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長編歴史小説

黄花太平記 第四部

5.去り行く人々

 河野通朝が敵の重囲に陥ったそのころ、肥後でも征西府にとって大きな不幸が訪れようとしていた。

 あの阿蘇大宮司惟澄が、危篤におちいったのである。

 征西府方の名将・惟澄は、かなり以前から熱病におかされ、肥後 御船 ( みふね ) で療養生活に入っていたのだが、ついに病魔を克服することができなかったのである。

 「我らは、あの絶望的な情勢を乗り越えて、こうして九州全土に君臨しておる。この偉業を達成して死ねるだけでも満足じゃ」

 病床の惟澄は、枕元の世継ぎ・ 惟武 ( これたけ ) に力強く語った。

 「唯一の心残りは、わしの目の黒いうちにお前の兄(惟村)と和解できなかったことよ。これは、子孫に残された重大な課題じゃ。惟武、もしできるなら、お前の代で兄と仲直りしておくれ。逆賊に加担した兄の目を覚まさせておくれ」

 「全力を尽くします」惟武は、父の手を強く握った。

 「うむ、その言葉が聞きたかった」惟澄は、静かに目を閉じた。

 正平十九年(1364)九月二十日、阿蘇惟澄は静かに息を引き取った。その享年は五十六であった。

 惟澄は、政務に追われる征西府首脳に余計な心配をかけたくなかったので、自分の病状の悪化を秘匿し続けていた。そのため、親友の菊池武光が惟澄の容体を知った時には、既に病人はこの世の人ではなかったのである。

 「惟澄どの・・・」葬儀に駆けつけた武光は、もの言わぬ遺体に優しく語りかけた。「おいが菊池の惣領となり、今日までの成功を勝ち取れたのも、全て貴君の暖かい支援があればこそ。ありがとう、本当にありがとう」

 武光の頬を伝う涙は、惟澄の安らかな死に顔を湿らせた。

 征西府は、惟澄の遺児・惟武を新たな阿蘇大宮司に任命した。惟武は、これまでと変わらぬ忠誠を誓ったのである。

             ※                 ※

 正平二十年(1365)の正月は、ことに肌寒い日であった。

 菊池寄合衆管領の 木野武 ( きのたけ ) 茂 ( もち ) は、この目出度い日を菊池隈府城で送った。

 一族の主立ったものが全て大宰府に移った現在、ここ隈府は、武茂と寄合衆の裁量で動かされていた。そして今、武茂は、家族たちと新年の祝いの席につきながら、ここ十年の一族の歩みについて思いを巡らせていた。

 「次郎兄上(武重)、九郎(武敏)、冥府で見ておられますか。我らは、ついに筑紫の覇権を手に入れました。苦しい歳月だったけれど、なんとかやり遂げました。これも、十郎(武光)を始めとする一族みんなが、宮将軍を中心にして心を合わせた賜物です」

 しかし、栄光への過程で失うものも多かった。かつてあれほど一族を支えてくれた大智禅師は、 石貫 ( いしぬき ) の 広 ( こう ) 福寺 ( ふくじ ) が去年の火災で焼失してから肥前に移り住み、菊池氏を離れて現地の豪族たちと暮らしている。また、武重が作り上げた寄合衆の内談制度も、懐良親王と武光の独裁の前に意味を無くしていた。今や寄合衆は、菊池一郡の統治機関に成り下がっていたのである。

 そして武茂は、一つの時代の幕をひくために引退を決意していた。

 祝宴の後、武茂は嫡子の 武 ( たけ ) 貞 ( さだ ) を自室に呼び寄せた。

 「おいは、もう疲れた。管領の職をお前に譲ることにしようと思う」

 「父上・・・長い間、本当にご苦労でした。後のことはお任せください」武貞は、敬愛する父親に頭を下げた。

 「我が一族は、これから新しい時代を迎えることになろう。じゃどん、この寄合衆の伝統は必ず後世に残さねばならぬ。この伝統は、一族の団結を図るうえで、いつか必ず必要とされるからだ」武茂は、静かに語った。

 「肝に銘じます」

 「これで、おいも安心じゃ。心置きなく、惟澄どのの後を追えるぞ・・・」

 この言葉どおり、木野武茂は、それから数日後に脳溢血に倒れ、不帰の客となったのである。彼は、自分の命数を予測していたのかもしれない。その享年は五十四であった。

 木野五郎武茂は、若いころから一族の中心として活躍してきた。惣領の留守中は、常に彼が政務を代行した。戦はさほど上手とは言えなかったが、戦上手の弟たちが存分に働けるように気を配った。やがて寄合衆の管領となると、広くみんなの意見を聴いて、一族の舵取を行った。その優柔不断の性格のために一族を窮地に陥れたこともあったが、それでも、今日の一族の飛翔の基礎は、この武茂によって築かれたといっても過言ではないのである。

 その武茂の突然の逝去は、阿蘇惟澄を失った征西府に新たな悲しみをもたらした。古参組は、櫛の歯のように落ちて行く。征西府も、世代交代の時期を迎えたのである。

 今や菊池武時の遺児の中で最年長者となった八郎 武豊 ( たけとよ ) も、武茂の死を契機に隠居した。 「後は、若者たちに委ねよう。おいは、肥後の所領で悠々自適に過ごすよ」

 嫡男の 武晴 ( たけはる ) に家督を譲った武豊は、わずかの従者に守られて、白髪頭を振りつつ肥後へと帰って行った。

               ※                 ※

 それから一年間は、光陰矢のごとく、平穏無事に過ぎ去った。

 大智禅師は、正平二十一年(1366)の春を、肥前島原 高来 ( たかく ) 郡の 円通寺 ( えんつうじ ) で過ごした。菊池武安の計らいで焼失した広福寺は再建されたものの、大智は今では島原が気に入って、こちらに落ち着いていたのである。庇護者の武安に用事があって肥後に出掛けるときは、有明の海に小船を浮かべて往来するけれど、今となっては、菊池氏よりも肥前の小豪族たちに慕われ支えられている大智の近況であった。

 「わしも、すでに七十七か。そろそろ御仏の使いが現れるころじゃ」

 柔和な顔で語る大智に、 禅古 ( ぜんこ ) と 蔵主 ( ぞうす ) の二人の弟子は笑顔で答える。

 「お師匠さまは、まだまだ元気ではありませぬか」

 「今頃、仏様は笑っておられますぞ。気が早い爺様だと言って」

 「これこれ、お前たちは、そんなにわしを成仏させたくないのか」呆れ顔の大智。

 「だって、まだまだ教えていただきたいことが残っていますもの」と、禅古。

 「情けないことを言うな。お前たちは、もう立派な僧侶ではないか。わしがいなくなってからも、しっかりと禅の心を人々に伝え残さねばならぬのだぞ」

 「分かっています」

 「お師匠の魂は、いつまでもわたしたちとともにありますよ」

 口々に明るく答える弟子たちに、いつしか大智の頬もほころんだ。

 「それを聞いて安心したぞ・・・」

 そんな大智たちの元に、懐かしい人々が顔を見せたのは、それから間もなくの陽光眩しい夏の日であった。

 取り次ぎに出た蔵主から、お待ち兼ねの客だと聞かされて、当惑顔で出迎えた大智は、たちまち目を輝かせた。

 「おお、早苗どの」

 「しばらくぶりです、大智さま」潤む瞳で静かに挨拶した菊池早苗は、二人の小さな女の子と、僧衣を纏った一人の落ち着いた男性を伴っていた。

 その男性の顔を一瞥した大智は、すぐに懐かしい面影を見いだした。

 「失礼ですが、 寂照 ( じゃくしょう ) どのではありませんか」

 「お、覚えておいででしたか」

 寂照と呼ばれた人物は、懐かしさをたたえた目で大智を見た。その名を覚えている読者もいようが、彼こそは、かつての菊池一族の惣領、 武士 ( たけひと ) の後年の姿なのであった。政務に疲れ果てた武士は、大智の元で出家し、加賀の祇陀寺で禅僧としての修業の日々を送って来たのである。

 「兄は、修業が一段落したので、一時的に帰郷したのですわ」早苗が言った。「もう一度、禅師に会いたいと言って・・・」

 「そうでしたか、さぞかし苦労されたのでしょうなあ。いやあ、この老骨を忘れずによく来てくだされた。さあ、粗茶でもあがってくだされ。・・・ところで、そちらの女の子は、早苗どののお子ですかな」

 「はい、上が 綾香 ( あやか ) で今年で六つになります。下が 佳奈子 ( かなこ ) で四つになります。是非とも禅師にお目にかけたくて」早苗は、恥ずかしげに頬を染めた。

 「うむうむ、お二人とも、早苗どのの小さいときにそっくりですわい。あの早苗どのが、こんなに立派な奥方になったなんて、時の流れというのは奇妙なものですよのう」

 「母様は、昔はどんなだったの」小さな綾香が、無邪気にたずねた。

 「母様はな、すごいお転婆だったよ。いつも馬を乗り回して、伯父さんたちを困らせていたよ」と、大智が笑顔で言うと、

 「寂照伯父さんが手習いを見てあげようとすると、お腹が痛くなったと言って逃げ出したこともあるなあ」と、寂照も答える。

 「まあ」「おかしな母様」二人の少女は、手を打って喜んだ。

 「やっぱり、子供達は連れて来ないほうが良かったかな」早苗は、赤面していた。

 それからは、他愛ない談笑が続いた。大智にとって、久しぶりに楽しい一時であった。あの早苗が、親王夫人となってからも、自分のことを気にかけて訪ねてくれたことが、とても嬉しかったのである。

 懐かしい客たちが去った後も、大智の笑顔は輝き続けていた。

 「わしは、現世からの脱却を志して修行を重ねて来たが、それでも現世は素晴らしい。そして、現世の素晴らしさを忘れてしまったら、それはもはや禅ではないのだ。わしは、この気持ちを抱いて冥府に向かうとしよう。今日は、冥府への良い土産ができた」

 それから半年も経たないうちに、大智は床から起き上がれなくなり、やがて静かに円寂した。長い波乱の人生を、立派につとめ抜いた禅師の死に顔は明るかった。

 跡を見取った二人の弟子は、それぞれ大智の名跡を継いで、曹洞禅の発展のために活躍したということである。

               ※                 ※

 大智の葬儀が終わった後、寂照入道は一人で菊池郡寺尾野の 大円寺 ( だいえんじ ) にやって来た。ここに腰を落ち着けて、余生を過ごすつもりであった。

 開き始めた桜の蕾に目をやった寂照は、その可憐な有り様に胸を打たれ、一句詠んだ。

  袖ふれし花も香りを忘れずば わが墨染をあわれとは見よ

 寂照は、その後も禅僧として活躍を続け、九十一歳まで生きた。肥後 芦北 ( あしきた ) 郡 二見村 ( ふたみむら ) が彼の終焉の地と言われる。その墓碑には、『菊池十四代肥後守武士』と刻まれている。

 冥府の寂照は、どんな思いでこの墓碑を眺めたことだろうか。

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