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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

17,有智山城炎上

  それとは知らない菊池武重は、都で多忙であった。凱旋したその日から、武者所の常務が復活したからである。

    花の都は焼き払われ、難民がさまよい歩き、奢った将兵は乱暴狼藉の限りを尽くす。これらを復旧し、救済し、取り締まるのも、武者所の大事な仕事なのであった。

   「小夕梨、どこに行ったのだ」荒れ果てた春薫楼の前で、警邏隊を率いた武重は悄然とうなだれた。

 小夕梨は行方不明になっていた。噂では、足利勢の乱暴に脅えてどこかへ疎開したものらしい。ならば、命だけは無事のはずだが。

   町人をいじめる酔った奥州兵を何人かひっとらえて巡回を終えた武重は、早々に職務を切り上げて自分の仮屋敷へ帰宅した。

 意外なことに、屋敷には楠木正成が待っていた。

  正成を客間に迎え入れたのは七郎武吉で、武重が客間に姿を見せたときも、二人で何やら話し込んでいた。

  「やあ、兄上」

  「おお、これは肥後どの。お邪魔してますぞ」   障子を開けて入って来た武重を見て、七郎と正成は軽く会釈をした。

  「河内どの、訪ねてくださると知っていたら、屋敷で待っていましたものを」

 笑顔を見せて武重が言った。彼は七郎が用意した茵に腰を降ろし、弟の隣で正成に向かい合った。

  「いやいや、わいごとき者のために、大事なお仕事をお座なりにしてはなりません」正成は、疲れた顔でほほ笑んだ。

  「泣く子も黙る楠木正成どのが何を言いますか。河内どのの武勇談で、今は都中もちきりですぞ。特に、あの楯をつないで動く城にする戦法、あれにはこの武重、ほとほと感服つかまつった次第」

  「そんなことを言われて面はゆい。あれは、菊池千本槍の活躍を参考にしたまでのこと。それに、足利の騎馬隊に対抗するためには、ああするより外ありませなんだ。別に褒められることやあらへん」正成は、ぶすりと答えた。

  どうも今日の正成は不機嫌のようだ、と考えた武重は話題を変えた。

  「ところで、奥州兵の乱暴狼藉にも困ったものですな。まあ、彼らには、荒れ果てた都でも別天地に思えるのでしょう。それに彼らは尊氏討滅の殊勲者ですばい。こちらも少しは大目に見る心積もりではありますが」

  「尊氏は、まだ討滅されたわけではあらへんで」正成は肩を怒らせた。

  「そうじゃ、兄上、大変ですぞ」武吉も身を乗り出した。「さっき河内どのからうかがったのじゃが、逆賊尊氏めは赤間ヶ関あかまがせき (下関)に入ったそうです。奴は筑紫の御三家を頼って、勢力を挽回するつもりに違いなか。奴はまだ諦めていないのですばい」

  「なあに、慌てることはない」武重は、これを聞いても平然としたものである。「筑紫には尊氏の味方ばかりとは限りません。我々の弟・武敏はもちろん、阿蘇大宮司も健在。それに新田中将どのも、近いうちに大軍を連れて西へと遠征する予定。その時は、この武重も、ばっちり従軍するつもりですぞ」

  「でも、肥後どの」と、正成。「わいの知るところでは、掃部助(武敏)どのは少弐頼尚に城を奪われて流浪の身と聞きます。それに、新田中将どのは帝から賜った女官に夢中で、軍務の席にも現れないとか。わいには、前途多難に思えてならぬのやが」

  「なるほど、河内どのは、特に筑紫の情勢が不安で、筑紫人のおいの所をお訪ねになったのですな」武重は静かにほほ笑んだ。「新田中将のことは何とも言えませんが、筑紫のことなら河内どのを安心させてあげられますぞ」

  これを聞いて、正成と武吉は思わず顔を見合わせた。

  「七郎、お前にもここで教えておくが、九郎武敏はこのままで終わる男ではありませぬ。既においが送った尊氏追討令を読んで、必ず行動を起こし、足利尊氏の野望を打ち砕くに違いなか。おいは、そう固く信じているのですばい」

※                 ※

 菊池武敏は、兄の期待に応えた。

  彼は、阿蘇の山中で力なく項垂れていたわけでは無い。最良の機会を掴むために、狼のように雌伏し、力を養っていたのだ。

  その機会は、間もなくやって来た。兵庫での足利方の大敗北の知らせが伝わると、大宰府に集結していた豪族の間に動揺が走ったのである。

  もしかして道を誤ったのではないか。いや、今からでも遅くない。足利を裏切って新田に味方するべきだ。こう考える豪族が次々と現れた。肥前の龍造寺、筑前の秋月、筑後の黒木など、口実を設けて大宰府を去り行く者が後を絶たなかった。

  「今だっ、菊池を取り返すぞ」武敏の采配の下、菊池、阿蘇連合軍は一気に菊池川を下り、深川城の少岱勢に襲い掛かった。菊池の民は菊池氏の善政を慕っており、しかも少岱光信は油断していたため、この夜間攻撃は見事に成功した。

  「おのれっ、掃部助の鼻垂れ小僧め」悪態を叩きながら本領へと落ちて行く光信であった。深川城は、こうして呆気なく菊池氏に奪還されたのである。

  「よしっ、勝負はこれからだ。大宮司、五郎兄上、これからもよろしく頼む」月光を彩る凱歌の中で、武敏は惟直と武茂の手を強く握った。

  「九郎、戦のことは全てお前に任せるぞ。留守はおいが預かるから何も心配するな。力いっぱいやって来るがいい」いつも武敏をからかう五郎武茂は、珍しく厳粛な顔で弟の逞しい手を握り返した。

  「掃部どの、変節漢の少弐や大友に、正義の鉄槌を打ち降ろしてやりましょうぞ」阿蘇大宮司惟直も、にこやかに頷いた。彼の後ろには、弟の惟成と義弟の惟澄が屹立している。二人ともまだ二十代の逞しい若者であった。

  二月二十五日、菊池、阿蘇連合軍は筑後に進出し、黒木一族を味方につけると高良山に拠った。これを見て、豊後では大友貞順が反乱を起こして菊池に味方した。弟の氏泰から大友家の惣領の座を奪い取るためである。かくして九州は騒然となった。

※                  ※

 そのころ、大宰府では赤間ヶ関の足利尊氏を迎えるため、少弐一族の主力が北に向けて出発しようとしていた。その指揮官は少弐頼尚で、一子の氏鶴丸や家老の饗庭弾正も同行する手筈で、留守を預かるのは貞経入道であった。

  「太郎、足利将軍の人物を良く観察するのじゃ。本当に、我ら一族の運命を預けるに足りるお人かどうかをな」貞経は、春の日差しの中で自分の剃髪を撫でながら、噛んで含めるように息子に語った。

  「分かっております、父上。将軍に、我らを筑紫の盟主にする用意があるか否か、きっちり確かめて参ります」頼尚は強くうなずいた。「ところで父上、菊池掃部助が高良山に拠ったとか。あの蛮勇は危険です。やはり、もっと留守の兵を残した方が・・・」

  「なあに、将軍に我が一族の威勢を見せつけるためにも、なるべく多くの兵を連れて行ったほうが良いに決まってる。それに、掃部助などわしから見ればまだまだ子供、何ができようぞ。ああ、そうそう、将軍たちのための新品の武具は、その間にわしが集めておくと将軍に伝えておいてくれ」

  「・・・わかりました」一抹の不安を感じながら、頼尚は承服した。

  「太郎、帰ったら、例の対局の続きをやろうぞ。あれは、珍しくわしが勝ちそうじゃ」

  「ええ、またもや負かしてあげますよ、父上」息子は微笑んだ。将棋の腕なら彼のほうが父より上なのだが、時折わざと負けてあげることがある。父を喜ばせるために。

  少弐頼尚は、一族の精鋭で固めた二千の兵力で本拠地を後にした。しかし、これがこの親子の今生の別れとなった。

※                  ※

  足利尊氏は、赤間ヶ関の本営で焦燥に駆られていた。

  「少弐筑前守はまだかっ」

  多くの部下を中国道に残し、貧弱な装備のわずか数百の兵を率いる彼にとって、少弐親子の去就は正に死命を制するものであったのだ。

  そのため、少弐頼尚が到着した二月二十五日、尊氏の焦燥は喜色へと一変した。

  「良くぞ参った、筑前守。これから頼りに思うぞ」

  「ありがたきお言葉。不肖、この頼尚、将軍の筑紫びらきの先駆けとなるべくまかりこした所存。かくなる上は、もはや将軍に心労はいたせませぬぞ」

   少弐頼尚は、これが尊氏との初対面であった。手紙のやり取りは以前から頻繁に交わしていたが、直に言葉を交わしたことはなかった。そして今、平服した頼尚は、尊氏が都での悲惨な敗北にめげずに全身から溢れさす覇気と、その人品に敬服していた。この人になら、一族の命運を預けることが出来そうだ。

  尊氏は、初対面の壮者を心服させる、素晴らしい仁徳を持った人物なのである。その尊氏も、頼尚との会話から彼の人品骨相の素晴らしさと教養の高さを悟って感動した。さすがは大宰少弐の嫡流よ、と賞賛の色を惜しまなかったのである。

 ところで、少弐一族は本来、幕府による武家政治に賛同する者であった。かつての元弘の戦乱で彼らが鎮西探題を滅ぼした理由は、後醍醐天皇の公家一統の理想に共鳴したためでは無く、自分たちを押さえ付ける探題が邪魔だったからに過ぎない。そして、彼らの目標である九州の霸者となる夢は、後醍醐政権の公家国司のもとでは実現不可能であった。ここに、彼らが足利幕府に味方する積極的意義が生ずるのである。

  少弐頼尚は、足利兄弟に新調の直垂ひたたれ を贈ると、さっそく九州情勢の解説と検討に入った。彼の提唱する計画は、まずここに居る全員で大宰府に入り、ここを策源地として軍勢を集め、秋の収穫を待って東上の大軍を起こすというものであった。そしてその暁には、この頼尚が鎮西奉行として全九州の統率を握る。彼のこの計画は、容易に実現可能に思われた。

   ただ、菊池武敏の存在さえなければ。

※                  ※

  しかし、戦機を見るに敏な武敏は、少弐勢が二手に分裂したことを知って直ちに行動を起こした。その目標は敵の根拠地、大宰府。

   「父上、三郎兄上、覚勝叔父上、冥府でご覧ください。この九郎、必ず大宰府を落として見せますっ。仇の少弐入道の首を必ず墓前に供えますぞっ。九郎に力をくだされっ」

  二月二十七日、菊池、阿蘇連合軍二千は筑後高良山を全力を挙げて出撃し、北上を開始したのであった。

  「やはり来たか、菊池掃部助、それに阿蘇大宮司め」留守を預かる大宰府の少弐貞経入道は、この情勢に即座に反応した。

 「詫麻たくま貞政さだまさ 、之親ゆきちか 、直ちに出撃して敵を討てっ」

    貞経の命令一下、大宰府を出撃した詫麻勢は、筑後川の水木付近で菊池勢と遭遇した 。

   「九郎どの、唐の兵法に、兵半ば渡るをもって討つべし、と言うのがあります。わざと味方を頽勢に見せて、敵を先に渡河させましょう」

    進言した城隆顕に、武敏は強く頷いた。

    「ようし、敵が半ば渡ったら攻撃開始だ」

    この作戦は大成功だった。先陣が急流を渡って息をつく間もなく菊池、阿蘇勢の猛攻にさらされた詫麻勢は、見る影も無く惨敗し、大宰府方面に逃走して行ったのだ。

  「幸先よいぞっ、凱歌をあげよっ」菊池武敏と阿蘇惟直は、手に手を取って凱歌の音頭を取った。

  「えい、えい、おうっ」水木の河原に、強者たちの雄叫びが轟いた。

 この宮方勝利の影響は実に大きかった。大宰府に集結していた少弐方の豪族たちは次々と日和見に転じ、既に日和見であった豪族たちは続々と菊池陣営に馳せ参じた。特に、筑前の秋月氏や三原氏の参加は大きく、たちまち数の上で菊池方は少弐方を圧倒したのだ。いかに乱世の人心が移ろい易いものか、よく分かる・・・。

  「ばかなっ」驚いたのは少弐貞経である。互角以上の兵力だったはずが、今や味方は一族宗徒のみでわずか三百。それに対し、敵は四千に膨れ上がっている。

  「これでは勝負にならぬ。ひとまず有智山に退くぞ。有智山で将軍や頼尚の援軍を待つのじゃ」貞経入道は唇を噛みながら、大宰府の放棄を決定した。大宰府北方の宝満山に築いた有智山城へと、急いで退去して行ったのである。

  「やったっ、ついに大宰府をとったぞ」炎上する少弐一族累代の居館を背景に、菊池武敏は感激に打ち震えていた。まさかこのおいが、敵の親玉、少弐の本拠地をこうも簡単に陥落させることが出来るなんて。感涙にむせぶ彼の耳朶の中で、大宰府に充満ずる味方の万歳が響きわたっている。

  「この機会をおいては、少弐貞経を討つことはできまい。こんな僥倖は、今しか無いのだ」

   そう思い詰めた武敏は、兵に休息も取らせずに一挙に有智山に攻め入った。

   しかし、有智山城は不敗を誇る名城であり、その堅固さは九州随一であった。切り立った宝満山の山頂から、巨大な矢倉がにょきにょきとそびえ立つ。その矢倉の一つから、少弐貞経は周囲を埋め尽くす菊池の大軍を睥睨していた。

  「掃部助、よくぞここまでこの妙恵を追い詰めた。天晴じゃ、褒めて遣わす。じゃが、それもここまで。将軍と頼尚が急を聞いて駆けつけるまで、まず三日。三日ではこの城はどうにもできぬわっ」

   一方、菊池武敏は、有智山を見上げる本陣で、諸将を集めて熱弁をふるっていた。

  「みんな、もう一息だ。もう一息で憎き少弐入道の首をとれる。それに、この城さえ落とせば、もはや大逆無道の足利尊氏も行き場を失い、野たれ死ぬ運命となろう。下は亡き先代(武時)のため、上は天朝さまのため、みんなの力をおいに呉れっ。もう一息だっ」

  「おおうっ」

   菊池、阿蘇一族の将校は、この訓示に闘志を大いに奮い立たせた。だが、外様の豪族の中には逆にすっかり白けた者もいた。

  「なんじゃい、これはほとんど菊池一族の私怨の戦かよ。つまらなかあ」

   しかし、菊池、阿蘇両勢の奮闘は、彼らの興ざめを問題にしなかった。文字どおり不眠不休で城壁に押し寄せ、守備隊を苦しめた。阿蘇惟澄などは、自ら城壁を乗り越えようとして肩に数創の疵を負うほどであった。

  「惟澄どの、もうよか。下がりなされっ」

   赤星武幸の制止を振り切って、惟澄は尚も陣頭に立とうとした。

  「なんのこれしきっ。痛くも痒くもないわいっ。みんな、おいに続けっ」

   戦友の遺骸に目もくれず、菊池、阿蘇勢は遮二無二突撃を敢行する。みんな、血走った目で悪鬼のようだった。

   「む、無駄なことを。この城は、そう簡単には落ちぬわっ」

 矢倉の上の貞経は、しかし青ざめた顔で寄せ手を凝視した。彼らの狂人のような怒号は、六十を超えた老人には刺激が強すぎる。貞経は、寄せ手から目を背けると、階段を降りて本丸へと向かった。

   だが、菊池、阿蘇勢の怒号に神経を脅かされたのは彼一人では無かったのだ。本丸でくつろいでいた貞経は、娘婿の原田対馬守の突然の訪問を受けた。

  「これは対馬どの、貴殿の持ち場は二の丸のはずじゃが。一体どうなさった」

  「ええ、義父上に相談したきことがござって」

  「なんですかの」

  「義父上は本気で、負け犬の足利尊氏が救援に来てくれるとお信じか」

  「もちろんじゃ。対馬どの、将軍は負け犬では無いぞ」

  「おいは、そうは思いません。尊氏が、圧倒的優勢な兵力を持ちながら京を追われたのは、新田義貞の戦略の妙でも、武運の力でもごわさぬ。天朝さまに刃向かった罰があたったのです。歴史をご覧なされ。逆賊の汚名を被って終わりをまっとうした者がおりますか。尊氏の運命は、もはや風前の灯火。いずれ、筑紫は奴の墓場です」

  「・・・対馬どの、一体何が言いたいのじゃ」

  「おいは、菊池掃部助どのに降参することに決めました」

  「な、なにっ。正気か、対馬っ」

  「ええ、もはや二の丸は、敵将・城隆顕にくれてやりました。それで、本丸の義父上にも、降参を勧めに来た所存」

   冷然と語る娘婿の目を見つめたまま、貞経は傍らの小姓に声をかけた。

  「井筒丸よ、二の丸の旗印を見て参れ」

  「 飛び出して行った小姓は、やがて泣きそうな顔で駆け戻って来た。

   「お、お屋形さまっ、まことです。菊池の旗が翻っておりますっ」

  「対馬っ、きさま、裏切ったなあっ」思わず立ち上がった貞経は、憤怒で目を真っ赤にしていた。その両手の拳は、小刻みに震えている。

  「ふふん、言いたくはないが、博多合戦のツケが回って来たのですよ義父上。聞きなさい、あの菊池勢の怒号を。おいには、寂阿どのの恨みの声に聞こえますわい。あんな死に狂った軍勢と戦うのは面白くない。それで降参に決めたわけです。義父上も、覚悟を決めるならお早めに」

  「・・よく分かった。二の丸で待っているがいい」貞経は、身を翻すと奥の間へかけ入った。二の丸が陥落しては、もはや勝利の見込みは皆無である。かくなる上は、潔く腹を切るまで。   一族郎党数十人を大広間に集めた貞経は、冷静な口調で自決の覚悟を伝えた。

  「井筒丸、お前は頼尚の元へ行って急を知らせよ。なに、一緒に死にたいと言うか。それはならぬ。お前だけでも生き残り、この無念を子孫に伝えねばならぬのだ。わしの無念とは、将軍たちのために城に集めておいた新調の武具を失うことと、そして頼尚との対局の続きがお預けとなったくらいじゃがな。がっはははは・・・さあ行けっ、井筒丸っ」

   小姓を秘密の抜け道から外に出した貞経は、白装束を纏った一族を見渡した。

  「わしは坊主じゃ。坊主には火葬がふさわしい。わしが死んだら遺体は焼き尽くせ。これがわしの遺言ぞ」そう叫ぶや否や、貞経入道は短刀を脇腹に差し入れ、返す刀で首を突いた。これが、一世の驍雄、少弐妙恵入道貞経の最期であった。享年六十五歳。

  「お屋形に続けっ」これを見た彼の弟や息子、その郎党は次々に腹を切った。ただ一人、貞経の末子の宗応そうおう 蔵主ぞうす を除いて。父の遺体を火葬にするため、彼は涙をこらえながら後に残ったのである。

    やがて、本丸は紅蓮の炎に包まれた。宗応蔵主は、館に火を点けるとその中に父の遺骸を投げ込み、自分も猛火の中に飛び込んだのだった。

    燃え盛る本丸に菊池勢が乱入して来たのは、その直後のことであった。だが結局、貞経の首を発見できなかったことは、誇り高い貞経にとって最善の供養だったかもしれない。いずれにせよ、難攻不落と謳われた有智山城は、皮肉にも一族の裏切りによって陥落したのだ。時に建武三年二月二十九日。

  「妙恵入道、あの世で我が父に詫びるがいい」

   燃え盛る本丸館の炎を見つめながら、万歳の声に囲まれながら、菊池武敏は大願成就の喜びを噛みしめていた。

 しかし武敏には、まだ大仕事が残っていた。足利尊氏との決戦である。

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