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長編歴史小説

ボヘミア物語

第十章 怒りに燃える街

 

    1415年9月、プラハは異常な空気に包まれていた。

 チェコ全土からこの街に集まった450名の貴族たちが、直ちに同盟を結成し、「神の言葉を聞くための最高の権威は、ローマ教皇庁ではなく、プラハ大学にある」旨を宣言したのである。同時に、450名の印章を付けた書簡をコンスタンツに送り、その中で「フス師の処刑は、われわれチェコ国民に対する永遠の侮辱であり誹謗である」と訴えた。

 また、プラハ市の参事会も緊急会議を開催し、公会議の暴力を強く非難し攻撃した。

 

 だが、南ドイツの公会議は、何事もなかったかのように整然と続けられた。

 コンスタンツに幽閉中のイエロニームは、師の無残な最期を知って号泣した。

 そんな彼の身にも権力の毒牙は迫り、厳しい審問は、彼に「転ぶ」ことを強要した。

 公会議は、フスの教えが異端であると断定したものの、フス本人からはその確認を取ることが出来なかった。そこで、フスの最も近しい同志であるイエロニームを異端から「救う」ことで、間接的にフスが異端であることを証明しようとしたのであった。

 「フス先生は異端ではない。従って、転ぶ必要は無い」必死に主張するイエロニームは、しかし蜘蛛の巣に絡め取られた蝶の運命だった。

 「形の上だけでも転べば、それで全てが許されるのだ」この枢機卿の声は、悪魔の誘惑であった。

 9月11日、焦燥感と恐怖に囚われたイエロニームは、この勧告を受け入れてしまう。勝ち誇った公会議は、さっそくその「信仰告白」をボヘミア国王と貴族同盟宛てに書くよう、彼に強要したのである。

 だが、机に向かったイエロニームは、「私は・・・」と書きかけてその筆を止めた。

 「どうしたのだ」枢機卿らは、彼の背後から訝しげな視線を投げる。

 イエロニームは、ペンを卓上に置き、その両手を膝の上に乗せ、そして両目を閉じた。その脳裏に浮かぶのは、この数年間の祖国の偉大な歩みであった。チェコ語での自由な説教、自由な学問。二重聖餐。そしてユダヤ人との和解と協調。

 フス師は、何のために死んだのか。フス師は、自らの命に代えて、これら掛け替えの無いものを守り抜こうとしたのだ。

 彼の心の眼には、フス師を救うためにはるばる駆けつけたジシュカや、学生たちの笑顔が次々に浮かんだ。彼らを裏切ることは断じてできない。

 再びペンをとったイエロニームは、羊皮紙に次のように書き記した。

 「コンスタンツで、フス師は何の過ちも犯すことがなかった。彼は、最後まで正しい信仰を守り続けたのである」

 枢機卿たちは冷たい目を見交わして、そしてうなずいた。

 イエロニームは、異端の容疑者として公会議に引き出された。彼は、公会議の席上で「公会議側の主張は、事実無根か曲解に基づいている」と勇敢に叫び続け、最期まで信念を変えようとしなかったのである。

 1416年5月30日、第21回総会でイエロニームは異端宣告を受けた。僧衣を剥奪された彼は、直ちに城壁の外へと引き出され、そして師と同じ場所で火刑台の露と消えた。

 

 再び加えられた大きな侮辱を前に、プラハ市は、大いに震撼した。

 プラハ大学は直ちに会議を招集し、そして次のことを定めた。

 「ヤン・フス師をチェコの守護聖人とし、そして彼の命日である7月6日を、聖ヤン・フスの日と呼称する・・・」

 貴族たちによって国内で最高の宗教的権威と認められたプラハ大学は、今や教会権力に正面から戦いを挑んだのである。

 市民たちも憤慨し、切歯した。キリスト教徒の模範とも言うべき、あの気高いフス師とイエロニーム師を異端呼ばわりした上で殺した皇帝と教会に対し、憎しみの炎をたぎらせたのである。

 二重聖餐を行う聖職者たちは、誇りをもって自らを「フス派」と呼んだ。

 カトリック側のプラハ大司教ヴェヒタは、この情勢に「聖務停止令」の発布で報いた。すなわち、フス派の聖職者から全ての権限を剥奪し、聖職禄すら取り上げたのである。ただ、この「聖務停止令」は実効を持たなかった。なぜなら、国王ヴァーツラフが、フス派を全面的に擁護したからである。

 国王は怒っていた。王妃ジョフィエも衛兵隊長ミクラーシュも怒っていた。フスとイエロニームの処刑は、断じて許されることではなかった。

 「弟め、フス師に自由通行証を与えながら、自らそれを破るとは見下げ果てた奴だ。それでも神聖ローマ皇帝と呼ばれる身なのか」

 「王よ」王妃も強い口調で言った。「我が国は、このような侮辱に耐えることはできません。カトリックを追放し、新たな教会を立ち上げるべきでしょう。亡き先生方のためにも」

 「国内の結束は、未だかつて無いほどに高まっております」ミクラーシュも進み出た。「ヴァンテンベルクのチュニック卿、ロジュンベルクのオルトシフ卿も、その領内で二重聖餐を施行しています。我が国は、今やフス派の国になったのですぞ」

 しかし王は、彼らから目をそらせた。さすがに、カトリックの追放には踏み切れない。全ヨーロッパを敵に回す戦争になったら、とても勝ち目は無いだろう。

 しかし、市井でのフス派の熱狂は高まるばかりであった。

 7月6日のフスの命日は、フス派の教会や大学に詰め掛ける群衆によって、プラハ市が埋め尽くされた。彼らは、ミサに参列し二重聖餐を受け、そして大学講師たちの説話に耳を傾け、亡き師たちの想い出に頬を濡らした。彼らは、『真実』を守り続けることを堅く誓ったのである。

 大学での集会が終わった後、イジー、ペトル、トマーシュの3人は、ヴィノフラディ(葡萄畑)のジェリフスキーのアジトに集まった。部屋では、首領の他、ジシュカとトチェンプロッツも彼らを待っていた。

 「たいへんなのは、むしろこれからだ」ジェリフスキーは、虚空に視線をさまよわせた。「我々は、おそらく大きな試練に直面することだろう」

 「望むところだ」イジーはきっぱりと言った。「真実のために生きることこそ、我が使命」

 激情家のイジーは、フスとイエロニームの死に衝撃を受け、一時期は酒びたりとなり、完全に人生の意義を見失っていた。しかし、ようやく、友人たちの励ましによって立ち直ったばかりである。

 「崇高な理想を実現するのです。困難は当然です」ペトルも力強く言った。

 冷静なペトルも、一時期は先生方の理不尽な死を前に絶望的な気持ちになっていた。しかし、彼は考えた。先生方の犠牲は何のためだったのか。神の子イエスの犠牲は無駄ではなかった。ならば、先生方の死も、無駄にしてはならないのではないか、と。

 「みんなで力を合わせれば、必ず成就する」トマーシュが、痩せた頬を膨らませた。

 理論派のトマーシュは、コンスタンツでの非道を見て、カトリック教会の堕落と腐敗を確信するに至った。彼は、激しい闘志をもって、『真実』を追求する決意を固めたのである。

 「お前ら、いい面構えになったな」ジシュカは微笑んだ。

 「頼りにしますで、坊やたち」大泥棒も嬉しそうだ。

 「うむ」ジェリフスキーは大きくうなずいた。「『神の戦士』は永遠に不滅だ。今こそ誓おう。『真実』を守るために命を賭け、そして最期まで戦い抜くことを」

 彼らは、歩み寄って手を差し伸べ握り合った。

 「これから進むべき道は違えど、合言葉はただ一つ、『真実』だ」

 「『真実』のために」みんなが唱和した。

 窓から差し込む夕日が、屹立する彼らを赤々と照らした。

 修道士、大泥棒、傭兵隊長、そして3人の学生。奇妙な機縁で結ばれた者たち。

 闘志に胸を膨らませてアジトを出た学生たちは、丘を降りながら、遠く西の空を見つめた。そこでは、今も公会議が開催中である。

 「あれを」トマーシュが、左手の丘を指差した。

 そこには、聖霊のような姿があった。白い肌着姿のヴィクトルカが呆然と立ち尽くし、そしてこちらを眺めているのだ。

 「彼女も、何かを感じ取っているのだろうか・・・」イジーが呟いた。

 「ときどき思うんだ。彼女が、一番『真実』に近い存在なんじゃないかって」ペトルが言う。

 「ペトルらしい考えだけど、それは悲しい意見だな」トマーシュは肩をすくめた。

 「そうとも。『真実』は、バカになることじゃないぜ。命がけの努力をして、現状を打開することで産まれるものだ」イジーも唇をゆがめる。

 「そのとおりだ」いつのまにか、ジシュカが3人の後ろに立っていた。「ペトル、君の考え方は面白いと思う。しかし、努力を諦めてしまえば、何の解決にもならない」

 「ジシュカさん。前から聞きたいことがあったんです」イジーが向き直った。「酒場のマリエから聞いた話だけど、あなたは『フス師のお陰で生き返った』って。これはどういう意味ですか」

 「そんなことを聞いて何になる」傭兵隊長は、蓬髪を掻き揚げながら、片眼をしばたいた。

 「僕たちは、もっとあなたたちの事を知っておきたいのです」

 「ふふん、大した話ではない。俺は昔、外国の戦場を馳駆するだけの人生を送っていた。生き抜くために、かなり惨い事をやっていた。どうせ地獄行きだと思って、何もかも諦めていたんだ。ところが、チェコに帰って来て、フス師の話を聴いて、もう一度やり直せると思った。俺は、初めて救われたのだ」ジシュカは、彼方を彷徨う白い影に目をやった。「俺の心は、今ではあのヴィクトルカと同じで真っ白だ。『真実』を守るため、誠心誠意戦い抜く決意なのだ」

 学生たちも、傭兵隊長と同じ決意だった。

 

 1417年、3人の教皇は正式に退位させられ、代わりにマルティヌス5世が新たなローマ教皇に選出された。ここに、教会大分裂は終わりを告げたのである。

 そして1418年4月、コンスタンツ公会議は大いなる成果をあげた上で解散となった。自らの威信を極限にまで高め、皇帝ジギスムントは満足であったろう。

 しかし、チェコの人々は取り残されてしまった。彼らの上に残ったのは、一方的に処断された2人の偉人への想いと、一方的に貼られた異端のレッテルだけであった。

 しかし、このことが、ヨーロッパ全土を震撼させる大事件に発展すると予想したものはいなかったのである・・・。

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