歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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長編歴史小説

千年帝国の魔王

第十七章 崩壊する戦線

 

 ロシアの冬は、降雨から始まる。

 舗装されていない道路は泥沼と化し、いっさいの交通を途絶させる。ドイツ戦車軍団に対しても例外ではない。そして、今年の冬の到来は、例年よりも一ヶ月早かったのである。

ドイツ軍は、ソ連の首都を目前にして立ち往生した。

 もともとソ連はインフラ整備に遅れ、鉄道網も貧弱であるため、電撃戦に適した土地柄ではなかった。ドイツ戦車は、常に悪路を走行したために故障続発し、フランス戦のときのように沿道でガソリンを補給することも出来なかった。そのため、モスクワ前面に到達するまでに、実に多数の車輌を失っていた。そして、例年より早い冬は、彼らの行動を完全に封じ込めてしまったのである。

 首都を明け渡そうと考えていたスターリンは、この情勢に欣喜した。

10月末、再び人民の前に姿を現した鉄の人は、熱弁を振るった。

 「全体主義者どもの暴挙は、社会主義の建設を大幅に遅らせた。そして、戦場における死傷者の数は、既に170万人を越えている。通常の国家なら、既に二度は滅亡している事だろう。確かに我々の立場は苦しい。ドイツは、多くの同盟国と共闘しているが、我々は完全に世界から孤立しているからだ」

 マヤコフスキー広場に集う聴衆は、暗澹たる思いでその言葉を聞いていた。

 「しかし」スターリンは、拳を振り上げた。「ソビエト政権が滅亡に瀕しているというナチスの主張には、根拠がない。我が国の工場のほとんどは後方への疎開に成功し、間もなく大量の新型兵器が前線に到着するはずである。そして」

ソ連の指導者は、声を張り上げた。

 「ドイツは、我々を絶滅させようと考えている。既に、占領地域の無垢の民は、狂信者たちの無道な殺戮に直面しているのだ。ナチスは、我々を劣等民族と呼び、その生存を認めないという。しかし、そうだろうか。諸君、思い出すのだ。母なるロシアが育くんだ偉大な文化を。偉大な先人たちの名を。プレハーノフとレーニン、プーシキンとトルストイ、ゴーリキーとチェーホフ、グリンカとチャイコフスキー、スヴォーロフとクツーゾフの名にかけて、立ち上がるのだ。奴らが絶滅戦争を望むなら、我々も勇気を持って受けて立とうではないかっ」

 聴衆は、大歓声を送った。感涙を浮かべた彼らは、愛国心を燃え立たせ、命尽きるまで非道な侵略者に立ち向かう決意を固めたのである。

 一致団結したモスクワ市民は、女子供や老人まで率先して塹壕や防空壕を掘り、当局から支給された武器に身を包み、ドイツ戦車軍団を待ち受けたのである。

 ドイツ軍は今や、冬将軍のみならず、頑健なロシアの愛国心をも敵に回してしまったのだった。

 この情勢に、さしものヒトラーも弱気になったが、ブラウヒッチュとハルダーが彼を励まし、「あらし作戦」を貫徹させたのである。そして、ドイツ軍は奮戦した。遅滞しながらも前進を続け、12月初旬には、偵察大隊が、赤い丸屋根を遠望できる地点に到達したのである。

 「間違いない。クレムリンの尖塔だ。あと一息だ」

 知らせを受けたボック元帥は、膝を打って喜んだ。しかし、これが限界だった。周囲は猛吹雪に覆われ、気温は零下30度にまで落ちた。防寒着を用意していなかったドイツ兵は、次々に凍傷で戦闘不能に陥った。戦車や銃器は、凍結して役に立たなくなった。

 「もはや、これまで。貴重な人命を失うわけにはいかぬ」

 中央軍集団のグデーリアン将軍は、占領したオリョールを放棄して退却した。南部軍集団でも、ルントシュテット元帥がロストフを放棄した。北部軍集団では、レーブ元帥がレニングラード突入を思いとどまった。

 「敗北主義者めっ」前線の状況を知らぬヒトラーは激怒した。

 しかし、総統の怒りは、たちまち恐怖に変わった。

 12月6日、ソ連軍の反撃が開始されたのである。

 真っ白な防寒具に身を包んだ精鋭部隊が、ソ連最高の名将ジューコフ大将の命令一下、モスクワ前面で凍り付くドイツ軍を次々に破砕したのである。前線は崩壊し、ドイツ陸軍は壊走した。

 ジューコフ麾下の精鋭は、かつてノモンハンで日本軍を痛破した歴戦の勇士たちである。日本が動かない事を東京のスパイ情報(ゾルゲ)で確信したスターリンは、今こそシベリアから引き抜いた精鋭を、実戦に投入したのであった。

 「そんな馬鹿な・・」ブラウヒッチュ元帥は、眉間に皺を寄せて絶句した。「ソ連の予備部隊は枯渇したはずだぞ・・」

 心臓の悪い陸軍総司令官は、自信を無くしてヒトラーに辞任を申し出た。これは、簡単に受理された。

 「私が陣頭指揮を取るしかない」陸軍総司令官を兼務することにした総統は、唇を噛みしめた。

 「だが」ヒトラーは、参謀ヨードル将軍に語った。「もはや、究極の勝利は不可能である。戦争は失われた・・」

 「それでは」ヨードルは顔を上げた。「停戦ですか」

 「いや、それを考えるのは、当面の危機を乗り越えてからだ。死守命令を出して、ソ連の攻撃を食い止めるのだ。そして、日本軍を動かして奴らの背後を突かせるのだ」

 ところが、日本の動きは総統の予想を裏切った。

 12月7日、日本海軍機動部隊は、ハワイ真珠湾のアメリカ艦隊に奇襲攻撃をしかけ、これを壊滅させたのである。

 ついに、太平洋でも戦争が勃発したのであった。

 「信じられん」

 驚いたヒトラー総統は、ソファに腰を落として沈思した。この異常事態が何をもたらすのか見極めようとした。しかし、無理だった。彼が付けた戦火は世界中に燃え移り、彼の理解の範疇を遙かに飛び越えてしまったのである。

 

 

 ここで、独ソ戦開始以降の国際情勢を俯瞰しておこう。

 イギリスとアメリカは、独ソ戦の勃発を知ると、直ちにソ連と同盟し、共同でドイツと戦う方針を明らかにした。

 イギリス国内では、伝統的に反共思想が強かったので、独ソ戦争による両者共倒れを望む声が高かった。しかし、チャーチル首相の考えは違った。彼はソ連よりもドイツを恐れていたので、ソ連と同盟してドイツと戦う方針に国論を統一したのである。

 そして、アメリカもこれに同調した。アメリカは、ソ連に対する過去の国際制裁(経済封鎖など)を撤廃し、逆に軍需物資や膨大な借款をソ連に与える事にした。アメリカ軍が供与する戦車やトラックは、イギリス領イランやムルマンスク港を経由してソ連中心部に到達し、モスクワ前面のドイツ軍を押し戻す上で重要な貢献をしたのである。

 この情勢は、ヒトラーを大いに驚かせた。彼は、西側諸国が共産主義ソ連と手を組む情勢を夢想だにしなかったので、事態の深刻な変転に混乱したのである。

 「やはり、ユダヤだ」ヒトラーの確信は強まった。「アメリカを支配するユダヤ財閥が、ソ連を操るユダヤ人秘密結社と結託したのだ。奴らは、ドイツ打倒を口実にして、いよいよ世界征服の野望を実行に移したに違いない。そして、チャーチルの馬鹿は、それを見抜けずにいるのだ」

 総統は、却って闘志を駆り立てられた。

 「私の持論は証明された。ユダヤは、やはり全人類の敵なのだ。必ず滅ぼさねばならぬ絶対悪なのだ。この戦争は、貫徹しなければならない。ドイツ民族が滅亡するか、ユダヤが絶滅するのか、二つに一つだっ」

 1941年7月上旬、怒りに燃えるヒトラーは、腹心のSS長官ヒムラーに命じて、国内のユダヤ人問題の『最終的解決』を命じたのである。

 「なんと恐ろしい」ヒムラーは震え上がった。

 後世、冷酷な殺人鬼と言われる彼は、妻子を誰よりも愛する心優しい人物だった。しかし、謹厳実直な官僚肌のSS長官は、総統に命じられた「神聖な」義務を放棄することはできなかったのである。

 ドイツ国内のユダヤ人問題は、当時、深刻な袋小路に突き当たっていた。

 開戦前、ナチス当局の弾圧を受けたユダヤ人は、自主的に海外に亡命したので、その数は減る一方だった。しかし、戦争によってドイツの領土と人口が増えるにつれて、占領地域のユダヤ人の数も爆発的に増えていった。ユダヤ人は、特に東欧に多かったので、ポーランドとソ連占領地域のユダヤ人の増加は、ドイツ当局の想像を遙かに超えるものとなったのである。

 ナチス首脳は、これらのユダヤ人たちをポーランド国内の特定の都市に閉じこめて隔離し、ここをゲットーと呼んだ。そして、いずれ彼らをアフリカに移住させようと考えていた。「マダガスカル計画」である。もしも、これが実現していたら、世界最初の近代ユダヤ人国家は、イスラエルではなくアフリカに成立していたかもしれない。しかし、イギリスとの戦争が早期に終結しなかったため、この計画は実行に移すことができなくなった。イギリス海軍の妨害が予想されたからである。イギリスは、ドイツのユダヤ人移住計画を知りながら、それを認めようとしなかったのだ。

 不思議なことだが、西欧諸国とソ連は、ユダヤ人の苦境を知りながら、彼らを助ける努力を全くしなかった。ナチスの暴虐から最も多くのユダヤ人を救った国家が、ドイツの同盟国である日本とフィンランドだったのは、歴史の皮肉と言うべきであろう。

 さて、ゲットーに隔離されるユダヤ人の数は日を追って増大し、食糧問題はもとより、疫病を発生させる可能性を著しく高めたので、ナチス当局に残された解決手段は、もはや一つしかなかった。それが、人類史上最大の組織犯罪『最終的解決』であった・・・。

 それについて述べる前に、話を戻して日本の動向に触れなければならない。

 三国同盟の締結以来、国際的孤立を強めていた日本は、三国同盟にソ連を加入させて四国同盟とし、もって英米の圧力をはね除けようと画策していた。しかし、このプランは、独ソ戦の開始によって泡沫と化した。もはや日本に残された手段は、英米との個別交渉で平和の道を模索するのみ。そして、日本を経済封鎖したアメリカは、東洋の島国に海外占領地域からの全面撤退など過酷な条件を突きつけて、列島を絶望の淵に叩き込んだのである。

 この時のアメリカ政府の行動は、世界史的に極めて重大な意味を持っている。

 明敏なルーズヴェルト大統領は、知っていた。世界が枢軸国の侵略で混乱している今こそ、正義の美名の元にアジアとヨーロッパの市場を独占するチャンスなのだと。しかし、アメリカでは伝統的に保守主義が政治の主流に位置し、国際政治への積極的介入を嫌う傾向にあった。そのため、独裁者ではないルーズヴェルトは、アメリカを参戦させる事ができずにいたのである。

 「ドイツか日本に、先に仕掛けさせるしかない。売られた喧嘩を買う形にすれば、国民もきっと奮起する・・」

 こう考えた大統領は、まずはドイツを徹底的に挑発した。『中立法』を改正し、イギリスに対して経済援助はもちろん軍艦や戦車まで供与し、ドイツの敵愾心を煽り立てたのである。また、これ見よがしにイギリス船舶の航行を軍艦で護衛し、Uボートの攻撃を誘った。しかし、ヒトラーは、この手に乗らなかった。アメリカの挑発に扼腕するデーニッツ提督らを宥め、Uボート作戦を抑えて、アメリカに参戦の口実を与えまいとしたのである。

 業を煮やしたルーズヴェルトは、今度は極東に目を向けた。日本は、アメリカとの交易なくしては立ちゆかぬ島国である。経済封鎖は、黄色い猿どもを無謀な賭に駆り立てずにはおかぬだろう。そして、彼の目論見はみごとに成功したのである。

 日本軍によるハワイ奇襲は、実は奇襲ではなかった。大統領は日本軍の暗号を解読し、全てを知りつつ、わざとやらせたからである。唯一の誤算は、日本海軍の攻撃力が想像以上に優れていたため、アメリカ太平洋艦隊が全滅し、対日作戦が半年間の停滞に陥ったことである。しかし、大局的には小さな問題だ。今やアメリカは、覇権国家への航路に乗り出す事が出来たのだから。

 日本軍の卑怯な奇襲に憤ったアメリカ国民は、大統領のもとに団結し、枢軸諸国を粉砕する決意を固めたのである。

 

 

 ヒトラーはこのような機微を読み切れなかった。日本が、自らの意志で立ち上がり、ドイツを助けてくれるのだと信じ込んだ。そして、ハワイやマレーシアの戦勝の詳報が入ると、彼は驚喜したのである。

 「これは転機だっ」総統は、両手をぐるぐる振り回した。「我々はついに、3千年間一度も負けたことのない同盟国を手に入れたのだ。彼らはきっと、アメリカを負かし、返す刀でソ連を撃ってくれるだろう。もはや我々は、戦争に負けるはずがない」

 興奮した彼は、側近たちの反対を押し切って、12月11日、クロール・オペラハウスで対米宣戦布告を行ったのである。三国同盟は防衛同盟であるから、日本が勝手に仕掛けた戦争に荷担する必要はないのだが、日本を過大評価する総統は、アメリカとの戦争を躊躇わなかったのだ。

 「どうせ、アメリカとはいつかは戦わなければならないのだ。何を迷うことがある。日本は常に、蒙古、清、帝政ロシアといった強敵を相手取って圧勝している尚武の国だ。アメリカだって同じ運命を辿るだろう」

 リッベントロップを相手に、得意げに日本史の講義をする総統は、しかし日本軍の実態を理解していなかった。日本は既に、10年近く中国と紛争状態にあり、その国力は著しく低下していた。また、軍部は官僚化し腐敗し、指揮命令系統は分立していたから、英米のような近代工業国家を相手に戦争する態勢ではなかったのである。アメリカの挑発に決起し、英米に宣戦布告してみたものの、日本人の中で勝算を感じている者は皆無であった。だいいち、対米英戦に動員できる兵力は、わずか16個師団に過ぎないのだ。そんな彼らの頼みの綱は、ドイツである。ドイツが早くソ連を負かし、イギリスを征服してくれれば、何とかなるのではないかと漠然と考えていたのだ。

 ドイツと日本は、互いに過大評価し、そのくせ互いの事はよく知らない同盟国だった。そんな両者の連絡手段は、今となっては潜水艦の往来のみである。

 そして、ドイツの期待した日ソ戦争は起きなかった。日本は、ソ連を敵に回す余裕など持っていなかったからである。

 寒風をついて、ソ連軍の猛反撃は続いた。ドイツ軍は全戦線において総崩れとなり、冷気と銃火の餌食となっていった。

 「許さん、退却は許さぬ」陸軍総司令官ヒトラーは連呼し、退却した司令官を次々に罷免した。ルントシュテット、ボック、グデーリアンといった有能な将星も例外ではなかった。

 しかし、冷酷とも思えるヒトラーの死守命令は、現況において、もっとも合理的な戦略であった。下手に退却して装備と体力を失うよりは、塹壕に立てこもっていた方が暖気は取れるし生存率は高まるからである。

 そして、永遠に続くかと思われたソ連軍の反撃も、翌年2月に終息した。無謀な突撃を繰り返すソ連軍は、寸土を奪回するためにドイツ軍の数倍の損害を出していたので、攻撃継続が不可能になったのである。

 かくして、東部戦線は持久戦となった。

 同じ頃、エジプトのイギリス軍が反撃を開始していた。ロンメル率いるアフリカ軍団は善戦したが、補給が続かなかったため、リビア西部まで撤退してしまったのである。

 こうして、ドイツ軍の無敵神話は崩れ去った。既に、東部戦線だけで百万人の死傷者を出していた。電撃戦は失敗に終わり、戦争の早期終結は不可能となったのだ。

 また、ソ連との断交は、生産資源や食料の大幅な不足を招いたので、国民生活は急速に悪化した。配給制が大々的に施行され、ドイツ国民は暗い顔で溜め息をつき合った。

 そしてドイツは今や、アメリカ、ソ連、イギリスの三大国を敵に回し、三方から攻撃される苦境に陥ったのである。しかし、国民は、まだ総統を信じていた。総統でなければ戦争を終わらせることはできないと考えていたのである。

 しかし、ヒトラーには戦争を終わらせる気持ちが無かった。

 「これは、世界最終民族戦争となる。これは試練なのだ。試練に耐え、勝者となるのはドイツ国民であるはずだ。もしもそうでないのなら、もはやドイツ人には生存の価値がないという事だ」

 ヒトラーは、側近たちに嬉々として語った。

 「私は過去十年、この日に備えて準備に怠りなかった。画一的な体育重視の教育は多くの優秀な兵士を育てた。結婚と多産の奨励策は未来の兵士を増やした。経済政策と福祉政策は国内を安定させ、ユダヤとアカの追放は裏切りの可能性を無くし、身障者と精薄者の安楽死政策は不労所得を撤廃させた。もはや、負ける要素は一つもないのだ」

 確かに、ドイツ軍は依然、大西洋では優勢だった。もはや、アメリカに気を使う必要はないのだ。数百隻のUボートは、飢狼のように英米の商戦に襲いかかり、その多くを海の藻屑とした。そのため、アメリカは欧州に派兵するどころではなくなった。まずは、足下の火を消さなければならない。

 また、太平洋では日本軍の快進撃が続いた。マレーシア、フィリピン、インドネシアに上陸した日本軍は、ドイツ軍顔負けの電撃戦で、数において勝る英米軍を次々に駆逐したのである。

 チャーチル首相は、彼が誇る不沈戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」がマレー沖で日本軍に撃沈されたと聞いて、ショックで両腕に頭を埋めた。しかし、彼は信じていた。アメリカの参戦は、終局の勝利をイギリスにもたらすに違いない事を。

 

 

 アドルフ・ヒトラーは、今や国家元首兼国防軍司令長官兼陸軍総司令官という荘重な肩書きを持つ人物であった。これらの職務は、兼務が可能なほど容易な仕事ではない。一人の人間が請け負うのは不可能である。しかし、自信家の総統は、それを敢えて行った。そして、真面目な性質の彼は、妥協せずに職務をこなそうと専心したため、激務は彼の健康を大いに蝕んだのである。

 もはや、美術展や映画鑑賞の時間は存在しなかった。側近や秘書たちとの楽しいおしゃべりも鳴りをひそめた。十分な睡眠をとらず、朝から晩まで職務に没頭するヒトラーは、侍医のモレルが投与する栄養剤を多量に服用して活力を保っていたのだが、薬学に詳しくないモレル医師の投薬は、52歳の総統の心臓を確実に弱らせていたのである。

 疲れ切ったヒトラーを失望させたのは、盟友の軍需相トット博士の死であった。かつてアウトバーンの建設に当たったこの有能な人物は、2月8日、東プロイセンの総統本営から首都へ飛行機で戻る途中、飛行士のミスで墜落死したのであった。

 知らせを受けたヒトラーは天を仰ぎ、嘆声を発すると、目を真っ赤にして執務室に閉じこもってしまった。

 しかし、軍需相は戦争経済を策定する要職であるから、いつまでも空位にはしておけない。例によってゲーリングが立候補したが、総統はさすがに彼には任せなかった。ヒトラーが白羽の矢を立てたのは、親友で建設総監のシュペーアであった。

 「私には、戦争経済など分かりません」

 建築家は辞退したが、総統は許さなかった。

 「いいや、君ならうまくやれる。君しかいない」

 こうしてシュペーアは、望外の高位に就いたのだが、彼は実に良く働いた。ドイツ経済は、これまで平時のまま運営されており、長期戦に備えた戦争経済には対応していなかった。その実態を知った新軍需相は、占領地域からの労働力輸入に努め、生産機構の組織改革を大胆に推し進めたので、ドイツ経済は再び活力を取り戻したのである。シュペーアを信じた総統の眼に、狂いはなかったというわけだ。

 自信を回復したヒトラーは、将軍たちを本営に集め、ソ連に対する第二次侵攻作戦の立案に入った。ドイツには石油が不足していたので、今度の作戦は、石油の獲得を第一目標にしなければならない。その作戦の立案者は、ヒトラー自身であった。

 「今度の目標は、コーカサスだ。コーカサス山脈を突破し、ソ連最大のバクー油田を占領し、ソ連を立ち枯れにさせる。その後は、英領ペルシャへと南下し、中東の石油を確保する。それから、英領インドで日本軍と手を結ぶのだ」

 「ペルシャ・・インド・・」

 夢想外の言葉に、将軍たちは言葉を失った。総統は、果たして正気なのだろうか・・。

 ヒトラーは、大まじめだった。彼と外相は、大島大使を通じて日本軍のインド侵攻を何度も要請したのである。既に日本軍はシンガポールを占領し、英領ビルマ(現ミャンマー)に侵入している。総統の脳裏には、インドを分け取りにするドイツと日本の姿が焼き付けられていたのだ。

 だが、その前提として、ソ連軍の残存兵力(ドイツ参謀本部はそう考えて過小評価していた)を処理しなければならない。それが、ウクライナ南部に対する攻撃「青作戦」である。

 スパイ網によってドイツ軍の意図を察知したスターリンは、5月にハリコフを拠点として先制攻撃を仕掛けたのだが、ドイツ軍に逆包囲されて壊滅させられた。

 「しまった」スターリンは絶句したが、失われた兵力は帰ってこない。

 6月28日、手薄になったソ連の前線を突破して、南ウクライナの草原に再びドイツ戦車軍団の電撃戦が開始された。ソ連軍は包囲を恐れ、奥地へと撤退したため、ドイツ軍の進撃は開戦時を思わせる鮮やかさとなった。

 時を同じくして、アフリカのロンメル将軍も動き出した。リビア西部で鋭気を回復し十分な補給を受けたアフリカ軍団は、再びイギリス軍を連破し、6月21日、リビア東部の要衝トブルクを占領したのである。リビアの補給基地を全て失ったイギリス軍は、エジプトの中心部まで退却した。そして、元帥に昇進したロンメルはこれを追い、エル・アラメインの要地で彼らと対峙した。ここを突破すれば、カイロまであと一息である。

 中東を席巻しようとするドイツの野望は、達成目前と思われた。

 「奴らは不死身か・・」

 チャーチルとスターリンは、それぞれ愕然とし項垂れた。ドイツ軍の戦力は無尽蔵で、その闘志は不屈と思われたのだ。

 そんな彼らが待望するアメリカ軍は、太平洋上の日本海軍との死闘に忙殺され、欧州に手を回すことが出来ずにいた。

 6月5日のミッドウェイ海戦は、日本軍の大勝利と伝わった。ウクライナに設けた本営で、ドイツの総統はご満悦であった。しかし、アメリカのラジオ放送を聞いた彼は、その頬をたちまち引き締めた。日本側の発表と大違いだからだ。慌てて大島大使に確認を取った総統は、深い失望を隠すことができなかった。

 「空母4隻が全滅し、航空隊も全滅ですと・・。完全な敗北ではありませんか。日本人は、同盟国を騙したのですな」

 「あなた方の宣伝だって、同じ事じゃないか・・」大島は、日本語で呟いてそっぽを向いた。

 不安感に襲われながら、ヒトラー総統は、南ウクライナで作戦の指揮を執り続けた。母国の内政は、内閣官房長官マイスナーやラマース、それに軍需相シュペーアに完全に委任し、自らは『狼男』と名付けた前線基地で、陸軍総司令官としての日々を送った。

 『狼男』は、しかし最悪だった。昼間は灼熱地獄、夜は寒冷地獄と化す。湿度は高く、防腐剤の臭いが神経を強く冒す。ただでさえ薬漬けの陸軍総司令官は、激しい頭痛と不眠症に常に悩まされたのである。そのせいか、彼の命令は猫の目のように揺れ動き、焦点が定まらなかった。ソ連軍を軽視していたせいもあって、コーカサスに向かう軍を分派して、東のボルガ河に向かわせるという決定的な過ちを犯したのである。

 ヒトラーは、机上地図に身を乗り出し、ボルガ河西岸沿いに南北に延びる大都市を指さした。

 「次の戦略目標はここだ。ここを占領するのだ」

 その都市の名は、スターリングラードであった。

 

 

 ヒトラーの命令によって、「青作戦」の戦略目標は、途中で二つに分けられた。

 しかし、南のコーカサスと東のスターリングラード(現ボルゴグラード)では、あまりに戦場が広く、あまりに方向が違いすぎる。そして、両者を十分に満足させられる燃料補給は不可能であった。そのため、コーカサス方面軍は山岳地帯で立ち往生し、スターリングラード方面軍も市街地に取り付くまでに数ヶ月を要し、しかも市街の強力なソ連軍に妨げられたのである。まさに、二兎を追う者の運命である。

 それでも、スターリングラード攻略を受け持つ第6軍は奮戦し、10月までに市街の半分を占領した。

 この情勢に、スターリンは大いに焦った。自分の名を持つ都市の陥落は、首相の威信失墜をもたらすことは必定である。それだけではない。ボルガ河流域をドイツ軍に制圧されたなら、南の資源地帯とモスクワが切り放されてしまう。これは、石油資源の枯渇はもちろん、米英からの援助物資の減少を意味するので、ソ連の抗戦力は破壊されてしまうのだ・・・。

 「ここが正念場だ・・」スターリンは、唇を引き締めた。「スターリングラードの闘いが、全てを決めるだろう」

 そしてヒトラーも、戦争の転機が近いことを察知していた。

 「今、アメリカ軍の主力は、ガダルカナル島で日本軍と戦っている。万が一、日本が敗れれば、アメリカ人は欧州に目を向けるだろう。彼らが現れる前に、ソ連を敗北に追い込まねばならぬ」

 かくして、ボルガ河沿岸は凄惨な闘いの場となった。工業都市のあらゆる区画が殺戮の場となり、1ブロック進むごとに多量の流血が辺りを覆った。

 犠牲が増えるにつれて、ドイツ軍は、後方の予備隊を次々に市街戦に投入した。そのため、突出したドイツ軍戦線の側面を守るのは、今や、戦意が乏しく装備貧弱なルーマニア軍のみ。

 そして、ソ連の名将ジューコフは、この時を待っていた。

 11月19日、ソ連軍の反撃が開始された。百万の歩兵と1千台の戦車が、南北からルーマニア軍の脆弱な防衛線を突破し、スターリングラード西方で合流。ドイツ軍を完全に包囲してしまったのである。ドイツ軍の精鋭33万が、廃墟の中に閉じこめられてしまった。彼らに残された弾薬は2日分、食料は12日分に過ぎない。

 「嘘だ、嘘だっ。嘘だっ」ヒトラーは、髪を振り乱して叫んだ。「アジアの劣等人種が、このような戦力を残しているはずがない。これは、何かの間違いだ」

 ヒトラーとドイツ参謀本部は、ソ連軍を過小評価していた。ソ連の戦力は前年の冬で枯渇し、最後の予備隊まで使い果たしたと決めつけて夏季作戦を計画したのだが、その前提は間違っていたのである。ウラル山脈に疎開したソ連兵器工場は、月産1千台の割合で戦車を吐き出した。北極海経由のアメリカからの援助物資は、Uボートの妨害をくぐり抜け、ムルマンスク港に陸揚げを続けていた。またソ連陸軍は、前年の教訓を生かし、ドイツ軍の電撃戦によって包囲される前に、部隊を奥地へ退却させ温存する戦略を実行していた。そして、ジューコフ大将は、ドイツ軍から電撃戦の神髄を学び取り、麾下の部隊を厳しく訓練していた。これらの成果が、一気にここで噴出したというわけである。

 「退却は許さん」ヒトラーは、第6軍のパウルス将軍に厳命した。「補給は、ゲーリングの空軍が行う。陸上からも、包囲突破を試みる。それまで、一歩も退かずに守り抜くのだ」

 だが、スターリングラードは、今や悲惨な監獄と化していた。ゲーリングの輸送機は、ソ連戦闘機に迎撃されて目的を果たせない。マンシュタイン元帥率いる救援軍も、後一歩のところで包囲網を突破できないでいた。

 この情勢に、背後を遮断される事を恐れたドイツのコーカサス方面軍は、油田を目前にしながら撤退を開始し、涙を呑んでクリミア半島に引き上げたのである。

 時を同じくして、ロンメル元帥のアフリカ軍団も破局を迎えようとしていた。10月23日、アメリカからの援助物資で著しく強化されたイギリス軍は、モントゴメリー中将の命令一下、圧倒的な大軍でドイツ軍に襲いかかったのである。エル・アラメインの闘いである。イギリス軍の戦車700両に対し、ドイツ軍の戦車は、わずか150両。ドイツ軍は良く奮戦したが、近代戦における物量の差は決定的である。力つきたロンメルは、ヒトラーの死守命令に背いて、11月5日、撤退を開始した。この卓越した名将は、追撃するイギリス軍を巧みにあしらいながら、11月下旬にはリビア西部まで無事に帰り着いたのであった。

 しかし、ドイツ軍による中東征服は、もはやうたかたの夢と終わったのである。

 11月8日、フランス領モロッコとアルジェリアに上陸してきた米英連合軍は、微弱なフランス軍の抵抗を一蹴すると、一路東へと突進し、チュニジアに乱入した。

 急を知ったロンメル軍団は、リビアを棄ててチュニジアに籠城し、本国からの増援を受け、いったんはアメリカ軍を撃退した。しかし、東西に敵を受けていては不利である。ロンメル軍団は、チュニジアという牢獄に包囲されてしまった形だ。

 いや、ロンメルやパウルスだけの問題ではない。ドイツ第三帝国は今や、ヨーロッパという孤島で全世界によって包囲されてしまったのだ。

 だが、厳寒のウクライナに陣取るヒトラーは、事態の深刻さを思い観るどころではなかった。スターリングラードの第6軍が、破局を迎えようとしていたからである。

 1943年2月1日、パウルス元帥率いる第6軍の生存者9万は、食料弾薬が底をつき、餓死者まで出す有様となり、万策尽き果ててソ連軍に降伏したのである。ドイツ軍は、虎の子の精鋭33万を、一度に失うという大敗北を喫したことになる。

 「パウルスめ・・元帥に昇進させたのは、降伏させるためではないぞ。何と不甲斐ない。敗北主義者め」

 頭を抱えてうずくまったヒトラーは、敗北の重みに打ちのめされる事しかできなかった。

 

 

 ドイツ第三帝国は、今や軍事のみならず経済的にも苦境に立たされていた。

 最大の問題は、ソ連南部の石油が獲得できなかったことである。軍需物資の不足を招くだけではない。トラクターが動かせなければ、ウクライナの農業生産力が激減する。これは、ヨーロッパの飢餓を招来するだろう。また、暖房器具が動かせなければ、ソ連領内だけで膨大な凍死者を出すことが予想される。

 事情は、ソ連側も同じであった。戦争によって経済全体を破壊された彼らは、既に1千万の人口を失っていた。彼らには、捕虜に食わせる食料の備蓄がなかったので、シベリア送りにされたドイツ第6軍の将兵のほとんどが飢え死にした。戦後、祖国に帰還できたのは、9万人中、わずか5000人だったという。

 もっとも、捕虜に対する非道な待遇は、ドイツ側も同様であった。ロシア人を蔑視するナチス政権は、彼らを人間扱いしなかったので、彼らに重労働を強制する割には食料をほとんど支給しなかった。そのため、ロシア人捕虜の間で人肉食が横行し、その多くが飢え死にの運命を辿ったのである。

 より悲惨な運命を辿ったのは、百万都市レニングラードであった。既に1941年末からドイツ軍包囲下にあるこの街では、逃げ切れなかった多くの市民が飢餓地獄に喘いでいだ。ドイツ軍は、フィンランド軍と共同で街を取り囲み、兵糧攻めの戦略を採っており、ドイツ空軍の空爆目標は、もっぱら市内の食糧倉庫や電力施設であった。そのため、凍死者と餓死者の数は、冬を迎えるごとに急増し、ピョートル大帝の築いたこの美しい町並みは、もはやこの世の地獄と化していたのである。

  おととい、お父さんが死んだ

  昨日は、お母さんも死んだ

  ターニャは一人、独りぼっち

 この悲壮な詩を書き残した13歳の少女タチアナ・サベチェワは、その後奇跡的に救助されたものの、数年後に栄養失調で病死した。

 いや、悲劇はレニングラードだけではない。ロシア人に限ったことではない。世界中で悪魔が跋扈していた。世界中の人々が、塗炭の苦しみに喘いでいた。

 そして、悲劇の幕を開けた張本人は、いまだ意気軒昂であった。

 「意志の力だ。意志の力を奮い起こせば、不可能はない。諸君一人一人が力を尽くせば、我々は全能の神の御名のもと、再び勝利できるだろう」

 アドルフ・ヒトラーは、将校たちに強く訴えたのである。

 2月中旬、ゲッベルスも奔走し、日増しに激しくなる空襲下の国民を鼓舞して回った。東部戦線の大敗を隠さずに公表した彼は、より一層の戦争協力を国民に呼びかけた。国家総動員である。

 「総力戦だ。総力戦を徹底するのだ。今や、健康な全国民は、兵役と労働に召集されねばならない。戦争を妨害するものは死に値するっ」小男の宣伝相は絶叫し、多くの国民が歓呼の声で応えたのである。

 ドイツ国民の多くが、この期に及んでナチスの無謀な戦争政策を支持した理由は、先月末モロッコで出された英米首脳会談の声明が原因であった。いわゆるカサブランカ会談は、枢軸国の無条件降伏を要求していたが、無条件降伏は敵国への隷属を意味するので、先の大戦以上の過酷な戦争責任を問われる事は必定なのだ。絶望した国民は、ヒトラーを信じ、行けるところまで行くしかないと思い詰めたのである。

 もっとも、一部の国民の中には、この戦争に疑問を持つ世論が形成されつつつあった。

 ミュンヘン大学の学生ハンス・ショルとその妹ゾフィーは、既に年頭から「白バラ」名義のパンフレットを市内の各戸に配布し、反戦を強く訴えていた。しかし、ナチスの秘密警察を恐れる人々は、だんまりを決め込み、世論を動かすには至らなかった。

 業を煮やした兄妹は、ついに捨て身の賭けに出た。2月18日、大学構内で反戦ビラを撒き散らし、声高に体制批判を行ったのである。ただちに駆けつけた秘密警察は、彼らを逮捕し、裁判にもかけず絞首刑にした。国家反逆罪というわけである。しかし、本当の愛国心の持ち主が誰なのかは、もはや論ずるまでもない事である。

 国民はもとより、東欧同盟国も動揺を始めた。特に、東部戦線で多量の兵員を失ったルーマニアやハンガリーは、その国内情勢が著しく不安定になっていた。

 

 

 「勝利だ。勝利によって、国民と同盟国に活を入れてやらねばならぬ」ヒトラーは、体調不良を押し切って南ウクライナの最前線に飛んだ。彼は、身の危険も省みず、ソ連軍の砲弾が降り注ぐ前線基地で将校たちを激励して回った。また、有能なマンシュタイン元帥を南方方面軍総司令官に任命したので、兵士たちの士気は著しく高まったのである。

 勇気百倍したドイツ軍は、2月下旬、進撃してきたソ連の大軍を逆包囲し、これをハリコフで完全に殲滅したのである。ここにドイツ軍は、1942年初頭時点の戦線を、再び維持することに成功したのである。そして、彼らには再び攻勢に出る余裕があった。

 「総統、許可をください」マンシュタインは進み出た。「ソ連軍は、クルスクで突出しています。これを南北から挟撃すれば、再び敵の大軍を包囲殲滅できますぞ」

 「いや、待て」ヒトラーは、最近震えが止まらない右手を懸命に左手で押さえながら、元帥に言い聞かせた。「もうすぐ新型戦車が実戦投入される。国民への宣伝のためにも、この勝利は新型戦車を活躍させて得たいのだ。だから、もう数ヶ月待て」

 「宣伝ですと」マンシュタインは、呆れ果てた。「戦争は、宣伝のためにするのではありません。ソ連軍が動揺し、混乱している今がチャンスではありませんか。新型戦車を待っている間に、奴らは態勢を立て直してしまいますぞっ」

 「やかましい」ヒトラーは激怒した。「貴官に、政治の何が分かるというのか。軍人は、おとなしく私に従っていれば良いのだっ」

 憮然として項垂れるマンシュタインは、もはやクルスク戦の勝利に自信が持てなくなった・・・。

 その間にも、枢軸国の形勢は、日を追って悪くなった。

 太平洋では、日本軍がガダルカナル島とニューギニアで大敗し、もはや戦争のイニシアチブを回復するのは不可能となっていた。

 アフリカ戦線でも、5月12日、チュニジアに閉じこめられたアルニム大将麾下の独伊軍25万が、制海権を奪われたために海路脱出できず、英米軍に降伏した。

 だが、アフリカの悲劇にもめげず、7月4日、東部戦線でドイツ軍の攻勢が開始された。「城塞作戦」、クルスクの戦いである。新型戦車「ティーガー(虎)」や「パンテル(豹)」で武装したドイツ軍90万は強力であったが、ソ連軍は既に強固な防衛陣を築いて、130万の軍勢で待ち受けていた。一進一退の攻防。両軍合わせてそれぞれ1万近い戦車と航空機が、がっぷり4つに組んだこの闘いは、史上最大の戦車戦と言われる。戦局は、ややドイツ側有利に傾いたが、7月13日、総統命令によって突然中止された。

 「もう少しで勝てるというのに、いったい何があったのです」マンシュタイン元帥は、無線に向かって怒鳴った。

 「米英連合軍が、イタリアに上陸を開始したのだ。東部戦線から、部隊を引き抜かねばならぬのだ」告げるヨードル大将の声は、苦渋に満ちていた。

 7月11日、イタリア領シチリアに上陸した米英軍は、艦砲射撃で独伊の守備隊を撃破し、たちまちこの島を占領してしまったのである。本土の一角を占領されたイタリア国内では、厭戦ムードがピークに達した。もはや、戦争の継続は不可能である。

 7月19日、独伊国境でヒトラーと会談したムソリーニは、その旨を盟友に伝えようとしたのだが、ヒトラーの強気の弁舌にたじろいで、真意を伝えることが出来なかった。そして、破局が訪れた。

 7月24日、イタリア統帥ムソリーニは、ファシスト評議会で国王への統帥権返還を決議され、その翌日、国王の内意を受けた軍隊に逮捕されてしまったのである。彼の後任バドリオ元帥は、ただちにファシスト党を解散させ、極秘裏に連合軍と停戦交渉を始めた。

 時を同じくして、東部戦線でもソ連軍の反攻が開始された。有力な部隊をイタリアに引き抜かれたマンシュタインは、防戦一方の苦境に追いやられたのである。

 もはや、この苦境を打開する方策は、外交しかなかった。

 ヒトラーは、ソ連との和平交渉に消極的であったが、リッベントロップ外相の秘密工作を黙認していた。一方のスターリンは、米英がソ連を見殺しにして傍観しているのではないかと疑っていたので、条件次第ではドイツと停戦しても良いと考えていた。しかしヒトラーは、東部戦線のイニシアチブを回復した上での停戦を想定していたので、外相の努力にもかかわらず交渉は平行線を辿った。そして、連合軍のイタリア上陸とクルスク戦での勝利は、書記長に勇気を与えた。もはや、ソ連に停戦の必要はないのだ。かくして、独ソ停戦交渉は、砂上の楼閣のように崩れ落ちた。

 四面楚歌に追いやられたドイツ。

 そして、今度は三国同盟が崩れ落ちる時が来た。9月8日、イタリアのバドリオ元帥は、ドイツに無断で連合軍に降伏したのである。

 しかし、ヒトラーも抜け目無い。その事態を予想し国境で待機していたドイツの大軍は、即座にイタリアに乱入し、ローマ以北を完全占領してしまったのである。それだけではない。ヒトラーは、SS特殊部隊に命じて幽閉中のムソリーニを救出し、イタリア北部サロ湖畔に傀儡政権を樹立させるという離れ業を演じて見せたのであった。

 急を知ってイタリア南部に上陸してきたアメリカ軍は、ナポリでドイツの精鋭に阻止され、イタリアは持久戦の戦場と化した。しかし、これはドイツにとって単なる時間稼ぎにしかならない。

 そのころ、物量に勝る連合軍は、イギリス本土の航空兵力を著しく増強しており、ドイツ上空の制空権すら手中に収めつつあった。そのため、ドイツの諸都市に対する空襲は激化する一方。例えば、8月3日の夜間空襲は、ハンブルクを廃墟と化し、7万人の黒こげ死体の墓場に変えた。

 空襲跡を視察したゲッベルスは、絶望に打ちふるえて呟いた。

 「戦争に負けたら、我々は一体どうなるのだ・・」

 ハンブルクを守れなかった国家元帥ゲーリングは、執務室の机に突っ伏して、恥も外聞もなく号泣したといわれる。

 ヒトラー総統も、これには大きな精神的打撃を受けた。

 「昨日、ドイツの子供たちが、大勢焼け死ぬ夢を見た・・」

 秘書たちに蒼白な顔で語る彼の不眠症は、この日以来ますますひどくなった。恐怖心にかられた総統は、空襲跡を視察しようともしなかった。想像するだけで、夜も眠れなくなるからである。

 しかしヒトラーは、希望を棄てなかった。戦局を挽回する秘策が、いくつか用意されていたからである。

 第一の秘策は、連合軍の内部分裂工作である。ソ連と西側諸国は、ドイツを恐れて仮に同盟しているのに過ぎないから、ドイツの弱体化は必ず不協和音を引き起こすはずだ。そこに付け込めば、逆転のチャンスは必ずある。

 第二の秘策は、新兵器の開発である。既にドイツは、原爆やミサイル、ジェット機といった新世代兵器の開発を軌道に乗せていた。これらの実戦投入が間に合えば、戦争初期の電撃戦のような戦略的威力を発揮して、退勢を挽回してくれるに違いないのだ。

 それでも尚、敗戦は免れないかもしれない。しかし、総統にはまだ、軍事的勝利に代わる政治的勝利の手段が残されていた。すなわち、人種問題の『最終的解決』である。

 

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