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長編歴史小説

昭烈三国志

14.州牧になる

 

 曹操が、全軍を西に返したのは、本拠地の兗州で大規模な反乱が起きたからである。

 「反乱だと、また黒山か」兗州牧は身を起こす。

 「いいえ」曹仁は、目を伏せた。「それが」

 「早く言え」

 「・・・張邈どのと陳宮どのが、呂布を呼び込んで・・・」

 「嘘だ」曹操は絶叫した。「それだけは有り得ない。孟卓と公台が、俺を裏切るはずはない」

 「これを御覧あれ」曹仁は、兗州からの早馬がもたらした書状を見せた。

 それは、本拠・鄄城を守る、参謀の荀彧からの直筆であった。それによれば、既に兗州の大部分が張邈に寝返ったため、今や鄄城が最後の砦である。そして、兗州の部将で曹操に従う者は、今や荀彧の他には、程昱と夏侯惇のみという。

 「どうして、こんなことに」地に崩れ落ちそうになる感覚を必死に抑えながら、曹操は血を吐く思いで全軍に転進を命じたのである。

 

 それより数ヶ月前、河内の張楊の城でくつろいでいた呂布の居室を、部下の張遼が訪れた。彼は、昔の親友からの書状を持参していた。

 「わが友・関羽は、兗州が手薄であるから、これを背後から襲うべきだと提案しています」

 「そいつ、誰だ」呂布は、怪訝顔である。

 「徐州の客将・劉備玄徳どのの片腕です。もとは侠客で、河東の長生と名乗っていました」

 「ああ、思い出した」呂布は両手を打った。「劉備ってえのも思い出した。あの耳のでかさったら何だ」

 張遼は、応える言葉が思いつかないので無言でいた。

 「なあ文遠、実はつい今しがた、張邈から書状が来たんだ。あいつやっぱり、俺の力が欲しいのだそうな。兗州を我が物にしたいのだそうな」

 「そうですか」張遼は頷いた。「なら、決まりですな」

 こうして、呂布率いる匈奴騎馬軍一千は、兗州に突進した。軍資金と兵力は張邈が出す。智謀は陳宮が出す。究極のトリオの誕生だ。

 弁舌に長けた陳宮は、事前の根回しで兗州の豪族のほとんどを寝返らせていた。言うなりにならない豪族に対しては、偽手紙で城外におびき出し、その隙に城を乗っ取るという策略を立てた。そして、この策が見破られたのは、荀彧の守る鄄城のみであった。

 もしも荀彧が居なければ、曹操の覇道はここで終わりを告げていただろう。荀彧は、呂布軍の猛攻に耐え、ひたすら曹操の帰りを待ったのである。

 そして、曹操は間に合った。鄄城の前面に陣取る呂布軍を打ち破り、堂々の入城を果たしたのである。

 「呂布は、どうしようもない愚か者だ」曹操は、諸将を前に公言した。「奴が、我が軍の帰り道に伏勢を置いて奇襲すれば、徐州で疲れきった我が軍は、壊滅するしかなかっただろう。それなのに、みすみす鄄城の前で居すくまり、敗れて濮陽に逃れるとは、陳宮も張邈も口先だけの鈍物だ。諸君、見ておれ。掌を返すように逆賊どもを平定してくれようぞ」

 勢いづいた曹操軍は、反乱連合の本拠地・濮陽へと駒を進めた。

 しかし、呂布と陳宮は、今度は万全の備えで、五万の軍勢で待ち受けていた。特に陳宮は、曹操の戦術を知り尽くしている。曹操の繰り出す攻撃は、ことごとく裏を読まれて空振りに終わった。そして、呂布率いる匈奴騎馬軍の破壊力は猛烈だった。青州兵は馬蹄に踏まれ、曹操の本陣すら幾度も危機に陥ったのだ。

 「これは手ごわい」曹操は、切歯した。

 戦場で焦りは禁物である。しかし、曹操は大いに焦った。

 彼は、濮陽城内の大富豪・田氏に手紙を送った。内応させて、城門を開けさせようというのだ。そして、この策略は成功したかに思えた。宵の口、音を立てて開いた城門に飛び込んだ二万の軍団は、曹操自らを先頭に立てていた。

 「者ども、後は前進あるのみだ」叫んだ曹操は、入ってきたばかりの東門に放火した。自ら退路を断って、不退転の決意を示したのだ。「呂布が死ぬか、俺が死ぬかだ」

 しかし、これは陳宮の罠だった。彼は、大軍で待ち受けていたのである。曹操軍は、狭い街路に入ったところを一斉に取り囲まれた。呂陳連合軍は、民家の屋根の上から襲いかかり、逃げ場の無い侵入軍はたちまち四面楚歌に陥った。

 血路を開いて逃げようとした曹操は、徒歩で彷徨ううちに呂軍の騎将の捕虜となった。絶体絶命である。しかし、その将は曹操の顔を知らなかった。まさか、薄汚れた貧相な小男が、敵の総大将だとは思わなかったのだ。

 「曹操はどこだ」騎将は、臭い息を小男に吐きかけた。

 「あっちです。あの黄色い馬に乗った奴です」曹操は、見当違いの方向を指差した。

 「よっしゃあ」間抜けな騎将は、大魚を放って駆け出した。

 その隙に、曹操は、燃える門へと徒歩で戻り、火傷を負いながらも城外へと逃げ延びたのである。しかし、多くの兵士が、味方の放った炎の中に散った。

 この大敗に自信をなくした曹操は、袁紹に降参しようとした。彼の部下になって余生を過ごそうと考えたのだ。しかし、この考えは荀彧の必死の反対で翻された。

 荀彧文若は、豫州頴川郡の人。俊才として知られた若手士大夫である。元は袁紹に仕えていたが、彼の資質に絶望し、二年前から曹操の幕下に馳せ参じた人物だ。荀彧は、士人を見分ける天才で、主のために多くの有能な人材を推挙した。曹操は、彼のことを「俺の子房(高祖劉邦の謀臣・張良のこと)」と呼んで、その才を愛した。

 感情家の曹操は、目の前の状況に動かされやすい人物だったが、「子房」の言葉には素直に耳を傾けたのである。

 さて、敗北が続くと士卒は離反する。曹操軍からも離脱者が続出し、その兵力は六万程度にまで落ち込んだ。そのためもあって、濮陽城の戦いは膠着状態に陥り、両軍とも長期戦にともなう兵糧の欠乏に苦しんだ。

 この年は、異常なまでの凶作であった。穀物の収穫量は、例年の半分程度にまで落ち込んだ。特に、兗州は蝗の大群に襲われて、乏しい収穫もほとんど食い尽くされたのである。貧しい人々は、ついに互いに殺し合い、その肉を食らった。まさしく地獄図絵の世界である。

 もはや戦争どころではない。呂布も曹操も濮陽を離れ、食を得られそうな地へと放浪した。彼らの行く手には、無人の荒野が広がる。凶作と戦乱で荒れ果てた大地には、生のかけらも見られなかった。

 

 そのころ徐州では、国土の再建が進められていた。

 劉備は小沛に戻り、内政を充実させるとともに兗州の動向を注視していた。

 「この収穫では、城の備蓄はゼロですな」簡雍が、浮かぬ顔を向ける。「また曹操が攻めて来たら、今度こそおしまいです」

 「なあに、状況は兗州とて同じだ。あの狂犬も、当分は攻めてこられまいよ」劉備は、物憂げな顔を返した。

 「気がかりなのは、陶謙どのです」関羽が口を挟んだ。「下邳に帰ったとたんに発病し、床から立ち上がれないとのこと。もう六十を過ぎたご高齢ゆえ、危ないかもしれませんな」

 「床の上で寝られるだけ、ましってもんだ」張飛は唾を吐いた。「奴の暴挙のおかげで、どれだけの民が犠牲になったことか」

 「多くの士大夫が、江南に渡ってしまいました」趙雲が、朴訥な口調で言う。「太史茲、張昭、張絋、厳畯どの・・・。仏教信者の笮融などは、数万人の信者たちを引き連れて長江を越えていったとのこと」

 今、趙雲が列挙した人々は、後に孫呉政権の中核となる人々である。曹操は、その虐殺行によって、孫呉の基盤を作ってやったことになるのだが、それは後の話。

 「まあ、前途多難だなあ」劉備は、頬づえついて溜息した。

 その年の十二月、下邳から使者が訪れた。従事の麋竺という者である。

 「徐州牧・陶謙どのが、先日、身まかられました」麋竺は、のっぺりした顔を伏せながら淡々と話す。「遺言により、玄徳さまをお迎えに参ったしだい」

 「それはご愁傷様です」劉備も、目を落とす。「ただ、遺言で迎えに来たとは、どういう意味ですか」

 「陶謙どのは、後継者に貴殿を指名されたのです」

 「なんですって」客将は狼狽した。「謙どのには、二人のご子息がおられたはずでは」

 「陶商どのと陶応どのは、故人の遺言によって既に仏門に帰依いたしました。乱世の恐ろしさを思い知った謙どのは、ご子息を同じ目に遭わせたくなかったに相違ありません」

 「・・・だからって、どうして私なのです」

 「謙どのは、『この州を安定させられるのは玄徳のみ』と、日ごろから仰っていました」麋竺は、身を乗り出す。「私もまったく同感です。州民も、それを望んでいます」

 「お断りします」劉備は、顔を左右に振った。

 「なぜですか」

 「私は、州牧の器ではないからです」

 劉備が申し出を固辞しつづけたため、律儀な従事は一旦、下邳に引き上げることになった。

 「どうして引き受けないのです」使者が退出した後で、関羽が不満そうに尋ねた。

 「お前たち、言ってたじゃないか」劉備が口をとがらす。「この州は、人口が激減し、優秀な人材も南に流出している。凶作で備蓄が無い上に、しかも、狂犬に付けねらわれている。どうやって治めろというんだ」

 「でも、玄徳さましかいませんよ」趙雲が、いつもの朴訥な口調で言う。

 「嫌だね。俺は貧乏くじなぞ引きたかないね」

 「まあ、兄貴は州牧って面じゃねえな」張飛が笑う。

 「面は関係ねえだろが」劉備は、義弟の髯を引っ張った。

 だが、その十日後、予期せぬ事態が起きた。

 小沛の東門に、数万の民衆が詰め掛けたのである。みんな、劉備の名を連呼している。彼らの先頭には、麋竺、陳登、孔融が立っていた。

 「どうして俺なんだ」劉備は、自分の耳たぶを引っ張りながら、使者たちを応対した。「すぐ南に袁術がいるんだから、彼に来てもらえばよい」

 「どうして袁術なんですか」陳登は口を尖らせた。「あいつは驕慢な男で、自分のことしか考えない俗物です。この州は、衰えたりといえ人口百万。貴君のために、歩騎十万が集まります。これを用いて、公には天子を救い出して民衆を救済し、偉業をなしとげることができましょうし、私的には、領土を保って歴史に名を残すことができましょう。あなたがこの申し出を受け入れてくれないなら、私はあなたの元を去り、永遠に会うことはないでしょう」

 「そんな・・・元龍どの・・・しかし」なおも劉備は躊躇する。

 そのとき、城外から劉備の名を呼ぶ群衆の声が、ひときわ高く響いた。

 「袁術など、墓の中の骸骨みたいな男ですぞ」孔融が、激しい語調で言った。「今日の事態は、民が有能な人物を見分け、それを押し上げようとしているのです。せっかく天が与えた好機を逃すなら、後から悔やんでも追いつきませんぞ」

 劉備は、耳たぶから手を離した。大きな溜息をつくと、縦に首を振った。

 こうして、徐州牧・劉備玄徳が誕生したのである。

 事が決まれば、開き直って全力を尽くすのが、彼の美質である。

 劉備は、州都・下邳に移り、多くの群臣の補佐を得て、積極的に政務を見た。

 州の運営資金は窮乏しかかっていたが、大富豪の麋竺が積極的に援助してくれたので、なんとか建て直すことができた。

 不足気味の人材も、青州の大学者・鄭玄の協力もあって、地方から士大夫を招聘して間に合わすことができた。こうして、頴川郡の陳羣や北海郡の孫乾が幕下に加わる。

 また、新任の徐州牧は、民衆の困窮を思いやって、租税を一年間免除する大盤振る舞いを行なった。民衆は、大いに喜び劉備の徳を称えたが、そのために州の備蓄は、ほとんど枯渇したのである。もしも外敵に攻め込まれたら、一たまりも無い。

 この窮地を打開するには、外交に頼るしかない。

 劉備は、もともと公孫瓉の配下であったから、袁術派に属していた。彼が、前述の陳登らとの問答でしきりに袁術の名を出したのは、この事情を勘案してのことである。そして、前任者・陶謙の施政方針も、親袁術であった。しかし、陳登と孔融の発言を見ても分かるとおり、袁術の評判は下降の一途を辿っていた。徐州の世論は、むしろ袁紹派に傾いていたのである。なぜだろうか。

 袁術は、寿春に本拠を移してからというもの、民衆から重い税金を取り立てて奢侈と淫欲に耽る、爛れた生活を送っていた。揚州が肥沃な土地なので、安心してしまったのだろうか。飢えて倒れる民衆が続出する一方で、彼の政庁の倉庫には、穀物が溢れているという。心有る士大夫が、こんな袁術を見限るのも無理はなかった。

 劉備は、諸般の事情を鑑みて、袁紹派に鞍替えする決意を固めた。袁紹と修好すれば、袁紹派の曹操から再度攻撃される可能性も低くなるから、防衛上も有利になるのだ。

 意を決した劉備は、陳登に命じて冀州に使者を立て、州牧就任の挨拶をした。

 「劉玄徳の噂は聞いている。彼は信義に厚く人望があるから、徐州牧への就任は、私の意に沿うものである」袁紹は、喜んで承認を与えたのである。当然であろう。労せずして、これまで敵対していた一州が手に入ったのだから。

 折り返し、冀州から使者が来た。袁紹の長男・袁譚が成人したので、劉備に推挙してほしいというのだ。劉備は、喜んで「茂才」に推挙してあげた。

 かくして、劉備の勢力は、袁紹の傘下に収まったのである。だがこれは、師兄・公孫瓉を裏切る行為でもあった。

 

 そんなある日、劉備は趙雲と歓談した。

 趙雲子龍は実直な人柄で、与えられた命令を十二分に斟酌し、期待以上の実績を上げる有能な武人であった。劉備は、彼の才能を深く愛していたのである。

 「子龍」

 「急に改まって、どうなされましたか」

 「烏丸騎兵を連れて、北へ帰ってくれないか」

 趙雲は、その大きな目をまん丸に見開いた。

 「君は、もともと伯珪どのの配下だ。そろそろ帰ったほうが良かろう」

 「私に、何か落ち度がありましたか」実直な武人は、声を震わせる。「私は、あなたと離れたくありません」

 「察してくれ、子龍」劉備は、深く頭を垂れた。

 彼は、公孫瓉を裏切ったことを常々慙愧していた。せめて、趙雲を返すことで師兄に侘びようと考えたのである。

 その翌日、趙雲と烏丸騎兵の生き残り六百は、何度も後ろを振り返りつつ徐州を去っていったのである。

 

 さて、曹操は、劉備が徐州牧に就任したことを兗州定陶県で知った。

 豫州で軍糧を確保した彼は、ようやく攻勢に打って出て、この地で呂布軍を撃破したのである。食糧危機を解消するために軍団を分散させた呂布軍は、今や各個撃破の窮地に立たされていたのである。

 「あの、玄徳が州牧だと」曹操は驚き、次に激怒した。「まんまと漁夫の利をさらわれたわい。引き返して徐州を先に落とすぞ」

 止めに入ったのは、例によって荀彧である。彼は、物事の順序というものを主君に説いて聞かせた。

 「ありがとう文若」曹操は、子供のように頷いた。「まずは、全力で呂布たちを潰すべきなのだな」

 興平二年(一九五)、押され気味の呂布軍は、秋の収穫を待って大攻勢に打って出た。陣頭に立つ呂布と陳宮、張邈は、それぞれ数万の軍勢を率いている。鉅野で迎え撃つべき曹操軍主力は、麦の刈り入れのために各地に出張中で、曹操の本陣を守るのはわずかに五千名だった。

 しかし、曹操の智謀は、逆境になるとその真価を発揮する。彼は、婦女子を動員して駐屯していた村落に堅固な陣地を築かせると、兵の半数をそこに入れた。残りの半数は、村の前面を走る堤防の陰に伏せさせた。

 押し寄せた呂布たちは、曹操軍の意外な少なさに驚いた。陳宮は敵の謀略を疑ったが、呂布は、疑心暗鬼に陥り、不注意な態勢で村落に接近したため、伏兵の好餌となったのである。

 この戦いの敗北は決定的であった。呂布と陳宮、そして張邈は、壊走する軍勢を維持できず、夜闇に紛れて逃走した。その行き先は、徐州であった。

 だが、敗残の呂布は、どういうわけだか自身満々だった。

 「もとはといえば、大耳が俺たちを唆したんだ。奴には、俺たちを匿う義務がある」

 そう言って胸を張る。

 「劉備は、袁紹とよしみを通じています。大丈夫でしょうか」陳宮は浮かぬ顔である。

 「私は、これから寿春に向かいます。袁術どのに、援軍を要請します」張邈は、そう言って隊列を離れた。徐州行きが不安になったのかもしれない。

 しかし、張邈は悲運だった。道中、部下に寝首を掻かれたのである。

 張邈の弟・張超は、兄の家族を守って陳留郡雍丘に篭城していたが、この堅城も十二月に陥落し、張邈の一族は皆殺しとなった。

 東郡太守・臧洪は、袁紹の配下であったが、信義に厚い義士として知られていた。彼は、親友・張超を助けるため出陣しようとして、主君の反対にあい、ついに東武陽で反逆した。袁紹軍は、曹操軍とともにこの城を包囲する。一年の篭城で、城内の八千人が死亡し、臧洪は死して一代の烈士の名を残したのである。

 こうして、兗州とその周辺地域は、曹操の掌中に完全に回復された。

 

 徐州に逃れた呂布と陳宮は、劉備によって歓待された。下邳城内に住居を与えられ、連日の接待攻めにあったのである。

 劉備としては、彼らと顔なじみでもあるし、彼らに兗州侵攻を唆した過去の経緯もあったが、それよりも、軍事力増強の必要にかられたから優遇したのである。

 「耳君、耳君」呂布は、大喜びではしゃいだ。「また会えて、俺は嬉しいよ」

 「そうですな」劉備も、頷いて見せた。

 「思えば、耳君と俺は、ともに辺境出身で貧しい身分から出発した仲間だ。きっと、仲良くできるよ」杯を呷った呂布は、ますます楽しそうである。「それにしても、俺は董卓を殺して、諸将の願いを適えてやったんだぜ。それなのに、関東(函谷関より東)にやってきたら、みんな冷たい態度で俺を出迎える。袁紹も曹操も、この俺を殺そうとしやがった。いったい、これはどういうことだ」

 劉備は、笑いをこらえた。なんとも無邪気な将軍だ。董卓を殺す前に、主の丁原を殺害したことや、洛陽を焼き払ったことなど、すっかり忘れているらしい。曹操の件だって、最初に喧嘩を売ったのは呂布の方ではなかったか。この人物は、完全に儒教道徳の箍が外れたところで生きているようだ。

 酒宴のあと、呂布は劉備を誘って、自分の居室に行った。そこには、呂布の妻と小さな娘が待っていた。

 「この人は」呂布は、妻と娘に言った。「劉玄徳どのといって、ここの州牧で、俺たちの命の恩人だ。さあ、礼をしないか」

 口々に礼を言う女性たちに会釈した劉備は、呂布によって無理やり、彼の妻の寝台に座らされた。呂布としては、最大の好意を見せたつもりなのだろう。

 「そうだ、俺たち兄弟になろうよ」

 突然、呂布が大声を上げたので、居心地の悪さに辟易していた劉備は驚いた。

 「耳君は、三十四歳か。俺は三十七だから俺のほうが年上だな。よし、俺が兄になってやる。これから、たっぷりと甘えていいぜえ」

 仕方なく頷いた劉備だが、呂布の言動に一貫性が欠けていることが不安になった。さっきまでへりくだっていたくせに、いきなり弟呼ばわりとはどういうことか。

 胸中にしこりを抱えながら退出してきた劉備の居室には、関羽と張飛が待っていた。

 「追い出しましょう」関羽が言った。

 「そうとも、呂布はどうも信用できねえ」張飛も険しい目つきである。

 「まあ、待て」劉備は、片手を上げて彼らを制した。「俺たちは、この州にとって新参者だ。州民や陶謙の元部下の中には、俺たちを侮っている者も多かろう。呂布の威名を用いれば、少しは重みが増すってもんだ。対外的にも、睨みがきくだろう」

 「兄者は、曹操を恐れているのですな」関羽は、暗い目を向けた。

 「ああ」劉備は、耳たぶを掴んで頷いた。「袁術もな」

 劉備は、呂布と陳宮を、西の小沛に入れることにした。これは曹操への抑えである。

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