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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

21.尊氏東上

 播磨で熾烈な抵抗を予想していた新田軍を待っていたのは、意外なことに、白旗を掲げる赤松の使者であった。彼が持参した赤松円心の直筆の手紙には、次のことが書かれてあった。

  『心ならずも逆賊に味方したのは、希望した播磨守に任じて貰えなかったからです。さりとて、大塔宮のご恩を忘れた訳ではありません。ですから、改めて播磨の守護にしてくだされば、ただちに城を引き渡し、官軍にお味方いたしましょう』

 「よし、分かった」義貞は、円心の使者に言った。「播磨守は、他ならぬこの義貞だが、天 下のためなら守護の一つや二つは惜しくない。さっそく都に諮って、円心入道の希望を斟酌しよう」

  こうして新田軍は、兵庫(神戸)の辺りに駐屯したまま、都との使者のやり取りに明け暮れた。そして、正式に円心の播磨守任官が定められた時には、既に三月も下旬にさしかかっていたのである。ところが・・・。

  『やはり、播磨守は新しい幕府から頂くことに決めました。悪しからず』

 これが、赤松円心の回答であった。最初から時間稼ぎが目的だったのである。

  「だましたな、円心入道っ」激怒する義貞。 人の良さは、戦場では必ずしも美徳とはならない。

  怒りに燃える新田軍二万は、大挙して赤松に襲い掛かった。しかし赤松勢は城に籠もり、決戦を避けた。彼らは、尊氏が上洛してくるまで官軍を防ぎ止めれば良いのであるから、無理な戦いはむしろ禁物であった。少しでも戦局が不利になれば城を捨て、更に奥地の城に籠もる。

 かくして、官軍は知らず知らず播磨北部の山岳地帯に引き込まれ、苦手な山岳戦を余儀なくされて行ったのである。

  「なんてこった」菊池武吉は唖然とした。「赤松のこの戦い方は、楠木さまが千早でやった戦法そのものじゃないか」

  赤松円心は、白旗城を最後の拠点とし、その周囲に無数の砦を設け、官軍を迎え撃った。住民は皆、赤松氏に好意的であり、ゲリラと化して官軍の糧道を襲った。

  「くそっ、このままでは埒があかん」義貞は唇を噛んだ。

 四月に入っても、白旗城を落とすことは出来なかった。かと言って、赤松を捨てて西へ向かうことも問題である。背後を脅かされ、補給路を遮断される恐れがあるからだ。第一、播磨守としての義貞の面目が立たない。

 「せめて、おいだけでも西に派遣してください」菊池武重が進言した。

  武重は、やっと最近、故郷からの手紙によって多々良浜の詳報を知ったのであった。以前から足利方勝利の知らせは入っていたが、まさかこれほどの惨敗とは、手紙を読むまでは夢にも思っていなかったのだ。阿蘇大宮司一族はもとより、赤星武幸や隈部隆久までも討ち死にとは夢にも思わなかった。弟たちや家族の身の上が心配で、夜も禄に眠れなかったのである。

  「よく言ってくれた、肥後どの」義貞は頷いた。「実は、義助の勢を西に進ませようと考えていたところなのだ。肥後どのも行ってくれるなら心強い」

 かくして菊池一族は、脇屋義助や大井田おおいだ 氏経うじつね 、江田行義(いずれも新田一族)らとともに、中国路を西進することとなった。

  ところが、尊氏に心を寄せる石橋和義かずよし が、付近の豪族たちを語らって、播磨西部の三石みついし 城で蜂起し、脇屋軍の進路を遮った。義助はさっそく三石城を包囲したが、要害堅固で容易に陥落しない。

  「このままでは、兄上の二の舞いだ。行義、氏経、それに肥後どの、この三石城は俺一人で十分だ。そちたちは、構わず西に進んでくれ」義助は、苦虫を噛み潰したような顔で命じた。

  江田行義は、かくして美作みまさか (岡山県北部)に討ち入り、敵対する土豪を次々に打ち破り、奈義、能山、菩提寺の諸城を制圧した。同じころ、大井田氏経と菊池武重は、長躯して備中(岡山県西部)にまで攻め入り、福山城(倉敷市の北方五キロにある)を占領した。

 「ようし、幸先よいぞ」 「この調子で、筑紫まで突っ走ろうぞ」

  手を取り合って喜ぶ武重と氏経。しかし、彼らの快進撃もここまでであった。これまで日和見していた中国筋の豪族が、一斉に足利方に転じたからである。

 彼らを動かしたのは、三月二十八日付けで大宰府からもたらされた尊氏の上洛予告であった。

※                  ※

 足利尊氏は当初、秋の収穫を待って東上の軍を起こすつもりであった。それが予定を早めたのは、赤松円心や石橋和義からの援軍要請が後を絶たなかったからである。彼らは、新田勢の猛攻に非常な苦戦に陥っていたのだ。これを見捨てる訳にはいかない。

 「出来ることなら、もう少し筑紫を固めておきたかったのだが」嘆息する尊氏。

  「ふふ、そんなに菊池掃部助が気になりますか」直義が微笑む。

  このころ菊池武敏は、阿蘇惟澄とともに、足利方の追撃を振り切って日向高千穂山に潜伏しており、足利勢は彼らをすっかり見失っていたのだ。

  「なあ、直義。菊池を押さえ込む、何か良い策はないものかのう」

  「ふふふ、実はあるのです」

  「おおっ、さすがは直義。して、どんな策じゃ」

  「兄上は、多々良浜で生き残った阿蘇惟澄が嫡流ではないことをご存じでしたか」

  「ほお、それは知らなんだ」

 「阿蘇惟澄には、阿蘇社を取り仕切る権利は無いのです。おそらく、京で帝を守っている前大宮司の惟時が復位することになるのでしょうが、今のところ大宮司職は空位です」

 「ふむふむ」

  「ですから、我らで適当な人物を阿蘇大宮司に任命するのです。その人物は、当然我らに恩義を感じ、忠誠を尽くすことでしょう」

  「そうかっ、そうして菊池と阿蘇を分断するのか。これは良い。菊池は常に背後を脅かされるから、おいそれとは動けなくなるわけだ。さすがは直義、見事な策よ」

 こうして、直義の目論みどおりに運ばれた。尊氏は、阿蘇家末流の坂梨さかなし 孫熊丸まごくままる という人物を阿蘇大宮司に任命し、菊池討伐を命じたのである。

  「おお、とても尋常では大宮司になれないおいに、阿蘇大社を一任くださるとは。この孫熊丸、命に代えても将軍に忠義を尽くしますぞっ」新大宮司の喜びようは凄まじいばかりであった。

  「これでよし」

 ほくそ笑んだ尊氏は、次善の策に移った。一族の一色範氏を鎮西大将軍に任命し、博多に駐屯させることとし、仁木義長を肥後に、畠山義顕を日向に配置し、宮方の再起に備えさせたのである。いかに尊氏が九州を重視したかよく分かる。

 これらの処置に存外手間どったため、足利軍の東上は予定より少し遅れ、四月三日のこととなった。

 これに従うのは、弟の直義や執事の高師直を初めとする足利一門、少弐頼尚、大友氏泰、島津貞久の九州御三家に加えて、松浦、土持、龍造寺、深堀といった、ほとんど全九州の豪族であった。

 だが、長門に上陸した大遠征軍は、しばらくその地に留まり、軍勢と情報の招集を行った。たちまち、大内、厚東、吉川きっかわ 、小早川、山名といった豪族たちが馳せ参ずる。

 彼らは、尊氏東上の時をどんなに待ち望んだことか。もはや、時の流れは尊氏の物であった。

※                  ※

 だが、不撓不屈という言葉は菊池武敏のためにある。

 武敏は、尊氏東上を聞くとただちに再挙し、菊池城の奪還に成功すると、兵力五百を率いてまたもや北上を開始したのであった。尊氏の心配は現実となった。しかも、任官したばかりで勢力の固まらない阿蘇大宮司の坂梨孫熊丸は、阿蘇惟澄に遮られ、菊池に対する軍事行動を大きく制約されている有り様である。

  「菊池掃部助め、多々良浜でまだ懲りないのか」

  驚いた博多の一色範氏は、ただちに仁木義長に命じて菊池勢を迎え撃たせた。しかし、仁木、少岱、詫磨の連合軍一千は、筑後の床川とこかわで大敗し、あっけなく潰走してしまった。

  「ざまを見ろ、これが実力よ。待ってろ、尊氏」

 菊池武敏は、味方の凱歌の音頭を取りながら、遥か北方を睥睨した。彼の当面の目標は、大宰府制圧であった。

 だが、多々良浜の損害を残したまの菊池勢にはやはり限界があった。鎮西大将軍として全九州の武士に命令権を持つ一色範氏は、次々に新手を差し向けてくる。これに対し菊池武敏は掃部助にしか過ぎず、一族以外の武士を動員することは出来ないし、大勢は足利有利であるから、多々良浜の時のように協力してくれる豪族など皆無であった。

  筑後の烏飼うがい で再び激突した仁木、菊池勢の戦いは、今度は菊池の敗北に終わった。打撃を受けて疲労困憊した菊池勢は、やむを得ず肥後へと退却していった。

  「よしっ、今度こそ菊池の息の根をとめてやる」

 仁木義長、少岱光信、龍造寺家房、詫磨貞政、合志幸隆らの足利軍は、再び菊池深川城に襲い掛かった。もちろん、武敏にはこれを抑える力は無い。

  「悔しいが、また城を敵に預けよう。後で取り戻せば済むことだ」

  またもや城を捨てて山中に逃げる菊池勢であった。

  「一気に山中まで追撃しましょう。放っておくと、また息を吹き返しますよ」

 少岱光信らが必死で提言したが、総大将の仁木義長には聞く耳がなかった。

 「筑紫を平定するという、わしの役目はこれで終わった。この上は早速、将軍の後を追うこととしよう」義長は嘯いた。

 もともと彼は九州に残留することが嫌であったので、これを口実に上洛を目論んだのである。

 いずれにせよ、菊池勢はこうして救われた。菊池討伐軍は解散した。仁木義長は副将の今川助時すけとき を肥後国府に残すと、手勢を率いて上洛の途についたのである。

  菊池武敏の無謀とも見えるこの出撃は、結局敗北に終わったものの、決して無意味では無かった。菊池勢未だ健在なり、を全九州に誇示出来たことは大きかった。抵抗中の伊東、肝付、内河、大友貞順らは再び勇気を奮い立たせたし、各地で新たな宮方の挙兵も起きたのである。相良一族など、両派に別れて抗争を始めた。

 「これは参った」長門国府の尊氏は臍を噛んだ。

 九州の情勢は予断を許さない。かと言って全軍の士気を考えると、再び九州に戻る無駄はおかせない。

  「私を大宰府に派遣してください。たちまち筑紫を平定してご覧に入れますぞ」 進み出たのは、少弐頼尚であった。九州の盟主が目標の彼にとって、このような事態は静観できなかったのだ。

  「そちは、まずい」尊氏は首を横に振った。「島津貞久の手勢を派遣することにする」

  「なぜ、我らではまずいのですか」頼尚は詰め寄った。

  「・・・少弐の強い武力は、上洛の戦いに欠かせないからだ」

  「・・・・・・?」

 少弐頼尚は釈然としなかった。

 なぜ尊氏は、自分を大宰府から引き離したいのか。 そもそも尊氏は、一族の武将を九州一円に派遣して強大な権力を与えている。博多の一色範氏などは、かつての鎮西探題と同じ権限を有しているようだが・・・。

 そこまで思いを及ばせた頼尚は、恐ろしいことに思い当たった。まさか、尊氏は鎮西探題の復活を狙っているのではあるまいか。一色範氏の勢力を定着させるために、九州最大の権威である少弐を大宰府から引き離そうとしているのではあるまいか。だとすれば、我ら少弐一族は、何のために尊氏に味方したのか分からなくなる。何のために父や弟たちを犠牲にしたのか分からなくなる。

  「いや、まさかそんなことは」頼尚は、あわてて恐ろしい考えを打ち消した。将軍を信じよう。今はそれしかない。

 少弐頼尚の思惑を他所に、足利軍の上洛準備は着々と整った。長門逗留は二十日の長きに亙ったが、その目的は船集めである。尊氏の戦略は、陸海から同時に山陽道を攻め上がることにあったので、大量の船が必要だったからである。

※                  ※

 尊氏が上洛の姿勢を見せたことは、それだけで大きな効果があった。苦戦中の赤松、石橋らの戦意は急激に高陽し、新田軍を大いに苦しめたからである。

 備中福山城の菊池武重も、占領地の宣撫工作に追われ、それより先には進撃できないままで五月を迎えた。

  「くそっ、こうしている間にも、五郎(武茂)や九郎(武敏)は、どんなに辛い思いをしていることか」

 気ばかり焦る武重であった。

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