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長編歴史小説

黄花太平記 第四部

11.大宰府攻防

 「えっ、直冬さまが・・・」

 大宰府政庁の菊池早苗は、突然訪れた翠の口から、意外な知らせを聞いて驚いた。

 「直冬さまは、これまで一体どうしていたの」

 「それがね」

 話し始めた翠によると、こういうことである。足利直冬は、父の尊氏と争って京都を焼け野原にしてからというもの、自分の目的に自信を無くしていた。そして、父が死に、弟の義詮が正式に将軍位に就いたとき、彼の厭世観は最高潮に達した。そして、そんな直冬の姿に、それまで彼を支えて来た豪族たちは、悉く彼を見限ったのである。

 そんな苦境の縁にある直冬の心を救ったのは、その名を寂照という一人の旅の禅僧であった。彼に禅の心を教えられた直冬は、現世での栄光を捨て、仏の道を歩むことを決意し、九州の大地に降り立ったのであった。

 「そうなの。寂照兄さんが直冬さまを救ったのね」

 「ええ、夫が尊敬するその寂照さまが、元は菊池の惣領だったことを教えてあげたときのあの人の顔ったらなかったわ」翠は、袖に口を当てて笑いをこらえている。

 早苗は、武家の道を離れて人々の魂を救う兄(又二郎武士)を、このときほど誇らしく思ったことはなかった。やっぱり、戦ばかりが武家の道ではない。兄の行為はとても尊い。

 「ありがとう、早苗さん。菊池の人々には、本当に世話になりっぱなしだわ」翠の瞳は、深い感謝の気持ちで一杯だった。

 「ううん、いいのよ。そんなことよりも、これからどうするの」

「夫と一緒に、諸国を回ります。日本中を旅して、戦で死んだ人々の魂を慰めるわ」

「そう・・・寂しくなるね・・・でも、頑張って」

 「ええ、あの人と一緒なら大丈夫・・・。早苗さんの親切は、生涯忘れない」

 「うちも、翠さんのことは忘れない」

 二人の女は、互いの手を握って優しく微笑んだ。

 その翌日、少弐翠は避難民に混じって大宰府を後にした。その傍らに寄り添う逞しい影は、頭巾で顔を隠してはいたが、足利直冬の勇姿に違いはなかった。

 「翠さん、幸せにね・・・」早苗は、心の奥で友の安全を祈った。

             ※                 ※

 さて、北朝の応安五年、同時に南朝の文中元年(1372)八月初旬、再び明国の使節が博多に現れた。

 「なに、異国の使者が、日本国王に会いたいと申すか」佐野山の今川了俊は、味方占領下にある博多から急派された早馬の知らせを聞いて驚いた。「して、その日本国王とは、誰のことなのじゃ」

 「どうも、征西将軍宮(懐良)のことのようです・・・」早馬の使者は、困惑した表情で答えた。

 「なにを馬鹿なっ、日本の主権者は帝だぞ。二人おっても、帝は帝だ。懐良め、なんという冒涜を働きおるのか。増長して血迷ったかっ」

 怒った了俊は、慌てて手勢を連れて博多に向かった。

 やがて、承天寺にて明使を応対した了俊は、通訳を介して状況を聴取すると、現在の国家情勢を彼らに説明した。日本には二つの勢力があるが、懐良は、その弱い方の地方代官に過ぎないことも説明したのである。しかし、

 「そうですか、日本国王は今、大宰府にいるのですか。我が大明国の暦( 大統暦 ( だいとうれき ) )を渡したいのだが」明使は、平然と言う。

 「違う、懐良は国王などではないと、先程から言っているでしょう」了俊は、顔を赤くして怒鳴った。「国王は、京におわす帝なのですぞ」

 「いや」明使祖闡は言う。「洪武帝が認めた以上、懐良どのが日本国王なのです」

 了俊は、言葉を失った。このことを都に報告するべきだろうか。生まれながらの将軍にして自尊心の強い義満は、これを聞いてきっと怒り狂うだろう。

 「よし、こうなれば、早期に征西府を粉砕し、異国の要求どおりに倭寇を徹底的に弾圧しよう。そうすれば、洪武帝も目を醒ますに違いない。本当の国王が誰なのか、分かってくれるに違いない」

 今川了俊は、明使一行を丁重にもてなすように部下に言い付けると、新たな決意を胸にして佐野山の戦場へと戻って行った。

             ※                 ※

 さて、今川了俊が博多で目を白黒させているころ、肥前の今川仲秋は新たな軍事行動に入っていた。大宰府を南方から衝くべく、全力を挙げて西進し、筑後の 酒見城 ( さけみじょう ) (福岡県大川市)に拠ったのである。その兵力は五千。

 「良いか、我々は今、敵の内懐に入った。これからは一層、厳しい戦いが予想されるが、みんな、心を一つにあわせて頑張ってくれい」

 激励の言葉を叫ぶ仲秋は、決死の覚悟を固めていた。

 その数日後、菊池肥前守武安率いる征西府軍六千が、酒見城に攻め寄せた。武安は、これまで遊軍として筑後にあり、了俊主力の行動を遠方から牽制していたのだが、仲秋の動きを黙って見てはいられなかったのである。

 「何としても、仲秋を討ち取り、幕府の犬どもを筑後から追い出すのだっ」

 ここに、激しい攻防戦が展開されたが、城兵はよく健闘し、征西府軍を寄せ付けなかった。もっとも、例によって仲秋軍は城に籠もったきりで、菊池勢と野戦を交えようとはしなかったのだが。

 やがて、業を煮やした武安勢は、城を遠巻きにして兵糧攻めの構えに入った。

 「ふむ、菊池の奴ら、我らが決して打って出ないと思って、すっかり油断しておるな」矢倉の上から攻囲軍の弛緩した士気を感得した今川仲秋は、決意した。「一気に出撃し、敵将武安の本陣を衝くぞ」

 八月九日未明、今川勢四千は一斉に出撃し、菊池武安の中軍に奇襲攻撃を仕掛けた。この奇襲は大成功で、寝込みを襲われた菊池勢は、いつもの勇猛さを発揮する間もなく、算を乱して逃げ惑ったのである。

 「しまった、腰抜けだと思って油断したわっ」慌てて陣頭指揮を執る武安も、もはや乱軍を立て直すことはできなかった。辛うじて手勢を纏め、大宰府に向けて退却せざるを得なかったのである。

 「よしっ、追い討ちじゃ。武安を追って一気に大宰府に突入するぞ」馬上鎧姿の仲秋は、太刀を振り上げて勝鬨を上げさせると、ただちに全軍を集めて、敗兵の後を追った。あの菊池勢に一泡吹かせた喜びに、仲秋勢の士気はいやが応にも高まった。

 そして、これが転機となった。

 大宰府に完璧な布陣を敷いていた菊池武光軍三万は、逃げて来た武安勢を収容しようとして陣変えしたため、一瞬の守備の甘さを晒すこととなったのである。

 「今ぞ、総攻撃じゃっ」

 今川了俊は、佐野山の本陣にて叫んだ。時に八月十日、今川軍八万は、少弐冬資勢を先鋒に、一斉に大宰府目がけて突き進んだ。

 大宰府は、古代より防人の拠点に選ばれただけあって、北方からの敵に対しては地の利を発揮する。北西、すなわち博多から伸びる道は大宰府手前で隘路となり、水城と大野城によって阻まれる。また、北東は宝満山を始めとする険しい山々に遮られる。

 大宰府を目指す今川軍は、北東の山岳路を進路に選んだ。もちろん、菊池勢の野戦の切り札『鳥雲の陣』を封じ込めるためである。彼らが最初に遭遇した征西府方の拠点は、天拝山である。ここは、あの知将・城越前守武顕が守るところであった。

 「来おったな」見晴らしのよい本丸から敵の威容を伺い見た武顕は、不敵な笑みを浮かべた。「先頭は、少弐冬資か。四っ目結の旗を見るのも久しぶりじゃ。ゆるりと相手してくれようかい」

 城門を開いて突撃した武顕勢は、たちまち少弐勢を突き崩し、縦横無尽に暴れ回った。

 「何をしているのだっ、少弐はっ」今川了俊は、後陣で怒号した。「緒戦でつまずいてどうするか。なんとしても城越前を倒すのだっ」

 大内、毛利、吉川、 小早川 ( こばやかわ ) といった中国勢が慌てて加勢に駆けつけたが、そのころには、機を見るに敏な武顕は既に城に戻り、老いた体を休めていた。後には、少弐勢の無数の遺棄死体だけが残っていた。

 「おのれ」辛うじて後衛に逃れた少弐冬資は、歯軋りして悔しがった。

 もっと怒ったのは今川了俊である。ここで勝利を上げておかねば、先が思いやられる。

「損害を顧みるなっ、我攻めにせよ」

 降り注ぐ矢の雨の中を、今川勢はあたかも洪水のように天拝山に押し寄せる。何しろ大軍であるから、数刻にして城兵の矢玉は尽きた。期待していた大宰府からの救援も、主力そのものが南北から囲まれている戦況下では望みが薄い。

 「ここは、もはやこれまでだ。敵の包囲を破って有智山城に逃げるぞ」城武顕は、白髪頭を兜に包むと、軍勢を纏めて敵中突破を行った。包囲網を破られて慌てて追ってくる敵に対して、自ら殿軍を引き受けて部下を先行させたのである。その奮闘ぶりに、敵も味方も目を見張って感嘆せざる者はいなかった。

 しかし敵の弓兵に狙い撃たれ、乗馬を失い、身に無数の傷を負った武顕は、敵を振り切って逃れて来た山道で、もはや自身の体力の限界が来たことを知った。

 「お屋形、後は頼みます。武顕は、鬼になって一族を護持いたしますぞ」

 大宰府に向かってそう呟いた城武顕は、その腹に静かに短刀を突き入れた。武顕は、このとき五十五歳であった。

 「あの武顕が討ち死にか」大宰府の武光は、右腕を失った心の痛みに、悲痛な呻きを上げた。だが、今は悲しんでいる時ではない。

 「有智山の武安はどうじゃ」

 「大軍に囲まれ、苦戦中です。落城は時間の問題かと」若党の小三郎が答える。

 「彦四郎(武義)の様子はどうじゃ」

 「武義どのの軍勢も、南西方面の仲秋勢相手に苦戦中ですばいっ」

 「・・・・・大宰府はここまでか」武光は、天を仰いだ。

 先程入った情報によると、高崎山の今川義範軍も、大友氏継の抵抗を排し、ついに大宰府へ向けて動き出したという。愚図愚図していては、完全に包囲されてしまう情勢だ。

 「小三郎よ、急いで皆の家族を菊池に逃がすように手配せよ。あと二日のうちに、全軍退却できるようにな」そう言った武光の口調には、なぜか、重い荷物から解放されたような安心感が漲っていた。

 「今川了俊よ、大宰府はお前にくれてやる。ばってん、この武光は、まだ負けたわけではなかと。勝負は、まだまだこれからだ・・・」

 八月十一日、征西府軍は終日、宝満山を基点にして今川軍と激闘を展開したが、やはり今川軍が優勢で、 有智山城 ( うちやまじょう ) は敵手に落ちた。

 これが転機となった。

 八月十二日正午きっかり、それまで戦意強固に見えた征西府軍は、突然敵前で陣変えを行うと、一斉に南に向かって走りだしたのである。

 意外な敵の行動に、今川了俊は動揺した。「逃がすなっ、逃がしてはならぬっ」

 懐良親王、菊池武光、武政、武安、武義、少弐頼澄、饗庭道哲、五条良遠ら、征西府の諸将は、打ち合わせどおりに組織的に撤退した。殿軍を率いる武光は、千本槍の歩兵隊と馬廻衆を駆使して今川軍の追撃を何度となく撃退した。

 慎重な菊池武光は、既に数カ月前から最悪の場合を想定し、総退却の場合の陣立てや抗戦の拠点までを決めていたのである。征西府軍主力は、ほとんど無傷のままに筑後の 高良山 ( こうらさん ) に入った。筑後川の流れを天然の堀にして、今川軍と対峙する戦略なのである。

 「やられたわ・・・」

 今川了俊は、大宰府を埋め尽くした味方の万歳の中で臍を咬んでいた。

 「武光め、最後まで逃げる気配を殺し、もっとも戦が激しくなる段階で見事に裏をかきおったわ。征西府の主力が無傷のままでは、とても勝利とは言えぬぞ」

 「父上」嫡男の義範が寄り添った。「お気持ちは分かりますが、今日は特別の日です。十二年ぶりに、大宰府と博多が我が幕府の手に落ちた目でたい日なのです。父上の勲功は、比類なきものとなりましょう。どうか、武将たちにも優しい言葉をかけてあげてくだされ」

「うむ、そうであったな」了俊は、気を取り直して全軍の健闘を称える檄文を書いて回覧させた。また、京都の幕府に恩賞の手続きを要請した。

 「本通(少弐頼尚)どの、冥府でご覧あれ。了俊は、貴殿の作戦のお陰で、ようやっと大宰府の土を踏むことができましたぞ」九州探題は、戦塵さめやらぬ有智山城にて、天を仰いで感謝した。

 ここに、征西府の十二年の栄光は敢え無く潰えた。しかし、菊池勢の精鋭はまだまだ健在である。九州の大地は、新たな血潮に飢えていた。

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