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長編歴史小説

黄花太平記 第三部

28.大保原 ( おおぼばる ) に昇る日月

 延文四年、同時に正平十四年(1359)三月、豊後高崎山は、西から現れた一万五千の征西府軍に包囲されていた。大友氏時は、所詮は菊池武光の敵では無かった。各地で連戦連敗し、今やこの高崎山一城を保つのみという有り様だったのだ。

 だが、城主の氏時の顔には勝利の確信が宿っていた。この苦労も、少弐の大軍が駆けつけてくれるまでの辛抱なのだから。

 氏時が切望した大宰府の援軍が接近中との情報は、それほど征西府首脳を驚かせなかった。少弐氏の背信は、既に予想された事だったからである。

 「やはり黒幕は少弐頼尚だったな、武光」懐良親王は、乾いた笑顔を同志に向けた。

 「奴らは、いつになっても裏切りの癖が抜けないようで」武光は肩をすくめた。

 だが、北九州の豪族のほとんどが少弐に味方したとの知らせは、親王を激怒させた。

 「なぜじゃ、武光。彼らは我々に服従を誓ったはずではないか。どうして簡単に少弐の口車に乗せられるのじゃ」

 「宮将軍、これが武士の本質なのです。いつの時代にも、子孫の繁栄のために、強くて気前のよさそうな側に尾を振るのが武士なのですばい」

 「それでは、我ら征西府が、少弐よりも弱いと言うのか」

 「征西府、ひいては賀名生方の優位は、残念ながら九州のみですばい。本土の戦況は、今や幕府方の圧倒的有利。めざとい豪族ならば、幕府方の少弐を取るでしょうな」

 「・・・そういうお前は、なぜ敵に回らないのだ」親王の顔色は興奮のあまり上気していた。本土の味方の無力さと、武士の根性の汚さを改めて思い知らされて、内心歯軋りしていたのだ。

 「我ら菊池一族は、太古より肥後国司として朝廷の恩恵を受けて来ました。それに加えて、後醍醐の君の理想と、それに殉じた父や兄たちの遺志と、少弐らとの因縁を考え合わせると、我らの進むべき道はここにしかありませぬ」

 「頼りになるのは、お前だけぞ、武光・・・・・」親王は、胸を打たれて項垂れた。

 「お任せください。必ずや、少弐と大友を粉砕してみせます」武光は、その分厚い胸を叩いて微笑んだ。

              ※                  ※

 しかし、北西から迫る強力な少弐軍と、援軍を得て気力を取り戻した東の大友軍を前に、征西府の遠征軍は、今や挟み撃ちの危機を迎えていた。

 「ここはいったん阿蘇を抜けて肥後に帰り、態勢を立て直しましょう」菊池武光の冷静な判断に、遠征軍の諸将は大きくうなずいた。

 ところが少弐頼尚の策略は、まんまと武光の裏をかいた。数日後、軍勢をまとめる最中の武光を、予期せぬ知らせが直撃したのだ。

 「お屋形さまっ、一大事ですっ」

 南方へ偵察に走っていた郎党が、口から泡を飛ばしながら叫んだ。

 「どうしたのだ、血相変えて」

 陣幕の外で愛馬の背中を撫でていた武光は、怪訝そうな顔を郎党に向けた。

 「それが、阿蘇大宮司嫡子の惟村が、我らに反旗を翻したとです。惟村めは、肥後 小国 ( おくに ) に七つの砦を築いて大軍で立てこもったそうですぞ。我らの退路を断つつもりに相違なかとですばい」

 「なんだと」武光は絶句した。「あの惟澄どのの息子が、おいを裏切ったというのか」

 征西府の名将・阿蘇惟澄は、近ごろ体調を悪くして、今回は豊後遠征軍に加わらずに肥後御船で留守をしていた。彼には二人の子供(惟村と惟武)がいたが、親子兄弟の仲はあまり良くなかった。特に長男の惟村は、征西府一辺倒の父のやり方に反感をもっており、そこを老獪な少弐頼尚に付け込まれたのである。

 いずれにしろ、征西府軍主力は三方を完全に包囲された。頼尚が大宰府で豪語した『蜘蛛の糸にとらえられた蛾』とは、これを指していたのである。

 「焦るな、武光」肥後の名将は、自分に言い聞かせた。「これは、少弐が以前に用いた戦法だ。そう、あれは武重公の最後の戦だった。阿蘇惟時に裏切られて九州山脈に閉じ込められた武重公は、しかし結局、少弐の野望を打ち砕くことができたじゃないか。今回も、必ず勝てる。絶対に勝機はあるはずだ」

 密偵を走らせた武光は、ついに南方に弱点を発見した。阿蘇惟村の砦の一つに隙がある。少弐、大友連合軍の追撃を振り切りながら、征西府軍は全力で小国に突進した。一枚岩ではない阿蘇勢は意外と脆く、野戦に敗れて一つめの砦が陥落されると、途端に逃げ腰になった。そして、少弐軍が小国に駆けつけたときには、既に征西府軍の後衛は阿蘇山の近郊に達しており、阿蘇勢は支離滅裂の敗残兵と化していた。

 「ちいっ、もう少しだったのに取り逃がしたかっ。頼りにならぬ阿蘇よ」千載一隅の機会を逃した少弐頼尚は、地団駄踏んで悔しがった。

              ※                 ※

 さて、息子の裏切りを知った阿蘇惟澄は、無事に肥後菊池に帰還した征西府軍首脳を訪れた。その顔は、病気と興奮のために真っ赤であった。

 「宮将軍、お許しください。おいの監督が行き届かないばかりに、嫡男を敵方に回してしまいました。まことにお恥ずかしい・・・」頭を大地に打ち付けながら叫ぶ惟澄を、懐良親王は優しく助け起こした。

 「惟澄、お前のせいではない。少弐の謀略が我らを上回っただけよ。成人した息子の責任を、父親にまで負わせるつもりはない。安心せよ、惟澄」

 「も、申し訳ござりませぬっ」惟澄は、静かに項垂れた。

 その翌日、阿蘇惟澄は一族を集めて、惟村の廃嫡と、その弟の惟武を新たな後継者とする旨とを宣言した。だが、ここに再び阿蘇大社は南北に二つに割れたのである。

 一方、大宰府に帰還した少弐頼尚は、改めて全九州に軍勢催促状を発布した。頼尚は、御三家を中心とする反征西府勢力を結集し、一気に勝負を決めるつもりであった。

 懐良親王と菊池武光も、負けてはいない。天下分け目の決戦の到来を察知し、活発に軍勢催促を行った。

 ここに、全九州の豪族が難しい意志決定を強いられた。少弐と菊池。どちらが勝つかは予断できない。博奕に自信のある者は、どちらかに全面参加を決めた。しかし、より慎重な者は、一族を二つに分けて少弐、菊池双方に軍勢を送った。どちらが勝っても、一族全体は安全であることを意図したのである。

 大宰府に四万の大軍を集めた頼尚は、しかし、なかなか軍勢を動かそうとしなかった。大友氏時と島津氏久と協調し、同時に三方から菊池に攻め込む作戦なのである。時間が経つほど、少弐方に有利だ。大友と島津の準備が整うまで、頼尚はじっと待ち続けた。

 菊池武光は悩んだ。このまま菊池に籠もっていても、いずれは三方から包囲されるだろう。この情勢を打開するためには、敵の態勢が整う前に、首謀者の少弐頼尚を倒すしかない。だが、勝てるだろうか。

 菊池武光の戦いの真骨頂は、常に入念に準備を整え、あらゆる可能性を考慮に入れ、絶対に勝てるとの確信が持てるときまで自重することにある。極端な場合には、一つの戦いのために、三年の間、準備を整えることもあった。そして、これが武光の強さの秘密なのである。だが、今度ばかりは完全な勝機は見い出しにくい。敵は、あの少弐頼尚なのだから。頼尚が、その持てる力全てを振り絞って向かって来るのだから。

「父武時や兄武重ならば、どうするだろう」武光は、自分の胸に問いかけた。「おいのことを、臆病と言って笑うだろうか」

 武光は、頭を強く打ち振って、自分の弱気を吹き飛ばそうとした。

「あの九郎(武敏)兄上は、今のおいよりも遥かに不利な状況でも負けずに頑張り抜いた。あの兄上の奮闘を無駄にしないためにも、おいはここで挫けてはならない。そうだ、迷いは許されない。逃げも許されない。勝たねばならない」

 武光はさっそく、親王を訪れてその決心を伝えた。懐良親王も、強く頷いた。

 「座して滅びるよりは、打って出るべきだ。やろう武光、少弐に鉄槌を下そう」

 その翌日、武光は、御船に馬を走らせて病床の惟澄を訪れた。

 「惟澄どの、おいは決心した。全力で北上し、少弐と雌雄を決するつもりじゃ」

 「ほうか」寝間着姿の惟澄は、茵の上に正座して強く頷いた。「あの博多合戦のときのように、止めはしない。全力を尽くすがいい。留守は、このおいが引き受ける。大友や島津に、この肥後は指一本指させはしないぞ」

 「かたじけない、惟澄どの。おいは、必ず勝つぞ。見ていてくれ」

 御船から菊池に戻った武光は、隈府城に集まった一族の面々に訓示した。

 「ついにこの日が来た。御三家を打倒して、九州の覇権を握るための決戦が目の前だ。武時公以来の念願は、いままさに指呼の間にある。下は一族の栄光ために、上は朝廷の尊厳のために、我らが全力を尽くすときが来たのだっ。頼むぞ、みんな」

 「おおおううっ」一同は腕を振り上げて歓声を送った。木野武茂も、その息子の武貞と武直と 武郷 ( たけさと ) も、武澄の遺児の武安も、寺尾野八郎武豊も、武敏の遺児の武世も、武光の嫡男の武政も、与一武隆とその子の武信と武明も、源三郎武尚も、彦四郎武義も、そして藤五郎武勝も、みんな眼を輝かせていた。みんな、この時を待ち焦がれていたのだ。

 正平十四年(1359)七月、征西府軍は全力を挙げて北方に出撃した。

 陣頭を飾る面々は、三十七歳になった菊池武光と、三十を迎えたばかりの懐良親王を筆頭に、五条頼元と良氏の親子、洞院大納言 親弘 ( ちかひろ ) や 竹林院 ( ちくりんいん ) 三位中将 隆 ( たか ) 直 ( なお ) 、春日中納言 興文 ( おきふみ ) といった公家武将たち。留守を預かる木野武茂と与一武隆を除く菊池一族と、その親族武将の、城越前守武顕、赤星掃部助武貫、大城藤次、片保田五郎ら。そして、新田一族の岩松相模守 盛依 ( もりより ) 、 世 ( せ ) 良田 ( らた ) 貞国 ( さだくに ) 、堀口 実直 ( さねなお ) 、里見 貞望 ( さだもち ) ら。名和一族の名和顕興と 長秋 ( ながあき ) の兄弟ら。

 これらの主力部隊に加えて、行く先々で味方に加わる少岱、相良、黒木、安富、星野、有馬、吉木、谷山、 牛屎 ( うしくそ ) 、木屋、波多といった中小豪族たち。

 その総数は、筑後の高良山に達するころには、三万に達しようとしていた。

 「そうか、来るか、菊池武光」

 少弐頼尚は、征西府軍の北上を既に予想していた。自分が武光であっても、必ずそう決断しただろう。

 「我らも出陣じゃ。戦場は筑後川になるぞ。敵を侮るな。全力で当たれ」

 大宰府に集結していた大軍は、ついに動き出した。その陣頭の面々は、少弐筑前守頼尚を筆頭に、その嫡男 直資 ( ただすけ ) 、次男冬資、三男頼澄、四男 頼光 ( よりみつ ) 、甥の筑後守 頼泰 ( よりやす ) 、同じく甥の 武藤 ( たけふじ ) といった少弐直系。また、饗庭宣尚と重高、行盛の三兄弟を筆頭とする親族武将たち。

 これに加えて、松浦、秋月、川尻、龍造寺、深堀、千葉、宇都宮、原田、詫間、宗像、土持、伊東といった中小豪族たちが馳せ参ずる。その総数は、五万を越えていた。

 七月十五日、並々ならぬ覚悟で臨む両軍は、現在の久留米市の北方で、筑後川を挟んで対陣した。征西府軍は、筑後川南岸の高良山、 柳坂 ( やなぎさか ) 、 水縄山 ( みのうさん ) の三ヶ所に布陣した。対する少弐軍は、筑後川北方の 味坂庄 ( あじさかしょう ) に布陣した。

 「時は、少弐の味方だ。愚図愚図していると、大友や島津も動き出す。一気に勝負を付けるぞ、次郎」菊池武光は、兜の緒を締めながら、十八になった嫡男の武政を振り返って言った。

 「ええ、おいの腕前をご披露しますぞ、父上」勇猛な気性の武政は、不敵な笑顔を父に返した。

 七月十九日の早朝、菊池武光直率の精鋭五千は、素晴らしい勢いで筑後川の浅瀬を徒渉した。馬の口に添え木を咬ませ、一言も発せずに少弐陣に突進した。奇襲攻撃である。ところが・・・・・。

 敵陣に突入した菊池方の将兵は、当惑顔を見合わせた。味坂には、一兵の敵もいなかったのだ。現地住民に聞いたところ、少弐の大軍は、前夜のうちに数里後方の湿地帯に後退したのだという。

 「頼尚は、どういうつもりでしょうか、父上」武政は、肩をすくめた。

 「おそらく奴は、あくまでも守備に徹することに決めたのだ。 大保原 ( おおぼばる ) で湿地を前に布陣すれば、我々の『鳥雲の陣』を封じ込められることに気づいたのだ。これは、まずいことになったぞ」武光は、北の空を仰ぎながら腕を組んで沈思した。

 武光の想像は正しかった。少弐頼尚は、あくまでも戦略的に武光を追い詰める作戦に固執したのである。すなわち、直接戦闘を極力避け、政治的に孤立させ、精神的に追い詰め、内部崩壊させてから圧殺しようというのだ。

 「決戦を避けて持久するなら、味坂よりもむしろ大保原が適当だ。ただちに陣替えするぞ」頼尚の決断が下され、少弐軍五万は筑後川の陣から後退し、その直後に、武光軍の突入を迎えたのであった。

 征西府軍三万は、ただちに筑後川を渡って少弐軍を追った。背水の陣である。だが、どうしても攻め口を見いだすことが出来なかった。なぜなら少弐軍は、台風の水が引き切っていない大保原の湿地を走る道を全て破壊し、脆い木の橋を掛けることで、菊池軍の攻撃力を減退させたからである。

 「兄上、ここは損害覚悟の正面攻撃しかないぜ」彦四郎武義が言った。

 「そうもいかぬ。見よ、彦四郎、あの完璧な布陣を。さすがは少弐頼尚だ。一分の隙も無い。力攻めは、味方の破局を招くだけぞ」武光は、唇を噛んだ。

 こうして、少弐と菊池の大軍は、宝満川の支流が形成する大保原の湿地帯を挟んで、冷たい睨み合いに入った。お互いの旗の色がはっきり視認できるほどの至近距離で、互いの完璧な布陣を前に、迂闊に手だし出来ないままで対峙した。

 その間、ついに島津一族も動いた。島津貞久は、三男の氏久に三千の軍勢を与えて筑後の少弐陣に急行させたが、貞久の食えないところは、一族の島津 高澄 ( たかずみ ) にやはり三千の兵力を持たせて筑後の征西府軍に合流させたことである。南北どちらが勝っても、島津一族を守り抜こうという腹積もりなのである。

 その点では、大友氏時の行動は直線的であった。彼は、全力を挙げて少弐に味方することを約束し、一軍を引っ提げて九州山脈を西に越えた。一気に、征西府の本拠地を襲おうというのだ。病身を押して迎え撃った阿蘇惟澄の活躍は目覚ましく、大友軍は各地で苦戦したが、氏時は諦めなかった。増援を派遣して、惟澄の打倒を企画する。いずれは、数で劣る惟澄勢は圧倒されてしまうだろう。なんとしても、武光の筑後での速戦が必要とされる情勢だった。

 「惟澄どのの奮戦に、なんとしても報いなければ」菊池武光は、すぐ目の前に翻る少弐の四っ目結の旗を睨んだ。すでに対陣して十五日になる。どんなに睨んでも、その旗は崩れはしない。なんらかの策略が必要だった。

 その翌日、大保原の菊池勢の陣頭に、一筋の竿が立った。竿の先には、日月を彩った一枚の扇と、それに並べて一枚の書状が掲げられている。

 「なんじゃ、あれは」

 「暇つぶしに余興でもやるのかのう。じゃったら楽しいのう」

 少弐方の将兵が、陣営の中から珍しがって首を出した。

 やがて、菊池本陣から一騎の若武者が飛び出して来た。誰あらん、武光嫡子の次郎武政その人なのである。武政は、大音生で少弐陣に呼ばわった。

 「皆のもの、よく聞けっ。ここに翻るは、かつて少弐滅亡の危機を、我ら菊池家が救った折りに、頼尚どのが自らしたためた熊野午王の起請文であるぞ。これには、『子孫七代に至るまで菊池の家には弓引かぬ』と記されておる。それがどうじゃ、天に恥ずべきこの行いはなんじゃ、それでも大宰少弐の名門と言えるのか。恥を知れ、恥をっ」

 少弐本陣は、これにはさすがに動揺した。

 「父上、何をしているのです。味方の指揮が鈍らないうちに、総攻撃をかけましょう」

 「兄上の言うとおりです。早く総掛かりの合図をっ」

 口々に言う直資と冬資の前で、頼尚は腕組みをしたまま表情ひとつ変えなかった。

 そのとき、片隅に控えていた少弐武藤(頼尚の甥)が身を起こした。「陣頭で叫んでいるあの子わっぱは気に入らぬ。お屋形、このおいが勝負を挑んで討ち取ってやりましょうばい」

 この武藤は、全身筋肉の固まりのような大男で、好物が鳥肉といい、家中でも何となく気味悪がられていたが、その個人的武勇は一族屈指であった。そのため、彼は今度の戦で頼尚直属部隊の親衛隊長を任されていた。

 「やめておけ」頼尚は、この逞しい甥を振り返った。「お前にもしものことがあったら取り返しがつかぬ」

 「しかし、父上」なおも食い下がる息子たちである。

 「分からないのか、これは武光の罠よ。孔明が仲達を女衣で挑発した故事を、お前たちは知らぬわけではあるまい。我慢した仲達は勝った。ここは我らも耐えるのよ。さすればこの戦は勝つ」頼尚は、その鋭い眼光を光らせた。

 こうして、戦機はなお熟さなかった。武光の焦燥は募るばかりであった。

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