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長編歴史小説

昭烈三国志

3.用心棒

 五年の歳月が過ぎるころには、劉備は涿の有名人になっていた。

 まず、町の賭博場に入り浸り、闘犬に大枚をはたくので、侠客たちの間で人気者になった。

 長く伸びた両腕、面長の竜顔と大きな耳を備えた大男が、派手な服を翻しながら乗馬に興ずる姿は、地味なこの町ではひときわ目立つのに、誰に対しても愛想がよく、謙虚に接する「劉さん」は、町の庶民たちからも賞賛を集めていた。士大夫としての教育を受けながら、士大夫の高慢さや格式を否定して、素のままでいるところが、彼の特異な美質だった。

 一方、盧植塾では、儒学において劣等生でありながら、剣術と馬術では塾頭の公孫瓉に匹敵するほどの技量を見せていた。結局、劉備という男は、治世の英雄の柄ではなかったということだ。

 「兄貴は、本当に儒で国が救えるとお考えか」劉備はあるとき、塾頭に聞いた。

 「さあな」公孫瓉は、杯を干しながら唇をゆがめて見せた。「今の世の中では、そういうことになっているんだ。それに従うほうが楽だろう」

 「それじゃ、兄貴は、方便で、ここで勉強しているのか」

 「それが俺の流儀だ」公孫瓉は言った。「一つ一つを積み重ねてから次の手を打つ。今は、盧植先生から推挙を得られるよう頑張るときだ。俺は、それに全力を尽くすさ」

 「推挙か・・・」劉備は、郷里で待つ母や叔父の顔を思い浮かべた。あの立派な桑の木を想った。彼の放蕩が、郷里では問題になっているらしい。

 このままの生活を守っていれば、推挙を受けて役人になれるだろう。彼の祖父も父もそうしてきた。しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 「俺は、役人には向かない。なりたいとも思わない」劉備は、ぽつりと言った。「兄貴、うまい話はないかな」

 「推挙を待たずに仕事を探すのか」兄弟子は、さして意外そうではなかった。「お前、けっきょく何がしたいんだ。希望を言ってみろ」

 「博打と、馬と、服と、女・・・かな」

 「ははは、そんなうまい仕事があるかよ」公孫瓉は、酔眼を細めて手を打ち振った。

 「そうか・・・」

 「いや、待て。あるある。あるぞ」

 「えっ」

 「馬が好きなら、馬屋の用心棒ってのはどうだ。とりあえず、いつも馬と一緒だ」

 「なあ、兄貴よ・・・俺は、馬に乗るのが好きなんだ」

 「あはは、用心棒ってえのは、馬小屋の番人とはわけが違う。隊商の護衛をして、遠隔地まで赴く仕事だ。武術と馬術、何よりも肝っ玉が問われるぜ」

 「それは面白そうだ」劉備は、人懐っこい笑顔を向けた。「持つべきものは兄貴だね」

 「よせやい、照れるぜ」公孫瓉は、太い眉を反らせて胸を張った。

 こうして劉備は、兄弟子の紹介で、馬商人・張世平のところへ面接に出かけた。

 張世平は、冀州中山県の大商人で、涿まで馬の買い付けに来るのだが、最近、飢えた暴徒が隊商を襲う事件が頻発して、頭を悩ませていた。張は、護衛の荒くれたちを統率する人材を欲しており、盧植門下の士大夫候補生に白羽の矢を立てたのだった。

 張世平から直接説明を聞いた劉備は、二つ返事で引き受けた。仕事内容が面白そうだったことに加えて、報酬が巨額だったことによる。これで、叔父の劉元起に学資を返せるだろうし、母にも十分な仕送りがしてやれることだろう。少しは、親孝行だってしたい。

 張世平も、劉備のことが気に入ったようだ。劉備は、盧植塾ではそれほど傑出した士大夫候補ではなかったが、堂々とした押し出しと、いつも柔和な笑顔を絶やさない心の余裕を兼備しており、何か人に安心感を与える特質をもっていた。張世平は、そこを見込んだのであろう。

 その日のうちに劉備は牧場に呼ばれ、そこで彼が隊長を勤める荒くれたちを引見した。

 ところが、待っていたのは二十名ほどの少年だった。どうやら張は、劉備が年少であることを見て取って、募集要項に年齢制限を設けたということらしい。きっと経費削減効果も狙っていたのであろう。だが、いかにも曲者ぞろいといった面持ちの少年たちは、店先の品物を鑑定するかのごとき視線を劉備に向けてきた。

 慣れない雰囲気に酔って、宿舎の中、無言で立ち尽くす劉備は、同行した張世平の娘婿蘇双によって、少年たちに紹介された。

 「涿の劉備どのだ。盧植さまの塾で、士大夫の勉学をしておられたが、今日から、護衛隊の隊長を務めてもらうことになった。みんな、心を合わせて頑張ってくれ」

 そう言い残すと、蘇双は新任の隊長の肩をたたいて宿舎を出て行った。

 しばし、面々を見渡す。無言の対峙の時間。

 「なんだ」少年の一人が呟いた。「あんた、闘犬好きの劉さんじゃないか」

 「ああ、よろしく」劉備は、にこにこ顔になる。

 「つまり、金持ちのぼんぼんか」奥に座っていた大柄な少年が、吐き捨てるように言った。「教室で理屈をこね回したり、博打で遊んでる奴に、隊長が勤まるような仕事とは思えんな」

 「そいつは、やってみなきゃ分からないだろう」悪びれずに、劉さんは笑顔を返した。

 「やってみなくても分かるさ」大柄な少年は、唾を吐くと立ち上がった。「俺はな、教養とか生まれの良さを鼻にかける奴が大嫌いなんだ。つまり、士大夫ってやつが好きになれねえんだ」

 その少年は、年のころ十六、七か。九尺はあろうかという巨体の上に、筋肉の鎧をまとっている。潰れた猪鼻の上に光る両眼は、暗闇の中でも光を発しそうなくらい鋭く輝き、とがっている。その巨体は、床板をみしみし言わせながら劉備の眼前に歩み寄った。

 本来なら恐怖を感じるべき局面だが、劉備は平静そのものだった。彼は、昔から物怖じしない少年だった。どんな危険な局面であっても、対処さえ間違わなければ大丈夫だと思っていた。幼いころに、英雄になるという予言を信じたことが、彼をそういう人物に育てた原因だったかもしれない。

 「君、強そうだね」恐れを知らぬ青年は、笑顔で話し掛けた。「名前は?」

 「俺は、涿の張飛だ」

 「なんだ」劉備は、大男の肩を叩いた。「同郷じゃないか、よろしく」

 「おめえ、俺の言ったこと、聞いてねえのか」張飛は、床に唾を吐いた。「おめえには隊長は無理だと、俺は言ったんだ」

 「一度だけ、俺にやらせてくれないか」劉備は、一転して顔を引き締め、少年たちに鋭い眼光を浴びせた。「その働きを見てから、隊長には誰が適任か、みんなで決めてくれ」最後に視点を張飛に合わせ、再び人懐こい笑顔を浴びせた。「張飛、俺と競争しよう」

 さすがの張飛も、毒気を抜かれて黙り込んだ。少年たちも、すっかり大人しくなった。この当時、士大夫は、儒学の教養を鼻にかけて庶民を見下すものと相場が決まっていた。しかし、この隊長候補は違うみたいだ。自分たちと同じ立場で物事を見てくれそうだ。

 こうして、劉備はその場の剣呑な空気を収めてしまった。

 冷静な状況判断能力は、この人物のもっとも顕著な特長であった。

 

 初仕事の日がやってきた。

 二百頭の馬を、中山まで無事に送り届けなければならない。

 蘇双指揮下の五十人の隊商たちを護衛するのは、劉備率いる荒くれ少年三十人だった。

 涿のある幽州は、中華の北辺に位置し、馬の名産地として知られていた。その北方の草原地帯には、匈奴や烏丸といった遊牧騎馬民族が割拠しあり、長城を挟んで中華と緊張状態にある。例えば公孫瓉の家は、代々、烏丸と対する武門の家柄であった。

 ともあれ、馬の商いは非常に利が厚かった。涿にて安価で仕入れ、中華内地で高く売れるからである。当然、これを狙う野盗も数多い。凶作続きで治安の乱れた昨今は、なおさらである。

 隊商は、険しい丘陵地帯を、長い隊列を作って進んでいく。吹き荒れる黄砂を浴びて、みんな頭巾で鼻を抑えている。

 先頭を進む劉備は、鼻歌を歌いながら馬に揺られていた。気長で忍耐強い性質の彼は、黄砂も、さほど苦にならなかった。彼は音楽が大好きなので、酒場や遊郭で聞いた楽曲は全てそらんじている。それを頭の中で演奏すれば、退屈することもなかった。

 部下たちの多くも、いつのまにか彼に心服していた。彼の、年に似合わぬ堂々たる態度と面倒見の良さは、リーダーとしての資質に申し分なかった。ただ、張飛だけは隊長の座にいまだに執着を持っていて、隊長の失策を心待ちにしている風情が伺えた。

 「おい」その張飛が、駒を寄せてきた。「左の丘の上に騎影が見えた。賊の斥侯かもしれねえぞ」

 「ああ」劉備は、鼻歌をやめた。「そろそろ、お出ましかな」

 そういい終わらぬうちに、左の丘の上から砂塵を巻いて五騎が駆け下りてきた。

 先頭の蓬髪の壮年は、長鉾を横たえ馬を左右に乗り回しながら、隊商の正面に踊りでた。

 「俺は、雁門の陶虎だ。小僧めら、命が惜しければ、馬と武器を捨てて立ち去れい」

 振り仰げば、左右の丘の上に、五十人はくだらない賊徒が、白刃をきらめかせて並んでいた。親分の号令一下、一斉になだれ落ちてくるつもりに相違あるまい。

 「陶虎だって」張飛は、唇を引き締めた。「こいつはいけねえ」

 その時である。

 先頭の劉備が、両腰にそなえた大小の剣をそれぞれ両手に取ると、物も言わずに静かに陶虎に踊りかかったのである。

 「なんだ」予期せぬ行動に驚いた陶虎は、軽くあしらうつもりで長鉾を突き出した。

 しかし、劉備の動きは彼の予想を上回った。馬上の長身から繰り出される二本の剣は、あたかも水車のように陶虎の体に繰り出され、三合の後にその体を地面に叩きつけていた。

 「お、親分がやられた」「ばかな」「逃げろ」

 悲痛な悲鳴とともに、賊徒たちはたちまち逃散したのであった。

 「すげえ」「やったあ」少年護衛隊員たちは、隊長の周りに群がった。

 劉備といえば、額の汗をこぶしで拭いながらも、涼しい顔である。

 陶虎の死体を調べていた張飛は、頭を振りながら隊長に近づいた。

 「胸を見事に突いたね・・・あんた、陶虎のことを知っていたのか」

 「いや」劉備は顔を振った。「誰だったんだ」

 「并州では有名な野盗の頭目だ。まさか、向こう見ずに突っ込んでくる奴がいるとは思わなかったんだろうな。不意を突かれたんだ」張飛は、悔しそうに言った。「俺だったら、きっと一合で倒せただろうに、先を越されたか・・・まあ、いい。あんたの勝ちだ。あんたが隊長だ」

 「まだ、仕事は終わっちゃいないよ」劉備は、笑顔で応えた。「次の敵は、君に譲る。それから甲乙を論じようぜ」

 「・・・俺に勝って嬉しくないのか。有名な賊を討ち取って自慢しないのか」

 「君に勝つために戦ったわけじゃないし、こいつが」劉備は死体を指差した。「有名な賊だなんて知らなかったからね」

 「参ったな」張飛は、白い歯を見せて笑った。

 それ以来、張飛は劉備に心服するようになった。良き補佐役として、荒くれの多い護衛隊を、上手に取りまとめたのである。

 その後は、特に大きな事件も無く、隊商は中山への旅程を終えることができた。劉備たちは、多額の報酬とともに、陶虎を討ち取ったものとしての武名を大いに高めたのであった。

 こうして劉備は、士大夫から侠客へと、その人生の進路を大きく変えたのである。

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