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長編歴史小説

黄花太平記 第四部

12.秋風高良山

 今川了俊は、大宰府の民心を安定させると、直ちに南に軍を進めた。高良山に立て籠もる征西府に止めを刺すためである。しかし、その陣容は冴えなかった。

 その最も大きな理由は、今川軍の主力であった大内勢が、本国に帰還してしまったことにある。了俊は今回、渋る大内勢の協力を取り付ける上で、出征期間を大宰府攻略までと約束していたため、彼らの引き上げを止めることが出来なかったのである。

 「これは手ごわい・・・」

 筑後川北岸より高良山を臨んだ了俊は、思わず息を呑んだ。山腹に翻る征西府旗は、まだまだ闘志を失っていない。

 高良山は、標高312メートルに過ぎないが、筑後川を天然の堀とし、九州北部六ヶ国を扼する交通の要衝である。従って、ここを征西府軍が押さえているかぎり、今川了俊の大宰府制圧は完成したとは言い得ないのである。

 「長い戦になるな。気長にやるぞ」

 幕府の大軍は、筑後平野に展開した。堅固な陣地を築き、高良山を取り巻く。

 ここに、南北両軍は、筑後川を挟んで睨み合いに入った。

             ※                 ※

 「母様、こわい」

 小さな綾香と佳奈子は、早苗にすがりついた。

 「心配なかとよ、父上や伯父上たちが敵をやっつけてくれるわ」

 早苗は、子供達の黒髪を優しく撫で付ける。

 ここ、高良神社には、今や征西府の本営が置かれ、その殺伐とした空気は、仮住まいの女子供を大いに脅かせたのである。

 その本殿には征西府の要人が一堂に会し、連日の軍議に熱っぽく意見を戦わせていた。

 「南下してきた今川了俊は、かえって筑後平野で袋のネズミとなり申した」菊池武光は、自信に溢れる声で語った。「豊前、肥前、筑前の同志たちは、今や一斉に蜂起し、敵の背後を撹乱しております。また、豊後では味方の大友氏継が、弟の親世の軍勢を圧倒し、既に一国の主導権を握っております。やがては前面の今川主力は補給を断たれ、疲労困憊することでしょう。我らの総攻撃はその時です」

 征西府の諸将は、この主将の自信に大いに勇気づけられた。菊池武光の勇名は、今や征西府のみならず、全国の南朝方の象徴とも言える存在である。武光が闘志を燃やし続ける限り、彼らは決して誇りを失わない。

 事実、今川軍は窮地に立たされていた。四方八方に蜂起する征西府軍に対処するため、多くの兵力を分派せねばならず、そのため、筑後川正面の軍勢はその数を減らす一方で、とても高良山総攻撃など思いも寄らぬ状況であったのだ。

 「京から援軍を貰わなければならぬな・・・」 基肄郡 ( きいぐん ) 城山 ( しろやま ) の本陣で、了俊入道は吐息をついた。「大宰府さえ落とせば、どうにかなると思ったのじゃが、甘かった」

 「京の歌人たちも、殿の不在を寂しがっていることでしょう・・・」

 傍らに仕える命松丸は、了俊がこよなく歌や文章を愛する文化人であることを知っていたから、この不本意な任務に心を砕き続ける彼に、同情の念を禁じ得なかった。

 「まあ良い、命松よ、わしはこの戦の記録を書き留めて、戦記文学を執筆することに決めたぞ。派手な合戦場面を織り交ぜてな」

 そう言う了俊の鋭い視線は、常に四里(十六キロ)離れた高良山にはためく征西府旗に釘付けになっている。

 木枯らしが筑後平野の草木を黄色に染めるころ、高良山の懐良親王の苛立ちは、ますます激しさを加えていた。

 それももっともで、伊予の河野氏の元から高良山に派遣されて来た援兵が、わずかに良成親王とその衛兵二百のみだったのである。

 「無念です。通直めは、これを機会に征西府から独立するつもりに違いありません」

 良成親王は、唇を噛み締めながら語った。「わたしは、援軍という名目で、体よく四国から追い払われたのです・・・」

 「おのれ、通直め、あれほど目をかけてやった恩を忘れたのかっ。やはり、武士など信用できぬわっ」地団駄踏んで悔しがる懐良の見幕は、見るも痛々しかった。

 主将がこんな有り様では、征西府軍の戦意が今一つ盛り上がらないのも当然である。

 肥後の友軍も、今川了俊の謀略によって敵に回った島津、相良、少岱、合志らを前に身動きできない情勢にあったので、高良山に援軍を送る余裕など無かった。

 「これでは、敵に総攻撃を仕掛けるのはまだまだ無理だな」それでも、菊池武光は落ち着いていた。「いつか必ず、勝機は巡ってくる。そのときを逃さなければそれで良い。時間の流れは、必ずしも我々の敵ではなかと」

 しかし、この武光の判断は誤っていた。運命の女神は、征西府と菊池氏には振り向かなかったのである。

             ※                 ※

 十一月十六日の夜、菊池武光は、久しぶりに家族との団欒に心暖めていた。

 彼の傍らには妻の由里子が座り、銚子をもって微笑んでいる。少し離れて、嫡男武政の妻の亜由美と、その子の賀々丸が戯れている。

 「今夜はよう冷えるの。老いた身体には、なかなか堪えるわい」武光は、かすかに唇を歪めながら杯を干した。

 「だからって、あんまりお酒が過ぎるのも良くないわ。こんな日は、熱いお風呂に入って、すぐに布団に入るのが一番ですわ」由里子が言う。

 「だめだめ、おいの風呂嫌いは知っておるだろう。やっぱり、酒が一番よ」

 「もっと薪をくべましょうか」亜由美が、おずおずと切り出した。

 「それはならぬ」武光は、厳しい表情で言った。「露営している部下たちは、みな等しく寒さに耐え忍んでおるのだ。大将のおいだけが、そげん贅沢するわけにはいかぬ」

 「じゃあ、爺様、戦ごっこをしようよ。あったまるよ」十歳になった賀々丸が、抱きついて来た。

 「ほうか、ようし、どれだけ強くなったか試してやろうかい」酔顔をくちゃくちゃにした武光は、可愛い孫を抱きかかえると、障子を開けて次の間へと出て行った。

 「うちの人は、ほんに賀々丸どのが可愛いのねえ」由里子が口に手を当てて微笑んだちょうどその時である。

 どさっと何かが倒れる音がしたと思うや、賀々丸の悲鳴が轟いたのだ。

 「なにごとっ」慌てて部屋を飛び出した由里子と亜由美は、目の前に広がる光景にしばし呆然とした。

 菊池武光の巨体が床のうえに仰向けに横たわり、泣き叫ぶ賀々丸がその胸にすがりついている。武光の顔面は蒼白で、口のあたりは鼻血で真っ赤であった。

 「あなたっ」

 慌てて夫の胸に耳を当てた由里子は、その呼吸が絶えていることを知った。

 「誰かっ、誰か来てえ」亜由美の両目から、涙があふれでた。

 大広間にかつぎ込まれた武光の身体を診察した典医たちは、揃って首を横に振った。菊池武光の死因は、今で言うところの脳溢血であったのだろう。

 急を知って集まって来た懐良親王をはじめとする征西府の要人たちは皆、武光の遺体の周りで蒼白な表情を浮かべた。その有り様は、どちらが生者でどちらが死人なのか、はた目には分からないほどであった。

 「なぜだ」懐良親王は、最も信頼していた同志の遺体の前に膝まずいた。「なぜ、こんなときに逝ってしまうのだ、武光よ。別れの言葉すら無いなんて、あんまりではないか」

 「おお、父上、まさかこんな・・・」次郎武政は、溢れる涙を堪えきれない。

 「あ、兄上い・・・」「叔父上、どげんしたとですか・・・」武義や武安も、絶句し、そのいかつい拳を震わせている。

 大広間は、武将たちや女子供の嗚咽で埋め尽くされた。人々の顔は、希望の星を失った衝撃を前に虚ろであった。

 ここに、南朝最後の巨星が落ちた。菊池武光は、その五十二年の激動の生涯を、高良山の寒風の中に閉じたのである。

 思えば、菊池武光は時代の風雲児であった。彼が菊池の惣領となってから、圧倒的な逆境を跳ね返して九州を平定するまでの活躍は、ほとんど超人的ですらあった。その性格は勇猛果敢にして慎重、剛毅にして繊細、戦場での鬼神にして天幕での鬼才であった。そんな彼にして、ついに衰運を免れ得なかったのは、ひとえに時代の趨勢に押し潰されたとしか言いようがない。

 武光の遺体は、敵に気づかれないように隠密のうちに火葬にふされ、遺骨は肥後菊池に運ばれ、隈府の 熊耳山 ( ゆうじさん ) 正観寺 ( しょうかんじ ) に埋葬されることとなった。その法名は「 聖厳 ( しょうごん ) 」である。

 「十郎兄さん、長い間お疲れ様でした」

 早苗は、郎党に守られながら高良山を降りて行く武光の骨壷に向かい、静かに両手を合わせた。彼女にとって、この南朝最後の英雄も、自分の父親代わりであった優しい兄以上の何者でもなかった。瞳を閉じれば、瞼の裏に、この兄との楽しい思い出が走馬灯のように映し出され、彼女は死という運命の残酷さを強く思い知るのであった。

 しかし、ここは戦時下である。いつまでも感傷に浸ってはいられない。

 武光の跡を受けて菊池の家督を継ぐのは、故人の嫡男の武政と決まった。この決定は、寄合衆を介することなく、征西府要人の軍議によって即決されたのであるが、これも戦時下という特殊事情を考慮すればやむを得ないことであったろう。

 だが、武政の悩みは深刻であった。

 「おいには、父上ほどの人望はない。とても、父に代わって一族を支えることなど出来るわけがない」

 そう考えた武政は、父の死を徹底的に秘匿し、全軍の士気の低下を防ぐ措置に出た。そのためには、要人たちの意気消沈を部下に悟られてはならない。そこで武政は、懐良親王と相談の上で、積極攻勢に打って出る決意をした。旺盛な戦意を敵味方に示すことで、父の死を隠蔽しようとしたのである。

 「お屋形は、重病に罹って静養されておられる。その間、全軍の指揮は、このおいが執る。者共、おいに続けっ」武政は、武将たちを集めて熱弁を奮った。

 年が明けた文中二年(1373)初めから、高良山の征西府軍は一斉に攻勢に移った。武政とその従兄弟の武安を中心とする菊池勢は、肥前の友軍と協力しつつ、筑後川を渡って本折、 田手寺 ( たてでら ) 、 所隈 ( ところくま ) といった今川方の砦に襲い掛かったのである。その戦法は、一撃離脱。すなわち、奇襲を仕掛けて敵に十分な打撃を与えた後は、深入りせずに高良山に引き返し、自軍の損害を最小限に抑えるというものであった。

 征西府軍のこの攻勢によって全面的に押され気味となった今川軍は、今や城山の本陣を中心に輪形陣を敷き、厳重な防衛態勢に入った。

 「何かあったな」今川了俊は、突然の敵の積極策に不審を感じた。「これは、これまでの征西府軍のような、考え抜かれた戦い方では決してない。彼らの中に、何かに追い詰められたような、焦りの色が強く感じられるのだ・・よし、間者(密偵)を多数高良山に送り込み、敵の内情をさぐらせて見よう」

 この時代、 傀儡 ( くぐつ ) と呼ばれる一団の人々がいた。彼らは、欧州におけるジプシーのように、芸能(舞など)を売り物にしながら全国を渡り歩く人達である。彼らは、時の権力者と闇の世界で結び付き、その特殊能力を利用して諜報活動を果たすことがあった。そして、了俊も彼らを金で雇い、その力を大いに役立てたのである。

 やがて了俊の密偵たちは、高良山中の情報を細大漏らさず集めて来た。

 「敵将・菊池武政は、今年に入ってから既に四回も肥後に使者を送り、阿蘇惟武の援軍を求めています。相当、精神的に追い詰められているものと考えられます」

 「総大将の菊池武光は、重病に罹って静養中とのことですが、ここ数カ月、その姿を見かけたものはいないそうです」

 「征西将軍宮(懐良)は、寺の本堂に入り浸りで、一日中読経しているとの噂です」

 密偵たちの報告を自ら聴取した了俊は、本陣の置かれた古寺の居室から、窓外の景色に見入っていた。外は雨である。彼方に、薄く煙る高良山が見える。

 「九州の夏は、よく雨に降られるのう」了俊は、部屋に入って来た弟の仲秋に、背中を向けたままの姿勢で言った。「そのうち、台風が吹きすさぶことだろうの。嫌な季節になって来た」

 「それでも、今年の雨量は少ないとの予測がありますぞ」仲秋は、厳しい顔を崩さずに答えた。「それよりも兄上、たった今入った報告です。後方で宇都宮、及び松浦党が分裂し、南北に分かれて抗争を始めました。わたしの掌握不足のせいです。申し訳ありません」

 神妙に頭を下げる弟に、了俊は笑顔を向けた。

 「気にすることはない。松浦がどう動こうが、我が軍の勝利は、もはや間違いない」

 「どういうことです」怪訝そうな顔の仲秋。

 「どうやら、菊池武光が死んだようなのじゃ」

 「ええっ」了俊の弟は仰天した。「それは真のことでござるかっ」

 「確証はない。じゃが、わしにはそうとしか思えぬのよ。全ての状況が、武光の死を指し示している」

 「それならば」仲秋の顔は輝いた。「この袋小路から抜け出す道が、ようやく見えて来ましたな」

 「うむ」今川了俊は頷いた。「後は、菊池武政を倒すのみ。仲秋よ、ご苦労だが、武政の過去の戦歴を調べてみてはくれぬか。奴を戦場で屠る算段が浮かぶやもしれぬ」

 「わかりました。さっそく取り掛かります」

 足早に去って行く弟の後ろ姿を見つめる了俊の目は、必勝の信念に燃えていた。京で首尾を待つ将軍義満や細川頼之のためにも、早期にこの戦いを決着しなければならない。

            ※                 ※

 秘密をいつまでも守り続けるのは難しい。ましてや、その秘密に一国の興亡が係る場合はなおさらである。文中二年(1373)の秋が深まるころには、菊池武光死去の風説は、九州全土はおろか日本中に広まっており、それが確報に変わるのにさほどの時間を要しなかった。全国で粘り強く戦い続ける南朝方にとって、これは何と悲しい知らせであったことか。その一方で、幕府方の要人たちは、歓声をあげて九州探題の奮闘を讃えた。

 しかし、将軍・足利義満の心は秋空のように落ち着かなかった。その理由は、室町幕府の外交問題にあった。

 文中二年末、九州探題今川了俊の手引きによって上洛してきた明国の使節団が、あくまでも日本国王が懐良親王であることに拘り、北朝の朝廷と国交を結ぶことを拒否したためである。

 「なんとしても、懐良めを倒すのだっ」十六歳になった義満は、遥か筑後平野の今川了俊を書面で叱咤した。南朝勢力を完全に消滅させないかぎり、室町幕府は大陸の帝国によって正統の政権とは認められず、大陸の富を入手できないのだ。

 「送られて来たのは、将軍の手紙だけか。援軍は来ないのか」九州の了俊は、少なからず失望した。相変わらず戦況は好転の兆しを見せないからである。征西府軍は、不屈の闘志で神出鬼没の遊撃戦を挑んでくるのだ。

 年が改まって文中三年(1374)となっても、筑後川を挟んだ両軍の睨み合いは果てしなく続いた。

 「菊池武政め、親の七光りだけかと思ったら、なかなかやりおるわい。菊池の軍勢も、実に良く訓練されておる」了俊は吐息をついた。「こうなったら、忍びを使って武政を罠に落とす外はない・・・・・」

                ※                 ※

 しかし、高良山の菊池武政は、このころ疲労の極致に達していた。無理もない。偉大すぎる父の遺影に悩まされながら、覇気を無くした懐良親王を盛り立てて、一癖も二癖もある親族や外様武将たちを統率し、強敵今川了俊と戦わねばならなかったのだから。

 「おいは、もう疲れた」武政は、自嘲気味に言った。

 愚痴の聞き手は、いつも彼の叔母に当たる早苗である。

 「辛抱しんさい。うちらが苦しい時は、敵もまた苦しい、と思いなされ」

 女ながら、いつも豪気な早苗の励ましは、孤高の武政に救いを与える。

「今川入道の首を討つのが、戦を終わらす早道です。そのための方策は建たないものかと、敵陣に忍びを放っておるのです。運が良ければ前線視察中の了俊入道を不意打ちする好機を掴めるやも知れませぬ」

 落ち窪んだ目を輝かせて語る武政の様子に、早苗は不吉なものを感じた。

 「あまり、うまい話には飛びつかない方がよかとよ・・・」

「なんの、長戦に疲れ切った民百姓のためにも、早めに蹴りをつける必要がありましょう。そして、征西府の栄光を再び取り戻すためにも、これ以上の消耗は許されませぬ」

 それから数日後、待望の知らせが、密偵の口から武政にもたらされた。

 「お屋形さま、敵将今川入道は、五月上旬一杯、 福童原 ( ふくどうばる ) の前線に、わずかの手勢で巡視に参るとのこと」と、百姓姿の密偵が報告すると、

 「よしっ、この知らせを待っていた」武政は、唇を綻ばせた。「よしっ、おい自ら出陣する。なんとしてでも了俊めの首をあげるのだっ」

 勇猛な性格の武政は、常に自ら陣頭に立って戦いに臨む。今回もそうだった。

 五月六日の夜、武政率いる菊池勢一千は、一気呵成に福童原の敵陣に突入した。完全な奇襲のはずだった。しかし、木柵を打ち破り、陣内に展開した菊池勢を待っていたのは、手ぐすねひいた敵の弓隊だったのである。

 「しまった、罠に落ちたぞっ」慌てた馬上の武政は、弓隊の恰好の標的となった。

 今川了俊の策略は成功した。偽の情報を自陣営に流布し、自ら陣頭に立つに違いない敵将武政を釣りだし、これを討ち取るという作戦は、見事に功を奏したのである。

 数刻後、敵の伏兵の前に惨敗を喫した菊池勢は、満身創痍の武政を守りながら高良山の山道を登っていた。それでも、彼らが全滅を免れ得たのは、急を知って駆けつけた菊池武安や、武義、良成親王らの軍勢が奮闘し、敵陣からの撤退を援護してくれたからである。

 「ちくしょう、無念だ」菊池武政は、高良神社の居室で典医の治療を受けながら、矢傷だらけの全身を震わせた。「敵の罠が見抜けず、多くの忠勇な郎党を討ち死にさせたのは、全てこのおいの失策じゃ」

 そういう武政自身の傷も、軽くは無かった。補強して幾重にも重ねた鎧を纏っていたものの、その隙間に刺さった矢は、確実に武政の命を削っていたのだ。

 自らの死期を予感した武政は、五月二十二日、父の菩提を弔うため、正観寺に自領の千田荘永富村の田地四町を寄進した。また、病床に一族の主立った者を集めて後事を託した。

 「おいの跡継ぎは、嫡子の賀々丸とする。みんな、これまで同様に力を合わせて、一族を盛り立てて行ってくれ・・・」

 「ご安心くだされ」

 「賀々丸どのは、必ず我らでお守りいたします」

 武安、武義、武直、武世、武信といった一族の宿老たちは、瀕死の惣領の前で、永遠の団結を誓い合った。

 五月二十六日、菊池武政は、その三十三年の生涯の幕を閉じた。

 遺骸の前ですすり泣く小さな影は、故人の嫡男、賀々丸のものである。そして、菊池一族の運命は、今やこの十二歳の少年の双肩にかかったのであった。嫡子相続によって、跡目争いの混乱を避けるために仕方ない措置だったとしても、この元服前の少年にかかる重圧は、あまりにも大きい。

 そして、菊池武光に続いて武政までも相次いで失った征西府と菊池一族は、ここに深刻な危機を迎えたのである。

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