、合志ふぜいに単独で本城を落とされるとは。ああ、死んだ父や兄に言い訳が立たぬっ」武茂や武隆は、深川から響いて来る合志勢の凱歌に耳をふさぎたい思いで寺尾野城に落ち延びていった。

 「やれやれ、人質がごっそりと出来たばい」深川に入った合志幸隆は、捕虜となった女子供の前で髭をしごいた。「弱くなった菊池氏を滅ぼすのに、人質なぞ不要なんだが。まあいい。おはんらの身柄は、この幸隆が保証してやるばい」

 この時彼の前に引き立てられたのは、十人ほどの女性と、あとはその子供達であった。皆、菊池一族の良家の者で、その中には木野武茂や武隆の妻子の姿もあった。

 「笑わせないで」突然、脅えているはずの彼らの中から声が響いた。「あんたなんか、ただの山猿じゃない。偉そうな口を利かないでほしいわ」

 「誰だ」思わず唇を歪めた幸隆の目は、人質たちの中央にいた十二、三歳の少女にぶつかった。「そこの子供、おいが怖くないのか」

 「怖くなんかないわ」事実、その少女の姿はあまりにも堂々としていた。

 ははあ、これが有名な菊池のじゃじゃ馬か。確か、菊池武時の娘の早苗とかいったな。あご髭を撫でつけながら、幸隆は苦笑した。この娘は、男に生まれていたら大物に成長するに違いないぞ。

 「腰抜け呼ばわりされたので、腹を立てたのですかな」幸隆は落ち着いた人柄であったから、微かに笑みを浮かべながら冷静に話しかけた。

 「だって、腰抜けじゃないもの。あんたなんか、十郎兄さんがきっとやっつけてくれるわ。十郎兄さんは、まだ一度も負けたことがないのよ」

 「ははは、そいつは大変ですな。さっそく戦の用意をしなくてはね」

 合志幸隆は、そう言い捨てると足早に去って行った。予想される菊池方の逆襲に備えるためである。

 だが、菊池勢の出足は鈍かった。人質の身を案じたために、木野武茂や与一武隆は寺尾野から出て来ようとしなかったし、六郎武澄や八郎武豊は、筑後の戦場から手が放せなかったからである。

 「奴ら、本当に腰抜けじゃな。これじゃ、早苗姫が泣くぞ」合志幸隆は鼻白んだ。

 そのころ、深川城が敵手に落ちたと聞いて衝撃を受けた豊田武光は、しかし次の瞬間には闘志を燃え立たせていた。

 「これこそ、おいの実力を天下に示す機会じゃ。深川を奪い返して見せる」

 阿蘇惟澄も激励に駆けつけて来た。

 「武光、おいも力になるぞ。なんとしても合志を叩くんだ」

 やがて、消極的な木野武茂のやり方に不満を感じた一族の者たちが、続々と武光の元に集まって来た。その中には、今年元服したばかりの二人の弟、 源 ( げん ) 三郎 ( ざぶろう ) 武尚 ( たけひさ ) や 彦 ( ひこ ) 四郎 ( しろう ) 武義 ( たけよし ) 、それに乙阿迦丸の姿もあった。

 「十郎兄上、おいたちも戦うぜ」「今、頼れるのは十郎兄上だけだ」

 口々に言う弟たちに、武光は重々しく頷いた。

 「よく言った。頼りにするぞ。ただし・・・」

 「何だい、兄上。合志を叩くためなら、何でもするよ」

 「・・・おいはな、合志を深川から追い出した後も、豊田に帰るつもりはない。菊池に残り、弱くなった一族を立て直すつもりなのだ」

 「つまり、惣領になると言うことですか」源三郎武尚が目を見張った。

 「そうだ。おいは、菊池の惣領になる。ついては、お前たちの賛同を取り付けておきたい。どうだ源三郎、彦四郎、それに乙阿迦。おいに従うか」武光の眼光は、鋭く輝いた。

 三人は、しばらく顔を見合わせていたが、やがて一斉に首を縦に振った。

 「ああ、兄上に従う」と、源三郎。

 「他の者にも、とやかく言わせないよ」と、彦四郎。

 「本当のことを言うと、おいは惣領になんてなりたくないんだ。周りの親類が騒いでいるだけなんだ。だから、十郎兄上はおいに遠慮することなんかないよ。むしろ、十郎兄上が惣領になった方がずっといい」と、乙阿迦丸も言ってくれた。

 「お前たちの気持ちはよく分かった。よしっ、一緒に合志と戦おう。すぐに出陣だっ」

 こうして、四人の兄弟と阿蘇惟澄は、共に手を携えて北へと進発した。当初は一千程度だった軍勢は、行く先々で馳せ参ずる味方を加え、いつしか三千余に膨れ上がった。その中には、城武顕や 赤星 ( あかほし ) 武貫 ( たけつら ) といった、一族の若手部将の勇姿が際立っていた。

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