歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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長編歴史小説

千年帝国の魔王

第三章 新時代の息吹

 

 「久しぶりだね、トインビー」

 「ああ、ハーバード大の卒業以来だな。少し太ったかい、エルンスト」

 「ははは、仕事とはいえ、ベルリンからミュンヘンまでご苦労さま。意外と長旅だったろう」

 「ああ、もうくたくただ。デモ行進にストライキ。おかげで汽車のダイヤは、狂いっぱなしだよ」

 「ふん、デモやストライキは、元を正せば、悪名高きベルサイユ条約のせいなんだぜ、トインビー。他人事みたいな言い方はよせよ」

 「だからって俺をにらむな、エルンスト。あの条約は、俺の祖国アメリカは関係ない。あれはヒステリーの英仏のしわざだ」

 「ふん、ひどい条約だ。弱い者いじめだ」

 「そうじゃない。ドイツの強さを、みんな怖がっているんだよ。あの条約は、恐怖の裏返しなのさ」

 「そんなもんかねえ」

 「ところで、エルンスト」

 「なんだい、改まってさ」

 「君は、アドルフ・ヒトラー氏について詳しいかい」

 「ヒトラー。名前だけは良く聞くな。最近売り出し中の右派の若手政治家だね。確か、国家社会主義者とかなんとか。だいたい、国家社会主義って、いったい何だい。国家主義なら右翼だが、社会主義なら左翼だろう。右でも左でもないってことか」

 「ドイツ民族に限定された社会主義とでもいうのか・・要するに左右両方から支持を得るつもりなのさ。あの運動の本質は、おそらく復古帝国主義だ。ドイツ帝国の過去の栄光を取り戻そうというのだ。実は俺な、今日そのヒトラー氏に会ってきたんだ」

 「おやおや、アメリカ大使館きっての切れ者、トインビー・スミス大尉のミュンヘン出張の目的が、あの三流政治家に会うことだったわけじゃあるまいな」

 「実はそうなんだ。大使が、ずいぶんとあの男の動向を気にしてね」

 「へえ、そいつは意外だな」

 「エルンスト、彼は侮れないぞ。右翼の大御所ルーテンドルフ将軍や、社交界の花形ショイプナー・リヒター氏も、彼には一目置いている。国防軍のレーム大尉や、リヒトホーフェン航空隊の英雄ゲーリング大尉ですら、今や彼の信奉者だ」

 「へえ、大したもんだな。それで、スミス、君自身の見立てはどうなんだ」

 「うむ、ヒトラー氏は、どんな形であれ、大きな役割を果たす男だと思う。彼は、自分の人生の目的を、しっかりと把握しており、その実現のためには、手段を選ばない人物だからね」

 

 

 ミュンヘンの名門美術商のエルンスト・ハンフシュテングル氏は、大学時代の親友、アメリカ大使館付きのスミス大尉の話を聞いて、大いに興味をそそられた。

 「噂のヒトラー氏に会いたいな」

 「講演会のチケットが余っている」スミスは、スーツケースを開いた。「俺は明日、ベルリンに戻らなきゃならない。後は、君に任せるよ」

 1922年の冬は、いつにも増して肌寒かった。厚手のコートを身にまとったハンフシュテングル氏は、ビアホール『キントルケラー』に出かけた。そこで、件の人物の演説が聞けるはずだったからだ。

 この当時、政治演説は、ビアホールで酔客を相手に行われることが多かった。聴衆の多くは肉体労働者か学生である。そのため、講演会を成功させるためには、こうした無教育者や酔っぱらいを納得させる手管が必要とされる。

 「さて、お手並み拝見といきたいところだが」大柄で恰幅の良い紳士ハンフシュテングルは、記者席に潜り込み、演壇を見やった。「知らない顔ばかりだな。どれがヒトラー氏だい」

 隣に座った男が、黙って演壇の真ん中を指さした。演壇に立つ三人のうち、中央にいるのが目的の人物ということらしい。

 アドルフ・ヒトラーは、痩せた小柄な人物で、黒い背広を窮屈そうに纏っていた。髪を七三に丁寧に分け、不格好なちょび髭を生やしている。そして、神経質そうに目をしばたいていた。

 「なんか、貧相だな。レストランのウエイターか喜劇俳優といったところだな」美術商は、少なからずがっかりした。

 やがて、前口上も終わり、ヒトラーが独演する番になった。演壇に一人立ち、群衆に向かい胸を張るヒトラーの動作は、しかし第一印象に反して堂々たるものだった。さすがは元兵士だ。また、それに応えて沸き起こった群衆たちの歓声と拍手も、実に大したものだった。十メートルと離れていない記者席の中で、ハンフシュテングルは、思わずその身を乗り出した。

 おお、ヒトラーの、あの青い目の輝きときたらどうだ。吸い込まれそうだぞ・・

 小柄な弁士は、静かに周りを見渡すと、両手を腰の前に組んで、やがて静かに語り始めた。

 「過去数年の苦難を思い出しましょう。私たちの味わった苦しみ、そして祖国が味わった苦しみを・・・従軍兵士だった私は、敵の毒ガス攻撃を受け、一時的に失明した状態で病院のベッドに横たわり、そこで敗戦の知らせを受けたのです・・この時の怒りと悲しみは、いかばかりだったか・・・

 ご存じのように、我らが祖国は、まだ戦える余力を残したまま、あの卑劣な連合国どもの軍門に降ったのです。そして、あの忌まわしきベルサイユ条約。祖国は、固有の領土を多く奪い取られ、なおかつ、膨大な戦時賠償金の支払いに応じなければならなくなりました・・・」

 ヒトラーは、感情を抑え、潤む目で群衆を見つめながら、たんたんと語った。論理的で、しかも平易な言葉使いは、しだいにほろ酔いかげんの群衆の心を捕らえていく。

 やがて、聴衆の心が十分に自分に惹きつけられたことを感得すると、ヒトラーの動きに強弱が現れ始め、さらにしばらくすると、手振り身振りが目立って激しくなった。

 「これが許されるか。おめえたち、これが許されるか。地主や貴族どもは、俺たちが命がけで戦っているときに、後方で小金を貯め込んでいい思いしてやがったくせに、ちょっと情勢が苦しくなると、皇帝を敵に売り渡して降参と洒落こみやがったんだ。なんという恥知らずどもか」

酔客からヤジが飛んだ。

 「でもよお、俺は、戦いに行かなかったぞお」

 「ああ、そうけ」ヒトラーは、バイエルンなまりで軽く受け答えると、演壇上のジョッキを掴んでぐいっと呷って見せた。「おめえは、地主や資本家でないくせに、戦わなかったのかい。オーストリア人の俺だって西部戦線で戦うご時世なのによ。あんた、もしかしてエスキモーかい。まさかとは思うが、アカやユダヤじゃあないよな」

 群衆は思わず、笑いをもらした。その時である。ヒトラーは、髪を振り乱し、拳を振り上げた。

 「あの恥知らずなアカどもは、敗戦のどさくさに武装蜂起し、俺たちをロシアに売り渡そうとしたんだぞ。俺たちが、失意のどん底から這い上がろうとしてるっていうそのときによ。人でなしども、地獄の業火に焼かれるがいい」

 振り回す彼の額からは汗が飛び散り、その輝く瞳は、何者かに憑かれたようになった。さっきまでの、余裕に満ちた態度は、どこかに消え去っていた。

 「カール・マルクス、カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク、そしてミュンヘンを血の海に変えたクルト・アイスナー。みんなアカでユダヤだ。そして、どいつもこいつも祖国の裏切り者だ。おめえら気づかねえか。アカの正体に。気づかねえか、フリーメーソンとシンティ・ロマ(ジプシー)の背後にいる影によ」

 ハンフシュテングルは、両腕を振り上げ汗をまき散らすヒトラーの姿を見て思った。この演説のスタイルは、オペラだ。そしてヒトラーは、指揮者の技巧を用いて、このオペラを演じているのだ。それも、観客と心を一体にしたオペラを。

 「ユダヤだ」ヒトラーは絶叫した。「ユダヤの秘密結社が、世界を支配しようとしているのだ。祖国の敗戦は、ユダヤ人の、背後からの一突きのせいだ。そして今、ロシアを支配するレーニンやトロツキーは、ユダヤの一味だ。奴らの魔手は、はっきりとこの国を指している。ベルリンを牛耳る貴族どもも、その片棒なのだ。奴らに任せておくわけに行かない。ドイツを偉大な国家として再起させるためには、俺たちが立ち上がらなければならないのだ。おめえら、分からないか。俺たちは、戦わなければならない。祖国をユダとアカの手に渡してはならない。戦うのだ。さもなくば死あるのみだ」

 嵐のように荒れ狂う言葉のリズムは、聞く者全てを酔わす美酒のような味わいだった。

 そして、その嵐は、唐突に止んだ。弁士は、全身汗まみれのまま演壇の中央に立ちつくしていた。

 「ブラヴォー」

 ハンフシュテングルは、群衆の大喝采の中で、思わずその大柄な体を席から飛び上がらせ、絶叫していた。混迷のドイツに光明をもたらすのは、大衆と密着したこのような政治家に違いない。

 演壇のヒトラーは、そんな彼に気づいたのか、にっこり笑って会釈してくれた。

 

 

 野戦病院の床から立ち直ったアドルフ・ヒトラーは、第一次世界大戦の終結後しばらくは、軍の命令で、ミュンヘン市内の過激派政党に潜り込み、その実状を内偵するという任務についていた。

 帝政崩壊後のドイツは、社会主義的なワイマール共和国に生まれ変わった。しかし、その政情不安定に付け込んで治安を乱す過激な政治団体(特に共産党)が猖獗を極め、革命騒ぎによる流血が相次いだため、軍による監視が必要だったのである。

 ヒトラーが潜り込んだのは、『ドイツ労働者党』という団体だった。その日の運営費にも困るほどの小さな政党だったが、ヒトラーは、なぜか惹かれるものを感じて入党することにした。そして、ヒトラーが入党し、派閥抗争を乗り越えて党の主導権を握ってからの発展ぶりはものすごく、最初は百人、続いて二千人の聴衆を集める講演会を見事に成功させたのである。

 ヒトラーの成功の理由として、次のものが挙げられる。

(1)大衆に密着した講演活動の実施。

 従来の政治演説は、少人数を前にインテリが難解な言葉でしゃべるのが普通だった。ヒトラーは、話術に娯楽性をくわえて、これを大衆の物にした。

(2)無節操で積極果敢な寄付金集めの実施。

 ヒトラーは、大衆政党の党首にしては社交界に頻繁に出入りし、名士から援助を集めた。彼はなぜか貴婦人にもてたので、これはかなり成功した。

(3)軍隊時代の仲間を集め、武装団体(SA)を結成し、ライバル政党の講演の妨害や、自分の演説の護衛をさせたこと。

 戦後ドイツでは、政党同士の乱闘騒ぎが日常茶飯事であったので(特に共産党が過激だった)、生き延びるためには、固有の武装が必要だった。ヒトラーは、レーム大尉らの軍務経験者にこれを任せたのである。

(4)党の名称を、『国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP,ナチス)』と改めたこと。

 これは、イデオロギーの枠を越えて、右翼、左翼、一般労働者に広くアピールする上で有効だった。

(5) 党の記章として鉤十字(ハーケンクロイツ)を設定し、また、党員の制服を褐色に統一するなどして、党員たちの士気を高め、同時に大衆に存在をアピールしたこと。

 こうして、野心を持たないサークルに過ぎなかった小さな政党は、いつしかミュンヘンを代表する大衆政党へと変身していた。

 なお、ナチス党の政策綱領は、全部で二十五箇条あった。そのうち、主な物は次のとおりである。

①    民族自決の原則に乗っ取った、ドイツ民族による統一国家の建設。

②    他国民に対するドイツ人の平等権の確保、その障害となるベルサイユ体制の打破。

③    国際的ユダヤ人と共産主義者の排撃。すなわち、ドイツ国内からの完全追放。

④    過剰な人口を受け入れるための東方植民地の確保。

⑤    不労所得の撤廃。

⑥    国民軍の創設。

⑦    福祉の大幅改善。

 これらの個々の内容は、実はそれほど珍しいものではない。当時ミュンヘンを跋扈していた25もの大衆政党は、程度の差はあれ皆、このような綱領を提唱していたからである。ただ、ナチスの綱領は、金科玉条というか、八方美人というか、達成困難なものばかりゴタゴタに並べている。これを見て、ヒトラーを誇大妄想狂、ないし八方美人の機会主義者と見る知識人が多かった。

 しかし、ヒトラーは大まじめだった。彼には、これらの綱領を命がけで達成する決意があり、そして、事実、超人的な努力によって達成目前にまで迫ることは、その後の歴史が証明している。

 

  さて、魂を揺さぶられるような演説に、感動し興奮したハンフシュテングル氏は、その日のうちにナチスに入党し、やがてヒトラーの側近になった。

 外国通の彼は、ナチスにとって必要な人材であった。当時のヒトラーの側近は、軍人あがりのレームとゲーリングや、錠前屋のドレクスラー、写真屋のホフマン、亡命ロシア系のリヒターやローゼンベルク、薬屋のシュトラッサー兄弟といった具合で、外国とのパイプが乏しかったためである。

 「総統は、どこで演説のやり方を覚えたのですか」ハンフシュテングルは、好奇心に溢れるまなざしを向けた。

「試行錯誤だよ」ヒトラーは、ちょび髭を撫でながら答えた。「経験からいろいろ学ぶけど、フロイト博士の著作も大いに参考になる。彼は大衆心理を良く分析しているからね」

「しかし、フロイト博士はユダヤ人ですぞ」

 「敵からも、学べることは学ぶが良いのさ。SAの軍隊式行進や敬礼の方法は、共産党の真似だしね・・イタリアの統帥ムソリーニ氏も、私の尊敬の対象だ。右手を高く挙げる挨拶は、彼のやり方を真似したんだよ。ワーグナーのオペラの技巧も参考になるね。拳の振り上げ方など、私は毎晩欠かさず鏡の前で練習しているよ。ポイントは、右手の使い方だということが分かった」

「ふうん、党首は、ワーグナーがお好きなのですか」

「ああ、彼は、ドイツ民族の英雄だよ」

「メンデルスゾーンは?」

「ばかな、奴はユダヤ人だぞ」

 なにやら矛盾した発言をする人物だとは思ったが、美術商は、こんな党首に人間的な面白みを感じた。

 ヒトラーとハンフシュテングルの共通の趣味は、音楽だった。

 社交界の花形でもあるハンフシュテングルは、ピアノの名手で、ヒトラーのお気に入りの曲は何でも弾けた。彼の家に頻繁に遊びに行くようになったヒトラーは、機嫌の良いときは、彼の紡ぎ出す曲に乗って踊り出すこともあった。

 「ヒトラーさんって、すごく面白くて優しいわ。本当にあれで政治家なの?」

 ハンフシュテングル夫人ヘレナは、夫と二人になったとき、思わず感想をもらした。

 「エゴンのことかい」

 「あの子ったら、すっかり懐いてしまって、もうたいへんなのよ。アルフおじさんは、今度はいつ来るのって、そればっかり」

 「ヒトラー氏は、子供が好きなんだよ。子供の笑顔を見るのが楽しくて仕方ないらしい」

 「でも、どうしてまだ独身なのかしら。もうすぐ35歳なのでしょう。早く身を固めて、ご自分の子供を持てばいいのに。あなた、誰かいい人紹介してあげましょうよ」

 輝くばかりに美しいこの若い夫人は、婉然と微笑んだ。

 「うん。彼は、女性にはすごく人気があるんだ。だけど、特定の人と付き合う気はないらしい。なんでも、ドイツ国が恋人なんだとさ。国事のために、個人の幸福を犠牲にする覚悟なんだと」

 「まあ、真面目な方なのねえ」

 「いやあ、どうかな。彼が頻繁にこの家に遊びに来るのは、実は、君が目当てなのかもしれないよ」

 「まあ、あなたったら」

 優しいヘレナは、まんざらでもなさそうに肩を竦めた。

 ちょうどそのころ、アメリカ国務省には、スミス大尉の筆による長文の報告書が届けられていた。

 「伍長あがりのオーストリア人。天才的な大衆煽動政治家。軍や財界の支持を受け、その行動は緻密で慎重。・・・」

 一読したワシントンの担当官は、生あくびを噛み殺すと、その重要な書類をキャビネットに放り込み、それっきり忘れてしまった。

 そうとは知らず、ベルリンでは、スミス大尉がミュンヘンの空を心配そうに眺めていた。

 「エルンストほどの見識の広い教養人までとろかすとは、やはり、ヒトラーは恐るべき人物だ。彼は、変わり者の狂人のように見えて、驚くほど冷静で目的合理的な男だ。彼の講演内容は、大多数のドイツ人の願望を、正確に直撃している。そして、ドイツを変革しうるのは、あのような大衆煽動政治家以外にありえないだろう」

 この当時、ドイツ全土で渦巻いていたのは、反共、反ユダヤ、そして反ベルサイユ条約であった。

 それゆえ、ユダヤ人と共産主義、そしてベルサイユ体制について解説をする必要がある。

 

 

 まず、ユダヤ人について。

 ユダヤ人というのは、ユダヤ教の信者のことをいう。ユダヤ教というのは、いわゆる旧約聖書の教えである。教義の具体的な説明は省略するが、ユダヤ人の信仰は、いわゆる選民思想に拠っている。すなわち、ユダヤ教を遵法していれば、やがてメシア(救世主)が現れて、世界最終戦争(ハルマゲドン)からユダヤ人を救ってくれるという教えである。つまり、ユダヤ人のみが救われるという意味での「選民」なのである。そして、彼らはイエス・キリストをメシア、ましてや神とは見なさない。彼らにとって、メシアは将来現れる存在であり、そして自分たちを世界のあらゆる暴虐から救ってくれる存在なのである。

 ユダヤ人がキリスト教徒と不仲なのは、このような思想上の対立もさりながら、彼らが、イエスを処刑台に送り込んだパレスチナ人の子孫だからという理由もある。

 かつて、ローマ帝国の支配に反抗したユダヤ人は、見せしめとして祖国を追放され、国土を持たぬまま欧州各国を放浪した。異国の地で宗教的偏見にさらされながら生き続ける彼らは、幼い頃から猛勉強し、そして賤業と見なされていた金融や芸術、学問の世界で力を伸ばしていくしかなかった。そして、そのことが、ますます周囲の偏見と差別を生んだ。彼らに対するキリスト教徒の虐待や虐殺(しばしば略奪を目的とした)は、特に東部ヨーロッパの歴史上、枚挙のいとまがないほどである。

 だが、かつて賤業だった金融業は、近代社会において欠くことのできない重要な産業に成長した。そして、これを牛耳るユダヤ人は、その政治力と経済力を急激に伸張させていったのである。このことは、かつてユダヤ人を迫害し続けた多くの欧州人にとって恐怖の的であった。復讐されるかもしれない。大戦後のドイツ国内で、ユダヤ人秘密結社の謀略活動がまことしやかにささやかれたのは、決して偶然ではないのである。

 そのような一般的状況に加えて、当時のオーストリアやドイツには、帝政ロシアによって追放された東方のユダヤ難民がひしめいており、職を奪われたドイツ人たちの彼らに対する感情は悪化の一途を辿っていた。

 さらに、ドイツ敗戦の原因について、「背後からの一突き」と呼ばれる伝説が存在した。すなわち、ドイツ軍が戦場で敗れなかったのに降伏に追いやられた理由は、国内のユダヤ人たちが共産主義者(左翼)を煽動して謀反を起こしたためであると、広く考えられていたのである。それゆえ、ユダヤ人は、敗戦によるやり場の無い怒りをぶつける格好の標的になっていた。

ヒトラーは、このような状況を巧みに利用したのである。彼は、ユダヤ人に対して個人的憎悪は抱いていなかったが、「背後からの一突き」の神話を信じていた。さらに彼は、ユダヤ人を宗教団体ではなく特定の『人種』として位置づけることで、ドイツ民族との対立構造をより明確にし、攻撃しやすくしたのである。そして、同時にドイツ民族の優秀性を強調することによって、敗戦による自虐意識に沈みがちな人々に、勇気を与えることにも成功したのであった。

 

 

 次に、共産主義について説明する。

 共産主義の定義は、非常に難しい。様々な説があり、どれを取っても難解である。ここでは、いわゆるマルクス・レーニン主義について、平易に解説するに止める。

 『資本論』で近代経済学を体系的に説明したカール・マルクス(ユダヤ人)は、欧州各国の大衆運動に着目した。

 人類の歴史とは、すなわち階級闘争の歴史である。そして、これからは、大衆の時代だ。旧来の特権にあぐらをかいている資本家たちは、不当にも生産手段を独占し、貧しい大衆から搾取している。しかし、いつまでもこんなことは続かない。資本主義社会が高度に発達し、大衆の力が増してくれば、生産手段たる資本は、生産能力を有する大衆、すなわち労働者の手に移ることだろう。当然、そうあるべきである。したがって、階級闘争と革命は不可避なのである。

 マルクスの思想にとっては、労働者が資本を所有し、階級闘争が終結した状態こそが歴史の終焉であり、理想郷の誕生を意味する。いわゆる『共産主義』の社会とは、このような状態を言う。『社会主義』とは、このような理想郷を目標とすることを言う。そして、これらの理論を総括して『左翼思想』と言う。

 マルクスは、将来起こる革命の準備をしようとした。その成果が、エンゲルスとの共著『共産党宣言』であり、第一インターナショナルの設立である。

 マルクスの時代は、王や皇帝、そして貴族といった旧来の特権階級の没落が急速に進んだ。代わって台頭してきたのが、大衆や労働者である。そのような情勢を背景としたマルクスの思想は、当時は必ずしも間違いとは言い切れなかった。

 しかし、歴史が階級革命に向かわなかった原因は、時代の流れがマルクスの思想を飛び越してしまったからであろう。資本主義の急激で高度な発展は、資本家と労働者の差を曖昧にし、階級闘争という概念自体を無意味にしてしまった。すなわち、マルクスの意図した形とは別の革命が起きてしまったのである。

 ところが、マルクスが先鞭をつけた共産主義思想に、別の形のアプローチを加え、強制的に実現しようとした思想家がいる。すなわちレーニンである。彼は、祖国ロシアに革命を起こし、皇帝、貴族、そして資本家を放逐することによって、マルクスのいう「労働者が生産手段を所有する国家」を一足飛びに造ろうとした。

 そして、第一次世界大戦でドイツの軍門に降り、混乱したロシア国内で、赤色革命は成功した。レーニンを首班とする新生国家が、すなわち『ソビエト連邦』なのである。

 しかしロシアは、従来、遅れた専制帝国であった。皇帝や貴族が民衆を厳しく統制支配し、民衆も無教養な農奴層がその大半を占めており、とても西欧型の大衆のレベルには成熟していなかった。つまり、マルクスが想定した階級闘争は、未成熟なロシアにとって、遙か将来に期待されるべき幻影に過ぎなかったのだ。したがってレーニンが行ったことは、歴史の先取りである。修正主義と呼ばれる所以である。

 案の定、レーニンが生産手段を与えてやった農民たちは、その利用方法を知らず、興味も持たなかった。こうしてソ連は、いつしか帝政時代よりも苛烈な中央集権国家に変貌していく。その末路がどのようなものであったか、既に読者がご存じのとおりである。

 ただ、大戦間の当時において、ソ連の成立は資本主義各国に衝撃を与えた。西欧、アメリカ、そして日本において、労働争議は活発になりデモやストライキが頻発した。これに応じて、各国の共産党は力を付けた。政府が対応を誤れば、いつ社会主義革命が起こっても不思議ではない情勢となった。そして、レーニンらもまた、積極的にそれを煽ったのである。全世界を共産化するのが、彼らの目標だったからだ。

 20世紀初頭は多様な価値観が生まれ、社会が急激に複雑化した時代である。煩雑な情報の洪水に呑まれた人々は、社会全体を説明できる体系的な理論を必要としていた。そんな人々の多くが、社会主義という幻想の中で、ようやく心を落ち着けることができたのである。こうして社会主義の理想は、遼原の火のように広がっていった。

 ドイツにおいては、大戦直後、数度に渡って社会主義者たちが武装蜂起し、激しい戦闘と流血を繰り広げた。いずれも間一髪で鎮圧されたが、国防軍や民間義勇軍の対応が少しでも遅れていたら、全ドイツが第二のソ連になっていただろう。一般大衆は、イデオロギーを盾に虐殺を繰り広げる社会主義者を嫌悪した。

 ここで奇妙なことに気付く。武装した社会主義者のリーダーは、常にユダヤ人だった。ドイツでは、有名なスパルタクス団のカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク、そしてバイエルン蜂起の首班クルト・アイスナーは、ユダヤ人であった。

 多くのドイツ人は、これを単なる偶然とは受け止めなかった。ユダヤ人が、社会主義という衣を纏って自分たちに報復しているのではあるまいかと想像し恐れおののいたのである。それゆえ、ヒトラーが主張する「国際的ユダヤ人の世界征服の陰謀」は、かなりの説得力を持って大衆に受け入れられたのである。

 なお、社会主義は、社会の経済構造改革を要求するのみならず、宗教そのものを否定する傾向がある。レーニン型社会主義の顕著な特徴は、宗教を認めない点である。彼らは『唯物論』という哲学をその根拠にしたのだが、要するに、目に見えない物は信じないというのだ。神や悪魔は目に見えない、だから否定すべきという、西欧合理主義の極致ともいえる発想である。現に、ロシアでは教会の大量破壊が起きていた。信心深い者にとって、社会主義はまさに悪魔の教えに他ならなかった。

 日本人には解りにくいのだが、西欧人のアイデンティティーの根幹にあるのは、キリスト教である。当時のドイツ人にとって、ユダヤ人の勢力伸張と社会主義化の嵐は、どちらも彼ら固有のアイデンティティーの危機を意味した。彼らが、自らのアイデンティティーを本能的に守ろうとするのは、むしろ当然である。

だから、多くの人々が、ユダヤ人と社会主義者を恐れた。

 ヒトラーの過激な演説が、理屈抜きに多くの大衆に支持された理由の一つが、ここにある。

 

 

 次に、ベルサイユ体制について説明する。

 ベルサイユ体制とは、第一次大戦の勝者たちがパリに集って決定した戦後の政治体制の総称である。その目的は、戦後の安全保障にある。戦勝国はまた、国際連盟という機関を創設したが、その主目的は軍縮会議を開催することであった。ただし、この国連には孤立主義を取るアメリカは参加せず、ソ連も実質的に疎外されていたので、国際機関にしては安全保障の担保が弱いという弱点を持っていた。

 さて、勝者となったイギリスとフランスは、敗者に応分のツケを払わせることを決意した。また、有害な社会主義国家となったソ連の弱体化を模索しなければならなかった。そんな彼らに助け船を出したのがアメリカのウイルソン大統領である。彼は、戦後の政治運営は『民族自決』を基本とすべきだと主張した。

 イギリスとフランスは、ほくそ笑んだ。多民族国家であるオーストリア、そしてソ連を分割解体する口実が出来たからである。

 こうしてソ連を解体した結果、バルト三国が誕生し、フィンランドが独立を果たした。そして、ウクライナ地方の西半分が、新生ポーランドに割譲された。

 オーストリアを解体した結果、チェコスロバキアとユーゴスラビアが誕生した。また、その領土の大部分がハンガリーやイタリアに割譲された。

 ドイツは、解体こそ免れたが、東プロイセンの大部分を新生ポーランドとバルト三国、そして新生チェコスロバキアに割譲させられた。また、西のアルザス、ロレーヌ地方をフランスに割譲させられた。実に、国土と人口の二割を失ったのである。

 しかし、これらの解体、割譲作業において、民族自決という概念はしばしば無視された。例えば、チェコに組み込まれたズデーテンラントは、昔からドイツ人が多く住む土地である。ポーランドに割譲させられたダンチヒ市、バルト三国に渡ったメーメル地方も然り。ドイツ民族は、この国土再編成によって、むしろバラバラに引き裂かれる結果となった。ソ連の場合も、全く同様のことが言える。民族自決を口実に、独ソの弱体化を狙った英仏のエゴは、あまりにも露骨である。独ソ両国は、当然この内容に不満であり、失地回復の暗い野望をその胸にたぎらすこととなる。

 ベルサイユ体制は、また、ドイツに1320億マルクという天文学的数字の賠償金の支払いを義務づけた。これは、履行不能な非現実的な金額であって、いたずらにドイツ人に屈辱感を与えるのみの結果となった。また、軍備も制限され、保有可能兵力数は10万人まで。戦車や潜水艦や軍用機の保有は禁止され、ラインラント(ライン川東西岸のドイツ領)は、非武装地帯とされたのである。

 多くのドイツ人の考えでは、第一次世界大戦は帝国主義国間の領土争いであって、敗戦国のみが一方的に断罪されるような性質の戦争ではなかった。それゆえに、このような屈辱的な内容の条約を押しつけられるとは納得できない。人々は、共和国政府の無能を嘆き、英仏が牛耳る国連の横暴に憤った。

 それゆえ、ドイツの野党に課せられた最も重要な使命は、このベルサイユ体制の打破であった。

 アドルフ・ヒトラーの一貫した主張は、反共、反ユダヤ、反ベルサイユである。いずれも、当時のドイツの情勢下では、十分な説得力を持ちうる主張である。ヒトラーは、これらの主張を、大衆の立場にたって繰り返し語ったのである。

 彼の努力は、少しずつ報われ、そして彼とナチス党の勢力は、いつしかバイエルン州を動かすほどに膨れ上がっていたのである。

 

 

  また、ナチスの勢力伸張の背景には、深刻な経済危機があった。

 1923年のドイツは、世界史上空前絶後の大インフレに喘いでいたのである。

 インフレ、すなわち物価の異常な高騰は、社会に流通する物財の価値に比して、貨幣供給量が極端に多くなることから生ずる。今度のインフレは、ドイツ政府が、何の裏付けもないままに紙幣の増刷を開始したことに原因があるのだが、これにも政治的な理由がある。

 1923年1月、フランスとベルギーは、一向に賠償金を支払わないドイツ政府に業を煮やして、ドイツ領内に大軍を送り込み、ルール工業地帯を占領した。担保差し押さえのつもりだったのだろうが、しかしこれは逆効果だった。このドイツ有数の工業地帯の労働者は一斉にサボタージュを決め込み、ドイツ政府も全面的に彼らを支援したからである。ドイツ政府による無謀な紙幣増刷は、彼らに対する助成金の財源を確保するつもりだったのである。

 暴虐の限りを尽くしたフランス、ベルギー両軍は、この情勢を見て数年後に撤退したが、ドイツ国民の苦しみは筆舌に尽くしがたいものとなった。

 1915年の1マルクは、1923年10月には601万4千3百マルクに相当した。家族のためのささやかな貯金は、紙屑同然となったのだ。何しろ、マッチ箱を一箱買うのに、トランク一杯の紙幣が必要なのだ。そのトランクを引ったくった泥棒は、紙幣を捨ててトランクだけ持っていく有様。貨幣の価値は、そこまで下落していたのだ。

 喜んだのは、外国人の投資家と多額の負債を抱える者(ドイツ政府もその一人)だけだった。インフレは、外貨の価値を高騰させ、逆に借金の価値を目減りさせるからである。

 「困ったな。金がない・・」

 党の資金枯渇に頭を悩ますヒトラーを見かねて、ハンフシュテングルは、経営するニューヨークの画廊を一件売り払い、その代金を全てナチスに無償貸与した。

 「ありがとう、エルンスト」

 インフレのお陰で、ハンフシュテングルが寄付した千ドルは、なんと2億マルクにもなった。大喜びのヒトラーは、朱塗りのベンツを乗り回し、精力的に講演活動を展開した。

 「政府の無能ぶりは、ベルサイユ体制に押しつけられた共和制に原因がある。多数決原理などというまやかしでは、現状は打開できない。この苦境を乗り越えるには、独裁しかない。私は、独裁制を要求する」

 ヒトラーの怒号は、生活苦に喘ぐ一般市民の共感を呼び、その勢力はますます拡大していった。ミュンヘン周辺の右翼系政党は、次々にナチスとの提携や合併を承諾し、ナチスの党員は3万5千人、武装集団(SA)は、1万5千人に膨れ上がった。御用新聞フェルキッシュ・ベオバハター(国民の監視者)誌の購読部数も、伸びる一方である。

 上機嫌のヒトラーは、ハンフシュテングルやリヒターといった側近たちと、よくベンツでドライブに出かけた。ヒトラーは、即興でユーモラスな詩を創ってみんなを笑わせたり、また、ワーグナーのオペラを全曲暗記しているので、口笛で一曲全部演奏して見せて、みんなを驚かせたりもした。

 だが、同志たちの前では好人物のこの政治家は、私生活では暗くて地味だった。小さなアパートの一室に座り込み、ヴォルフという名の犬を唯一の友とし、読書か思索にふける隠者のような生活ぶりであり、その博識と勉強ぶりはずば抜けていた。

 ところで、国際通のハンフシュテングルは、ヒトラーの外国に関する談話を聞いて、違和感を覚えることがしばしばあった。

 「総統、暇が出来たら、しばらく海外を旅して回ったらどうでしょう」

 「どうして」

 「外国に関するあなたの考えは、書物や、人から聞いた話を鵜呑みにしていて偏っています。例えば、あなたはアメリカの工業生産力を知らないし、また、リヒターやローゼンベルクといったロシア系亡命者たちからの入れ知恵だろうけど、ソ連を植民地にするなんて無謀な事を考えている。あなたは、ソ連のことを知らなさすぎます」

 ヒトラーは、不満げに友人の顔を睨むと、顔をそむけた。思いこみの激しい彼は、しばしば自分と異なる見解を嫌い、無視する傾向があった。

 この人は、確かに一流の思想家かもしれない。また、優れた大衆政治家であることも疑いない。その頑固さは、この人に成功をもたらすことだろう。だが、その一徹さが、やがてこの人を不幸に追いやるかもしれぬ。

 ハンフシュテングルは、大きな溜め息をついた。

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