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長編歴史小説

昭烈三国志

16.戟を射る

 

 徐州で奇妙な主客交代が行なわれているころ、中原の情勢は、大きな転機を迎えようとしていた。

 その発端は、長安政権の内紛にあった。

 長安は、董卓の死後、彼の元部下による連立政権が支配していた。

 李確、郭汜、樊稠、張済の四将の仲が良かったのは、外敵が強いうちだけだった。興平元年(一九四)三月に、涼州の馬騰と韓遂、益州牧の劉焉が連合して攻めて来たとき、四将は一致団結して迎え撃ち、これを完全に撃破したのである。劉焉は、この敗戦で二人の息子を失ったショックで死んでしまった。しかしショックは勝者の側にもあった。こちらは勝ちすぎショックである。自惚れた彼らは、自分が唯一絶対の存在になろうと野心を巡らし、互いに殺し合いを始めたのである。

 まずは、樊稠が李確に暗殺された。

 李確と郭汜は、長安市内に陣地を構えて互いに攻撃しあったため、市内は阿鼻叫喚の地獄となった。悲惨なのは朝廷で、皇帝と廷臣たちは、戦争の大義名分を得るために、両陣営から交互に拉致されて利用されたのである。

 黄巾討伐の英雄だった皇甫嵩と朱儁は、この情勢になすすべもなく翻弄され、相前後して衰弱死してしまった。

 興平二年(一九五)七月、弘農に駐屯して様子を見ていた張済は、李、郭の疲弊に付け込んでうまく仲裁に入り、その条件として朝廷と天子を弘農に誘致することに成功した。しかし、李、郭、張はやがて仲たがいし、再び不毛な戦争を始めた。

 窮した朝廷は、究極の選択に踏み切る。并州の白波谷に割拠していた山賊たちや異民族と同盟し、彼らの力を借りて洛陽へ逃げようと画策したのである。十二月、山賊と匈奴に守られた皇帝一行は、李、郭、張の連合軍と交戦しながら東へ進んだ。多大な犠牲を払いながら并州の安邑に辿り着くが、今度は山賊たちが天子を離そうとせず、再び彼らの間で内部抗争となった。廷臣・董承は、河内の張楊らを呼び込んで山賊たちを掣肘することに成功し、かくして朝廷が洛陽に入ったのは、建安元年(一九六)七月であった。

 しかし、洛陽は荒れ果てて、往時の面影は微塵もない。山賊や異民族に守られる政権では、前途が頼りない。朝廷は、有力な保護者を必要としていた。

 冀州の袁紹は、最短距離にいた。部将の郭図は朝廷の様子を視察して戻り、主君に天子奉迎を献策した。しかし、袁紹は躊躇した。彼は、もともと劉協を皇帝とは認めずに、代わりに劉虞を擁立しようとした男である。また、廷臣によって己の政策を制約される事を極度に恐れてもいた。

 一方の雄・曹操は、兗州を奪回してからも精力的に勢力を拡張していた。彼は、豫州方面に食指を伸ばし、この地方を次々に平定していった。特に、豊かな頴川郡の占領の効果は大きく、大量の食料と物資の獲得に成功したのである。

 この成功に自信を得た曹操は、荀彧たちの献策を受け入れて、天子を奉迎する決意を固めた。衰えたりといえ、朝廷は朝廷。天子を手にする者には大義名分が与えられ、その全ての行為が正当化される。新興勢力の曹操にとって、この魅力は大きかったのだ。

 上洛の軍を起こした曹操は、建安元年(一九六)八月、衛将軍・董承らと手を組んで楊奉、韓暹らの山賊軍を撃破。洛陽と朝廷を掌中に収めたのであった。

 しかし、洛陽は焼け落ち荒れ果てて、朝廷の所在地としてふさわしくない。それに、術策に長けた廷臣たちの暗躍も気になる。そこで曹操は、豊かな頴川郡許県への遷都を建議してこれを強行した。

 かくして、九月、許昌が新たな都となる。曹操は、大将軍に任命されたのである。

 この年の曹操の躍進は、政治面だけに留まらない。彼は、画期的な経済政策を打ち出して、これを軌道に乗せることに成功したのである。

 これ、すなわち屯田制である。

 当時、群雄たちは、食料の確保に悩んでいた。劉備軍のように兵が互いに食らいあう例は極端だが、他の群雄たちも、似たりよったりの状況に翻弄されていたのである。

 我々日本人には、あまりぴんと来ないのだが、中国大陸の気候は厳しい。雨が少なく、沃野も乏しいため、ひとたび凶作に陥るとたちまち飢餓が訪れる。特に、漢末は異常であった。その理由について学者は、大陸がちょうど寒冷期に当たっていた、あるいは農地が利用されすぎて疲労現象を起こしていたのだろうと説く。

 戦乱による国土の荒廃が、この傾向に拍車をかけた。

 人口の減り方も極端で、漢末の最後の戸籍調査で五千万を数えた人口が、三国初期の戸籍調査では合計で八百万を割っていたという。その過程で何がおきたのか、想像するだに痛ましい。

 この年の袁紹軍と曹操軍の主食は、なんと桑の実であったという。

 とにかく、食糧問題を解決しなければ、国家を安定させることなどできはしない。

 羽林監の棗祗、護軍の韓浩らが発案した屯田制は、事態を打開する革新的な方法であった。これは、兵士や流民を募集して、彼らに一定の耕地を割り当て、作付けから刈り入れまでを一元的に行なわせる臨時農業である。その管理と運営は、全て曹操軍が行なう。

 軍隊が農地を経営するというのは、単純ではあるが、なかなか思いつかない発想だ。豪族単位で小規模に行なわれるケースは以前にもあったようだが、曹操は、これを国家レベルに昇格して制度的に行なおうとしたのである。この点が、彼の偉大なところである。

 この政策を推進した結果、曹操勢力の経済力は飛躍的に向上し、政治も安定し、したがって軍勢も強くなっていったのである。

 建安元年は、曹操にとってまさに躍進の年であったと言えよう。

 

 さて、豫州方面で曹操に圧迫されていた袁術は、徐州を攻略することで事態を打開しようと考えていた。

 「呂布が劉備と結んだだと」袁術は舌打ちした。「下賎のものの考えることは分からんわ。まあ良い、一気に攻め潰してしまえ」

 「お待ちください」部下の韓胤が進み出た。「殿は、あの曹操を二年にわたって苦しめた呂布の武勇をお忘れか」

 そう言われると、袁術の背筋は寒くなる。三年前の曹操軍の追撃の凄まじさは、今でも悪夢にうなされるほどだ。呂布の力が、その曹操に匹敵すると想像するのは恐ろしい。

 「何か、意見があるか」冷静を装って、豪奢な衣を翻して問いかける。

 「ここは、呂布と結んで、まずは劉備を倒すべし。劉備を倒せば、心情的に我らを支援する泰山郡の諸侯や、青州士大夫の勢力と連結できます。そうなれば、包囲された呂布は、自動的に衰退の一途を辿るでしょう」

 「なるほど、名案じゃ」袁術は喜んだ。「だが、わしは前に呂布を一度騙しておる。奴が言うことを聞くかな」

 「おそれながら」韓胤は、頭を下げた。「呂布の娘を、耀(袁術の長子)どのに娶わせる旨、申し入れてはどうでしょうか」

 「なんだと」袁術は、一転して激怒した。「あんな下賎の血を、我が袁家に入れるわけにはいかん。鳥肌が立つわ」

 「口約束で結構なのです」韓胤は、口をへの字に結んだ。「後はどうとでもなりましょう」

 高慢な主は、しぶしぶと頷いた。

 

 徐州牧・呂布は、使者として下邳を訪れた韓胤に素直に喜びを示した。

 「そうかあ、俺の娘が、あの名門に嫁入りできるのかあ。俺も偉くなったなあ」

 「盟約のほど、よろしく勘考くださりませ」使者は、深々と頭を下げる。

 韓胤が帰った後、呂布は政庁に群臣を集めた。

 「奴の本音は何かな」

 「おそらく」陳宮が進み出た。「劉備を倒すさい、我々に邪魔立てされたくないのでしょうな」

 「これは、各個撃破の謀略です」陳登が発言した。「載せられてはなりませんぞ」

 「俺にだって、それくらいは分かるさ」呂布は笑顔を見せた。「でも、娘は幸せにしたい。さて、どうしたものやら」

 その一ヶ月後、南方から飛報が届いた。紀霊将軍率いる三万が、小沛に向けて寿春を進発したとのこと。小沛の劉備の元から、援軍を求める使者が来る。

 「放っておきなされ」謀臣の陳宮は、冷たく言った。「劉備には、早いうちに死んでもらうほうが良い」

 「そうはいきません」陳登が反論した。「小沛の勢力は、曹操や袁術に対する緩衝地帯として有用です。失うわけには行きません」

 「あはははは」呂布は大笑した。「まあ、ここは俺に任せておけ」

 

 小沛の劉備は、ようやく二千の兵力を確保したばかりで、とても紀霊には対抗できない。逃げ支度をしたところで、呂布の使者が来た。大船に乗った気でいろとの趣意である。

 「本当に助けてくれるのかな」劉備は半信半疑だ。

 「陳登どのの働きいかんでしょう」麋竺が東の空を見つめる。

 そうこうするうちに、南の地平から敵の大軍が姿を現した。小勢の劉備軍は、城に篭って援軍の到来を待つしかない。

 「援軍です。徐州の旗印が見えます」物見が叫ぶ。

 なるほど、東の地平からも砂埃が上がり、一千騎の馬蹄が響く。見る見るうちに大きくなった軍勢の先頭には、威風堂々の美丈夫があった。赤兎の上に堂々と鉾を横たえる雄雄しい姿は、「馬中の赤兎、人中の呂布」「飛将軍」と人口に膾炙されるのも頷ける。

 「まだ、どちらの味方なのか、分かったものじゃねえ」張飛は、望楼の上で呟いた。

 やがて、呂布の軍は、小沛の西南一里の地点に到達すると、そこに陣営を築き始めた。

 「どうする気だろう」劉備が城壁の上から眺めていると、その陣営から使者がやって来た。食事を共にしたいので、今すぐこちらに来て欲しいのだという。劉備に否やはない。

 一方の袁術軍は、呂布の到着を見て、紀霊が全軍に停止を命じていた。彼の出方を確かめなければならない。やがて、呂布の使者がやってきた。食事を共にしたいという。紀霊は、喜んで申し出を受けた。

 こうして、呂布軍の陣中で、三者会談が行なわれた。劉備と紀霊は、予期せぬ邂逅に大いに驚き慌てたのである。

 「まあ、まあ、諸君。そんなに怖い顔しないで」呂布は、睨みあう二人の間に割って入った。

 「どういうことです」劉、紀は、同時に声を上げる。

 呂布は、紀霊を睨みつけた。

 「これなる劉玄徳は、俺の弟だ。弟が君に苦しめられているので、こうして助けに来たのだ。俺はもともと争いが嫌いなのだ。揉め事の仲裁をするのが大好きなんだ」

 紀霊は、呂布の口から争いが嫌いなどと聞かされて目を白黒させていたが、劉備は呂布の気まぐれな性格を知っていたので、納得して笑顔で頷いた。

 「し、しかし主命が・・・」紀霊は、ようやく胸の動揺を抑えて声を上げた。

 「主命と天命と、どっちが大切だ」呂布は睨む。

 「ええっ」意味が分からずに紀霊はとまどう。

 「今日の俺は、天命の代行者なのだ。ならば、俺の言うことを聞くだろう」

 いきなり神がかりになったので、劉備と紀霊は顔を見交わせて肩を竦めた。

 「あれを見ろ」呂布は、陣営の門を指差した。そこには一人の衛士が、戟を掲げて立っていた。「今から、あの戟の先から突き出している胡枝を射抜いて見せよう。見事、一発で射抜けたら、それが天命だ。休戦して兵を退いてくれたまえ」

 劉備と紀霊は、驚いて問題の戟を見やった。百五十歩の距離で、ほとんど棒にしか見えない。その胡枝などは、あるのかどうかも良くわからない。

 無理だ、と思った劉備は落胆し、紀霊は勇み立った。

 「その天命、受けましょうぞ」と攻撃軍の大将は胸を張る。

 「玄徳は」呂布は、鋭い目で睨む。劉備は、頷くしかない。

 「よしよし」呂布は侍従に弓を持ってこさせると、弦をはじいて感触を確かめた。

 風が強くなってきた。黄砂が断続的に吹き上げる。紀霊の顔はますます明るくなり、劉備の顔は一層曇った。

 兜と皮鎧を脱いだ野生児は、二、三歩右横に進んでから、門に向き直った。舐めた指を頭上に上げて風向きを確かめてから、弓に矢をつがえる。矢先を戟に向けて、ぎゅっと弦を引き絞る。

 次の瞬間、無造作に引き絞った弦から、ひゅっと音を立てて一条の光が放たれた。

 戟を掲げた衛士は、後ろにひっくり返った。

 みんな、固唾をのんで注視する。

 やがて衛士は笑顔で立ち上がり、戟をこちらにかざした。その先の胡枝は、ゆがんでいた。

 大歓声が、陣中をどよもした。兵士たちは、戟に群がって神技の跡に手を触れようとする。そして、呂布を称える声が、各所で轟きわたった。

 紀霊は尻餅をついてへたり込み、劉備は呂布に駆け寄ってその手を握った。

 「さあ、早く国に帰れ」呂布は、紀霊を睨みつけた。「天命に従えぬと言い張るなら、今度は俺が相手になるぞ」

 紀霊は立ち上がって尻の泥をはねると、しばし不満げに呂布と劉備を睨んでいたが、意を決して、後ろも見ずに立ち去った。

 それから数刻にして袁術の大軍は撤退し、小沛の郊外では酒宴が開催された。

 「あれは、何か細工がしてあったのですか」劉備は、美味そうに杯を干しながら隣席の呂布に尋ねた。

 「いいや、俺の実力からしたら、あれくらいどうってことはない。俺は視力が強いし、騎射でも滅多に的は外さない。歩射なら、なおさらだ」呂布は、酔眼で応える。

 「ははは、小細工なんて、あなたらしくないからな」ちょうど杯に羊酒を注ぎに来た関羽が口を挟んだ。「でも、もしも外したら、どうしました」

 「外さないって、言ってるだろが」呂布は、関羽の髯に杯の中身をぶっかけた。

 自慢の髯を汚された関羽は、普段から赤い顔をますます紅潮させたが、後ろから様子を見ていた簡雍に抱きかかえられて、その場を去った。

 「義弟が無礼を言いました」劉備は、腹立ちを隠して頭を下げた。「雲長は、冗談を言ったのです。酒席での洒落ですよ」

 「もしも外してたら」呂布は杯のふちを、劉備の首に押し当てた。「耳君のここは離れていただろう」

 劉備は笑顔で返したが、その背筋は氷にさらされたように冷たくなっていた。

 どうやら、本当に偶然に助けられたらしい。

 自分の立場が、累卵の危うきにあるということを、心底思い知らされた瞬間であった。

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