歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

長編歴史小説

黄花太平記 第四部

10.嵐の前の小さな愛

 新九州探題・今川了俊の先遣隊が、初めて九州の土を踏んだのは、応安四年(1371)七月二日の夜半であった。

 先遣隊を率いるのは、了俊の嫡男の今川義範である。彼は、宇都宮や田原といった豊前や豊後出身の兵数千を引き連れて、六月二十六日に備後尾道から乗船し、細川水軍に護衛されて豊後高崎山城に向かった。豊後の主、大友親世は、かねてより武家方に好意的であったため、義範の一行を暖かく迎え入れたのである。

 「ついに来たか」大宰府の菊池武光は、その頬を緊張させた。これは、足利幕府の本格的な反攻の幕開けに違いない。

 既に、年頭より新探題下向の情報を握っていた武光は、大宰府に主力を集めて迎撃態勢を整えていたのである。

 「次郎(武政)、手勢を引き連れて高崎山を攻めて見よ。敵の総帥・今川了俊は、未だに安芸の 沼田 ( ぬた ) に駐屯しており、動く気配を見せない。揺さぶってやれ」

 「分かりました、父上。了俊の息子を痛め付けることによって、敵の手の内を見抜くのですな」菊池武政は、大きく頷いた。

 今川義範の軍勢は、七月二十三日に国東の菊池方の砦に奇襲を仕掛け、これを奪い取った。しかし、菊池武政軍が豊後に侵入すると直ちに全軍撤退し、高崎山城に立て籠もった。

 武政は、迷わずこれを包囲した。

 今川義範は、父に厳命されていた。どんなことがあっても、精強な菊池軍と野戦を交えてはならぬ。父が九州入りするまで、ひたすら籠城戦を耐え抜けと。そのため、度重なる武政の挑発にも拘わらず、義範勢は城門から出て来ようとはしなかった。

 「おのれ腰抜けめ、亀の子のように城内に閉じこもられては、この堅城を落とす術がないわ」菊池武政は、歯軋りして悔しがった。

 この様子を見て、九州の豪族たちの間に動揺が走った。征西府軍には、もはや往年の威力は無いのではないか。ここらが見切り時ではないのか。

 安芸に駐屯中の今川了俊はこの空気を見逃さなかった。阿蘇惟村や島津氏久、そして松浦党といった有力豪族に、次々と寝返りを勧める密書を放ったのである。ここに、『点』は、『面』へと確実に広がりだした。

 「これはいかぬ」菊池武光は、さすがに事態の深刻さを思い知った。「なんとしても高崎山を潰さなければ、命取りになりかねん。よし、ここは武政を呼び戻し、おい自ら出陣しよう」

 八月六日、菊池武光は 伊倉 ( いくらの ) 宮武良 ( みやたけよし ) 親王(懐良の嫡男)を奉じ、二万の大軍を率いて大宰府を後にした。嫡子の軍勢と入れ替わって、高崎山を十重二十重に包囲する。

 「なにがなんでも陥落させよっ」武光の下知が飛ぶ。

 「最後の一兵になっても耐え抜くのだっ」今川義範が怒号する。

 かくして、高崎山は凄惨な戦場となった。現存する田原 貞能 ( さだよし ) (城側)の文書によれば、年内に百余度の戦闘を行ったと書かれているほどである。

 しかし、父に救援を求める義範の手紙は、了俊によって全て黙殺された。

 「これしきの試練に耐えられぬようでは、わしの息子ではない。救援の必要なし」

 一族郎党を前に言い放った了俊の気迫に、万座は圧倒された。彼らは、任務遂行のためなら嫡子の命すら惜しまない、了俊の並々ならぬ覚悟を肌で感じたのである。

 さて、今川了俊とその主力部隊は、八月二十九日、ついに安芸沼田を発ち、九月十九日には宮島の厳島神社に詣でて戦勝を祈願した。同月二十四日には周防山口に入り、今や了俊の縁者となった大内一族の歓待を受けた。

 このとき既に、大内弘世の娘婿である今川仲秋は、本隊から別れて先発し、長門国府の厚東氏残党を一掃してここを占拠すると、船集めに取り掛かっていた。

 了俊自身も、大内一族の主力とともに十月八日には長門国府に入った。

 「よし、行けっ、仲秋。高崎山を西方から救うのだ」ついに了俊の指令が下った。

「必ずやり遂げます」新婚早々の仲秋は、新妻への後ろ髪を断ち切って船中の人となった。時に十一月十八日。その目的地は、肥前松浦である。

 肥前の松浦一族は、従来より倭寇の主力であったが、度重なる今川了俊の誘いに乗って、幕府方に寝返ることに決めていたのである。だが、危なかった。いつまで待っても仲秋が松浦に現れないため、波多勇を中心とする親征西府派の発言力が復活し、松浦一族は分裂寸前の状況だったからである。そんなときに、仲秋が松浦にやって来たのだ。

 十一月十九日、無事に肥前に上陸した今川仲秋とその軍勢三千は、松浦党の分裂を抑えると、その他の肥前の幕府派豪族たちをも掌握することに成功した。そして、ただちに東へと進撃を開始し、十二月十五日、 杵島郡 ( きしまぐん ) 白米 ( はくまい ) 嶽 ( たけ ) に陣を張った。

 今川了俊の『点』は、ついに大宰府の西方にも現れたのである。

 年が明けた応安五年(1372)正月、今川仲秋が西方で威を振るっているとの情報に接した菊池武光は、ついに高崎山攻撃を断念した。

 「さては、今川了俊は、大宰府を三方から挟撃するつもりだな。ここは大宰府に引き返し、宮将軍と善後策を協議しなければなるまい」

 武光は、抑えとして大友氏継の軍勢を残すと、ただちに主力を引き連れて大宰府に戻った。親世の兄に当たる氏継は、弟が幕府方に回ったのに対抗し、征西府方として活動していたのである。家督を巡るこのような争いは、当時は日常茶飯事であった。

 さて、大宰府に入った菊池武光は、嫡男の武政を肥前に派遣して今川仲秋を攻撃させると同時に、筑前南部の松本城の兵力を強化し、仲秋と義範との連絡線を分断する措置に出た。取り敢えず、この場は東西の敵の動きを封じておいて、やがて攻め入るであろう了俊本隊に征西府軍主力で決戦を挑む方策であった。

 「肥後守、大丈夫であろうか」軍議の席の後で心配そうに声をかける懐良親王である。

 「武光に万事お任せくだされ・・・ただ、九州の諸豪族たちの動きが不明瞭なのが心配ですばい。時間が経つにつれて、敵に回るものが増えましょう。ここは、なんとしても早期に今川了俊の主力部隊を撃破しなければなりませぬ・・」武光も、その張り詰めた表情を隠せないでいる。

 そんな彼をあざ笑うかのように、今川了俊の戦略は南九州でも効を顕した。島津氏久と阿蘇惟村が、反征西府の旗を揚げ、南から肥後菊池を襲う気配を見せ始めたのである。

 「これは、いかぬ。源三郎武尚と藤五郎武勝は、ただちに菊池に帰って島津らに備えてくれい」武光は、虎の子のように貴重な兵力を、南方に裂かざるを得なかった。

 それでも、長門国府の今川了俊は焦りを感じていた。

 「既に、大友、松浦、龍造寺、深堀、宗像を始め、多くの北九州の豪族たちが我らに同心を約束している。それにも拘わらず、義範も仲秋も戦線を拡大できず、むしろ封じ込まれているとはな。さすがは菊池武光、打つ手に一つの無駄も無い。ここは気長に腰を据えて、『面』の広がりを待つしかない・・・・」

 慎重に時期を見計らった了俊は、ついに二月に入って行動を起こした。今や七万に膨れ上がった大軍を率いて関門海峡を圧し渡り、一気に豊前に上陸する。そして、少弐冬資勢を先陣に配し、たちまち門司、 多良倉 ( たらくら ) 、小倉といった諸城を制圧したのである。

 「父上、冥府でご覧くだされ。冬資はついに九州の土を踏んでおりますぞ」少弐の惣領は、感激に震える心中で亡き父に語りかけた。

 一方、肥前に出陣していた菊池武政は、二月十三日、 烏帽子 ( えぼし ) 嶽 ( たけ ) に立て籠もる今川仲秋軍に強襲を仕掛けたが、激戦の末に撃退された。野戦での菊池勢の強さを研究し、恐れていた今川軍は山から出て来ようとせず、それに業を煮やした武政は、焦って決戦を急ぎ、無理な山岳戦に翻弄されて敗北したのであった。

 嫡子の敗北に衝撃を受けた武光は、しかし挫けなかった。各地の中小豪族たちに指令して今川各軍の連絡線を分断し、その補給路を脅かしたため、今川軍の動きは遅滞した。

 それでも、大宰府に近づく今川軍を完全に阻むことはできなかった。ツバメが大空に乱舞し始めるころ、了俊率いる圧倒的大軍は宗像を経て博多に入り、大宰府北方の佐野山に陣を張り、ついに武光率いる大宰府の征西府軍三万と対峙したのである。

 ところが今川了俊には、この期に及んで敵の勇将と正面切って対決する自信がなかった。彼は、佐野山から指呼の間にある大宰府を見下ろしながら、形勢の好転、すなわち義範と仲秋の来援をじっと待ったのである。

 「良いか、義範と仲秋が現れたら、一気に大宰府を北、西、東の三方から総攻撃する。この辛い対陣も、それまでの辛抱ぞ。大宰府が陥落した暁には、諸君には莫大な恩賞を約束する。諸君の大いなる奮闘に期待したい」

 総大将のこの堂々たる訓示に、幕府方諸将は万雷の歓声を浴びせた。

 この危機的状況を前にして、大宰府の民衆は恐慌に陥った。

 「すぐ北の佐野山に、ものすごい大軍がひしめいているとばい」

 「いよいよ菊池の旦那も、年貢の納め時かい」

 「早めに、家財を纏めた方がよかたい。逃げ出す用意ばせんと」

 そんな人々の動揺を知りつつも、懐良親王は信仰の世界に縋る外には何の手立ても持たなかった。居室で正座し、両目を閉じて瞑想にふけりながら、真言を唱える。その姿の傍らには、先日信州から届いたばかりの、 宗良 ( むねよし ) 親王からの便りがあった。

 宗良親王は、後醍醐天皇の皇子で、懐良の兄に当たる人物である。主に信濃を拠点に、東国の宮方の中心として未だに活躍しているが、衰えた勢威を盛り返すには至っていない。それでも、弟の身を心配して便りを寄越す心の余裕を失わないのはさすがであった。

 懐良親王は、昨年末に自身の悲観的情勢をこの兄に書き送るとともに、次の二首の和歌を示し、自分の苦境を訴えた。

  日にそへて遁れんとのみ思ふ身に いとど憂世の事しげき哉

  しるやいかによを秋風の吹くからに 露もとまらぬわが心かな

 宗良親王は、これに対し、今度の便りの中で次のような歌を返した。

  とにかくに道ある君が御世ならば ことしげく共誰かまどはむ

  草も木もなびくとぞ聞くこのごろの 世を秋風と嘆かざらなん

 この剛毅な兄は、優しく弟を励ましている。しかし、懐良の心は重かった。

 いまや大宰府は、三方から包囲されようとしている。これを打開する力は、もはや自分には残されていない。せっかく得た日本国王の肩書も、九州の無節操な豪族たちに対してはほとんど無力のようだ。

 そう考えて、唇を噛み締める懐良の想念は、大きく音を立てて開けられた襖によって破られた。部屋に入って来たのは、妻の早苗であった。

 「あなた」鋭い語気で夫を睨む早苗は、当年で四十歳になろうとしていたが、薄化粧のその表情は、前にも増して美しい。

 「お前か」面倒臭そうに薄目を開けた親王は、苛ただしげに言った。「瞑想中は邪魔をするなと、あれほど言ったではないか」

 「何が瞑想よ、あなたは現実から逃げているだけだわ」

 「それは違う」親王は、怒りの籠もった目を妻にぶつけた。「余は、お前の兄のために、必死に神仏に願をかけているのだ」

 「いつから 巫女 ( みこ ) になったの」早苗は、呆れたように言った。「あなたは、宮方の総大将なのよ。何もかも兄に任せてばかりで、恥ずかしくないの」

 「余に、何が出来るというのか」親王は、辛そうに目を伏せた。

 「明るい笑顔を、みんなに見せるの。うちの兄たちや甥たち、必死に戦っている武家や、脅えている民、それにあなたの子供たちに」早苗の目は、優しく潤んだ。「子供たちは、あなたがそんな風だから不安がっているわ。武良も、 実良 ( さねよし ) も、綾香も、佳奈子も、あなたの元気な笑顔を待っているのよ」

 「・・・・・」早苗を見つめる親王の目は、やがて輝き始めた。「そうだ、余は九州の民を愛して来た。これからもそうだ。みんな、余の可愛い子供たちだ。苦しんでいる子供たちを、ここで見捨てることは出来ないのだ」

 その翌日、白馬に跨がって陣中視察する懐良親王の姿が、陽光の中にキラめいた。親王の力強い瞳の輝きは、疲労した将兵たちにいくばくかの潤いを与えた。

 「宮将軍、かたじけない」味方の士気の維持に苦心していた菊池武光は、この親王の出馬に、心の底で深く感謝した。

            ※                 ※

 今川了俊と菊池武光の熱い睨み合いは、クマゼミの声が途絶える頃になっても決着しなかった。どちらも、互いの完璧な布陣に手だし出来ずにいた。どちらも、相手の次の出方を窺いながら、いざという瞬間を待って力を養っていた。

 この竜虎は、しかし水面下で激しい諜報戦を展開していた。

 幕府軍の背後では、菊池の息のかかった豪族が次々に蜂起し、その背後から補給路を狙って遊撃戦を仕掛けた。

 征西府軍の陣内では、今川方の密使が、莫大な恩賞を餌に豪族たちに調略を仕掛けた。

 南朝方大宰少弐である少弐頼澄の元にも、兄の冬資からの使者が訪れた。

 「ここは、今川どのに頭を下げて、兄君(冬資)とともに栄誉を分かち合って生きるべき時ですぞ」

 必死で説得する使者に向かって、頼澄は静かに頭を振った。

 「わしは、十二年に亙って征西府の要人であった。宮将軍は、しがない投降者であるわしを暖かく迎え入れ、譜代の者と変わらずに遇してくれた。わしは、この恩を生涯忘れることはできない。・・・兄上には、戦場でお会いしましょう、と伝えてくれい」

 頼澄のこの固い決心を前にして、使者はすごすごと帰って行くしかなかった。

 こうして、両軍の睨み合いは、長く続いた。

 この間、大宰府周辺の民衆は、縁故を頼って次々に地方に疎開していった。そのため、天満宮を訪れる人影も減る一方。

 しかし、毎日のようにここに参拝に来る一人の年配の貴夫人の姿は、今日も昨日も境内にあって変わることが無かった。彼女の輝く瞳は、戦火に脅える群衆の悩みを超越し、ひたすら己の願い事の成就に向けられている。

「天神さま、どうかうちの夫の無事をお守りください。都を焼いた悪人かもしれませんが、うちにとっては、かけがえのない大切な人なのです」

 目を閉じて一心に祈願する少弐翠は、ふと、背後に懐かしい人の香を感じて振り向いた。

 彼女の目は大きく見開かれ、やがて涙で潤い、喉は嗚咽で埋められた。

 「あなた・・・」

 そこに立っていたのは、紛れもない。山伏の衣装を纏い、あご髭を伸ばし、少し痩せたけれども、そこにあるのは翠の最愛の夫の姿だった。

 「翠・・・迎えに来たよ」懐かしい澄んだ声が、足利直冬の唇から流れ出た。

 二つの影は、木漏れ日の中で一つに重なった。

 直冬は、とうとう九州に帰って来た。そして、孤独だった翠の心にも永遠の春がやって来た。

 いつまでも抱き合う二人の影は、嵐の前に立つ大宰府に天神様がくれた運命のいたずらだったのかも知れない。

ページ上部へ