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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

18.杉の葉、笹の葉

 有智山城が猛火に包まれるちょうどその頃、少弐頼尚に先導された足利尊氏の一行は、筑前の芦屋津に上陸していた。

 大友氏泰を初めとする大友一族ともそこで合流し、一行には前途洋々に感じられていた。 しかし。

  有智山を脱出してきた井筒丸がもたらした悲報は、少弐頼尚を愕然とさせた。

  「そうか、父と弟たちは、みんな腹を切ったのか」 ここは、芦屋の陣営の一画。いつも冷静な頼尚も、この時ばかりは、あまりの悲しみに身動きできなかった。

 「殿っ」「こは如何に」

  左右でうろたえる饗庭弾正ほかの側近の涙声に、頼尚はやっと我に返った。

  「うろたえるなっ」激しく一喝をくれると、彼は井筒丸に向き直った。「井筒よ、このことは他には漏らしておらぬであろうな」

 「は、はいっ、無我夢中でここまで休まず駆けて来たのですっ」袖で涙を必死で拭いながら、井筒丸は健気に答えた。

  「よしっ」頼尚は強くうなずいた。「この事は誰にも言うな。我々だけの秘密にするのだ。父はまだ有智山で奮戦している。将軍の前では、そういうことにするのだ」

 しかしその翌日になると、有智山陥落の噂がどこからともなく流れ、足利陣営に広がったのである。尊氏はさすがに動揺したが、頼尚はその噂を打ち消した。

  「有智山は無双の堅城。菊池掃部助ふぜいが束になってかかろうと、びくともするものではありませぬ。この噂は、敵方の流言飛語に違いありませぬ」

 笑顔を浮かべる頼尚だが、その心は激しく泣いていたのだ。将軍を失望させたくない一心の、自分の悲しい嘘に。

  「そうか、筑前どの。そちを信じよう」尊氏は鷹揚に頷いた。

 三月一日、足利一行は宗像むなかた 大社に到着した。宗像大宮司氏範うじのり は、もともと宮方に好意的であったが、尊氏が院宣を受けたと聞いて、彼に味方することを決めたのであった。ここで大宮司の心づくしで装備を整えた足利勢は、勇気を奮って博多を目指して南下した。

※                 ※

 しかし、少弐貞経の戦死は、北九州の豪族たちの心に決定的な衝撃を与えていた。

 彼らにとって菊池氏は、国司とはいえ所詮は山間の土豪。大宰少弐に勝てる訳はないはずだった。しかし、現実はご覧のとおり。豪族たちは動揺し、勝ち戦の分け前をもらうために、我先にと菊池勢に参加して行った。こうして今や、菊池武敏は二万を越える大軍の総帥であった。

  「そうか、尊氏一行は博多に向かったのか」

 秋月種道  あきづきたねみち の手勢がもたらした情報に、菊池武敏は自分の為すべきことを知った。

  「先回りだ。尊氏の先を越して博多を制圧するぞ」 菊池の二万の大軍は、唸りを上げて大宰府を後にした。

 少弐一族の生き残りが諸岡原もろおかばる でこの大軍に立ち向かった。だが、わずか数百名の彼らはまさしく蟷螂の斧。たちまち蹴散らされ、文字どおり玉砕してしまった。

  こうして三月一日午後、菊池武敏は博多に入って情勢の検討を行った。

  「やあ、庄吾郎どの」櫛田神社に本営を置いた武敏は、訪ねて来た梅富屋庄吾郎を見て微笑んだ。

 丸顔で垂れ目の彼は、笑うととても愛嬌があって、少弐貞経を滅ぼした猛将とは思えなかった。

  「九郎どの、いや掃部助さま。ご戦勝、祝着しごくでございます。我ら博多商人一同、お慶びを申し上げます。御大将に直垂を持参いたしました。どうぞお受け取り下さい」

 菊池氏と縁の深い庄吾郎は、本当に嬉しそうであった。

  「ありがとう。ところで、逆賊の親玉、足利尊氏も博多に向かっているそうですが、庄吾郎どのは何か聞いておりませぬかな」

 神社の境内の床几の上で、汗を拭いながら尋ねる武敏であった。その周囲には、阿蘇惟直、惟成、惟澄を初め、城隆顕、赤星武幸、隈部くまべ 隆久たかひさ らの一族や、秋月種道、松浦さだし 、原田対馬守らが集まっている。

  「私の聞いたところでは」庄吾郎はおもむろに口をきった。「足利宰相は、兵力三千弱を引き連れて、まっしぐらに博多を目指しているそうでございます」

  「はっははは」阿蘇惟直は、これを聞いて大笑した。「足利将軍というから、どれほどの者かと思ったが、わずか三千しか味方がいないのか。こいつは良い。掃部どの、この大軍で押し出して、少弐頼尚もろとも首にして、この戦乱を終わらせてしまいましょう」

  「うむっ」武敏は床几から立ち上がった。「都の兄・武重からも、早々に逆賊を平らげよとの書状が来ておる。ただちに北進して、尊氏一行を迎え撃つぞっ」

  「お待ち下さい」城隆顕が横から口を出した。「もはや大勢は決まったのです。勝負を急ぐ必要はありますまい。お味方は、ここ一週間戦い詰めで、疲労の極致に達しております。二、三日休憩を取り、万全の態勢で決戦を挑むべきです」

 「老いたな、隆顕」赤星武幸がこれに反論した。「戦には勢いというものがあるのだ。敵の総帥を目の前にして休憩など取ったら、味方の士気に差し障るであろうが」

  「ばってん、足利勢は少数といえど、鉄の団結力をもつ精鋭でありましょう。また、少弐頼尚も、我々を仇と狙って必死で向かってくるでしょう。それに彼らには、もはや逃げ場所が無いのです。窮鼠かえって猫を咬む、と古くから申します。ここは我らの方で自重するのが良策かと」隆顕は必死に食い下がった。

  「隆顕どのの考えも一理ある。だが、味方は敵の十倍だ。十分の一の敵を恐れて決戦を避けたとあっては、天下の笑い者となろう。ここは一気に勝負を決するべきだ」

  武敏のこの言葉で、消極論は一掃された。ただちに全軍で出撃し、敗残の足利勢に止めを刺すことに決まったのである。

※                 ※

 歴史上名高い多々良浜たたらはま 大会戦の日、三月二日の太陽が昇った。

 南進を続ける足利勢は、もうこのころには情勢をかなり察知しており、博多を制圧した菊池勢の来襲を予想していた。しかし、彼らには逃げ場はどこにも無かった。野戦での僥倖を期待するしかなかった。

  一行が博多郊外北方の香椎かしい の宮に着いた時、足利直義は辺りに群生する立派な杉の木に目を見張った。

  「兄上、ご覧下さい、この杉を」

 「うむ、見事なものよ」

 「杉の葉は縁起の良いしるし。我らの武運にとって吉兆ですぞ」

  「・・・直義、香椎宮の神官に頼んで、杉の葉を分けてもらえ。乱戦の中では、旗さしものは役に立たぬ。それより、縁起のよい杉の葉を各人の袖や兜に付け、目印としよう」

 「おお、それは良い思いつき」

 こうして足利勢は、その全員が杉の葉を飾り、勇気百倍したのであった。

  足利尊氏は、この香椎宮を本陣に決め、周囲の小高い丘に軍勢を配置して菊池軍を待ち受けた。彼の眼下には、広大な多々良浜の遠干潟が横たわっていた。

  「直義、風が出て来たな」

  「ええ、それも北風です。我らには有利ですな。これも香椎宮の御加護かも」

 一方、早朝に博多市街を出発した菊池軍は、大軍ゆえの鈍重な行軍に手間取りながら、やっとの思いで箱崎宮までたどり着き、既に風上の高地が敵に占拠されているのを知った。

 「尊氏め、さすがに素早い」吹き付ける砂風を避けるため目深に兜を被った武敏は、彼方に翻る二両引きの旗に歯噛みした。

 乾燥しきった多々良浜は、折からの強風で砂嵐が吹き荒れていた。口を開けば、口内が砂だらけとなる。

  「これでは、旗さしものが使えんな」

  「掃部どの、付近の住人の話によると、足利勢は杉の葉を笠印(被り物につける目印)にしておるそうですぞ。我らも何か工夫しましょう」 馬上で寄り添う阿蘇惟直が声をかけた。

 「ふむ、敵も考えたな。よしっ、この辺りの笹の葉を笠印にしよう。そして、この箱崎宮を本陣とし、多々良川を挟んで敵と対峙しよう。戦場は、多々良浜だ」

 菊池の大軍は、向かい風をものともせず、多々良川南岸に展開し始めた。その恐るべき威容は、北岸の足利勢の肝を寒からしめた。

 「駄目だっ」軍議の席で、足利尊氏は泣き声を上げた。「菊池掃部助が、これほどの大軍を連れてくるとは夢にも思わなかった。とても我らに勝ち目は無いぞっ。見苦しい負け方をするよりは、潔く腹を切ろう。そうしよう」

 「兄上、何を言う」直義は激怒した。「戦は兵の数ではありませんぞ。鎌倉幕府を開いた頼朝公は、わずか七騎で挙兵して天下をとったではありませんか。それに、ここに残るのは最後まで兄上に忠義を尽くす強兵ぞろい。寄せ集めの菊池勢などとは質が違います」

 「左馬頭どのの申すこと道理」高師直も声を出した。「それに、ここで将軍が腹を召してしまっては、残されたものたちはどうなるのです。あの少弐頼尚どのなど、父上や弟御たちを将軍のために生け贄にして、健気にも泣き言一つ言いませんぞ。それどころか、我らの気持ちを引き立てるために、父上の死をひたかくしにしようとなされた。この頼尚どのの忠義に報いるためにも、我らはここで諦めてはならぬのです」

 「そうだ、そうだった」尊氏は夢から醒めたような顔をした。「頼尚をはじめ、俺を信じる諸国の武士たちのためにも、俺はまだ死ぬわけにはいかんのだ」

 ちょうどそこへ、敵陣の偵察に出ていた頼尚が帰って来た。馬から降りて軍議の席に上がった彼は、香椎宮の本堂に車座になって尊氏を囲む足利一族の諸将を眺めながら、喜色満面で叫んだ。

  「今日の戦は、我が方の勝利と相なりましょうぞ」

  「おお、それは目出度いこっつが、何を根拠に言うのですか」大友氏泰がこれを聞いて首をかしげた。

  「わしが見たところ、敵陣で戦意強固なのは菊池、阿蘇の両勢三百騎のみ。あとの軍勢は、おおかた、勝ち馬について来た日和見の連中よ。彼らは、戦況次第ではどちらにも転ぶ者。将軍の奮戦を見れば、寝返って我らに味方すること必至。つまりこの戦、追い風に加えて数の上でも我らに有利じゃ。天の時、地の利、人の和、全て揃って、勝てぬはずがなかろうぞ。いやあ、この勝ち戦、めでたい、めでたい」

  一人で手を打って喜ぶ頼尚に、半信半疑の諸将も、なんだか少しづつ自信が漲るのを感じていた。これは本当に勝てるかもしれぬ。いや、きっと勝つぞ。

 頼尚どの、よくぞ言ってくれました。足利直義は、心の底で頼尚に頭を下げた。

  やがて、正午になると風が少し収まって来た。これを見て、菊池武敏は総攻撃の命令を下した。

  「今だっ、正面から押せいっ」

 菊池勢の先鋒は、左翼が赤星武幸、右翼が秋月種道。対する足利勢の先鋒は、右翼が足利直義、左翼が少弐頼尚。

 杉の葉と笹の葉の軍隊は南北から激突し、ここに運命の決戦が幕を開けた。

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