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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

2.肥後菊池

 「おい、三郎、もう出発するぞ。たいがいにせい」

  うんざり顔で言う兄(菊池武重)に窘められて、三郎頼隆は頭を掻いた。

 頼隆ときたら、妙子といつまでも見つめあったままで、一行の出発を遅らせていたのである。恋人同士の語らいというものは、時と場合によってははた迷惑である。

  「三郎さま、お便りをお待ちしていますわ・・・・」

  「うん、またいずれ」頼隆は、名残惜しげに騎上の人となった。

  かくして、ようやく一行が肥後への旅路に就いたときは、既に、陽光が南の空を彩っていた。大智禅師は、菊池兄弟の薦めた籠を断り、元気に歩き続ける。

  「お坊さん、いい足腰よのう」 「坊さんにしとくのは、もったいないばい」

  口々に声を掛けるのは、菊池兄弟が連れて来た家の子郎党である。彼らは戦ともなれば騎士を助けて活躍するのであろうが、この時は土木工事に来たせいか呑気な風体である。大智と同道した郎党は全部で四十人ほどで、菊池氏の尚武の家柄のためか猛々しい面構えをしている。

  武重と頼隆の兄弟は騎乗だったが、徒歩の大智を思いやって、しばしば愛馬を曳いて歩いた。二人は難しい話には興味がないらしく、英時のように中央情勢について問いかけることはなかった。

  筑前(福岡県北部)から筑後(福岡県南部)を経て肥後に入る道は、春の終わりの情緒をたたえて美しかった。散りかけた花の香りが香ばしい。

  一行は途中の宿駅でしばしば休息し、桜を肴に酒を食らって陽気に騒いだ。もちろん大智は一滴も口にしなかったが、野放図な彼らに親しみを感じ、上機嫌であった。 だが、酔っ払うと本音が現れるのも人の性である。大智は、菊池一行の中に鎮西探題に対する反感を強く感じ取った。あの北条英時が、菊池氏を警戒するのも無理はないと思った。

  「元寇の時の恩賞も寄こさんくせに、ただ働きさせやがって。何が鎮西探題だ」

  「文永の元寇で蒙古を追っ払えたのは、我らの爺様の奮戦のお陰なのによお」

 「あの時の恩賞は、腰抜けの少弐と大友の分け取りよ。不公平じゃあ」

  ロレツの回らない声で管を巻く赤ら顔の郎党たちであった。

※                 ※

 ここで、この物語の主人公である菊池氏の沿革について語るべきであろう。

 肥後国府のある隅本(熊本)の北東に位置する菊池郡。ここは、入り組んだ山間の中にある九州の要衝である。古代は鞠智くくち と呼ばれ、大宰府防衛の前哨線であったことが知られている。

 この菊池郡に、平安時代中期から有力豪族が根を張っていた。紫式部の『源氏物語』に登場する、「肥後の国に、族広く、かしこにつけては覚えあり、勢い強き厳しき強者」である。彼らこそ、菊池一族に外ならない。

 その出自については不明な部分も多いが、彼らは摂関藤原家の支族を自称し、それを堅く信じていた。彼らは歴代の肥後国司(律令体制における熊本県知事)であり、かつては、まさに九州の重鎮であったのだ。

  そんな彼らの上に、次々に暗雲がのしかかる。

 源平合戦における源氏の勝利は、菊池一族没落の予兆であった。平家に味方して壇の浦で奮戦した菊池氏に対する風当たりは強く、所領もいくつか没収された。捲土重来を期した彼らは、やがて承久の乱で後鳥羽上皇に味方したが、これも裏目に出た。菊池勢の奮闘にもかかわらず、上皇方は敗北したのである。これにて幕府の覇権は確立され、菊池氏の没落は加速された。

  そして、承久の乱以後、九州の豪族を統制すべく、関東から幕府子飼いの有力豪族が続々と植民した。筑前の武藤むとう 氏(通称・少弐しょうに氏)、豊後(大分県南部)の大友氏、薩摩(鹿児島県西部)の島津氏、日向(宮崎県)の伊東氏、豊前(大分県北部)の宇都宮氏・・・ この中でも少弐、大友、島津は鎮西御三家と呼ばれ、合議の上で九州を支配する権限を与えられた。これを鎮西奉行制度という(ただしこの制度は、元寇の後に北条一門による鎮西探題が設置され、既に終焉を迎えている)。

 彼らは、九州の守護職(鎌倉幕府体制下の県知事)を総なめし、菊池氏を始めとする先住者たちを大いに圧迫した。 このような情勢下、生活に苦しむ菊池氏は、やむを得ず幕府の御家人となり、菊池郡の地頭(市長と思ってよい)に甘んじた。そして名誉回復の機会を待った。

 やがて、名誉回復の機会は来た。文永・弘安の役。二度に亙る元寇である。この戦で菊池一族は歴史に残る奮戦をし、その名をほしいままにした。その姿は、竹崎たけざき 季長すえなが の『蒙古襲来絵詞えことば 』に特筆されている。

 しかし、彼らは不運であった。弘安八年、元寇の折りに親しくなった幕府の重鎮・ だち 泰盛やすもり が政争に敗れ、誅殺されたのである(霜月しもつき 騒動そうどう )。菊池氏は安達派と見なされ、恩賞審理から外されてしまった。

 かくして、幕府に対する菊池一族の恨みと憎しみは蓄積されていった。酔った郎党たちの愚痴は、菊池氏の総意なのであった。

※                  ※

 そのような不穏な事情を知るべくもなく、大智禅師は請われるままに菊池屋形に寄り道することにした。

 菊池家の領内に入った一行は、田圃の早苗を愛でながら歩く。道中出会う農民たちは、みな幸せそうな屈託のない笑顔を向けて来た。察するに領主と民の仲は、どうやら円満のようである。

 やがて菊池平野の中央に、堂々と構えられた黒塗りの大きな屋形が見えて来た。どうやらここが菊池本城(深川城)のようだ。門前に着いた一行は、大勢の従者を連れた僧形の人物の出迎えを受けた。

 この人物は、年の頃四十二、三で、色黒で丸顔、小太りだが太い眉を持ち、周囲に威厳を払っている。

  「次郎、三郎、役目ご苦労であった」と、その人物が声をかけた。重々しいが、威風堂々の声音である。

  「父上、先程お知らせいたしたとおり、大智禅師をお連れしましたばい」列の先頭で、武重が声を返した。

  「うむ」うなずいた僧形の人物。彼こそは菊池氏の惣領・武時なのであった。

  「拙僧は大智と申す者、以後、お見知りおきを」 進み出て頭を下げる大智を見て、武時は嫡男を叱咤した。その鋭い声は、あたかも雷のようだ。

 「これ、次郎、どげんして籠を用意してあげなかったか。高僧が埃まみれでいらっしゃるではないか」

  「いいえお構いなく」大智は口を挟んだ。「これは拙僧が望んだことでござる」

  「そうでしたか」武時はやっと笑みを見せた。「申し遅れましたが、おいは菊池武時、又の名をを寂阿じゃくあ 入道と発します。おいの屋形では、もう不自由はさせもあはん。これ、源三、大智どのにたらい を用意してあげよ」と、隣に控える郎党に命じた。

  このころの武士は、中年になると出家するのが流行であった。仏教が盛んな時代だったからである。なにしろ、鎮西御三家(少弐、大友、島津)の惣領も、みんな法体という有り様だった。

  さて、その夜のうちに、菊池一族の主立った人々が深川城に集まって来た。大智歓迎を名目にして飲むためである。 このころの武家は、後の戦国大名とは大きく異なり、その本質は閉ざされた一族共同体に過ぎない。だから、政治も軍事も経済も、全て一族が中核となる。例えば、菊池氏の三大家老と言われる城、赤星、隈部氏は、みな菊池氏の遠い親戚である。彼らの結束は固く、例えば武時の正妻は、赤星氏の出身であるほどであった。

 大智の第一印象の中では厳格な人物であった武時が、一皮剥けば無邪気で陽気な男であることが明らかになるには、さほどの時間は必要なかった。大きな声でよく笑い、下品な冗談が飛び出る。五人の女性が挨拶に来たが、みんな彼の妻だという。さらに、大智が驚いたのは、武時には武重を筆頭に十五人の子供がいるという。

 「がっははは、上から順に、次郎武重、三郎頼隆、四郎隆舜たかあき 、五郎武茂たけもち 、六郎武澄たけずみ 、七 郎武吉たけよし 、八郎武豊たけとよ 、九郎武敏たけとし 、それから元服前の男の子が六人いて、最後が昨日生まれた女の子ですばい。やっと授かった女の子。おいはもう、嬉しゅうていかんわ。ああ、そうじゃ大智どの、娘の名付け親になってくださらんか」

  夕餉の後に客間で差し向かいになった武時の見幕に、大智は断り切れなかった。

  問題の女の子は、正妻の腹からの五人目の子であるという。二人が訪ねたところ、母の智子に抱かれた赤ん坊は、ちょうどすやすや寝入ったところであり、無邪気な笑顔がとても可愛らしかった。 大智は、城への途中見た青い早苗を思い浮かべ、早苗さなえ という名前をつけてあげた。

  「ありがとう、大智さま」「ほんに、よい名じゃ」と、夫婦共に大喜びである。 武時の正妻智子ともこ は、一族の赤星氏の出身ということだが、取り立てて美しいとはいえないが、物静かで優しそうな女性である。「よかったねえ、早苗」と、眠る赤ちゃんに優しく語りかけるのだった。

  武時は少し心配そうな表情を浮かべ、「のう、大智どの、この子は、幸せになれますかのう」とたずねた。

  大智は赤ちゃんの寝顔をのぞき込んだ。

  「ふうむ、幸せかどうかは分かりませぬが、高貴な方と結ばれる相があるようですな」

 これを聞いて、武時夫妻は狂喜乱舞の喜びようであったが、大智は別にお世辞を言った訳ではなく、素直に思ったことを言ったに過ぎなかった。それほど早苗は気品のある顔立ちをしていたのである。

  そのころ、屋形の別の棟では、菊池一族の人々が酒を食らい大いに盛り上がっていた。

  そんな彼らと一線を画すかのように、庭の暗い片隅に、小声で話す二つの影があった。誰あらん、巨漢の次郎武重と美男子の三郎頼隆なのである。

  「ばってん、次郎兄上、親父が許すはずないよ」 「そんなの分からないだろう、やってみなくちゃ」 「そういう次郎兄上の奥方は、阿蘇家の人だろ。親父は、有力豪族と縁戚関係を作って菊池の勢力を広げたいのさ。商人の娘との結婚なんて、親父にとっては論外に違いない。おいが、妙子どのを妻に欲しいなんて言ったらどうなるか。勘当だよ」 「なんだ、勘当が怖いのかお前は。そんないい加減な気持ちだったのか。それを聞いたら妙子どのはどんな顔をするかな」 「そんなこと言ったって兄上・・・・・おいは、どうしたらいいんだ」 「おいが親父に掛け合って、なんとか話をつけてきてやるよ。お前はそこで待ってろ」

 そのとき、近づいてくる人の気配を感じ、兄弟は口を閉じた。 しかし暗闇の中から姿を現したのは、二人にとっては異母弟に当たる、武時の五男、武澄であった。

 「兄上たち、今更黙っても遅いぜ。話は聞かせてもらったから」 六郎武澄はまだ十八であったが、冷静な頭脳を持った理知的な男である。

  「そうか、聞かれたなら仕方ない。でもおいが良いと言うまで他言するなよ」と、武重。

  「ばってん、三郎兄上のために、おいも一肌脱ぎたいよ」と、武澄。

  「子供に何が分かる。とっとと帰って寝ろ」

 「いいから仲間にしてくれよ。じゃなきゃ、七郎や八郎にもしゃべるぞ」

  「なんだと・・・・しょうがない奴だな」 その後、武澄も加えた三つの影が、頭を突き合わせて相談を始めたのは言うまでもない。

 ※                 ※

 ところで大智は、菊池武時が曹洞禅には関心がないのに、好奇心だけから自分を歓迎したのだと考えると、もはや目的地である大慈寺しか念頭になかったので、滞在二日目の朝から出発の支度を始めていた。

  大智の世話役の源三からその様子を聞いた武時は、せめてもの気晴らしに菊池本城(深川城)の自慢の庭に大智を自ら案内することとした。

 畿内の端正な庭園を多く見聞している大智にとっては、九州山中の庭など格別に魅力を感じなかったが、断るのも悪いので案内を受けることにした。武時の開けっ広げな性格を好ましく感じ始めていたということも承諾の理由の一つであった。

  「どうです、たいしたものでしょう」と、武時は相変わらず能天気な口調で語るのだった。

 従者を遠ざけ二人きりで歩く春の庭園は、しかし大智が想像したものとは全く異なっていた。人の手を入れるのを最小限に抑え、自然の木々の間に小道をつけただけのものであったので、京都などの人工の庭園とは一風変わった魅力があったのだ。

  「すばらしい」大智は本心から答えた。「自然の素材を上手に生かしていますね」

  「人生も、こうありたいものですばい」と、武時はうなずきながら言った。「余計なことにとらわれず、流れに任せ、信じる道を進むのが、おいの理想の生き方なのです」

  「それは禅の理想でもあります」大智は一見無軌道な武時の心底に、自分と同じような思想が流れていることを知り、うれしく思うとともに、自分の思い違いを恥じた。

  武時は話を続けた。「しかし世の中は、おいのような田舎者には分からん事が多すぎます。例えば、先帝(後醍醐天皇)の挙兵を、鎌倉の人々は謀反というとるそうじゃが、帝はこの国で一番偉いお方でしょう。それを謀反人扱いするのは、それこそ臣道にもとるのではないですかな」

  「ふうむ、しかし王法を護持すべき帝が、自ら兵乱を起こすのは考え物ですからな」話がきわどい方向へ進んで来たことに警戒しながら、大智が応えた。

  「それなら、先帝の挙兵は、王法を護持するために必要だったとは考えられませぬか。幕府の近頃の無道ぶりを見ておると、おいには幕府は滅びるのが道理と思えるのです。幕府は先帝のために敗れてあげるべきでござった。これこそ王法というものでござろう」

  「しかし、そう言う寂阿さまが北条執権の立場なら、素直に滅びることができますか」

  「おお」武時は頭をかいた。「これは痛いことを言いますな。じゃが我らは摂関藤原一族の末裔です。東夷あずまえびす の犬となって朝廷に抗したてまつることなど、金輪際ありませぬでな。ただ、幕府に仕立てられた偽の朝廷に対しては、話がちと別ですがの」

  「そ、それでは」大智は心中動揺を隠せなかった。これは明らかに幕府に対する反逆の意思表示である。はからずも鎮西探題北条英時の疑惑は的中したことになる。

  「既に瀬戸内海の海賊とも連絡ができておる。伊予の土居、得能一族も我らの味方じゃ。しかし・・・おいはまだ踏ん切りがつかんのじゃ。一歩間違えば一族滅亡じゃからの。やっと授かった早苗もどうなるか分からん。それが怖いのじゃ」

  「なぜ、そのような大事を拙僧に」と、幾分青ざめた顔の大智は言った。

 「さて」と、武時は首をかしげた。「きっとおいは大智どのが好きなのですよ」

 大智はこれを聞いて、苦笑せざるを得なかった。万事において婉曲な英時とは、何という違いであろうか。それに、密告によって現世の栄華を得ようとしない真の僧侶であると見込んで自分にこの独白をしたのなら、武時はこの大智を本当に理解してくれているのではなかろうか。

  「のう、大智どの。こうしている間にも、孤独に闘い続けている大塔宮や楠木正成とは、どのようなお方であろうか」と、武時は輝く遠い目をして言った。

 「拙僧はお会いしたことは御座らぬ。しかし、畿内の民衆の間での楠木どのの人気は、まったく大したものです」

  「ふうむ、あれほどの幕府の探索にもかからわず潜伏できるのは、やはり民心を得ていて協力者がいるからですか。・・・・楠木どのか、一度お会いしたいものだが」

  「そんなに気になるのでしたら、寂阿どのには、立派なご子息があまた居られるのですから、ご自身でなくとも、ご子息を畿内に派遣してはどうですかな」大智は微笑んだ。

 「おお、おお、それは良い考えじゃ。かたじけない、大智どの」と、武時は両手を打って喜んだ。

  その後、二人は庭園の花や木々を楽しみながら、そこはかとない世間話をしながら過ごしたのだった。 大智がその目的地である川尻の大慈寺へ発ったのは、その翌日の朝であった。もちろん菊池の郎党数名が護衛して行ったのは言うまでもない。

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