歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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長編歴史小説

ボヘミア物語

第一章 お化け退治に出かけよう

 

 雄大なヴルタヴァの流れは、今宵も淡い月光に優しく照らされ、銀色の光を放つ黒い川面は、吟遊詩人の歌声によって豊かに彩られていく。

                   母なる川よ

                   淡く輝く波間の光よ

                   星々に届け

                  お前のその美しき恵みは

                  主の御心を満たすだろう

 

 川辺を旅する人が目を凝らせば、波間で踊る妖精の姿が見えたかもしれない。ハープを奏でる貴婦人の優しい微笑みが、波間に浮かんでは消えたかもしれない。

 夜もふけて幻想的な時間が過ぎ去ると、流れを彩る光沢を飾る主役は、居酒屋から響く酔客の胴間声に取って代わられた。

 

             朝も早よから野良で真っ黒

                昼も早よから野良で真っ黒

                宵は早よからビールで真っ赤

                もうすぐ悪魔の仲間入り

 

 プラハ新市街の居酒屋ウ・クリムは、今日も満席大繁盛だ。黒いビールを傾ける労働者たちは、真っ赤な頬を膨らませながら、この日何杯めかのお代わりを注文する。

 給仕娘のマリエは、両手に2つづつ錫のジョッキを抱え、長く後ろに束ねた黄金色の髪をなびかせながら、猫のように客の間をすり抜ける。

 「きゃっ」

 びっくりして飛び跳ねた彼女は、その鳶色の瞳を足元に向けた。

 「なんだ、ダーシャ。脅かさないでよ」

 黒い老犬は、しょぼしょぼした目で少女を見やると、そのまま木戸を押し開けて外に出て行った。

 「マシカ(マリエの愛称)」厨房から、太った親父が顔を出した。

 「なんでもないわ、お父さん。ダーシャが悪戯しただけ」

 「なんだ、てっきりヴィリームがお前の足に触ったかと」

 テーブルの一角から爆笑の渦が起きた。

 「おやっさん」ハシクという名の、ごつい髯面の大男が、ジョッキを片手に言った。「そんな粗相は、俺たちがさせませんぜ。抜け駆けは許さねえ、なあ、みんな」

 「おおっ」テーブルに集う石工の一同は、一斉に声をあげる。

 みんなの噂の主ヴィリームは、テーブル脇の川面の見える窓辺に寄りかかり、左官仕事でささくれだった手を涎まみれにしながら、居眠りに興じているのだった。

 別のテーブルでは、馬商人の一団が声を合わせて歌っていた。

 

            マジャルスコ(ハンガリー)はいい国だ

               ラコウスコ(オーストリア)だって良いとこだ

               だけどチェコにはかなわない

               チェコの娘にゃかなわない

               黄金色の髪と鳶色の瞳・・・

 

  みんな、マリエの方を見ながら、互いに肩を組み合って体を揺すっている。

  給仕娘は、ジョッキをテーブルに置くと、笑みを浮かべてスカートの裾を取って会釈した。

 

            ちょっと、太めでお転婆で・・・

 

 「なんですってえ」と、娘が拳を振り上げたとき、木戸が開いて新しい客が入ってきた。

 先頭に立っていたのは、老犬のダーシャだった。その後から、若者が三人続く。

 「あ、いらっしゃい」マリエは、慌てて作り笑いを浮かべた。

 若者たちは、左官たちが屯する隣のテーブルに腰を据えると、指の合図でビールを注文した。既にどこかで飲んできたらしく、三人とも首が据わらない風情だ。

 マリエがジョッキを運んでくると、リーダー格の若者が手招きした。

 「なあに、イジーくん」

 「今日は、新顔を二人連れてきたんだ。俺と同じ、プラハ大学の新入生だ」

 イジーという名の精悍な髯面の青年は、右に座る、痩せて鼻の高い青年の耳をつまんだ。

 「こいつはトマーシュ。医学部の学生だ。仲良くしとけば、お腹が膨らんでも安心さ」

 「やあねえ」娘は頬を膨らます。「罰当たりなことばっかり」

 「は、はじめまして」賢そうな痩せた青年は、恥ずかしそうに呟いた。

 「それで、こいつが」イジーは、左に座る、大柄な青年の短く揃った金髪を引っ張った。「俺と同じ自由学芸部のペトルだ。いちおう、田舎貴族のお坊ちゃまだ。仲良くしとけば、甜菜菓子くらいごちそうになれるよ」

 「はじめまして」大柄な青年は、張りのある太い声で挨拶し、黒い瞳で女給を見つめた。「甜菜菓子が好きなのですか」

 「ええと、食べたことないの」

 「なんだ、僕もです」

 「ばっかだなあ」イジーは、友人の後頭部を小突いた。「貴族なんだから、金持ちの演技しろ。ここにいるマリエちゃんはなあ、プラハ新市街のアイドルなんだぞ。もうちょい、器用に自分をアピールしろい」

 「あはは、僕のとこは、貴族といっても下級のほうだからなあ。南ボヘミアの、ただの地主の家だからなあ」ぺトルは、明るい笑顔で受け流した。

 「イジーくんってば、そんなにあたしの事を大事に思うなら」娘は、いたずらっぽい目で笑った。「早くビールと葡萄酒のツケを払ってくださいな」

 「いっけねえ、やぶ蛇」

 「なんだ、君も貧乏なんじゃないか」ペトルは、白い歯を見せて笑った。「飲み屋を何件も知っているから、てっきり裕福なやつだとばかり」

 「うるせえ、心が豊かならそれでいいのだ」

 「言っとくけど、今日は割り勘だからな」

 「しっかりしてんなあ、もっと飲め飲め」

 「ペトルは強いもんなあ」トマーシュが、目をこすりながら話に入ってきた。「僕は、この1杯で寝ちゃうよきっと」

 「今日は、先に寝たものの勘定だ。な、マリエちゃんが証人だ」

 「ふざけんなよ、イジー」トマーシュの痩せた頬が膨らむと、池の鯉のようだ。

 「だったら、今夜はとことん付き合え。根性出して」

 「君ねえ、医学的見地からすると、深酒人体に与える影響は・・・」

 「またラテン語の薀蓄か。チェコ人なんだから、チェコ語でしゃべれ」

 「無理だよ、医学用語はみんなラテン語なんだから」

 酔っ払いの会話に呆れて去っていくマリエの後ろから、ペトルが声をかけた。

 「これから、『高い城』まで肝試しに行こうと思うんだ。君もどうだい」

 「店が終わってからなら、いいわよ」マリエは、小声で返すとウインクした。

 娘がいなくなると、隣のテーブルから左官たちが声をかけてきた。

 「あんたたち、学生さんかい」

 「ああ」イジーが、短い顎髭を撫でながら応えた。

 「いずれは旧市街に住んで、司祭やドイツ人やユダヤ人とつるむわけだ」

 「王妃様に招待されて、王宮にも行けるかも」

 左官たちは、羨望の目でジロジロと眺める。

 「あんたたちも、大学に入ればいい」ペトルが、無邪気に言った。「この世の真実が、手に取るように理解できるようになる」

 「あいにく、俺たちゃ、ラテン語は出来ねえからな」左官の一人が、干し肉を齧りながら呟いた。

 「これからは変わる」イジーが言った。「フス先生たちが、チェコ語で講義してくれるからね。俺たちだって、もともとラテン語は苦手なんだ」

 勉強家のトマーシュは、この意見には少々不服だったのだが、とりあえず、眼前のビールを空けるのに潜心し、口を挟むのは止しにした。

 「フス先生は偉い先生だ。だけど、この街の大司教から睨まれてるんだろ」左官は目を落とした。

 「先生は、挫けないさ。これからだってベツレヘム礼拝堂で説法を聞かせてくれる。今までどおり、『真実』を教えてくれるんだよ」ぺトルは、力強く言った。

 「そいつはいい」左官たちは、一斉に喜色を浮かべた。

 

 ボヘミア王国の首都、プラハ市は、3つの市街から構成される複合都市である。

 市域の中央を南から北へと縦貫するヴルタヴァ川の西岸は、小地区(マラー・ストラナ)と呼ばれ、貴族、僧侶や高級商人が住まう地帯である。王宮の置かれたフラッチャニ丘の上には、厳しい城が聳え立ち、周囲を睥睨していた。その城壁の上からは、荘厳な聖ヴィート教会がゴシック造りの尖塔を覗かせている。

 王宮をまっすぐ降りて川辺に達すると、そこには大きな橋が架かっている。後世カレル橋と呼ばれるこれは、15世紀初頭の当時において、ヴルタヴァ川に架かる唯一の石橋であった。これを渡って川の東岸に達すると、そこは旧市街(スタレ・ムニェスト)である。ここは、ドイツ系住民やユダヤ人が多く住む商業と学芸の街であった。アルプス以北で初めての大学、プラハ大学もここに置かれている。

 旧市街の狭く入り組んだ街路を南に歩くと、ほどなく城壁に達する。旧市街の南西から北東へと走るこの城壁の向こう側は、新市街(ノヴェ・ムニェスト)と呼ばれる新興地域である。ここは、貧しいチェコ人を中心とした労務者や商人が集う街であった。

 つまりプラハは、西の小地区、東北の旧市街、東南の新市街という三層が、互いに重なり合う形で成立した街だと言える。その総面積は、約700ヘクタール(8キロ四方)、人口は4万人(ちなみに、同時代のパリは、面積430ヘクタールで人口2万人弱)である。プラハは、この時代において、ローマに次ぐ欧州第二位の巨大都市であった。

 この3つの市街には、それぞれ別の政庁舎が置かれ、独立の市政が行なわれていた。ただ、各市街間の出入りは自由だったので、互いを仕切る城門と堀が何のためにあるのか、誰もが首をかしげるところではある。もしも通行制限が設けられたなら、旧市街の住人は、ヴルタヴァ川と新市街の城壁によって、街の中に閉じ込められてしまうだろう。

 さて、新市街の川寄りを、南北に縦貫する大きな広場は、現在ではカレル広場で通っているが、昔は『家畜市広場』と呼ばれていた。ここは、その名の通り、牛や豚や鶏などの家畜を商う場所なのだが、実際には多目的に利用されていた。例えば、4人の若者が、肝試しに向かうための通路として。

 「良く出てこられたね」イジーが肩を抱くと、

 「あなたのために」マリエは、その金髪を肩にもたせかける。

 「ええー」トマーシュとペトルは、声を合わせて絶句した。「そーゆーことだったの」

 「お父さんには、内緒だからね」マリエは、唇の前に人差し指を立てて、無邪気に微笑んだ。

 「なあんだ、肝試しとか言って、実はイジーの見せびらかしかよ」

 「ああ、つまんねえ。寄宿舎に帰ろうかなあ」

 あぶれた二人は、唇を尖らせた。

 「いや、早合点するな」幸せな男は、片手を上げて一同を制した。「今夜の肝試しは、プラハ大学生としての重要な使命なのだ。こんなことで挫けてはならぬ」

 「こんなことって」「あーあ、眠い」

 「・・・諸君、聞いているだろう。『高い城』(ヴィシェフラト)の麓に、夜な夜な出没するお化けの噂を」

 「あたし聞いた」少女は、好奇心にその目を輝かせている。「あれでしょう。自分の生首を右手に持って、『お晩でやす』って言うオジサンが出るんでしょう」

 「僕は、『火の用心』って言うって聞いたよ」ペトルが意見を述べた。

 「そんな非科学的な」トマーシュは、大あくびで応えた。「声帯を斬られた人間が、声を出せるはずないでしょう」

 「人間じゃないわ。お化けだもん」

 「お化けって、どうやって声を出すの」

 「それについて述べた文献は、ストラホフ修道院にも無いはずだ」リーダー格のイジーが、重々しく言った。「我々がお化けを捕らえて身体検査すれば、その秘密が白日の下にさらされるであろう」

 「身体検査だって」医学生のトマーシュが、ようやく腑に落ちた顔で呟いた。「だから僕を呼んだわけね」

 「そうだ、そしてペトル」リーダーの視線が、友人を射抜いた。「体の大きいお前が、お化けを捕まえる係だ」

 「だったら、むしろ神学部の学生を呼んでくるべきじゃあ無かったか」ペトルは、肩を竦めた。「僕には、お化けを捕まえた経験がない」

 「僕だって、お化けの身体検査なんて自信ないよ」と、トマーシュ。

 「前人未到の事をする。それが、科学の進歩と人類の叡智に繋がるのだ」胸を張りながら、イジーは言う。「フス先生の教えを知っているだろう」

 「ああ、『真実を求めよ。真実に聴けよ。真実を愛せよ。真実を語れよ。真実につけよ。真実を守れよ。死に至るまで』」トマーシュは、酔った頭を片手で叩きながら記憶を振り出した。「この順番で、合ってるっけ」

 「うん、よく言えたな。医学生にしては、立派なものだ」

 「で、お前は、何をするんだ」と、ペトル。

 「俺はリーダーだ。マリエを守らなくちゃいけないし」

 「調子いいなあ・・・まあ、その時が来たら、ちゃんと働いてもらうからな」

 「おお、任せておけ」

 こうして、ぶらぶらと歩く奇妙な一行は、家畜市広場から狭い小道に入り、やがて新市街の南端に達した。そこには、高い壁が立ち、門は固く閉じられている。治安維持のため、夜間の出入りは禁止されているのだ。門の近くに建てられている小屋は、番兵の詰め所である。一行は、息を潜めてその横を通り過ぎた。

 壁に沿って右手に進むと、正面に小高い丘が見えてきた。その上には、いかめしい櫓や教会の尖塔が屹立している。これが、プラハ南郊を守る『高い城』である。

 プラハ市の奇妙なところは、街そのものが幾重もの壁で囲まれた城市である事に加えて、市の北西のプラハ城、市の南端の『高い城』の二つの独立した城塞を擁する点にある。そして、プラハ市最大の聖ヴィート教会は、市の中心部ではなく、プラハ城内に建てられているのである。これは、王宮を擁する北西のプラハ城こそが、市の中心であるとの、王家の気負いによるものなのだろう。

 それでも、この街に住むチェコ人の多くは、無骨な『高い城』の方に憧憬の気持ちを抱いていた。その理由は、『高い城』がプラハ発祥の地であるという伝説のためである。

 「この街の栄光は、きっと星々にまで届くでしょう」マリエが、呟いた。

 「リブシェ王妃の予言だね」と、イジーが応える。

 「昔、チェコ人は、あの高い城を中心に国造りを始めた。そのころは、王も貴族もいなかった。みんなが、平等に生きていたんだ」昔話に詳しいペトルが、ぽつりと語った。「でも、ある人が言った。『どうして外国には王や貴族がいるのに、我々にはいないのか。我々も、王や貴族が欲しい』。そこで、その意見に賛成した人々は、賢者で評判の少女リブシェのところに相談に行った。リブシェは、美しい眉を曇らせた。王や貴族を持っても、良い事なんて一つも無いと。しかし、みんなは聞かなかった。そこでリブシェは、近在で評判の働き者プシェミスルを王に推薦した。プシェミスルは、最初は困惑したけれど結局は承諾し、リブシェを妻に迎えて、チェコ最初の王になったとさ」

 「その王家は断絶し、今の王様は、雇われのフランス人だ」イジーがうめいた。

 「フランス人じゃないよ、ルクセンブルク人だよ」トマーシュが、すかさず茶々を入れた。

 「どっちでもいい。真面目に政治する気なくて、昼間から飲んだくれているらしい。そんなやつに、この国を任せてはおけない。これからは、我々、学生と庶民が、フス先生とともに構造改革の矢面に立たねばならぬのだ。教会と大司教の横暴を弾劾するのだ」

 「でも、教会のことは、仕方ないと思うわ。ええー、ぞ、ぞ」

 「俗権?」

 「そう、その俗権が嘴を挟めない世界なんでしょう」

 「大学は特別さ。だからこそ俺たちが頑張るんだ。それにしても、神学部の連中、腐敗しきった大司教に加担して、前の大学総長であるフス先生を苦しめるとは、聖職者の風上にもおけぬ」イジーは、激しい口調で言った。「そんな奴らに、大事なお化け退治を任せる事はできぬわ」

 「それで、僕にとばっちりが来たわけか」ペトルは、苦笑した。

 一行は、いつしか犬の遠吠えが聞こえる寂しい区画に入り込んだ。

 「そろそろ出るぞ」「ああ」「大人しくお縄についてくれればいいが」

 3人の青年は、真ん中にマリエを置いて慎重に歩を進めた。いつしか酔いは醒め、秋の夜長の寒さが骨身にしみて来る。

 「ワラキア地方には、吸血鬼ってえのが出るらしい」ペトルが唐突に言い出した。「死人が墓場から蘇って、生き血を啜るんだって」

 「そんな非科学的な」トマーシュの声の震えは、寒さのせいばかりじゃなさそうだ。

 「ペトルさんって物知りねえ」マリエは楽しそうだ。「もっと、お話してよ」

 「トランシルバニアには、狼人間が出るという・・・満月の夜になると」

 「しっ」イジーが、鋭く叫んだ。

 一同は立ち止まった。行く手から、かすかな足音が響く。みんな、素早い動作で、街路沿いの民家の石壁に背中を押し付けた。

 しかし、前方から現れたのは人間だった。足早に、後を気にしながら進むその背中には、大きな頭陀袋がしょわれていた。

 ペトルが飛び掛かった。不意をうたれた怪人は、たちまち転倒して青年の下敷きになる。

 「こいつ、首があるぞ」遅れて飛びついたトマーシュが叫んだ。「お化けじゃない」

 「そんなこたあ、最初から分かってる」イジーが、怪人の頭陀袋を開いた。「こいつは、泥棒だ」

 「出来心だ。見逃してくれい」ドイツ語訛りで、盗賊は叫んだ。暗くて良く見えないが、思ったよりも小柄で痩せている。

 「意気地なしめ」馬乗りになって賊の頭を押さえながら、ペトルは叫んだ。「官警に突き出せば、縛り首だぞ」

 「許してくれえ、家には、身重の妻と15人のチビが腹をすかせて待っているんだあ」

 若者たちは顔を見合わせ、小さくうなずいた。

 ペトルは、立ち上がった。泥棒は、背中の泥を払いながら起き上がると、乱食い歯を光らせながら何度も礼をして去っていった。

 「けったくそ悪い。人間の屑が」

 舌打ちしたイジーが、残された頭陀袋を開けたところ、高価な宝石や絵画がごっそりと出てきた。

 「こりゃあ、すごいよ」トマーシュは絶句した。

 「見かけによらず、大泥棒だったのかな」ぺトルも目を丸くした。

 「一晩で、いくつもの屋敷を襲ったに違いない。これは全て、旧市街の生臭坊主やユダヤ人の財産だろうな」

 4人は、見たこともないような財宝を前に、気まずい沈黙の中に浸った。新市街の労務者や小作人たちは、毎日、食うや食わずやの生活を送っているのである。この貧富の差は、いったい何なのだろうか。

 「あの泥棒、実は偉いやつなのかもな」イジーが、唇を湿らせた。「世の不公平を是正するべく立ち上がった正義の使者かも。後を追いかけて、返してやろうか」

 「それよりも、新市街のみんなに分けてあげましょうよ。みんな、喜ぶわ」

 マリエの提案に、4人は再び沈黙の中に落ち込んだ。彼女の提案は、とても実現できない夢物語だったから。

 一行は、頭陀袋を抱えて、『高い城』の近くの衛兵詰所に立ち寄った。背の高い髯面の衛兵が無愛想に応対し、袋の中身を改めてから、若者たちに早く帰るように説教をくれたので、しらけた若者たちは、夜道を辿って帰路に就いた。

 「お化け退治どころじゃ無くなったわねえ」マリエは、膨れ面だ。

 「まあ、面白い冒険だったよ」ペトルは、からからと笑った。「相手が人間なら、僕でも捕まえられるから」

 だが、この夜の冒険は、これで終わりではなかった。

 一行が、南の門に差し掛かったとき、予期せぬ光景が目に入った。詰所から走り出た衛兵たちが、かがり火をかざしながら、素早く城門を開いたのである。馬の嘶きが響き、やがて市外の荒野から騎乗の男達が続々と入ってきた。不ぞろいの装束といい、薄汚れた身なりといい、どう見てもまともな連中では無さそうだ。

 若者たちは、素早く街路の石壁の後ろに隠れた。

 「盗賊騎士団だ」イジーは、細い目を光らせた。

 チェコでは、14世紀終盤に、王位継承にからんだ内戦があった。このとき領土を失った貴族たちは、傭兵となって欧州各地を流転していたが、その中には、盗賊と変わらぬ所業を成す者が多かった。これが、盗賊騎士団である。

 「それはどうかな」ペトルは冷静だ。「城の守衛が、ああして丁寧に迎え入れているということは、王の息のかかった傭兵じゃないのか」

 「王が、何か企んでるっていうのか」

 「そこまでは分からないけど・・・」

 続々と市に入ってくる荒くれたちは、全部で20名ほどだった。先頭に立つ蓬髪の大男は、小声で訓示を与えると、その騎首を馬広場方面に向けた。かがり火に照らされた彫りの深い顔には、黒い眼帯が巻かれている。

 「話の内容までは分からなかったけど、ありゃあ、チェコ語だったぜ」

 「なら、カトリック教会の傭兵じゃなさそうだ。教会なら、ドイツ人を雇うはずだもの」

 「何が起こるか、楽しみだ」

 「うちのお店のお客さんになってくれるかしら」

 謎の軍隊の行進を見送った若者たちは、それぞれの思いを胸に抱いて家路についた。

 プラハが、いやチェコ全土が見舞われる大動乱の序曲である。

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