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長編歴史小説

昭烈三国志

7.放浪の日々

 

 「俺は、冷たい男かもしれん」劉備は、漠然とそう思った。

 草原の上に、一人で横たわる彼は、朝露で濡れたぺんぺん草を引っこ抜いて口にくわえた。

 「母や叔父上のことを思い起こしても、少しも心が痛くならない。張世平どのの消息が不明でも、何の感慨も湧き起こらない。部下たちが次々に去っても、傷つかない。俺の心は、どこか壊れているのじゃなかろうか」

 安喜を出奔してから、劉備たちの放浪生活は長く続いた。

 県を出たところで、急を知って駆けつけた簡雍たちと合流したが、劉備の無鉄砲な行動に呆れた部下たちは、次々に群れを離れていずこかへ去っていった。とりあえず、関羽の故郷、司州へ移動して職探しをしたものの、用心棒のときのように割の良い仕事は見つからず、部下たちは、ここでも櫛の歯を削るように欠けていき、今や関羽、張飛、簡雍以下六名しか残っていなかった。これでは、英雄になるなど思いも寄らない。

 今では、ここ并州で無頼漢たちの世話になる他に、生きていく手段が無いのだ。

 こうした悲観的な感慨にふけっていると、騎馬の音と、続いて下馬して走りよる大男の声が耳朶を打った。

 「兄貴、喜べ、仕事だぞ」張飛の声だ。

 「今度は何だ」劉備は、物憂げに草を口から吐き出した。「出入りか、花嫁泥棒の手伝いか」

 「そんなこっちゃない。平難中郎将のお供をして都へ行くんだ」

 「都か」劉備は、立ち上がった。「それは悪くない」

 劉備たちは、平難中郎将・張燕とつながりを持っていた。

 張燕は、元は黄巾軍の渠師で、楮燕と名乗る平民出身の侠客であった。彼は、黄巾軍主力の壊滅後も、ここ并州に残存兵力を集め、百万人を擁する大コミュニティーを築き上げていたのである。その勢威の強さに、官軍も討伐を諦め、官職を与えてその勢力を公認したというわけなのだ。黄巾党である張燕と、もと官軍の劉備は、かつては敵同士にあたるが、今では国に反逆したお尋ね者同士、何となく連帯していたのである。

 張燕は、并州に培った勢力をさらに拡大する野心を持っていたので、各地の侠客や無法者と連絡を取り合っていた。そのため、彼の周囲には著名な豪傑が勢ぞろいである。

 劉備たちは、そんな連中との交流を大切にしていた。

 劉備と張飛が、黒山にある張燕の屋形に馳せつけたとき、先着していたもう一人の義兄弟・関羽は、表門のわきで一人の偉丈夫と懇談していた。その偉丈夫は、雁門の張遼、字は文遠という若者である。武芸の腕で成り上がろうと志し、侠客になった経緯は、劉備たちと同じである。彼は、どういうわけか関羽と馬が合い、暇さえあれば杯を傾ける仲だった。

 「やあ、兄者に益徳」関羽は、屋形に入ってきた二人を見て微笑んだ。「都が楽しみですなあ」

 「うん、文遠どのも一緒か」劉備は、笑顔を返して張遼を見る。

 「いいえ」張遼は、肩をすくめた。「俺は先ごろ州から招聘を受けたので、刺史どののもとへ参上しなければなりません。それゆえ都へは同行できません」

 「并州の刺史・丁原どのの旗下になられたのか。それは目出度い」劉備は頷く。

 「お尋ね者の俺たちには、一生無理な宮仕えか」張飛が、自嘲気味に言う。

 「なあに、見ていろ」劉備は、張飛の頭を拳固でこづいた。「世の中は変わる。昨日のお尋ね者も、明日は官軍になる」

 「・・・丁原どのが、大勢の無頼漢を身辺に集めているのにも、何か理由があるのかもしれません」張遼は、深刻そうに呟いた。「世の中は、予期せぬ動きを見せております」

 「君にとっては、絶好の機会だね」と、関羽。

 「ふふ、それはお互い様だろう、雲長」

 みんなで連れ立って大広間に入ると、そこには、部将たちや侠客連中に囲まれた旅装姿の張燕がいた。年のころ三十半ば。小柄だが、立派な体格の精悍な男である。

 「よく来てくれました」漢の平難中郎将は、見事に整った長い髯をしごいて、三兄弟と張遼に挨拶した。「世の中物騒ですが、みなさんが一緒なら怖くありません」

 笑顔を返して挨拶した劉備は、しかし心の中で呟いた。

 「あんたに、怖いものがあるのか」

 張燕に対する嫉妬の思いもまた、彼の中に強くあるのだった。

 

 翌日、張燕率いる三千の軍兵が、牛革で飾った旗を振り振り、隊伍を整えて都へと南下していった。その目的は、官位拝領のお礼参りということになっていたが、その真のねらいは、自分の強大な勢威を朝廷に知らしめるためであった。そのため、劉備たちのような侠客や無法者を大動員したというわけだ。

 砂に覆われた枯れ谷の間を進むこと二十里。行く手に砂塵が舞った。

 「ありゃあ、軍勢だな」

 「うん、五百はいる。馬蹄の音から考えて、よく訓練されているようだが」

 「何者だろうか」

 劉、関、張の三人は、口々に言って首をかしげた。并州に、張燕の息のかからない精鋭軍がいるとは信じられない。

 やがて、砂塵を縫って謎の軍団が姿を現した。先頭にたつ騎将は、華麗な鎧に身を包んだ美丈夫であるが、従う兵卒は、みな騎乗で見慣れぬ鎧を身に着け、獰猛な面構えを見せている。

 味方の伝令が、後方から走ってきた。先頭に位置する劉備たちは、馬足を緩めた。

 伝令はそのまま劉備の脇をすり抜けて、前方の軍団へと走っていく。

 「奴らは、蛮族ですな」関羽が言った。「髪型と服装で察するに、匈奴の連中でしょうな」

 「匈奴が、どうしてこんなところに」劉備が振り向いた。

 「朝廷の宥和政策で、漢に帰化する者が多くなっているそうですぞ」

 「なるほど、だが」劉備は、謎の軍勢のほうに手をかざした。「先頭に立つあの凛々しい男は、漢人じゃあねえか」

 「なんなら、挨拶に行くかい」と、張飛。

 「ああ」劉備は、微笑んで手綱を握りなおした。

 陣を離れて馬首を進める三人は、やがて粗末な筵旗をその視野に入れた。墨で「呂」と大書してあるようだ。

 件の馬上の美丈夫に近づいた関羽は、一礼をして問いかけた。

 「不躾ながら、呂布奉先どのではござらぬか」

 張燕の使者と歓談していた美丈夫は、驚いた顔を関羽に向けた。

 「いかにも。して貴殿は」野太い声だ。

 「拙者は、関羽、字を雲長と申すもの。河東の長生と呼ばれることもあります」

 「ああ」美丈夫は、笑顔で手を叩いた。その端正な風貌に白い歯が浮かぶ。年は二十代後半くらいか。「噂は聞いている。曾勝を見事に討ち取ったそうだな。いつのまに張燕の配下になられた」

 「張燕どのの配下ではござらぬ」関羽は、頬をほころばせた。「今では、幽州の侠客・劉備玄徳どのと行動をともにしています」

 「ああ、劉備どの」呂布は大声を出した。「中山郡の督郵をボコボコにしたそうな。なかなか出来る事じゃねえ。彼こそは男の中の男よ。あんた、劉備と知り合いか。一度お会いしたいが、紹介してはもらえぬか」

 「その必要はありません」噂の男が進み出た。「拙者が劉備です」

 「おお、おお」呂布は、突然笑い出した。「噂どおりの大耳よ。本当に肩まで届きそうだ。いやあ、恐れ入った」

 荒々しく日焼けした呂布は、美丈夫ではあるが、全身筋肉で出来た大男でもあった。馬の鞍に括り付けた戟は、十尺はあろうかという大得物だ。

 「失礼ですが」

 「おお、名乗りが遅れましたな。拙者は、五原の呂布、字は奉先。若いころから北地の草原をねぐらにして、匈奴の若者たちを心の友として育った者。このたび、并州刺史・丁原どのの招聘を受け、仲間たちとともに馳せ参ずる途上、こうして張燕どのの軍勢と鉢合わせした次第です。大耳どのは、これからどちらへ」

 「燕どのの供をして、都を見物しようかと」

 「ははは、そうですか。洛陽で、今度は皇帝をぶん殴ってくだされ。誰かがやらねばならぬこと。耳君なら、打ってつけでしょう」

 「気分が良いでしょうな」

 「うんうん。それが侠客の夢ですからな・・・いやあ、耳君とは気が合いそうだ。一献傾けたいところだが」

 「お互い、多忙の身ですからな」

 「そうそう、まあ、狭い天下。いずれ親しくお会いする機会もあろうよ」

 「そうですな」

 劉備は、笑顔で呂布と別れ、張燕の陣へと馬首を返した。関羽と張飛もそれに従う。

 しばし彼らを見送っていた呂布は、張燕の使者との打ち合わせに戻った。

 「いきなり、耳君呼ばわりとは、ふざけた奴ですな」張飛が、ぶっきらぼうに言う。

 「確かに礼儀は知らないが、武芸百般に秀でた強者だ。おそらく、お前も奉先には勝てまいよ」関羽は、横目で義弟を睨んだ。

 「そうかな、そうは見えねえ」張飛は、唾を飛ばす。

 「無邪気で、面白い男じゃないか」劉備は、笑顔で張飛の肩を叩いた。彼には、侮辱を侮辱と思わない鈍さというか図太さがあった。「ところで、張遼や呂布を招聘して、并州刺史は何をするつもりなのだろう」

 「張燕と戦を始めるつもりなのでは」関羽は、腕組みして吐息をつく。「戦場で、彼らと対決する事もあるやしれません」

 「なあに、そのとき雲長兄貴は、俺の実力を見直すことになるのさ」張飛は腕まくりする。

 「亡骸の世話をする羽目にならなきゃいいがな」

 「言ったな」張飛は、またもや唾を飛ばす。

 そのとき、伝令が戻ってきた。その笑顔を見るに、話は無事についたらしい。

 呂布の軍勢は道の左側を、張燕の軍勢は道の右側を、互いに距離を置きながら通ることに決まったのである。

 「随分と慎重だな」張飛は、ゆるゆると進む軍列の中で、鼻毛を抜きながら呟いた。「こちらは三千、向こうは五百。万が一合戦になっても、こっちに分があるだろう」

 「甘く見るな」関羽は、義弟を嗜めた。「奉先一人で、万人に匹敵するとの風評だ」

 「万人だあ、根拠の無い妄説だろうが」

 「俺も、今まではそう思っていた。だが、燕どののこの慎重さを見て考えが変わった。奴の強さは、きっと本物だ」

 「同時に、信用置けない人物だということが分かるな」劉備が、横から鋭い視線を投げる。「いつ裏切られるか分からない・・・この行軍は、そういう慎重さに満ちているよ」

 三人の不安な眼差しにかかわらず、両軍の隊列は何事もなくすれ違った。呂布の精気に溢れた隊列は、再び北の砂塵の中に消えていった。

 

 一ヶ月して、一行は都に入った。

 首都洛陽は、并州から南行し、黄河を越えたところに置かれた交通の要衝である。現在の中国人は、死後、この近郊に葬られることが夢なのだという。

 漢帝国は四百年の長寿を保ったが、前半二百年は前漢(中国の呼称では西漢)と呼ばれ、その首都は長安(現在の西安)にあった。その後、王莽の反乱によって一旦漢が滅亡し、光武帝(劉秀)による中興(紀元三十六年)がなされたとき、後漢(中国の呼称では東漢)帝国は、その新たな首都に洛陽を選んだのである。

 後漢末の人口は、約二百万。政治の中心であると同時に、一大消費都市であった。

 劉備たちは、幽州州都(薊)より大きな都市に行ったことが無かったので、洛陽の壮麗さに大いに驚き、かつ楽しんだ。

 「いやあ、人が多いぜ」繁華街の真中で、張飛はどんぐり眼を丸くした。「こりゃあ、侠客が住む所じゃねえな」

 「うむ、こういうところに巣食っているのは、おおかた、チンピラかヤクザだろう」関羽も深く頷く。

 「どう違うの」と、簡雍。

 「ばっきゃろう、段違いだぜ」と、張飛。「侠客は、民の迷惑になるようなことはしない。権力に反抗する時も、それは民を守るためだ。チンピラヤクザは、そうじゃない。奴らは、民をだまして脅しつけ、その恐怖を食い物にして生きている連中だ」

 「そのとおり」関羽は髯を撫でる。彼は張燕の真似をして、最近、髯を長く伸ばして整えているのだ。「益徳も、少しは成長したな」

 「ふん、兄貴はいつも俺を子ども扱いにする・・・おっと、あれあれ」

 「ん、どうした」

 「やべえ、財布がねえぞ。確かに懐に入れておいたのに」

 「あはははは」無言で隣を歩いていた劉備が、手を叩いて笑った。「侠客の王者・益徳も、チンピラヤクザのスリには勝てないってことか」

 「うるせえ、まだギラれたと決まったわけじゃあねえ」

 「負け惜しみは、侠客らしくないよ」簡雍は、いたずらっぽい笑顔をあばた面に浮かべて右手を差し出した。そこには、見覚えのある袋が。

 「ああっ、憲和。おめえがギったのか」

 「違うよ、スリが益徳の懐から盗ったやつを、俺がスリ返しておいたんだ」

 「憲和、お前なら洛陽でも生きていけるな」感心して頷く劉備。

 「ふん、おめえにはチンピラヤクザの親玉がふさわしいや」ご機嫌斜めの張飛である。

 「町と人並みが、こう華やかだと」劉備が、遠い目をして腕組みした。「かえって、故郷の桑の木を思い出すなあ。あれはまだ立っているのかな」

 「樹木は長生きですから」関羽が、優しい目で言った。「この町が滅びても、まだ立っている事でしょう」

 関羽の不吉な言葉は、ほどなく現実となる。

 

 張燕が皇帝に拝謁している間、劉備は恩師の盧植を訪ねることにした。

 盧植は、冤罪が晴れて釈放された後、昇進を重ねて尚書の要職にあった。先生は、劉備の突然の訪問に大いに驚き、かつ喜んだ。

 「ははは、督郵を殴って出奔するとは、実に玄徳らしいよ」

 「先生の名を汚したことが残念です」

 「いやいや、そんな瑣末な事件、お上は問題にしていないよ。なにしろ中華全体が反乱の坩堝と化しているからね。長沙の区星、西涼の馬騰と韓遂。汝南の劉辟。幽州の張挙と張純。青州にも黄巾残党。とにかく、きりが無い。黒山賊の張燕を懐柔したのも、匈奴や烏丸に対する宥和政策も、他の反乱がたいへんで手が回らないからだ。今にきっと、耐え切れなくなる」

 「お上は、何か対策を考えていないのですか」

 「軍制改革は進んでいるな。最近、西園八校尉を設けた。将来が嘱望される八名に、親衛隊の統率を任せようというのだ。憲碩、袁紹、鮑鴻、曹操、趙融、馮芳、夏牟、淳于瓊の八名だ。みんな、優秀な男たちだよ。また、新たに州牧制度を設けた。お上は、州刺史に軍事権が無いから黄巾を早期鎮圧できなかったのだと考えた。それで刺史に軍事権を与えることにした。これが州牧だ。州牧は、中央の許可を得ることなしに、勝手に軍を造ってこれを好きに動かせるのだ」

 「それじゃあ・・・州牧が謀反を起こしたらどうなります」

 「他の州牧に鎮圧してもらうつもりだろう」

 「・・・いくつもの州牧が連合したら」

 「帝国はおしまいだ」

 「・・・・・」

 「だいたい、本末転倒なのだ。反乱が起きているのは、軍隊が弱いせいではない。政治がうまくいってないからだ。軍制改革より先に、政治改革をやるべきなのだ」

 「どうして、それが出来ないのですか」

 「決まっているだろう。政治改革を断行することで、利権を失う連中が政治を握っているからだ。濁流の奴らだ。腐った宦官・十常侍。無能な外戚・何進と董重。こいつらが政治を専断している限り、儒の理想はすたれてしまう。我々、清流が立ち上がり、なんとかしなければ、国が滅びてしまうぞ」

 「先生、頑張ってください」

 「玄徳よ、お前の力を借りるときが来るかも知れぬ。それまでは自重してくれよ」

 「分かりました」

 「ああ、そうそう。毋丘毅どのが都におられる。お前に会いたがっているから、今度紹介するよ」

 「ああ・・・よろしくお願いします」

 盧植邸を辞した劉備は、一見華やかな雑踏の中を、複雑な思いを抱いて歩いた。

 「この賑わいも、嵐の前の静けさかもしれぬ・・・」

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