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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

4.惟澄と虎若丸

   城隆顕からの長い手紙を読みながら、菊池寂阿入道武時は何やら思案顔である。

  「ふうむ、まだ大塔宮には会えぬのか」

 すでに六月の中旬である。しかし畿内は表面的には相変わらず静穏であり、隆顕と二人の息子は京や摂津の辺りをうろうろしているらしい。武時は手紙を傍らに置いた。三人に対する経済的支援は、土居道増がやってくれているし、宮崎太郎兵衛もまめに動いてくれている。何も問題はないし、焦ってみてもしかたがない。

  「しかし、梅富屋のことでは六郎は怒っているだろうなあ。じゃが、長期滞在となると、商人などより、気心の知れた武士の方が頼りになるのだ。盟約を強めるために、あの商人には気の毒だが、積み荷は彼らにくれてやったわ・・・」

 その梅富屋襲撃事件については、長門探題や鎮西探題でも問題になっていた。しかし、幕府の瀬戸内海の支配力はそれほど大きくなく、いたずらに騒ぎ立てるだけの体たらくだった。

 先日、梅富屋の番頭が主人庄吾郎の手紙を持って謝罪に来たとき、武時は大人物らしい度量を示して番頭を慰めたが、内心では相手が不憫でならなかった。本当は謝るのはこちらの方なのに。

  そんな考えにふけっていたとき、室外から声がかかった。

 「お屋形様、阿蘇大宮司が参られましたが」

 「なんと、もうそんな時刻か。接待しておれ。すぐに参る」空想から抜け出した武時は、声をかけた郎党にそう指示すると、自分も部屋を出て着替えに行った。

 阿蘇大宮司との付き合いはおろそかにはできない。そういえば、今日は義理の弟を連れてくると言っていたが、どんな青年なのだろう。

  阿蘇大宮司というのは、菊池の近くにある阿蘇神社の祭主である。阿蘇社はかなり歴史が古く、九州の神道の要として隠然たる勢力を持っていた。阿蘇社と菊池の関係は、古く、かつ深かった。阿蘇社の位置は行政区画のうえでは肥後に属するので、肥後国司の菊池家とともに、肥後における政治、宗教の両輪をなしていたからである。また、軍事面でも阿蘇社の勢力は強大であり、軽視することはできなかった。

  正装に着替えて客間に向かう武時は、ふと気を変えて北の方(女子供の住居)へ向かった。そこには正妻の智子と、赤ん坊の早苗がいるのである。

  「あら、あなた、どうなさいましたの、そんな格好で」と言って智子は微笑んだ。 いつもにこやかな笑顔でいることが、彼女の長所なのである。

  「阿蘇大宮司に会いに行く途中なんじゃが・・・、おいの用は分かっとるじゃろうが。これ、早苗はどこにおる。隠さないでもええじゃないか」

 「まあ、さっきお乳をあげたところですのよ。もう、おねむじゃないかしら」

 「寝顔でもよい。通るぞ」

  隣部屋の布団の中で、早苗はまだ起きていて、しかも上機嫌であった。入って来た武時の顔を見て、大きな目をくりくりと動かした。

  「おうおう、父様じゃよ。分かるか」と言って、武時は赤ん坊を抱きかかえた。

  早苗は、父のタコのような丸顔がお気に入りらしく、武時に抱かれるといつも楽しそうな目をするのだった。武時はそれが嬉しい。

  「昨日、次郎どのが遊びに来たとき、この子ったら顔を見るなり泣き出すんですよ」 かたわらで赤ちゃんの顔をのぞき込みながら、智子が言った。

  「ぼっけもん、次郎の鬼みたいな怖い顔を見せる奴があるか。早苗がねじくれたらどうする」

  「まあ、あなた、それは言い過ぎでしょう。自分の跡取り息子に向かって」 そろって笑う両親の顔を、早苗は不思議そうに見つめていた。

  そのころ、噂の次郎武重は、客間で阿蘇大宮司の接待に出ていた。彼は大宮司の妹を妻にしているので、家庭のことだけで大いに話が沸き立つのである。

 阿蘇大宮司は、その名を惟直これなお と言う三十男である。彼は少し太めで大柄な体格をしており、そのせいか武重の妻であるその妹もかなり大柄であったが、武重が巨漢であるので夫婦の釣り合いはとれていて、似合いの夫婦との評判であった。

  「ところで次郎どの、松若丸どのは幾つになられたかな」大宮司惟直がにこやかに言った。松若丸は武重の嫡男であるが、もちろん惟直にとっては甥にあたる子供である。

  「ふふっ、やっと三つですばい」武重は顔を緩めて嬉しそうに答えた。

  「ほほう、かわいい盛りですなあ。そういえば寂阿どのもこの前、女の子を授かったそうですな。ということは、次郎どのは嫡子よりも年下の妹御を持つことになりますね」

  「・・まったく父の若さには閉口しますよ」

  「なあに、おいの父(阿蘇惟時これとき )も、とっくに大宮司職を隠居したくせに妙に元気ですよ。今度、京まで物見遊山に行くのだと張り切ってますわい」 こう言ったとき、惟直はなにか意味ありげな顔付きをした。武重はそれで、前大宮司の物見遊山の、本当の目的を察した。情勢の偵察をするつもりなのだ。

 阿蘇氏は神道の大社であるから、皇室とのつながりは密接である。しかも、理由もなく社領の一部を北条一門に奪われており、幕府を恨んでいたのだった。それゆえ、阿蘇社は菊池氏と同様に、精神的には後醍醐天皇の味方であったのだ。

  「いやあ、お待たせしました」その時ようやく、障子を開けて武時が姿を現した。 「それでは、おいは」と言って腰を上げようとした武重は、しかし武時と惟直の両方から止められた。

  「次郎、お前はおいの跡継ぎだ。何を遠慮することがある」

  「そうじゃ、席をはずす必要はござらぬぞ」

 それで武重は、父や大宮司と座を囲むことになった。

  「今日は義弟どのをお連れしたと聞いたが、どちらですかな」 武時は室内を見回した。その場には武時、武重、大宮司の三人しか見えなかったから不審に思ったのである。

 「いやあ、そこまでついて来たんですが・・・おたくの庭の前を通りかかったとき、見とれて行ってしまったのです。今度で二十になろうというのに落ち着かない奴でしてなあ」惟直これなお は頭をかいた。

 「いやあ、わが家の庭が気に召すとは目が高い方ですぞ」と、武時は嬉しそうである。 「わざわざ惟時どのが養子に迎えるとは、やはり見所がある青年なのでしょう」

  「ええ、親戚筋の者なのですが、えらく腕がたちましてな。これからの時代に備えて、父が養子縁組を望んだ次第ですばい」と言った惟直の目は怪しく光った。 「そうじゃ、寂阿どの。ともあれ、これを見ていただきたい」そう言って、惟直は持参して来た包みを丁寧に開き、一通の書状を取り出すと、頭上に掲げて深く一礼した。

  「大宮司、まさかそれは・・・・・」菊池親子は、思わず身を乗り出した。

 「御察しのとおり。大塔宮おおとうみや 護良もりよし 親王の令旨でござる。昨日、修験者が阿蘇に持参したのですよ。大塔宮は、やっぱり健在であらせられるのじゃ」惟直の目は熱っぽく輝いている。

 「菊池には令旨はまだですかな」

  「いや、まだですわ」と言った武時は、少し寂しそうであった。

  「そうですか。菊池は我らと違って、不遇とはいえ幕府の地頭じとう 御家人ですから、宮も警戒なさったのでしょう」慰める惟直は、やはり少し得意げである。

 「それでどうなさる。ただちに挙兵するつもりですか」と、武重。

 「する、と言ったら菊池はどうなさる。かねての盟約に従って同心してくださるか」

  「・・・・・・」菊池親子は、思わず目を見交わした。

  「ははは、戯れですわい。もう少し畿内の情勢を探ってからでないとな。これは一族の運命の分かれ目。犬死にではつまらんですからな」

  大宮司は、しかし油断ならない目付きで親子の挙動を眺めていた。

 この男の父、前阿蘇大宮司が畿内に偵察に行くのはそのためか、と武重は惟直の目を見返しながら思った。

※                 ※

 そのころ、ここ菊池深川城の庭の奥で、剣の稽古に気合を入れる少年があった。

  年の頃、十二、三であろうか。うるさい蝉の声をものともせず、汗まみれの額の中に宿る目は精悍そのものであり、ただの子供とは思えない何かを感じさせる。

 「いやあ、とうっ」 梅の木に囲まれた空き地で、宙空に向かって繰り出される木刀には、異様な力強さが漲っているのだった。

  「見事なものじゃ」梅の古木の陰で、さっきから見守っていた若者が少年に声をかけたのだ。 その声に、初めて異邦人の存在に気づいた少年は、びっくりして振り向いた。

  「誰じゃ、お前は」睨む少年は、警戒心と、稽古をのぞかれた恥ずかしさとで複雑な表情である。

  「ははは、こわがることはない。おいの名は阿蘇あそ 惟澄これずみ 。今度、阿蘇前大宮司の養子になった者じゃ。よろしくな」すずやかに答えた若者は、年の頃二十前後、小柄で少し太めだが、引き締まった見事な体格の持ち主である。

 「おいは菊池十郎じゃ」少年は惟澄の方に向き直り、木刀を杖にして胸を張った。

  「すると、武時入道さまのご子息か。これはお見それした」素直に頭を下げた惟澄に対し、十郎と名乗った少年はふんぞりかえったままである。 思わず苦笑した惟澄は、好奇心と意地悪な気持ちからたずねた。

 「十郎とおっしゃったが、仮名けみょう だけでは分からぬ。他の名は何とおっしゃるのですかな」

  「・・・・虎若丸とらわかまる じゃ」

  「なんと、まだ元服前であったか。仮名を使うには若すぎるの。あまりに偉く見えたので成年と勘違いしたわ。許せよ」皮肉まじりの惟澄の言葉にも、十郎少年は平然としている。

 こいつはやりにくい子供だわい、と認識を変えた惟澄は、下手に出ることにした。

 「虎若どの、先程から拝見するに、見事な剣さばきですのう。誰に習ったのですかな」

  「昔は父様に。最近は次郎兄様じゃ。九郎兄と一緒に習っておるのじゃが、おいは九郎兄に負けたくない。だから、こうして特訓しているのじゃ。だからこの事は誰にも言わんと約束してくれぬか」と、十郎は、少し赤らんだ表情で言った。

  「ああ、いいとも」やっぱり子供だ、かわいいことを言うわい、と惟澄は内心ほくそ笑んだ。「なあ、それならおいが特訓に協力してやってもよいぜ。こう見えても腕には自信があるでな」

 「・・・嬉しいけど、それは駄目じゃ」

  「どうして」

 「おはんは阿蘇、おいは菊池で家が違う。いつ敵味方になるか知れぬ奴に教わる訳にはいかん」

  「なんと」これにはさすがの惟澄も呆れた。「そんなこと、父御に言われたのか」

 「違う。父様は阿蘇家と仲良しじゃもの。おいが勝手にそう思っとるだけじゃ」

 これは末恐ろしい子供だぞ。惟澄は気まぐれに遊びに来た庭の中で、思わぬ拾い物をした気分であった。

※                  ※

 阿蘇惟澄が菊池十郎と戯れているころ、菊池三郎頼隆は、弟の木野五郎武茂たけもち とともに水争いの調停に出向いていた。

 調停といっても、鎧兜に身を固めた物騒なものである。菊地氏は、菊池の南に割拠する合志こうし 一族と仲が悪く、しばしば土地問題でいざこざを起こしていたのだ。

 この時代の武士の本質は、安土桃山時代のような戦闘単位ではなく、あくまでも武装した地主と考えたほうが近い。ゆえに縄張り争いによる小競り合いは日常茶飯事であり、今度の水争いも戦争に発展する恐れがあった。

 しかし、菊池、合志ともに当時精強で有名な武士団であったから、戦にでもなればお互いに甚大な損害をうけることになる。そのため、お互いに意識して戦を避けることに暗黙の了解ができているのだった。

  「よかろう、今回はこちらが手を引こう」 水源を挟んで対峙した騎馬武者たちは、合志家の若き惣領、幸隆ゆきたか の一声で騎首をひるがえした。流血は、なんとか今回も避けられたのである。

 「我らの勝ちだ」「合志め、妥協するとは腰抜けめ」 口々に言う菊池家の郎党たちも、話し合いによる解決に内心ほっとしていたのだった。

  しかし、なぜか騎上の頼隆一人は浮かぬ顔である。

  「どうした三郎兄上、女のことでも考えてんのかよ」いつのまにか頼隆の近くに馬を添わせて来た五郎武茂が声をかけた。武茂は菊池の近くの木野に領地をもっていたので、木野武茂と呼ばれているが、まだ十九である。 我に返った頼隆は、図星を指されたせいか動揺した。

 「いやなに、お前には関係ないことさ」

  「そうかい、図星だって顔に書いてあるけどな」

  「・・・・・・」

  「この間、梅富屋の番頭が来たとき、兄者、こっそり手紙をもらってたろう。なんかまずいことでも書いてあったのか」

  「うるさい奴だな。おいの心配よりも六郎や七郎の心配をしろよ」

  「なに、奴らなら大丈夫さ。畿内で元気にやってるよ、きっと」

  「海賊のおかげでな」頼隆は目を伏せた。

 父の謀略による梅富屋船襲撃に憤っていた。父にたいしてよりも、なぜか自分に腹が立ったのだ。武士と商人が心を割って話すことなど不可能なのであろうか。自分は道を外れているのだろうか。でも妙子を愛してしまった。

  この前、梅富屋の番頭から渡された手紙は、やはり妙子からのものだった。内容は何の変哲のない無邪気なもので、「またお会いしたい」と明るく書かれてあった。それがかえって純粋な頼隆を苦しめるのである。

 「兄上、理由は聞かないけど、そんなに悩むなよ。今日は合志をへこましためでたい日だぜ」と、人の気を知らない武茂が言った。

 「ああ、そうだな」あいづちを打ったものの、頼隆はこの時ほど自分が武士であることが苦しく感じられたことはなかった。謀略のために、愛する人の生家が苦しむのを黙って見ていなければならないとは。

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