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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

19.早苗の恋

 菊池早苗は、異母兄の藤五郎武勝と仲良しだった。互いに、いろいろな事を相談しあう。もちろん、恋の悩みも。

 人に聞かれたくない話をするときは、二人はよく阿蘇外輪にまで馬を走らせる。そして、正平六年(1351)の夏の日も、そんな一日だった。早苗は十八歳、武勝は十九歳になっていた。

 二人は、近くの木の幹に愛馬を繋ぎ、緑の草原に寝そべっている。

 「藤五郎兄さん、うちね、好きな人ができたの」微風を横顔に受けながら、早苗がぽつりと言った。

 「ほう、相手は誰だい」武勝は、草の葉を口にくわえながら、何げなく聞いた。内心では、お転婆な妹が存外しおらしいことを言うのに感心していたのだが。「宮将軍かい」

 「違うわ」早苗は眉をひそめた。「宮将軍は尊敬しているけど、好きにはなれないの」

 「じゃあ誰だ。おいに言えないような相手なのか」

 「兄さん、誰にも言わないと約束してくれる?」

 「ああ、いいとも」胸を叩いた武勝は、しかし早苗から打ち明けられた人物の名を聞いて、大いに驚いた。

          ※                 ※

 菊池武光は、戦況の小康状態を利用して、近ごろ頻繁に菊池延寿のもとを訪れた。

 読者の中には、延寿の名を覚えている人もいよう。彼こそは、肥後のみならず九州に名高い名工なのである。延寿の一族は、代々菊池に住み、菊池川から採れる良質の砂鉄をもとに強靭な刀剣を鍛えることで有名だった。初めて菊池千本槍を鍛えた延寿国村は既に他界したが、今はその子、 国久 ( くにひさ ) の代になっていた。菊池武光は、彼に大量の新兵器を造らせていたのである。

 「お屋形、お待ちかねの物が出来あがっておりますぞ」父譲りのぶっきらぼうな口調で、延寿が言った。彼は、奥の納戸から一振りの太刀を取り出した。

 「おお」武光は、渡された太刀を引き抜いて驚嘆の声を上げた。「これこそ、おいが求めていた逸品ぞ。これなら、刃毀れすることなく、四十人は殪せる」

 「喜んでいただけて嬉しゅうござる」延寿は、かすかに笑みを浮かべた。「他の品も、ほとんど出来上がっております。ご覧になりますか」

 「うむ」頷いた武光は、延寿の案内で、裏の倉庫を見て回った。そこには、彼が特注した品々が山のように積まれてあった。やはり、一番目立つのが槍であるが、これは、武重のころに比べて相当に改良されていた。刃の部分が小さくなり、柄は長くなった。また、歩兵用の武器に止まらず、馬上からも使いこなせるようになっていた。

 また、刃の部分には、菊池でも最も良質の鉄を使っているため、槍にせよ太刀にせよ、その威力は九州一であった。

 「よくやってくれた、延寿。褒美は存分にとらすぞ」武光は、満足げに頷いた。

 「ありがたきお言葉」延寿は、例によって薄い笑いを浮かべながら答えた。

 やがて、延寿に別れを告げた武光は、郎党二人に守られて隈府へと馬を歩ませた。

 夏の微風は肌に心地よく、緑色の稲穂から立ちこめる新鮮な香りは、主従の鼻をくすぐった。ここ数年の間、菊池郡は戦場にならなかったためか、領民の顔は明るく、田園風景は平和そのものだった。

 その時、前方から馬を走らせる影があった。近づいた姿を見ると、武光の従者、小三郎である。彼は、主人を認めると大声で呼ばわった。

 「お屋形、急いで城にお戻りください。お待ち兼ねの方が見えられました」

 「おお、梅富屋が到着したのか」武光は唇を引き締めた。一族の未来にとって大事な用談が、彼を待っていた。

             ※                 ※

 既に五十の坂を越した梅富屋庄吾郎は、すっかり白くなった頭髪と、皺だらけの柔和な笑顔が印象的な人物になっていた。その傍らに控えるのは、嫡子のいない庄吾郎の跡を継ぐことが確実となった、番頭の梧三郎である。二人は、秘密の用談のために、僧侶の風体で肥後菊池を訪れたのである。

 やがて、この会議室に姿を現した菊池武光は、六郎武澄に加えてもう一人、精悍な若者を伴っていた。

 最初に声をかけたのは、武澄であった。

 「お懐かしい、庄吾郎どの、菊池武澄です」六郎は、静かに頭を下げた。

 「お互いに、すっかり年をとりましたな、肥前守さま」庄吾郎も、懐かしげに武澄を見た。

 六郎武澄は、まだ少年のころ、父・武時の命で畿内情勢を探るため、堺浦まで梅富屋船で瀬戸内海を渡ろうとしたことがある。このときは、土居道増の差し金で、梅富屋は途中で積み荷を奪われたものだが、あれからもう二十年になろうか。その歳月は、六郎と一緒に畿内に潜行した七郎武吉も、あの土居道増も、既に亡き人としていた。

 また、六郎は延元のころ、兄の武重とともに九州に帰還するため、足利方の目を逃れて山伏姿で、堺浦から梅富屋船に乗り込んだ思い出がある。そのときは庄吾郎には会えなかったが、菊池一族は、かように梅富屋に深い恩義があるのだった。

 武澄がしばし回想にふけっている間、武光は傍らの偉丈夫を庄吾郎に紹介していた。

 「こちらは、松浦一族の 波多 ( はた ) 勇 ( いさむ ) どのです。松浦党の連絡員として、しばしば菊池を訪れてくれるのです。昨年の高麗遠征軍に参加した、経験者でもあります」

 「波多勇であります、お見知りおきを」

 表情を変えずに力強く頭を下げた若者は、大柄で色黒、太い眉と辺りを圧する威厳を持っている。薄手の直垂の上から見ても、その素晴らしい膂力のほどが図り知れる。とても、当年きって二十とは思えなかった。

 「高麗に遠征なされたのですか。すると、あなた様は海賊の仲間ということですかな」庄吾郎は小首をかしげた。「特に、去年 金州 ( きんしゅう ) を襲った海賊は大規模で、高麗の人々は倭寇と呼んで恐れているそうですなあ。やはり、松浦党が絡んでいたのですな」

 「庄吾郎どの」武光が言った。「はぐらかさないでいただきたい。我々は知っているのです。梅富屋も倭寇に一枚絡んでいることを」

 庄吾郎の柔和な顔付きは、やにわに厳しくなった。「なるほど、征西府は瀬戸内の海賊と密接ですからな。海の情報は、誰よりも早く入る道理ですわいな。・・・やはり、本日の取引は、それに関するものでしょうな」

 「さすがは庄吾郎どの、解りが早い」武光は微笑んだ。「我々の要求は、ただ一つ。梅富屋を始めとする博多商人と筑紫海賊衆の連合に、忽那や村上といった瀬戸内水軍も加えてもらいたいのです」

 「・・・松浦党も、それに賛成ですかな」庄吾郎は、波多勇に目を向けた。

 「ええ。というのも、噂によれば高麗は我らの活動に業を煮やし、軍隊を動員するつもりだそうです。これに対抗するには、我らも実戦経験豊富な同志を多く必要としもうす。もちろん、多少の分け前は減ることになりましょうが、瀬戸内衆の参加は、願ってもない吉事なのです」勇は、澱みなく答えた。

 「そして征西府は、海賊たちを庇護することによって得た分け前を、軍事費に充てるつもりですな」庄吾郎は、今度は武光に顔を向けて言った。

 「そのとおり」武光は、庄吾郎の目を鋭く見た。「梅富屋への分け前は、瀬戸内衆の参加によって減ることになるかも知れません。ばってん、これによって高麗の兵に対抗できる組織が生まれ、何よりも、その組織は征西府の保護を受けられるでしょう」

 「・・・・・」

 「そして征西府は、必ず筑紫を制覇します。その暁には、博多商人たちは、あの幕府の影に脅える事なく、自由に交易に励むことができましょうぞ」六郎武澄も、熱弁を奮った。

 庄吾郎は、しばし沈思していたが、やがて顔を上げた。

 「わかりもうした。梅富屋は征西府に賭けてみましょう。他の博多商人たちの説得は、この庄吾郎が引き受けます。なあに、この事業はもともと梅富屋が提唱したものですから、彼らに有無を言わせませんぞ」

 「かたじけない、庄吾郎どの」ここに、武光と庄吾郎は、手を取り合った。

 もちろん、庄吾郎は説得に負けたというよりは、長年培った商人の直感から征西府を選んだのである。菊池を訪れた庄吾郎は、征西府の底力が並々ならぬことを肌で感得していた。北朝方が分裂している今なら、征西府の栄光もあり得ない話ではない。ここは、彼らと手を組むのがお互いの将来のためだ・・・。

            ※                 ※

 梅富屋庄吾郎と梧三郎が去った後、菊池武光と武澄は、波多勇と祝いの酒を酌み交わした。波多氏は、同族の松浦一族の多くが一色氏に味方しているのに対し、かなり以前から菊池氏と手を組んでいた。波多氏のみならず、少弐と一色の仲間割れに危機感を覚える北九州の豪族たちの中には、密かに征西府に連絡をつけて来る者が多かったのである。

 波多勇は、波多一族の中でも末流に当たるが、武芸百般に秀でる上に、冷静な判断力を兼備するがゆえ、海賊船団の幹部として頭角を現しつつあった。

 「海はいいですぞ」酒で上気させた頬を震わせて、勇は語った。「どこまで行っても太陽が頭の上にあって、四方八方が平らでしかも青い。空も青けりゃ言うことなしっ」

 「ばってん」六郎武澄が口を挟んだ。「嵐の時は大変でしょう。空は曇り、大風は吹き荒れ、船は枯れ葉のように揺れる。ひとつ間違えば、鱶の餌になってしまいましょう」

 「それはそれで、たまらない海の魅力というものです」勇は、考えを変えない。「困難に直面した時に感じる、大自然の偉大さ。そして、それを乗り切ったときの喜びの大きさ、そして人間の偉大さ。一度これを知った者には、こたえられませんわ」

 「そんなものかのう」武光は、肩をすくめた。「おいには理解できませんわい」

 「きっと、いつか分かるときが来ますよ」勇は、朗らかに笑った。

            ※                 ※

 「うちも、海に出たいわ。山はもう飽きたもん」

 「へえ」勇は驚いた。年頃の女の子が、そんなことを言うとは予想していなかったからである。「早苗どのは、どうして海が好きになったのですか」

 「だって、波多さまは、顔を合わすたびに海のことを仰しゃるじゃありませんか。それだけ聞かされたら、誰だって海が好きになりますわ」

 「そうかな、早苗どのの兄上たちは、みんな知らん顔ですよ」

 「兄たちは、陸の上に仕事がありますもの。でも、早苗は違うわ。兄たちより、自由だもの。うちには、翼があるのよ」

 「ふうん」勇は再び驚いた。噂どおりの面白い娘だと思った。

 「今度、連れて行ってくださいね。兄たちには内緒で」

 「ああ、この戦が終わったらね」

 若い二人は、にっこりと微笑みあった。

 ここは、隈府城の裏庭である。武光は、懐良親王たちの心を慰めるために、隈府城に大きな美しい庭を造ったのである。かつて、武光の父・武時も深川城に素晴らしい庭を持っていたが、隈府の庭は、それに勝るとも劣らぬものであった。

 行動派の早苗は、海の話が聞きたいといっては、波多勇をしきりにここに呼び出して、二人だけの時間を持とうとしたのだが、勇はなかなか早苗の気持ちに気づいてくれない。

 早苗は、決して魅力のない娘ではなかった。少弐の翠に比べれば、それは遜色あるかもしれないけれど、闊達な精神と大きな瞳は、会うものを好きにさせずにおかない何かがあった。だが、勇としては、会って間もない名門の娘の気持ちが本気だとは思えなかったのである。

 「早苗どのと友達になるのは、楽しい。愉快な姫だからな」勇は、そんな気持ちで早苗と語らっていたのである。

 こうして早苗の慕情は、かえって兄の武光に先に知られることになった。

 妹に口止めをされていた藤五郎武勝は、しかしいつまでも黙っていられなかった。武勝は、宮将軍と早苗を結び付けたい武光の気持ちを知っていたから、早苗が海賊の女房になってしまう可能性に、頭を悩ませていたからである。

 事情を知った武光は、さっそく勇を呼び出した。

 「何か御用でござるか」勇は、軽い気持ちで武光の部屋に現れた。

 「御足労かたじけない。ところで波多どのは、あとどのくらい菊池に逗留する予定でしたかな」武光は、平然を装って言った。

 「あと三日ほどお邪魔して、征西府の戦力や財力を見学するつもりですが」

 「・・・実は、急に都合が悪くなりましてな。申しあげにくい事だが、明日にも起っていただけませぬか」

 「・・・その悪くなった都合というのを、教えていただけませぬか。我が一族の命運にとって、大事なことかもしれませぬからな」

 「いや、そんなことではない」嘘が苦手な武光は、結局本当のことをこの海の男に打ち明けることにした。話を聞いた勇は、一瞬きょとんとし、やがて真っ赤になった。

 「肥後どの、ご安心を。おいと早苗どのは、あなたが想像するような関係にはなっておりませぬ」

 「うん、そうだろうとは思う。ばってん、いつまでもここで顔を合わせていては、若い二人双方のためにならないのではないか。おいは、それが心配なのじゃ」

 「・・・分かりもうした。明日一番に菊池を起ちます。早苗どのには、よろしくお伝えください」

 勇は、静かに頭を下げた。かすかに芽生え初めていた早苗への思慕を圧し殺して。

 その翌朝、別れも告げずに去って行った愛しい人を想い空を仰ぐ少女の姿があった。

 「許せよ、妹。これも、一族みんなのためなのだ」

 菊池武光は、そんな妹の姿を寂しげに見つめていた。

 ところで、早苗を懐良親王の妻とする案は、すでに武光の口から五条頼元の耳に入っていた。しかし、頼元はあまり乗り気ではないらしい。うやむやに口を濁すばかりだった。

 「頼元卿は、やっぱり公家だ。宮将軍に、田舎豪族の娘なぞ不釣り合いだと考えているのだな」八郎武豊が、ある日の男兄弟だけの酒席で不満をぶちまけた。

 「そのうち、穴生から公家の令嬢でも呼んで来るつもりではなかろうか」源三郎武尚も、杯をあおった。「菊池よりも、穴生の方が田舎だと思うけどな」

 「やめろ、源三郎。朝廷を誹謗するんじゃない」木野武茂が窘めた。

 「別に、おいは朝廷を誹謗したわけじゃない。ただ、早苗があんまり可哀想だからさ」

 「確かにね。海賊の女房になった方が、あいつも幸せだったかもしれんね」彦四郎武義も言った。

 「もうやめろ、みんな」たまりかねて、武光が言った。「今度、おいが直々に宮将軍に話して来る。その結果を見て考えよう。なあ」

 こうして、その日の酒席は湿っぽい雰囲気で終わった。

 噂の懐良親王は、城下の女たちにたいへん人気があった。当然であろう。田舎の城に、突如として白馬の王子様が降り立ったようなものだから。でも、親王が城下の女と浮名を流すことは無かった。親王は、自分が普通の男と同じと思われては、皇族であることの持つ神秘性が失われることをよく知っていたからである。それゆえ、彼は畿内から連れて来た女官と密かに戯れる外は、禁欲生活を守っていた。そして、そこがまた女心を引き付けるのであろう。宮の人気はうなぎ登りであった。

 早苗は、ちょっと人と違った感受性の持ち主で、自分でもそれを意識していた。だからこそ、女友達が親王のことで騒ぎ立てるのを聞いて、かえって親王に対する興味を失ったのであろう。彼女は、波多勇に対して抱いた感情を、親王には決して抱かなかったのである。

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