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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

16. 四条畷 ( しじょうなわて ) の悲劇

 懐良親王が宇土に上陸した三日後の正平三年(1348)正月五日、摂津の四条畷で南北両軍の決戦が戦われた。

 対するは、高師直率いる北軍六万と、楠木正行率いる南軍二千である。

 足利直義の派遣した細川、山名両氏の連敗は、高師直を中央に返り咲かせる契機となった。彼は、目をかけていた有力守護に加えて、畿内の中小豪族を多数招集し、たちまちのうちに恐るべき大軍を編制したのであった。

 六万の圧倒的大軍に、なぜ楠木正行が決戦を挑む気になったか定かではない。北畠親房が玉砕を強要したとする説もあるが、それはどうであろうか。親房とて、自ら東国の戦場を五年に亙って戦い抜いた経験の持ち主であるから、無茶な決戦を強制するほどに常識知らずとは思えない。まだ若く血気盛んな正行は、おそらく細川、山名との戦いの経験から、何らかの勝機を見いだし、それに賭けて見る気になったのではなかろうか。

 楠木正行の得意とする戦術は、情報戦略によって敵の本陣の位置を把握し、自ら率いる精鋭部隊でそこに強襲を仕掛けるというものであった。常に数の上で劣勢な楠木軍は、この戦法によって連戦連勝を勝ち取って来たのである。しかし、高師直は音に聞こえた戦上手である。果たして、細川や山名を破ったこの戦術が、そのまま通用するか否か。

後村上天皇に出陣の挨拶を済ませた正行と楠木一族は、 塔尾 ( とうのお ) の後醍醐帝の 御陵 ( みささぎ ) に参拝し、その北にある如意輪堂に立ち寄った。彼らは、如意輪堂の壁を過去帳に見立てて、生死を誓い合った一四三人の名を、矢じりを使って刻み込んだ。

  返らじと かねて思えば 梓弓

  なき数にいる 名をぞとどむる

 既に死を決意した楠木正行は、このような一首を書き残していた。二度と生きては戻れないだろうという意思表示である。彼は、高師直と刺し違えるほどの決意であった。

 だが、正行には一族全員を玉砕させるつもりは無かった。末弟の 正儀 ( まさのり ) (正成の三男)を呼び寄せると、手勢を率いて河内の本拠に帰らせた。兄弟の心情は、湊川合戦前夜の正成と正行のそれに通じるものがあったろう。

 正月五日、両軍の決戦の血潮に、四条畷の原野は真っ赤に染まった。

  四条 ( しじょう ) 隆資 ( たかすけ ) 卿の率いる山の民を中核とする雑軍が敵の横腹を衝き、敵の陣型が崩れた隙に、楠木勢主力は一丸となって突撃した。その勢いの前に、たちまち佐々木道誉、 仁木 ( にき ) 頼章 ( よりあき ) の軍勢は崩れ立ち、師直の本陣が間近に迫った。

 「よしっ、突っ込め。狙うは師直の首のみだっ」

 高師直の本陣は、大混乱に陥った。楠木軍の作戦は大成功と思われた。しかし・・・・。

 師直は、周到に影武者を用意していた。 上山 ( うえやま ) 六郎左衛門という影武者が正行に討ち取られている隙に、師直はからくも後陣に脱出したのである。

 だが、師直の首をとったと思い込んだ正行は、狂喜して上山の首を抱きかかえた。やがて真相が判明すると、彼は一旦、怒りの余りその首を地面に叩きつけたが、すぐに拾いあげると、優しく首に語りかけた。

 「憎い奴ではあるが、主人のために身代わりに命を捧げるとは、天晴な武者だな」

 楠木正行は、上山の首についた血糊と泥を丁寧に拭き取り、平らな石の上に安置すると黙祷を捧げた。決死の戦場でのこの心の余裕は、正行の二十六の若さを考えると実に尊い。

 尚も師直の首を求めて突撃を繰り返す楠木勢。だが、態勢を立て直した六万の敵に押し包まれ、その奮闘もやがて限界を迎えた。

 「もはやこれまで。 正時 ( まさとき ) よ、父上の元に参るぞ」

 「兄上、ここまでやれれば悔いはありませぬ。きっと父上も喜んでくれましょう」

 楠木正行とその弟・正時は、互いに刺し違えて若き命を散らした。楠木勢二千名で生き残ったのは、数えるほどしかいなかった・・・・・。

 「これで問題となる強敵は死に絶えた。今こそ、吉野方の息の根を止めるのだっ」

 高師直と彼の率いる大軍は、守るもののいなくなった吉野に押しかけた。後村上天皇と南朝の廷臣たちは、吉野より更に山奥の 穴生 ( あのお ) に退去した。

 「焼き払え、何もかも焼き尽くすのだっ」

 正月二十五日、無人となった吉野全山は、師直軍の放った猛火に包まれた。 行宮 ( あんぐう ) を初め、高名な神社仏閣は根こそぎ灰となった。

 「吉野の帝は穴生に逃げただと。わっははは、猿しか住まぬ山奥で何をなさるおつもりかの。まあよい、住み慣れた京に連れ戻して差し上げようぞ。穴生に向かうぞ」

 穴生に追い打ちをかけようとした師直だが、さすがにこれは果たせなかった。穴生までの道は軍隊が通るには険しすぎた。それに加えて北畠 顕能 ( あきよし ) (親房の次男)や楠木正儀が、必死に抵抗したのである。

 「長蛇を逸したか。まあよい、凱旋じゃ」

 兄・師泰の軍勢を河内に留め、高師直は意気揚々と京に帰った。この時以降、師直の威信は飛躍的に高まり、逆に足利直義の威信は失墜した。驕り高ぶった師直の放埒ぶりは、ますます激しくなった。

          ※                 ※

 「楠木どのが討ち死にじゃとっ」

 「吉野が灰になったというのは真でしょうか」

 「帝は、帝はご無事であらせられようか」

 畿内の南朝方壊滅の報は、菊池を震撼とさせた。

 せっかく懐良親王を肥後に迎え入れ、これからと燃え立った矢先にこの敗報である。菊池の人々の意気消沈ぶりは、炎に冷水をぶっかけられたかのようであった。

 親王一行に先んじて隈府に帰った菊池武光は、城下の暗い雰囲気を感得すると、一族を集めて演説を行った。

 「おいの得た最新の知らせによれば、帝は穴生という要害の地に動座なされて無事におわす。また、今度楠木の名跡を継いだ正儀どのは、父・正成どのにも劣らぬ名将で、穴生に迫ろうとした師直軍を打ち破り、佐々木道誉に傷を負わせ、その子を討ち取ったとのことである。圧倒的な大軍に攻め立てられても、帝や畿内の忠臣たちは、このように頑張っておられるのだ。我らも無闇に騒ぎ立てる暇があるのなら、かの人々の奮闘に応えるべく努力するべきではないか。どうじゃ、皆のもの」

 「おお、そのとおりじゃ」「くよくよしている場合ではないぞっ、これからだ」

 一族の武将たちは、強く頷いた。菊池氏の武将たちには、まだまだ覇気が残っている。そのことが確認できただけでも、武光は満足だった。そこで彼は続けた。

 「宮将軍は、夢に見たとおりのお方であった。高貴でしかも猛々しい。あのようなお方を菊池にお迎えできることを神仏に感謝すべきだ。我らは、宮将軍の名に恥じぬように働くことを、肝に銘じなければならぬ。よいな」

 万座は大きな歓声で埋め尽くされた。彼らも、親王に大きな夢を抱いていたからである。

 会が散じた後、武光は密かに同母兄の六郎武澄を居室に呼び寄せた。あの六郎は、今や三十半ば、二児の父親となっていた。

 「お屋形、お呼びですか」

 「六郎兄上、水臭い。二人きりのときは、十郎とお呼びくだされ」

 「いや、例え弟であっても惣領には礼儀を尽くさねばならぬ。これがおいの信条よ」

 「・・まあよい。わざわざ兄上に来てもらったのは、大事な頼み事があるからじゃ」

 「なんなりと申し付けくだされ」

 「うん、大智禅師のことなのじゃ。六郎兄上は大智どのが好きか」

 「もちろんじゃ。菊池の家の者で、禅師を好きでない者などおりませんぬわ」

 「ほうか、じゃどん、おいは禅師に構ってはおれなくなった。そこで、禅師の世話一切を、六郎兄上にお任せしたいのじゃが、いかがかな。」

 「・・・どういうことか、理由をお聞きしたい。大智禅師は、我が一族の心の支えですぞ。武重公亡き後の苦しい歳月を、一族から一人の裏切りも出さずに乗り切れたのも、ひとえに禅師の教えが一族を固く結び付けてくれたからにほかなりませぬ。お屋形は、その大智どのの恩を忘れてしまったのか」

 「おいとて、大智どのの恩を忘れたわけではありませぬ。ばってん、おいは、もはや菊池の武光ではない。征西府の武光なのじゃ。どんなに大智どのを庇っても、しょせん我が一族しか団結させることはできぬ。じゃどん、宮将軍は違う。あの方は、筑紫全土の武家を心服させる力がある。そして我らの理想の実現には、その力こそが必要なのじゃ。それゆえおいは、筑紫平定の実現のため、大智どのを切り捨てることに決めました。これからは宮将軍とともに生き抜く覚悟なのです。分かってくれ、兄上」

 「そういうことか」武澄はうつむいた。彼は、目標達成のために最短距離を走ろうとする気丈な弟の意志に、心を動かされた。確かに、現世からの解脱を解く大智のもとに、恩賞目当ての外様豪族を結集させるのは無理である。「わかった。大智どのはこのおいが引き受けた。お屋形は、後ろを気にする事なく、目標に突き進んでくだされ」

 「かたじけない、兄上」武光は、弾けるような笑顔を見せた。

 二人の兄弟は、両手を強く握りあった。

            ※                 ※

 懐良親王とその一行は、多くの豪族の心をつかみ、四月に入って菊池隈府城に入城した。領民は沿道に並んで笑顔を向け、菊池一族の諸将は総出で出迎えた。

 ここに、菊池征西府が誕生した。

 親王一行の居室は新築されたばかりで、新材の香りがかぐわしかった。

 一族の主要人物の紹介を終えた後、菊池武光は親王や五条頼元らとともに会議室に入り、菊池一族の財政状態や軍事力について詳細な説明を行った。その間、他の一族諸氏は、城の大広間に集まって祝宴の相談をした。

 「どうしたものかな」と、大城藤次。

 「なにしろ、高貴な方をお迎えしたのは初めてじゃ」と、城隆顕。

 「とても、武家をもてなすような訳には行かぬじゃろうのう」と、 片 ( かた ) 保田 ( ほだ ) 五郎。

 「ばってん、他のやり方なんぞ、よう分からんですぞ」と、八郎武豊。

 「まあよい、ここはどうせ田舎じゃ。田舎の流儀で楽しんでもらおうかい」この木野武茂の一言で、方針が決定された。

 長い会議を終えた親王を迎えたのは、一族総出の宴席であった。その中には、今年元服して藤五郎武勝となった乙阿迦丸や、十五歳になった早苗の姿もあった。

 親王は、上座に並んだ料理を見て思わず微笑んだ。大名が将軍を迎えるときの慣習である、 椀飯 ( おうばん ) (椀に大盛りにした飯)だったからである。私は、菊池の人々にとっては宮様ではない、征西将軍なのだ。親王は、そのような自覚を強く感じた。

 いずれにしても、楽しい酒席であった。最初は緊張していた菊池一族の人々も、酒が回るにつれて日頃の本性を表した。あちこちで哄笑が湧き起こり、諸肌脱いで舞を踊る者まで現れた。

 「宮将軍、申し訳ございませぬ。見苦しい姿をお見せいたしております」武光が親王に寄り添って謝った。

 「ははは、よいよい、明るいのは悪いことではない。それに、こんな光景ならば忽那島や谷山で見慣れておるぞ。遠慮はするな、肥後守」

 片手を打ち振って笑う淡泊な親王に、武光は胸をなでおろした。

 早苗は、この宴席で初めて懐良親王に会った。

 だが、二人のお互いの印象は、最初はあまり良いものではなかった。早苗は、親王をもっと長身で色白な若者だと想像していたのに、日頃見慣れた一族の武将と大差なく感じた。また、親王にとっては、早苗は単なる気の強そうな田舎のお転婆娘としか思えなかった。

 「思惑どおりには行かないな」宴席が引けた後、武光は自室で首をひねっていた。あわよくば親王と早苗を結び付けて、菊池と征西府の結合を強めようと考えたのだが。

 「まだ、先は長いですもの。時間が経てばお互いの仲も深まるかもしれませんわ」

 武光の酌をしながら答えたのは、妻の 由 ( ゆ ) 里子 ( りこ ) であった。彼女は、南肥後の小豪族の娘であったのを、豊田時代の武光が見初めて嫁にもらったのである。そのお腹は随分と大きかった。

 二人目の子供を身ごもってから六カ月なのだ。長男の 虎 ( とら ) 夜叉丸 ( やしゃまる ) (後の 武政 ( たけまさ ) )は、まだ八つ。隣の寝室ですやすやと眠っている。

 「なんにしても、宮将軍は一族の連中にもすんなりと受け入れられた。これはとても素晴らしいことだぞ、由里子」

 「ええ、本当に」

 若き夫婦は、笑顔を向け合った。

               ※                 ※

 その翌日、再び会議室に征西府の首脳が集まった。懐良親王、五条親子、中院義定などの公家たち。菊池武光、武茂、武澄、武豊らの兄弟に加えて、阿蘇惟澄の姿もあった。

 会議の目的は、大宰府および博多制圧の方策決定である。すなわち、いかにして一色、少弐を打倒するかに、議論の焦点は絞られた。

 「一色探題は、その所領自体は多くないが、龍造寺や深堀、千葉といった肥前の豪族たちを多く味方につけています。その稼働兵力は、約一万でしょう。これに対して、少弐頼尚は筑前、豊前のほとんどの豪族を味方にしており、独自で一万、盟友の大友勢を勘定に入れれば一万五千から二万の兵を動かせるでしょう」

 情勢分析に巧みな六郎武澄は、更に続けた。

 「これに対し、我が菊池勢は総勢五千。仮に肥後全土と北薩摩の武士を征西府に組み入れたとしても、その総兵力は一万にしかなりませぬ。とても、一色と少弐を同時に相手には出来ますまい」

 親王や五条親子は、思わず溜め息をついた。現状では、北九州の制圧は不可能ということなのか。

 「ばってん、希望はありもうす」間髪入れずに武光が言った。「それは、一色と少弐の仲が険悪であることです。ここに、両者を各個撃破できる可能性があるのです」

  「お屋形」白髪が目立つようになった城隆顕が発言した。「仮に、あの両者が相争うことになったとしたらどうじゃ。我らの勝機は」

 「もちろん、勝機は高まる。一色と少弐が争うならば、大友や島津、宇都宮といった諸豪も去就に迷うであろう。場合によっては、征西府に味方するやも知れぬしな・・ばってん、一色と少弐はそれ程愚かではない。彼らとて、相争うことの不利を分かっているはず。我らは、そのような僥倖を期待することなく、一色と少弐の各個撃破を目標に戦力を整えるべきだ」武光は、きっぱりと言った。

 ところが、僥倖は訪れたのである。城隆顕の希望的発言を現実のものとする重大な事件が、京で発生したのである。

 

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