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長編歴史小説

昭烈三国志

22.曹操との決別

 

 寿春の袁術は、陳の戦いで敗れて以来、尾羽打ち枯らしていた。将軍や軍民は次々に離反し、経済政策の失敗は食料の欠乏をもたらした。残っている兵力は、五千に満たない。かくして偽帝は、苦衷の選択を余儀なくされた。領土を捨てて、冀州の袁紹を頼って落ちのびようと考えたのである。

 袁紹は、愚かな弟を憎んでいたが、曹操との決戦に備えて少しでも戦力を増強したかったので、彼の亡命を受け入れたのである。

 喜んだ袁術は、全財産を車に詰めて、全兵力で徐州に向かった。曹操の警戒が手薄なこの地を突破して、袁紹領の青州に逃げ込む計画である。

 曹操が討伐軍の総大将に劉備を任命したのは、彼がこの地の事情に通じていると考えたからである。ただし、増援兼お目付け役として、将軍の朱霊と路招も同行させることにした。その総勢は二万である。

 劉備は、大いに喜んだ。謀略に巻き込まれながら送る疑心暗鬼の毎日にうんざりしていたからである。彼は、旗下の部将のみならず、その家族全てを連れて、全速力で東へと向かった。時に、建安四年(一九九)六月。

 劉備が去った後、参謀の郭嘉と程昱が、曹操の執務室を訪れた。

 「どうした、二人揃って」

 「まずいことをしましたな」と、程昱。

 「何のことだ」

 「劉備ですよ、劉備」郭嘉は、鼻を鳴らした。「どうして軍兵を与えて都の外に出したのです。奴が、董承たちと何か企んでいたことはご存知でしょう」

 「俺は、わざと隙を見せたのだが、彼は何もしなかったぞ」曹操は、平然と言う。「きっと、奴らを裏切ったのだ。俺に付く決意を固めたのだ」

 「そうでしょうか」程昱は不満げだ。「それなら、どうして家族を全て連れて行ったのです。どうして、あんなに急いで行軍するのです」

 「俺は、玄徳を信じている」曹操は、首を左右に振った。「彼は、決して俺を裏切らない」

 「張邈と陳宮が裏切ったとき、殿は何と言いましたっけか」郭嘉は厳しく言う。

 「む・・・・・・・」さすがの曹操の顔に迷いが浮かんだ。

 「劉備は、虎のような男です。殿は、その虎に翼を与えてやったのですぞ」

 「分かった。彼を呼び戻そう。他のものに彼の職務を代行させよう」曹操は、唇を固く結んだ。

 都からの早馬は、徐州の州境近くで劉備軍に追いついた。

 「ここまで来て、帰れというのか」劉備は、使者を一喝した。「袁術軍はすぐ目の前だぞ。ここで転進したら、全軍の士気は落ち、朝廷の威信はがた落ちとなる。それでも良いのか」

 彼の発言は全て正論だったので、同陣の朱霊たちも支持せざるを得ない。

 使者は、虚しく引き返した。

 しかし、袁術軍との戦闘は無かった。劉備軍が迎撃に来ると知った袁術が、恐れをなして軍を転進させたからである。ただでさえ兵糧不足の袁術軍の統制は、ここで完全に崩壊した。窮した偽帝は、昔の部下の雷薄と陳蘭のところに逃げ込もうとしたが、彼らに拒否された。

 哀れなり、袁術。もはや乞食の集団と化した一行は、寿春より八十里北の江亭に辿り着いたが、残された食料は麦のくず三十石に過ぎぬ。

 夏の盛りで、喉が渇いて仕方が無い。

 「朕は、朕は蜂蜜が舐めたい。蜂蜜を溶かした水が飲みたいよ」ぶつぶつ呟きながら寝台に腰を下ろした袁術は、そのまま前のめりに倒れ、口から一斗あまりの血を吐いた。

 「袁術ともあろう者が、こんなザマになったかっ」

 これが、乱世を騒がせた偽帝の最期の言葉であった。

 

 戦わずして勝利を得た劉備軍は、七月に入って下邳に入城した。都からは、帰還を求める使者がひっきりなしに訪れたが、劉備はなかなか首を縦に振らない。

 「袁術は滅びたが、今度は孫策の脅威が侮れない。俺は、しばらく徐州で彼の出方を窺うことにする。とはいえ、袁紹との対決が心配だろうから、朱霊と路招の軍勢を先に帰す」

 朱霊と路招は、このときは劉備の配下ということになっていたから、上官命令には逆らえず、素直に軍兵を纏めて許昌に帰っていった。

 「やったぞ」劉備は、両手を叩いてはしゃいだ。「これで俺は自由だ」

 関羽、張飛、簡雍、孫乾、麋竺兄弟らも、久しぶりの自由の天地に生き生きとしていた。

 「これから、どうなされますか」劉琰だけは、心配そうな表情を隠せない。

 「実は、考えていないんだ」劉備は、正直に答えた。「とりあえず、広陵の元龍を助けて孫策と戦おうと思っている」

 このころ、曹操と孫策は、表向きは友好関係にあったが、袁術の遺領を巡って激しい争奪戦を展開していた。だから劉備の発言も、根拠なしとは言えない。例えば広陵の陳登は、むしろ積極的に孫策を叩くべきだと考えていた。

 

 さて、劉備の離脱に驚いたのは、董承を中心とするクーデター勢力であった。都から出て行っていなくなるとは、予想外の出来事だったのである。

 「劉備の腰抜けめ、呂布以下の男じゃわい」董承は舌打ちした。

 「奴め、曹操に我らのことをバラすつもりかもしれませんぞ」心配顔の王子服。

 「いや、それならもっと前にやっているはずだ。どうやら、その勇気もないらしい」

 「どうされますか、次の策は」

 「積極的に動くのなら、劉備謀反の噂をばら撒けばよい。怒った曹操が自ら討伐に向かった隙に、都を押さえて袁紹を呼び込むのだ」

 「消極的に動く場合は」

 「ただ待てばよい。曹操は袁紹との全面戦争に出陣するだろうから、その隙に都を押さえて、劉備なり孫策を呼び込めばよいのだ。まあ、劉備の方が操りやすいかな」

 「なるほど、時は我々の味方というわけですな」

 「そうとも、漢王朝の復興は近い」

 しかし、彼らの見込みは間違っていた。曹操は董卓ではなかったし、劉備も呂布ではなかったのである。人物の器量を測り間違えたつけは大きい。

 曹操は、廷臣の動きに対して常々警戒を怠らなかった。特に、董承の周囲には密偵を放ってその動きを監視していたのである。具体的な証拠こそ掴めなかったものの、廷臣たちの策謀については薄々と察していたのである。ただ、問題は陰謀の範囲である。例えば、劉備の位置付けと役割までは分からなかった。もっとも、董承すらとまどっているのだから、分からなくて当然であろう。

 「徐州に、謀反発覚の偽情報を流そう」曹操は、そう決断した。

 

 九月の晩秋を迎えた徐州では、劉備が、下邳の宴会場に家族や仲間たちを集めて団欒していた。

 劉備の左右には、二人の妻・麋夫人と甘夫人が並ぶ。昨年、愛娘を失った麋夫人は、以前に比べて陰りのある表情を見せるようになっていた。甘夫人は、昨年梁国で劉備が見初めて妻に貰った女性である。無邪気で純朴な麋夫人と違って、大人しいしっかり者だった。

 劉備の右列の正面に座る関羽は、相変わらず独身であった。まだ、曹操の妾となった女性の面影が忘れられないのだろうか。

 左列前に座る張飛夫妻の仲は、相変わらず睦まじいが、まだ子供はいない。

 関も張も、都で中郎将に任命されていたのだが、朝廷の重臣となった今でも、その朴訥な人となりは少しも変わらなかった。

 簡雍、麋竺兄弟、孫乾、劉琰、陳到は、それぞれ好きなところに座って酒を酌み交わしている。彼らは、自分たちの現在の境遇に何の不満もなかった。劉備のところは、危険が多いが、居心地はこの上なく良かったからである。

 宴たけなわのころ、衛兵が血相変えて飛び込んできた。

 「お楽しみのところ、申し訳ありません。都から、孔融どのの急使が参りました」

 「分かった。すぐに会う」劉備は、杯を置いて立ち上がった。

 孔融は、かねてより劉備に好意をもっていたので、都の情報をしばしば教えてくれていたのである。その人物からの急使とは、ただ事ではない。

 「都では、たいへんな噂で持ちきりです」執務室に入ってきた使者は、汗を拭いながら語った。「劉左将軍が、廷臣たちと結託して謀反を起こしたというのです。曹司空は、討伐軍を準備中とのこと」

 「とうとう発覚したか」劉備は天井を見た。「いまさら弁明しても通るまい。こうなったら、運を天に任せてやるしかない」

 部下たちに秘密を明かした劉備は、その夜のうちに徐州牧・車冑の屋敷に押し入って、この人物を殺害したのである。その翌朝、城内にこの事実を知らせるとともに、「天子の密勅」の存在と董承の「義心」を宣伝して、自己の大義名分を明らかにした。

 この結果、徐州の郡県は次々に呼応して蜂起し、劉備の手元にはたちまち四万の軍勢が集まったのである。もともと仁君・劉備は、徐州では人気が高い。民衆は、劉備の挙兵を聞いて大いに喜び、街路で踊り狂ったのである。

 「これだけでは足りぬ。公祐、頼んだぞ」

 劉備の密名を受けた孫乾は、冀州に飛んだ。袁紹に同盟の申し込みをするためである。決戦を控えて味方の欲しい袁紹は、大喜びで承諾したのである。

 かくして、曹操は窮地に陥った。

 「これで、誰が敵なのかはっきりしたぞ」曹操は、寂しげに笑った。「俺の道は修羅の道なのだ。死ぬまで、友の屍を乗り越えていかねばならないのだ」

 もっとも、曹操にとっての政治的勝利は、劉備の声明のお陰で董承一派を逮捕する名分ができたことである。彼らは、謀反の罪で拘束され、厳しい拷問を受けた。彼らは、異口同音に劉備が首謀者なのだとまくし立てたのである。

 「玄徳が首謀者なものかよ」曹操は、鼻で笑った。「あいつには、俺に逆らう利点が一つもない。あいつは、田舎者だから、そそのかされて騙されたのよ」

 友に裏切られた彼は、せめてそう考えていたかったのだ。

 曹操は、主力部隊を率いて黄河に進出し、沿岸の諸城の防備を強化した。彼が特に重視したのは、官渡城塞である。これは、袁紹の最前線基地・黎陽と、許昌との中間に位置する要衝である。曹操は、ここを決戦地に想定していたのである。

 それと同時に曹操は、自らに黎陽を、魏仲に并州南部を、臧覇に青州南部を一撃離脱で攻撃させて、袁紹勢力を牽制した。

 同時に、孫策への押さえとして寿春に厳象を送り込み、劉備への押さえとして徐州に劉岱(前出の兗州刺史とは同姓同名の別人)と王忠を派遣した。

 こうして四方に軍勢を分派したため、決戦兵力は極めて小さくなった。袁紹軍十五万に立ち向かう曹操の主力は、わずかに四万という危うい状況である。

 そんな中での朗報は、穣城の張繍と賈詡が、十一月に降伏を申し入れてきたことである。天下の趨勢を見切った彼らは、袁紹と曹操の弱そうなほうに味方して、恩を売る政策に転換したというわけだ。曹操はかつて、彼らに息子や甥を殺された恨みがあったが、政略のためにこれを忘れて彼らの降伏を受け入れたのである。そして張繍と賈詡は、この後、曹操軍の重鎮として活躍を重ねることになる。

 さて、徐州に進んだ劉岱と王忠は、それぞれ五千の兵を率いて劉備に挑んだ。劉備は、下邳に関羽を留めて政務を委ねると、自らは張飛らとともに小沛に進出して敵を迎え撃ったのである。

 劉備軍二万に対して、曹操軍は一万。劉備は、自ら中軍を指揮し、左翼に張飛、右翼に陳到を配備して激しく敵と渡り合った。劉岱と王忠は、苦労人のベテランだったが、数で劣る上に相手が劉備ではどうしようもない。数刻にして支えきれず、敗走した。

 「ザマを見ろ」劉備は、敵の背中に向けて叫んだ。「お前らなぞ、敵じゃあねえ。孟徳を出せってえんだ」

 言い終えた劉備の全身を、寂寥感が包んだ。今の自分の立場が、いかに呂布に似ていることか。自分も、呂布と同じ最期を遂げるのではないだろうか。

 「俺は、もともと孟徳を裏切るつもりはなかった。成り行きでこうなったんだ。・・・あいつは、決して信じてはくれまいが」

 血の臭いが漂う戦場で、劉備は心中深く呟いたのである。

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