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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

14.早苗の冒険

 豊田武光を主将とする連合軍は、深川城を臨む小高い丘に布陣したが、人質の身を案じて力攻めに踏み切ることが出来なかった。

 阿蘇惟澄は、その手勢二百を率いて合志本城(竹迫城)に向かった。敵を牽制し、その勢力を分散させるためである。

 「来たか、武光」合志幸隆は、深川城の望楼からその目を光らせた。「竹迫城の防備は十分だが、敵の総兵力が掴めないのは不安だ。薩摩の征西府軍も参加しているかもしれぬし。ここは持久戦に持ち込もう。そのうち、少弐か探題の援軍がやって来るだろう」

 こうして両軍は、冷たく睨み合った。

 「十郎兄さん」早苗は、他の人質とともに幽閉された廓の窓から、武光勢の様子を遠望した。「うちらのために、攻めて来られないんだ。どうしよう」

 暗夜のなかで瞬く兄の軍勢のかがり火は、気のせいか心細げに見えた。

 彼女が幽閉されている廓は、望楼の二階にあった。一つしかない出入り口は、屈強の兵士たちに見張られている。外界の様子は、格子窓から遠望するより仕方なかった。

 「うちらは菊池の女。お家のために死ぬ覚悟はできています」武茂夫人の 亜紀子 ( あきこ ) が呟いた。「十郎殿は、うちらに構わずに攻めるべきですわ」

 「亜紀子さん、その言葉は本当ね」早苗は微笑む。

 「もちろんよ、他のみんなも同じ気持ちよ、そうよね」

 一斉にうなずく廓の中の女たち。

 「じゃあ、その言葉を十郎兄さんに伝えてくるわ」

 「ええ、かまいませんわ・・・・ええっ、伝えてくるって?」

 「亜紀子さん、手伝って。みんなの帯を集めるの」

 「抜け出すつもりなのね」亜紀子は唇を震わせた。「早苗さん、危険です。お止めなさい」

 「うちだって」早苗は満面の笑顔を向けた。「お家のために死ぬのは怖くないわ。攻め殺されるよりは、ましな死に方があってもいいじゃない」

 女たちは、自分の帯を解いて互いに結び合わせ、一本の綱を作った。少女一人の体なら支えきれるはずである。力自慢の亜紀子の侍女が格子を壊し、早苗はその隙間から体を乗り出した。

 「また会おうね」早苗はそう言い終えるやいなや、綱につかまって格子から飛び出した。

 元気者の彼女は、深川城の庭の様子を熟知していた。彼女が飛び降りたのは、亡き父武時が築いた自慢の庭の跡である。ここなら、目をつぶっても歩ける。息を潜めながら、月の光と蛙の声の中を進む。合志の兵士たちは、遠景の丘を彩るかがり火に気をとられていたので、まさか薄暗い裏庭に、年端もいかぬ少女が潜んでいるなどとは思わないだろう。

 「こわいのは」早苗は思った。「侍なんかじゃないわ。お化けよ。お化けはきっと、闇の中でも目が利くわ。息を潜めても、きっと捕まえてしまうんだ」

 だんだんと怖くなってきた。

 「お父様、次郎兄さん、三郎兄さん、四郎兄さん、七郎兄さん、九郎兄さん、早苗を守ってね・・・」目を閉じて念じると、身の回りを父や兄たちが取り巻いて、悪いものたちから守ってくれているような気持ちになれた。

 「うちの周りには、神様が大勢いてくれてる。お化けなんかやっつけてくれるんだ」

 庭内の小川を伝って城外に出た早苗は、一目散に、兄たちの待つ丘へと駆けて行った。

 陣頭の豊田武光は、気ばかり焦って切歯扼腕していたのだが、気丈な妹が命がけでもたらした情報によって、戦況の突破口を見出すことが出来た。

 「ありがとう、早苗。おかげで、敵の総数や配置、人質の位置がすべて分かったよ。おはんが軍功第一だ」武光は、満面の笑顔で妹の頭をなでた。「じゃどん、こげん危ないことは、もうするな」

 「だったら、二度とお城を敵に奪われないと約束してね」怒ったように、早苗は兄を睨むのだった。

 「ああ」武光は、鋭い真摯な目で早苗の視線に応えた。「約束する。二度とお前をこんな目にはあわせないよ。きっとだ」

 源三郎や彦四郎も、兄の後ろで力強く頷いていた。

 早苗は、ようやく白い歯を見せた。

 菊池勢は、その夜のうちに行動を開始した。武光の主力が大手門から迫って敵の主力を釣り出している隙に、源三郎武尚の手勢が裏門を奇襲して人質を救出する作戦である。そしてこれはうまく行った。

 もともと合志勢の数は少なく、深川と竹迫の両城を守りきれる態勢ではなかった。早苗のもたらした情報は、武光にそのことも教えたのであった。

 案の定、裏門の防備は薄かった。無傷で突入した源三郎勢は、あっけなく人質たちの廓を占領し、彼らを救出したのである。

 「もはやここまでだな」合志幸隆は首をひねってうめくと、手勢をまとめて総退却を開始した。夜陰にまぎれて竹迫城への撤退を図ったのである。

 こうして、深川城は開放されたのであった。

 「早苗さん、ありがとう」亜紀子は、再会した義理の妹を、力いっぱい抱きしめた。

              ※                 ※

  復旧作業が進行中の深川城に、木野武茂や与一武隆が帰って来たとき、本丸の上座で出迎えたのは豊田武光であった。

  「十郎、本当にご苦労であった。よくぞ深川を奪い返してくれた。立派だぞ」武茂が少し照れ臭そうに言った。

  「いやあ、さすがは十郎兄上、惚れ直しましたよ。・・さあ、豊田にお帰りになって、ゆっくりとお休みください」与一が、心なし落ち着かぬ声で言った。

  「おいは、豊田には帰りません」武光は、憮然と言い放った。「おいは菊池に残ります。また今度のようなことが起こらないためにも、菊池には、おいの存在が必要なのです」

  「・・・・・・」もっとも恐れていた言葉に、与一は絶句した。

  「惣領になると言うのか、十郎」武茂の唇も引き締まった。

  武光は、大きく頷いた。

 「五郎兄上、ただちに寄合衆を集めてくだされ。直々に話がしたい」

  しばし沈思していた武茂は、やがて希望に顔を輝かせた。

 「よかろう。寄合衆で審議してみよう」

 武光が惣領になってくれれば、乱れた一族に安定が取り戻せるかもしれない。

 やはり、ほとんど独力で深川を回復した武光の発言力は大きかった。しかも、源三郎や彦四郎、それに乙阿迦丸や城武顕らも武光を支持した。これに加えて決定打となったのは、阿蘇惟澄の根回しによって菊池に到着した征西府の使者であった。

 「征西府の決定を伝える。本日をもって、菊池十郎武光を肥後国司に任命する。ただちに肥後国内を安定させ、征西府の菊池入りの準備を整えるように」

 使者である中院義定の厳かな言葉に、下座で手をついていた武光は、深々と頭を下げた。

 「かたじけなきお言葉。不肖武光。必ずや宮将軍(懐良)のご期待に沿う所存でござりまする」

 ここに、惣領菊池武光が誕生した。南北朝時代で最強の武将と言われる菊池武光。その獅子奮迅の活躍は、今まさに幕を開いたのである。

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