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長編歴史小説

昭烈三国志

11.界橋の戦い

 

 「弟が死んだだと」公孫瓉は絶句した。「どうしてだ」

 彼の弟・公孫越は、客将として南陽の袁術の陣営にいた。そこは、客将が戦死するような環境ではないはずなのだ。

 早馬が物語るところでは、こうであった。

 袁紹と袁術の兄弟争いは激化していた。彼らは、己の部下を勝手に各州の牧や太守に任命していったので、二人の人物が一つの役職を巡って争う事態が起こりうる。そして、豫州でそれが起きた。袁紹の任命した豫州牧・周昂と、袁術が命じた豫州牧・孫堅が戦火を交えたのである。この戦い自体は孫堅(袁術)の勝利となったのだが、たまたま孫堅の部将として参戦していた公孫越が、流れ矢に倒れたのだ。

 「本初が殺したようなものだ」公孫瓉は、拳を震わせた。「復讐してやる」

 こうして、黄巾の捕虜を組み込んで五万に膨張した軍団は、その進路を北西に取った。目指すは、袁紹の居城・鄴である。

 最初の野営地で、劉備は公孫瓉の幕舎を訪れた。

 「どうした、玄徳」大軍の総大将は、濃い顎鬚を撫でながら羊皮の敷物に座っていた。

 「伯珪兄貴、軍を退いてくれないか」

 「どうして」

 「肉親を奪われた兄者の気持ちは分かる。しかし、袁紹は、曲がりなりにも反董連合軍の盟主じゃないか。これを攻撃するには、大義名分が欠けているよ」

 「玄徳よ」公孫瓉は、優しい目を向ける。「今は乱世なんだぜ。漢朝の権威は、とっくに崩壊しているんだ。もはや、力こそが正義。強いものが天下を制するのだ」

 「天下・・・・」劉備は、愕然として立ち尽くした。「兄貴は、天下を取ろうというのか」

 「当たり前だ。俺のこの軍団は、恐らく中華最強だ。使わない手はない。そして今、もっとも諸侯の信望を得ている袁紹の首を撥ねる事ができれば、天下の半分は、この俺のものとなる。そうなれば、袁術も董卓も目じゃねえ。・・・そりゃあ、弟の死は悲しいよ。だけど、これはきっと天の啓示なんだ。まずは、袁紹を倒せという天のお導きなのだ」

 憑かれたように語る師兄の様相に、劉備は説得を諦めた。

 そのとき、陣幕が開いて、一人の部将が定時報告にやって来た。見覚えのあるその青年の名は確か。

 「趙雲子龍だ」公孫瓉が、劉備に紹介した。「こちらは劉備玄徳。俺が盧植塾にいたころの弟分だ」

 劉備と趙雲は、互いに礼を交わしあった。

 趙雲は、二十代前半くらい。身長八尺ほどの、肉付きの良い立派な体格の持ち主だ。戦場では鬼神のように見えたが、静かに微笑むその顔は、案外と優しかった。大きく張った顎と大きな目が印象的だ。

 「子龍は」公孫瓉が紹介した。「故郷・冀州常山郡真定県の民のほとんどが袁紹に靡いたのに、一人だけ正道に目覚めて俺のところに来たのよ。若いのに、良くものが見える奴だ」

 「正道は、一つ所とは限りません」趙雲は、穏やかに話した。「私は、常に正道を求めて行動します。ゆえに、殿の道が正道を外れるときまでは、お仕えする所存」

 「あはははははは」劉備は、両手を打って大笑いした。「一本取られたね、兄貴」

 公孫瓉は、苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いた。

 「気に入ったよ、子龍どの」劉備は、趙雲の背中を叩いた。「あんたとは気が合いそうだ。これからよろしくな」

 「ええ、こちらこそ、どうぞよろしく」趙雲は、満面の笑顔で応えてくれた。

 

 さて、公孫瓉の大軍が来襲するとの報告に、袁紹陣営は、てんやわんやの大騒ぎとなった。

 袁紹は、冀州を乗っ取ったばかり。民心の掌握には程遠く、すぐに使える兵力は一万に過ぎない。冀州は、強弩兵が強いことで有名だったが、騎兵戦力が極端に不足している現状では、公孫瓉の『白馬義従』に勝てるとは思えない。

 悩める袁紹は、最近になって軍師に迎えた老人に頭を下げた。

 「盧植どの、どうか貴君の弟子を宥めてはもらえぬか」

 「伯珪は頑固者じゃ。わしの言うことなど聞くわけがない」

 「そこを、なんとか」

 結局、盧植は、昔の弟子に和睦を勧める書状を送るはめになったが、これは黙殺された。そのせいばかりではないだろうが、盧植は病気に罹り、危篤に陥ったのである。

 「不義不忠の悪人め」袁紹は憤ったが、怒るだけでは仕方が無い。

 こうしているうちに、遼西の大軍はますます至近に迫った。

 意を決した袁紹は、廟議に士大夫を募って、善後策を協議した。名門の冀州牧の下には、優秀な人材が星のように集っている。こればかりは、田舎豪族・公孫瓉の及ぶところではない。

 「私に、必勝の策があります」進み出たのは、涼州出身の歴戦の猛将・麴義であった。

 

 初平三年(一九二)四月、公孫瓉軍五万と袁紹軍一万五千は、界橋で激突した。

 威風堂々の公孫瓉軍は、中央に田楷将軍(青州刺史)の歩兵隊、右翼に単経将軍(兗州刺史)の騎兵隊、左翼に厳綱将軍(冀州刺史)の騎兵隊を配し、洪水のような勢いで敵陣に押し寄せた。公孫瓉自身は、後方の本隊に座して、趙雲とともに戦局をうかがう。劉備とその仲間たちは、田楷隊の先鋒を請け負っていた。

 歩兵ばかりの袁紹軍の先陣は、たちまち総崩れとなり、散を乱して壊走してゆく。

 「何と呆気ない」公孫瓉は大笑して、伝令兵に命じた。「追撃して、本初の首を獲るように全軍に伝えよ」

 追撃隊の先鋒となったのは、厳綱将軍である。彼の率いる騎兵隊は、烏丸族の傭兵を多く含む精鋭であった。この馬蹄に踏みにじられ、多くの袁兵が朱に染まる。やがて、その視界に盤河が現れた。川幅は広く、対岸に渡るには一本の橋を渡るほかは無い。そして、袁紹の中軍旗は、川向こうに翩翻としていた。

 「ようし、一気に行け」厳綱は采配を振るう。

 橋の上を突撃する騎兵隊の前に立ちふさがったのは、麴義将軍の率いる歩卒八百であった。彼らは盾を並べ、矛を織り敷いて、橋の中央部で踏ん張った。

 「こしゃくな、揉みつぶせ」厳綱は焦ったが、狭い橋の上では騎馬の機動力は生かせない。先陣は堰き止められ、後続の軍勢が押してくるために大混雑となった。

 「今だ」麴義が合図の旗を振ると、橋の出入口の左右に伏せていた強弩兵たちが、起き上がった。

 強弩は、大型弓矢発射機である。重くて機動性に欠けるが、時宜を得て用いるなら、計り知れない破壊力を発揮する。

 橋の上の公孫瓉軍は、狙い撃ちとなりバタバタと射すくめられていく。引き返そうとした者は、出口が封鎖されている事態に驚愕した。いつのまにか、袁紹軍の伏兵が回りこんでいたのだ。この情勢を見て、防戦一方だった麴義隊も攻勢に転ずる。

 厳綱将軍は、全身に矢を浴びて戦死し、公孫軍先鋒は全滅した。死体の山は、盤河の流れを堰き止めんばかりだ。

 「ようし、良くやった」袁紹は快哉を叫ぶ。「今度はこっちの番だぞ」

 本陣で出番を待っていた袁軍主力は、伏兵と合流して一気に反撃に打って出た。主力の全滅に士気をくじかれた公孫軍の後衛は、なすすべもなく敗走してゆく。

 「は、『白馬義従』を出すぞ」公孫瓉は、震える声で叫んだ。しかし、ここ本陣にも敗兵が雪崩れ込んだため、交通整理が容易ではない。そうこうするうちに、袁軍が突撃してきた。

 「お逃げくだされ」趙雲は主君にそう言いやると、愛馬の上で長戟を振って敵に立ち向かった。彼の絶妙な戟さばきの前に、袁軍の騎馬武者は次々に突き倒される。

 その隙に、公孫瓉は後方に離脱することができた。

 劉備たちは、混乱する人の群れの中で揉まれていたが、何とかこれから逃れて、戦場を北に離れた小高い丘の上に落ち着くと、『劉』の旗を翻した。これに勇気付けられた兵が、次々にこの丘に集まってくる。

 「二千にはなりますぞ、兄者」関羽が、汗を拭いながら言う。

 「どうする、このまま逃げるのは惜しいぜ」と、暴れたりない張飛が言う。

 「ふむ、ここからなら戦局が良く見える」劉備は、小手をかざした。「数が少ない袁紹軍は、文字通り、その全軍を追撃に出している。しかも、手薄となった本陣は、橋をこちらに渡り切ったところだ」

 「やりますか」簡雍が、白い歯を見せた。

 「聞くまでもなかろう」劉備は、簡雍の頭に手を置いた。

 劉備軍の反撃が始まった。丘の上から、敵の総大将めがけて逆落としに駆け下る。

 袁紹の本陣を守るのはわずかに百名だ。長矛を抱えた親衛隊は、最初の突撃で蹴散らされた。

 「奴ら、何者だ」徒歩だちの袁紹は、剣戟の中で唇を白くする。その頬を、矢がかすめた。

 「殿、伏せてください。そこの垣根に隠れましょう」参謀の田豊が、主君を抱きかかえた。

 「大丈夫たるもの、突き進んで戦死するのが当然だ。身を隠してまで生き延びようとは思わぬぞっ」そういうと、袁紹は兜を地に叩きつけた。

 袁紹は、遠めにも分かる偉丈夫である。美しい風貌と立派な長身の持ち主なのだ。そして劉備は、酸棗の陣で彼の風采を見知っていた。

 「我こそは、劉備玄徳」両手に雌雄一対を掲げ、一気に馬を寄せる。「盟主どのとお見受けいたす。お覚悟」

 「おのれい」袁紹は腰の剣を抜いて、馬上からの一撃を食い止める。しかし、劉備の豪腕は、敵の手から得物を跳ね飛ばし、その体を大地に叩きつけるのに十分だった。

 尻餅をついた袁紹に、劉備は馬上からその剣を突きつけた。

 「盟主どの、もう一度、連合軍を興してくだされ。董卓を倒して、囚われの天子と、苦しむ民を救済してくだされ」

 「なんだって」袁紹は、しばし呆然とした。「君は何者なのだ」

 そのとき、急を知った袁軍の強弩兵が駆けつけて、次々に矢を放ってきた。

 馬首を翻した劉備は、弟たちとともに残兵を纏めて退却に入った。戦局に早く見切りをつける癖は、彼の顕著な特徴である。

 そして騎乗の彼らは、追撃軍を簡単に振り切った。北上して公孫瓉のもとへと向かう。

 「兄者、見ていたぜ」馬上の張飛が、横合いから声をかける。「どうして袁紹を殺さなかったんだ。兄者なら、やろうと思えば最初の一撃でもやれたはずだぜ」

 「袁紹を倒したら、乱世が終わらない気がしたんだ」劉備は、さみしげに呟いた。

 「兄者は、乱世の英雄になるんでしょう」関羽が、悪戯っぽく笑いながら馬を寄せてきた。「乱世が長引くのは大歓迎なのでは」

 「民が大勢死ぬのは忍びないよ」

 「ワルにはなれないな、劉さんは」簡雍も、笑顔で馬を寄せてきた。

 「そこが、兄貴の良いところだ」関羽と張飛は、同時に同じことを言って、顔を見合わせて大笑した。

 こうして界橋の戦いは終わった。公孫瓉の野望は、一瞬にして挫かれた。

 ここに、袁紹の興隆と、公孫瓉の没落が始まろうとしている。

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