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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

20.延元改元

 多々良浜会戦に先立つ二月二十九日、京の都では華々しく改元の儀が執り行われていた。

  これまで戦が絶えなかった原因は、元号の建武の中の、不吉な「武」の字にある。そう考えた天皇や公家たちが、改元によって心機一転しようと図ったのである。

 かくして、建武三年は延元元年となった。

  さて、このころ、新田や北畠ら官軍の主力はどうしていたであろうか。

  何もしていなかったのである。じっと都で待機していたままであった。

 これを評して、後世の史家は、義貞や顕家の優柔不断を非難する。しかし、天皇独裁の建武政権下にあっては、義貞も顕家も将棋の駒に過ぎないのだ。天皇の命令が無い以上、彼らに何ができようか。

  後醍醐天皇は、もはや敗残の尊氏などには脅威を感じていなかった。そんなことより、義貞を飼い慣らすことのほうが当面の急務であった。その一環として、義貞がかねてから想いを寄せていた高級女官の匂当内侍を、彼に賜ったのである。

  「昇進よりも、このことの方が嬉しい」

  高嶺の花と思って半ば諦めていた義貞は、この天皇の厚遇に感謝感激した。内侍と過ごす時間を作るために、武者所に出勤することすら怠っていた。

  「この歳になって女道楽とは、兄にも困ったものだ」

 脇屋義助などは呆れ返っていたが、菊池武重は、単純に義貞の幸運を喜んでいた。

  「よいではありませんか。こんな時くらい、難しい仕事から離れていたって」

 武重は、この頃上機嫌であった。無理も無い。小夕梨が帰って来たのだから。 彼女は、紀伊の故郷に友人たちとともに疎開していたのだが、都の安定を聞いてやっと戻って来たのである。再び、春香楼で元気に遊女をやっている。もちろん、武重はしきりにここを訪れる日々であった。

 ただ、武重の心配は、九州の情勢にあった。敗れたりとはいえ、足利尊氏には九州の御三家が味方している。御三家の声望は九州に鳴り響いているから、尊氏に味方する豪族も数知れないであろう。それで、尊氏を迎撃する武敏たちの前途に一抹の不安を感じていたのだ。

 できることなら、助けに行ってやりたいのだが・・・。帝の命令がない以上、どうしようもないことだ。

※                ※

 しかし、武重が心配しているころ、既に九州では多々良浜合戦の勝敗は決していた。

  大宰府に入った足利尊氏は、その場で公正な論功行賞を行い、人心を巧みに掴んだのであった。また尊氏は、自分のために死んだ少弐貞経一党の供養に心を傾けた。

  「この将軍のためなら死ねる」 少弐頼尚は、父の最期の地で膝まづいて落涙する尊氏の姿に、武将冥利を感じていた。

  更に頼尚を喜ばせたのは、死んだと思われていた愛娘のみどり や、幼い甥たちが大勢生き残っていたことである。彼らは、農民に紛れて付近の村落に隠れていて助かったのだ。

  「ととさま、怖かったわ」

 小さな手でしがみつく、まだ五歳の翠の黒髪を優しく撫でながら、頼尚は心の中で神仏に深く感謝していた。この先の少弐一族には、永遠の栄光が両手を広げて待ち構えているように感じられていた。

  一方、大宰府の尊氏は、東上の準備を進めるとともに、九州の支配を確実にするべく、次々と現実的な政策を行った。御教書を発して九州各地の豪族を動員し、これを足利一族の武将の下に編成し、次々と宮方討伐のために送り出したのである。そのため、各地の宮方は苦戦に陥った。

  畠山義顕よしあき (足利一族)は佐伯、土持はじ 氏とともに日向に下って宮方の伊東祐いとうゆき ひろ を攻撃し、一色頼行よりゆき (足利一族)率いる深堀、戸次へつぎらの軍勢は、豊後玖珠くす 城に立て籠もる大友貞順(宮方)を包囲した。また、島津貞久率いる別府、伊作らの軍勢は大隅の肝付氏を襲い、上野うえの 頼兼よりかね 率いる龍造寺、荒木らの軍勢は筑後黒木城を攻撃した。

  菊池勢の拠点、黒木城は一週間の攻防の後、三月十七日、ついに陥落した。武敏をはじめ、菊池方の諸将は肥後へと撤退した。

 しかし、菊池城とて安息の地ではなかった。仁木にき 義長よしなが (足利一族)を総大将とする大軍が襲来したのである。

  「五郎兄者、間抜けなおいを思いきり笑ってくれい。もう、何も言う言葉がない」

  うなだれる武敏に、五郎武茂は笑顔を向けて慰めた。

 「そう自分を責めるな。過ぎたことは仕方ない。それより、これからを考えよう」

  「兄上、惟澄どのを頼って一旦、甲佐こうさ 郡に逃げよう。惟澄どのは、いつまでもおいたちの味方だと言ってきてくれてるぜ」と、惟澄と親しい虎若丸が口を出した。

  もはや虎若丸の言うとおりにするより無かった。再び、菊池一族は九州山脈の彼方に去り、またしても深川城には、足利の旗がはためいた。

 大宰府では、菊池一族没落の報に、足利一族が歓声をあげた。

  「わははは、これで筑紫のことは定まったぞ」

 「阿蘇一族も壊滅し、伊東も肝付も時間の問題。大友貞順とて、実の弟の氏泰どのに攻め立てられて弱り切っておる。これで筑紫は足利王国同然よ」

 しかし、足利尊氏は一人、深刻な顔のままであった。

  「菊池武敏の首を見るまでは、決して安心はできぬ」

 「兄上らしくない」直義は笑った。「天下の大将軍は、もっと大きく構えなきゃ」

 「・・・何故か分からんが、俺には予感がするのだ。我らの前に最後まで立ち塞がるのは菊池一族に違いないとな」

 尊氏は、憮然と言い放った。

※                 ※

 多々良浜の敗報が伝わると、京の朝廷は慌てふためいた。

 早速、新田義貞を総追撫使そうついぶし とする大軍を西に送ることを決めた。もちろん、新田軍の中には菊池武重の名前もあった。

  しかし、朝廷は尊氏の恐ろしさを正確に把握したわけでは無かった。それが証拠に、北畠顕家の奥州勢を東国に帰すことを同時に決定したのである。

 実はこのころ、鎌倉を始めとする東国は、足利一門の斯波家長によって制圧されつつあった。朝廷はこれを憂慮し、東西の敵を同時に滅ぼすつもりで主力を二分したのであった。しかし、この戦略が大きな誤りであることはやがて明白となる。

  「小夕梨、この戦が片付いたら、一緒に肥後に行こうな」

  「うん、考えとくわ」

 二人が初めて出会った五条大橋の上で、二人の男女は別れの抱擁を交わした。

 しかしこれが、武重と小夕梨の永遠の別れとなった。

  官軍が東西に出撃したのは、三月十日のことであった。騎上の新田義貞は威風堂々の姿で、見送る群衆の万雷の歓声の中で周囲を睥睨した。しかし、匂当内侍とつらい別れを済ませた義貞は、その前途に非常な困難が待ち受けることをよく知っていた。

  既に、土居、得能を除く瀬戸内水軍は皆、尊氏に心を寄せている。かくして、官軍は陸路を採らねばならないが、先ず播磨で戦上手の赤松円心を破らなければならない。これに成功したとしても、大内、厚東、塩谷、山名など、尊氏に心を寄せる豪族が中国路にはひしめいているのだ。九州までたどり着くことすら心もとないのではないか。

  義良親王を連れて東へ向かう北畠顕家も、官軍の前途に漠然とした不安を感じていたが、若い彼はそれほど事態を深刻には考えていなかった。尊氏が西上してきても、何ほどのことやあらんと考えていた。しかし、顕家の父・親房は、途中で息子と別れ、わずかな手勢とともに伊勢に下った。彼は、その後の成り行きを予想していたのかもしれない。親房のこの機転が、結局、南朝の礎となるのだから。

  さて、新田義貞率いる、菊池、千葉、宇都宮らの大軍が播磨に入ったころ、予備として都に残った楠木正成は、必死の形相で御所を訪れていた。

  「ここは、尊氏卿に御使いを送り、和睦を図るべきです。必要とあらば、この正成が使いに行っても構いまへん」

 しかし、正成のこの献策は、廟議で笑いの種となった。

  「不思議なことを言うものよ」

  「河内守は、足利がそんなに怖いのか」

 「そもそも、朝廷が逆賊に和平を請うなど聞いたことないわ」

 「尊氏が筑紫の武者を従えたとて、何ほどの事やあろう。正月の時と同じく、打ち負かせばそれでよいことよ」

  公家たちの嘲笑をものともせず、正成は更に食い下がった。

  「尊氏卿は、おそらく一月のうちに、筑紫の猛卒を多数引き連れて京に攻めのぼることでしょう。そうなったら、防ぎ戦う術はもはや御座いません。上に千慮ありといえど、武略の道においては、卑しき正成の言うことに間違いありません。今にきっと思い当たる事でしょう」

  涙を流しながらかき口説く正成の姿も、天皇や公家の心を動かすまでには至らなかった。

 しかし、これもやむを得まい。天皇独裁を至上とする後醍醐政権と、幕府再興に燃える尊氏の野心とは、所詮は水と油。妥協の余地などありえないのだから。

  かくして建武政権は、悲劇への道をひた走ることになる。

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