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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

15.京都奪還

 官軍の総攻撃が開始されたのは、一月二十七日であった。

 新田、北畠、菊池、千種勢は賀茂川から正面攻撃を仕掛け、楠木、名和、結城宗広勢は、一乗寺下り松からただす の森を抜けて鞍馬口を攻めた。

 迎え撃つ足利勢は、足利兄弟自ら賀茂川に出陣し、上杉重うえすぎしげ よし 、畠山国清、斯波高経らの精鋭を鞍馬口に派遣した。

 しかし、満を持していた官軍は強く、空腹の足利勢は各所で押された。

  この日の戦いでは、楠木正成の活躍が特に目覚ましかった。彼は、坂東の騎馬隊に対抗するための新兵器を編み出したのである。新兵器と言っても、歩兵の楯を改良し、その両脇に止め具を備え付けた物に過ぎない。だがこれは、楯を左右につなぎ止めて簡単な城壁を造り、敵の騎兵の突撃を無効にする上で大きな効果を発揮したのだ。

 「なんじゃ、平原にいきなり城が現れたぞっ」

 「いや、城では無いぞ。城が前進するわけなかろうが」

  「なあんだ。楯を横につないだだけじゃないか」

 「そうと分かっても、とても打ち破れんぞ。うわっ、楯の後ろから矢を射って来やがったぞっ。おのれ楠木めっ」

 上杉、畠山、斯波勢二万は、わずか数千の楠木勢に追いまくられ、五条河原にまで潰走していった。この戦局を見て、正成に側面を突かれることを恐れた足利兄弟は、あわてて軍を転進させようとしたが、そこに隙が生まれたのである。

  「さすがは河内どの、敵は浮足立ったぞ。今だ、追い討てっ」

 新田義貞と北畠顕家の号令一下、官軍の主力は総掛かりに入った。殴る、蹴る、押し倒す、組む、ほぐれる、首を掻く。

  日が沈むまでには、足利勢の壊滅的敗北は明らかであった。尊氏の伯父・上杉憲房のりふさ を始め、三浦貞連さだつら 、二階堂行全ゆきのり ら、名だたる将が次々に討ち死にしたのである。

  足利勢は終に京都を放棄し、桂川を渡って寺戸にまで落ち延びてしまった。

  「直義っ、直義っ、なんとするかっ。我が軍は敵の倍はあるのに、この惨めな負け方はどういうことかっ」頭を掻き毟り、絶叫する尊氏。

  「落ち着きなさい、将軍。見苦しいですぞ」冷静にあしらう直義も、さすがに蒼白な顔をしている。

  「やはり、天朝さまに刃向かった報いが来たのだ。これが逆臣の末路というものだっ。あああ、こんなことなら、いっそ鎌倉で出家するべきだったわい」尚も泣き叫ぶ尊氏。坊っちゃん育ちの彼は、逆境に弱いのである。

  しかし、意外なことが起こった。あれほど京都に翻っていた官軍の旗は、夕刻になると全く姿を消してしまったのである。都は空白となった。

 「こりゃあ、どうしたってんだ」

 都に帰って来た足利勢は、狐につままれたような顔で互いの頬をつねり合った。 だがこれは、全て楠木正成の作戦であった。彼は、京都占領直後に新田義貞を訪れて、奇想天外な策略を提言したのである。

 「新田どの、都は攻め易く守りにくい土地です。足利勢は、敗れたりとはいえ、未だに圧倒的な大軍。態勢を立て直して攻めかかられたら、我らはとても持ちこたえられませんぞ」

 「ふむ、それで河内どのは、どうせよと言われるのか」首をかしげる義貞。

 「ひとまず、京を敵に明け渡すのです。それからは、わいに策がありますのや。これがうまくいったら、足利兄弟の首は貰ったも同然です」

 こうして官軍四万は、ただちに比叡山にまで引き上げてしまったのである。

  そうとは知らない尊氏は、密偵を放って情勢を検討しようとした。 やがて戻って来た密偵は、驚くべき情報を尊氏にもたらした。

 「市井の情報によると、今日の戦は我が軍の勝利です。なにしろ宮方は、新田義貞と楠木正成が揃って討ち死にしたそうですから」

  「なんだと、馬鹿を言うな」尊氏は叫んだ。「わずか一日の戦で、官軍の首将が二人も討ち死にするわけがあるまい。なにかの間違いであろう」

 「それが、宮方の回しものと思われる輩が、最前から河原の屍の間を頻りにうろついて泣いておるのです。どうやら、大将の死体を探しているらしいのですが」

 「まさか、わしは信じぬぞ。信じぬぞ」そう言って打ち消す尊氏は、内心では信じたくて仕方ないのだった。

 考えてみれば、数で優勢な味方だけが一方的に敗北するのはおかしい。自分が苦しいときは、敵もまた苦しいはずだ。味方の大将があれだけ討ち死にしたのだから、敵はもっと討ち死にしていてもおかしくない。いや、それが自然だ。

  尊氏は、密かに部下に命じて敵将の首を探させることにした。この噂はたちまち広がり、恩賞欲しさに多くの将兵が屍の間をうろつく景色が望見された。

 それから数日、官軍の攻撃はなりを潜め、尊氏の門前には生首が次々に持ち込まれた。

 「新田義貞の首だそうです。・・・これで八個めです」

  郎党の報告を聞いて、尊氏は思わず吹き出した。 「なんじゃそりゃあ、新田小太郎は八叉の大蛇かよ」

  こうして、三条河原に義貞と正成の首がかけられたが、その首が本物かどうか確認した者はいなかった。なにしろ、山のように持ち込まれた首の中から、それらしい物を見繕って飾ったのに過ぎないのだから。

 京童は、例によって狂歌を貼り出して当局をからかった。

 これは似た(新田)首なり まさしげ(正成)なる空言かな

 これらの騒動が、全て官軍の作戦の結果であることは言うまでもない。楠木正成がその得意とする情報戦略で、市井に偽の情報をばらまいて敵を油断させたのだ。 足利兄弟は、さすがにこの情報を全面的に信用したわけは無かったが、配下の将兵はすっかり戦勝気分に浸ってしまった。

  「がははは、新田と楠木が死んだぜ。官軍ももう終わりずら」

 「帝も、早く降参して来ないかの」

 しかし一月三十日、浮かれ気分の彼らは、たちまち馬蹄の下で心臓が凍る思いを味わう羽目になったのである。

 ここ数日間で入念に尊氏本陣の位置を調べていた官軍は、密かに比叡山を出撃し、全力でここに夜襲を仕掛けたのであった。

  密かに洛中に潜入していた間者の放った炎を合図に、疾風のごとく攻め込んで来た官軍の前に、足利勢はなす術がなかった。尊氏屋敷付近の辻々は猛火に包まれ、死体は山となり、血は川となって流れた。

  「しまった。してやられたわっ」

 寝間着姿で跳び起きた足利兄弟は、ほとんど身一つで馬上駆け出していた。それも、死んだはずの新田義貞と楠木正成に追われながら。

  「兄上っ、どうする」 「南へ抜けて、細川や赤松に合流して挽回を図ろう」 「よっしゃ」

 混乱の中で、騎首を南に向けた彼らは、行く手の小路から飛び出して来た軍勢に驚愕した。

 「菊池の肥後守、逆賊に見参っ」

  立ち塞がった軍勢は、菊池勢だったのだ。武重自ら陣頭に立ち、こちらに向かって容赦なく寄せてくる。

  「くそっ、またもや肥後守かよ」絶叫する直義。

 「いかん、今、菊池勢に立ち向かっても勝ち目は薄い。引き返すぞっ、直義っ」尊氏は手綱を引き絞った。 これを見た菊池武重は、喜びに我が目を疑った。

  「見よっ、あの笠印は足利尊氏っ。奴の首をとれば戦は終わるっ。逃がすな者共っ」

  だが、尊氏の郎党たちが菊池勢に立ち向かい、命を捨てても主人を逃がそうとした。狭い市街でしかも暗夜のこと、たちまち足利兄弟の姿は見えなくなった。

 しかし、この日の戦果は十分であった。本陣を失った足利方の大軍は四分五裂となり、クモの子を散らすように京を捨てて逃げ去った。豪族たちの中には本国へ逃げ帰った者もいたが、その多くは、やがて官軍に降参したのであった。

  足利の六万の大軍は文字どおり雲散霧消し、京は晴れて官軍に奪還された。

  「ついにやったな、兄上」

 「ああ、これも皆で力を合わせたからだ。これで大叔父上を始め、死んで行った者たちも浮かばれる」

 菊池の兄弟たちは、互いの肩を抱き合って喜びをたたえあった。

 焼け野原となった都を、官軍の凱歌がいつまでも木霊していた。

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