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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

18.九州三国志

 大宰府に落ち着いた足利直冬は、味方の豪族に守護級の恩賞を気前良く約束し、たちまち大勢力となった。直冬の名は天下に轟いた。だが、彼とて二十になったばかりの若者である。人並みに恋もしたい。

 そんなある日、頼尚は十八歳になった愛娘の翠を直冬に引き合わせた。

 「翠でござります」恥ずかしげに頬を染め、翠は貴公子に笑顔を向けた。

 「なんと美しい」直冬の感嘆の声は、決して世辞ではなかった。花の都でも、これほどの美女は滅多にいないからである。

  翠とてそれは同じ。すらりとした長身、広い肩幅、眉目秀麗な容姿、溢れる教養、そんな直冬に、翠は一目で心を奪われた。淡い初恋は、やがて熱烈な慕情となった。

  こうして、二人の若き男女の仲は急速に深まった。

 「佐殿、どうか翠を嫁にもらっていただけませぬか」頼尚は、ある晩おずおずと切り出した。政略結婚と言うより、娘の幸せを願う親馬鹿が先に立っていた。

 「翠どのなら、こちらこそ喜んで」直冬は、弾けるような笑顔を見せた。

  やがて、大宰府で盛大な婚礼が行われた。将軍御曹司と大宰少弐の姫の結婚は、少弐一族のみならず、大友、島津といった盟友や、良民たちにも大いに祝福されたのである。

 「うれしい・・・」翠は、晴れ舞台でうれし涙に暮れた。宇佐八幡の予言は本当になった。うちは高貴な人の妻になる。そして誰よりも幸せになる。

  大宰府に、若夫婦のための新邸が造られた。直冬と翠の夫婦仲は睦まじく、家中でも大いに評判であった。

 「翠にあんな立派な夫が出来て、こんなに嬉しいことはない」頼尚は酒の席で、いつも顔をくちゃくちゃにして語るのだった。

 「父上の親馬鹿にも困ったものだ」いつも同じことを聞かされて辛抱出来なくなったのか、嫡男の 直資 ( ただすけ ) が吐き捨てるように言った。

 「どうした、太郎。不満でもあるのか」酒で上気した頼尚は、首をひねった。

 「父上は、直冬どのの外見に惑わされているのではありませんか。あの男は、都のことしか考えていませんぞ。いざとなれば、少弐の家も翠も平気で切り捨てる。彼は、そういう男です。あまり信用しすぎると、裏切られたときの打撃が大きくなりますぞ」

 「何を言う、直資っ」頼尚は珍しく怒りを表した。「嫡男のお前のそんな態度が、直冬どのに、ますます都を恋しく思わせるのが分からんかっ。つつしめっ」

 「・・・今に思い知りますぞ、父上」直資は嘆息し、肩をすくめた。

 だが、直資の心配は杞憂と思われた。直冬、少弐連合軍は、三月以来、一色直氏に戦を挑んだが、その結果は連戦連勝だったからである。一色勢は肥前で敗れ、筑前で敗れ、ついに博多周辺に追い詰められた。

          ※                 ※

  そのころ、肥後菊池では、新たな情勢を前に作戦計画が検討されていた。

 「佐殿方は、まさに破竹の勢いです。直冬の副将・ 今川 ( いまがわ ) 直貞 ( なおさだ ) は、五千の兵力で肥前を制圧し、その足で博多に北上中。彼に呼応して、少弐頼尚および直冬本隊一万は、東から博多に進撃中ですばい。一色親子は、しきりに都に援軍を要請しておるとのこと」

 六郎武澄の戦況解説に、万座は議論の渦に巻き込まれた。

 「ついに、少弐と一色が仲たがいしたか。それ自体は朗報じゃが」

 「どうやら勝負は、すぐにつきそうですぞ」

 「これでは、少弐の勢力がますます強くなるだけではないのか・・・」

 「とても、我らの付け入る隙は生まれんぞ」

 「どうすれば良い、お屋形っ」

 「うむ」一族の諸将とともに車座に座る菊池武光は、上座に座る懐良親王の方を向いて言った。「この情勢を我らに有利に動かす手立ては、一つしかござらぬ」

 「申してみよ、肥後守」親王は、重々しく頷いた。

 「一色探題を助けて、少弐と戦うのです」

  面々の間に緊張が走った。今まで敵対して来た幕府の代官、探題を助けるというのか。

  武光は、しかし構わず続けた。

 「ご存じのとおり、今の征西府軍には、独力で筑紫を平定する力はありませぬ。しからば、目標達成のためには、我らにとって同じく敵である一色と少弐を出来る限り長く争わせ、消耗させるしか手はござらぬ。そのために、我が征西府軍は、常に弱い方に味方し、どちらかが今以上に強大化するのを妨げるべきであります。・・・この武光の言い分、宮将軍は、どうお考えか」

 「うむ」親王は微笑んだ。「その作戦で行こう。ただちに兵を出して一色を救うのだ」

 こうして、ついに征西府軍は動いた。肥後および筑後の少弐方の豪族を次々に攻撃し、一気に北上する構えを見せた。

 「ちっ、菊池武光め、余計な動きを・・・」動揺した頼尚と直冬は、博多総攻撃を延期して、南に軍勢を派遣せざるを得なくなった。

 ところが征西府軍は、少弐軍の姿を見ると、小競り合いの後でただちに菊池に引き返した。あくまでも漁夫の利を狙いたい武光は、大局に関係ない戦いに、わずかの損害も出したくなかったのである。

 こうして長蛇を逸した頼尚と直冬の元に、恐るべき知らせがもたらされた。足利尊氏と高師直率いる大遠征軍が、ついに西へ向けて進発したというのだ。

            ※                 ※

 実はこのころ、中国路の豪族たちの中にも、直冬に呼応して幕府に反逆する者が多かった。その急先鋒は、 石見 ( いわみ ) (島根県西部)の 三隅兼連 ( みくまかねつら ) であった。

 驚いた幕府は、高師泰に数万の軍勢を付けて、六月に石見に派遣した。ところが、この師泰軍が苦戦したのである。

 「・・・もとはといえば、わしが直冬を放置していたのがいかぬ。奴はわしの子じゃ。このわしが直々に始末を付けるべきだ」ここに足利尊氏は、自ら西国に遠征する決断を下した。将軍が直冬を決して許さぬ構えを見せれば、直冬を将軍御曹司として敬っている田舎豪族たちも目を覚ますだろう。

 観応元年(1350)十月、足利尊氏と高師直は、大軍とともに都を後にした。留守を守るのは、足利義詮である。

 ところが、ここに異変が起きた。幽閉されていた足利直義が都を脱出し、同志の畠山国清(河内守護)の治める河内石川城にて兵を集めたのである。一説によれば、師直の刺客から身を守るためだったという。かねて直義に心を寄せ、師直を憎んでいた足利一門の諸将が、次々に彼の元に馳せ参じた。

 「手薄な京都を占領し、師直を討つのだ」直義入道は拳を振り上げた。

 「しかし、このままでは我らは、朝廷に弓引く賊軍の烙印を押されますぞ」京の軍勢を引き連れて河内に援軍として駆けつけたばかりの細川顕氏が、心配そうに言う。

 「案ずるな、すでに方策は立っておる。穴生の帝に、降参を申し込む使いを送った。これが受け入れられれば、我らは、正統の朝廷を擁する官軍ぞ」直義は不敵に笑った。

 穴生では、直義の降伏申し出に議論百出したが、吉野方の中心人物である北畠親房の鶴の一声で、降伏受理に決定された。親房は、足利兄弟の対立を煽るため、足利兄弟のうちの弱い方に常に味方する方策をもって南朝復興を目論んだのである。

                ※                 ※

 足利直義が吉野方に降伏したとの報は、征西府と菊池一族を驚愕させた。

 「これは一体、どういうこっちゃ。どういうことになるんじゃ」

 「直義と直冬は親子の間柄で一味じゃろう。と言うことは、足利直冬と少弐頼尚が、揃って我らに帰順したということになるんじゃないのか」

 「なんかピンと来ないな」

 菊池の人々の半信半疑は、やがて、大宰府からの正式な同盟申し出とともに解消された。ここに、征西府は大宰府と結託し、尊氏方の一色探題と戦うことになったのである。

 「あの菊池めと手を組むことになるとはなあ」大宰府では、少弐頼尚が首をかしげていた。しかし、旗印にしている直冬の意向には従わねばならない。その直冬の立場は、あくまでも養父の直義を助けて、実父・尊氏や師直と戦うことにあったのである。

 いずれにしろ、九州情勢は、従来の武家方と宮方の二極対立から、武家方(一色探題)、佐殿方(直冬と少弐氏)、宮方(懐良と菊池氏)の三極対立に移行した。ここに、九州は三国時代を迎えた。そしてこの三国は、複雑怪奇な中央情勢によって翻弄される事になる。

             ※                 ※

 観応二年(1351)正月、京は再び戦場となった。

 足利直義、楠木正儀、北畠顕能の連合軍が南から、桃井直常の北陸勢が北から、今川範国の駿河勢が東から、一斉に都に襲い掛かったのである。兵力に劣る義詮はとても支え切れず、命からがら西国へと落ちて行き、播磨で引き返して来た父の軍勢に収容された。

 「おのれっ、直義。弟とて容赦できんぞ」怒った尊氏は、師直、師泰とともに都に攻め寄せた。

戦上手の尊氏は、一旦は都の奪回に成功したが、どうしたわけか兵が減って行く。日増しに脱落して、直義軍に参加してしまうのだ。

 足利直義は、京都占領の際に北朝の朝廷を確保していた。つまり彼は、この時点で南北両朝の支持を取り付け、完全なる大義名分を得たことになる。この政治的影響は、極めて大きかった。尊氏側の兵力が、櫛の歯を削るように脱落していくのは、このためだったのである。

 「いかん、いったん播磨に落ちて、兵を募ろう」尊氏は、残兵をまとめて西国路を辿った。その途中でさえも、脱落者が相次いだといわれる。

 軍勢を整えた尊氏と直義の兄弟は、二月十七日、摂津の 打出浜 ( うちでがはま ) で決戦した。兄弟の醜い争いの結果は、尊氏方の壊滅的な敗北であった。師直と師泰も負傷する始末。

 「もはやここまで、潔く腹を切ろう」湊川の小城に入った尊氏親子と師直兄弟は、最後の酒宴の用意をした。彼らを守るのは、わずか五百騎。後は皆、直義に降参してしまったのだ。聞けば、関東に駐屯していた高師冬も、正月中旬に直義方の 上杉 ( うえすぎ ) 憲顕 ( のりあき ) によって討ち取られたという。尊氏と高兄弟は、もはや孤立無援であった。

 直義の使者がやって来たのは、そんな時であった。直義は、師直と師泰を出家させ、政務を直義の手に取り戻すことを条件に、和睦してもよいと言って来たのだ。

 敗残の尊氏たちは、これに応じざるを得なかった。

 都へと護送される尊氏一行。ところが、その行く手に待ち伏せする一団があった。かつて師直に陥れられ暗殺された、上杉重能と畠山直宗の遺族たちである。彼らは暗夜に紛れて、法体で得物を持たぬ師直兄弟に襲い掛かったのであった。

 「ちっくしょうっ、卑怯なっ」

 命だけは助かると思っていた師直兄弟は、直義の背信に憤った。だが、相手は多勢に無勢。どうにもならない。

 「なにが卑怯だ、騙されて殺されたお屋形の仇討ちだ、思い知れっ」

 恨みに燃える凶刃が振り下ろされた。

 かつて一世を風靡した高一族の命運は、武庫川のほとりに尽きた。嬲り殺しにされた師直兄弟の無残な首なし死体に、冷たい雨が降り注いだ・・・。

 ここに高師直とその一族は滅び、晴れて足利直義の天下となったのである。

 さて、こうして幕政を掌握した直義が最初に手をつけたのは、南北朝の合体工作である。彼は、平和主義者の楠木正儀と交渉し、南朝が幕府政治を認めてくれれば、北朝の朝廷を廃止しても良いとまで譲歩した。だが、穴生の朝廷は、あくまでも後醍醐天皇以来の理想である公家一統を主張したため、五月には、ついに直義と南朝は手切れとなった。

 ところで、足利尊氏と義詮の政治的立場は、直義政権下となっても従来のままであった。直義が兄から将軍の地位を剥奪しなかったのは、やはり兄弟ゆえの甘さがあったのだろうか。いずれにせよ、尊氏と直義の仲は、表面的には元どおりになったのである。

              ※                 ※

 中央情勢は、そのまま九州に波及する。

 直義と穴生の手切れによって、九州でも少弐が菊池から離反した。また、直義と尊氏が和解したため、一色と少弐との間もひとまず休戦状態となった。

 直義の大勝利の報は、もちろん大宰府を沸き立たせた。やがて、京の都から朝廷の使者がやって来て、足利直冬を正式に鎮西探題に任命した。これはもちろん、直義の差し金である。ここに、一色氏が培ってきた探題としての権威は、足利直冬にすっかり奪われてしまったのである。

 「父上、これはどうしたことですっ」一色直氏は途方に暮れた。

 「わしらは、単なる肥前の守護に落ちぶれたということじゃ」一色入道範氏の顔も青ざめている。「わしらには、何の落ち度も無かったはずなのに・・・」

 一色親子の苦汁とは裏腹に、足利直冬はまさに得意の絶頂にあった。その勢いに、日向の畠山義顕もその名を直顕と変えて、直冬方に転向した。中国地方でも、山陰の山名氏や周防の大内氏といった大豪族が直冬に同心した。

 「翠よ、もうすぐお前を京に連れて行くぞ」直冬は愛妻を優しく抱き締めた。

 「嬉しい、翠は幸せです」翠も、愛する夫の胸に顔を埋めた。

 

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