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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

13.袖ヶ浦の別れ

 博多商人梅富屋の番頭・弥次六は、長びいた外での商用をやっと終わらせて、店に帰るために探題館の前を通りかかった。

  「なんだろう」

  小柄な番頭は、明け開かれた門の中の異様な雰囲気に目を見張った。もう夜というのに、篝火に照らされた中庭に大勢の武士たちが集合しているではないか。

 「戦でも始まるのかい」

 好奇心にかられた彼が館の門番に聞いてみると、これは菊池征伐に向かう軍隊であるとの返事である。

 「こ、こりゃあ大変だ」 弥次六は大急ぎで店に帰ると、主人の庄吾郎に急を知らせた。

 「それは本当か」庄吾郎は腰をぬかさんばかりに驚いた。菊池には愛する一人娘が嫁いでいる。しかも話によれば、息浜には娘婿の頼隆もいるそうではないか。どうして探題が菊池氏を攻撃するのか分からないが、ここは菊池さまに知らせてあげなければならぬ。

  庄吾郎は、別に幕府よりでも宮方よりでも無かった。商売さえできれば、政治にはかかわりあいになりたくなかったのだ。

 しかし今となってはそうも言っていられない。彼は番頭の 三郎さぶろう を息浜に走らせた。

※                 ※

 真夜中が過ぎると、息浜の陣営での酒盛りはとっくに終わっていた。しかし酔っ払いたちが酔い潰れて眠っていたかと言えば、それは違っていた。

 さっきまでの酔漢たちは、篝火をたき照らし、酒樽に隠して運んで来た鎧兜を着込み、勝ち栗を噛みしめていたのだ。

 「父上、準備は整いました」と、頼隆。

 「ほうか、錦の御旗は軍の先頭に据えよ。官軍であることを天下に示すのじゃ」武時は兜の緒を締めながら命じた。

  梅富屋の梧三郎が駆けつけて来たのは、ちょうどその時であった。

  「なに、探題勢が」話を聞いて武時は首をかしげた。「ちぇっ。折角乱痴気騒ぎで探題を油断させたつもりだったのに、さすがは英時よ。・・・して、探題勢はどの道を通ってここに攻めてくるのか分かるか」

 「詳しくは分かりませんが、不意打ちするつもりなら内陸の道を通るつもりでしょう」

  「うむ、有り難う梧三郎どの。見事探題を滅ぼせたなら、梅富屋こそ勲功第一じゃ」

 梧三郎と別れた武時は、帰り支度をしている子供達のところへ行った。虎若丸以下の元服前の子供達は、数名の護衛とともに菊池に落ちる手筈となっていたのである。

 「お父上、頑張ってください。必ず朝敵を打ち滅ぼしてください」虎若丸は、いかつい父の手を両手で握り締め、こう言った。 「ははは、虎若、お前が案ずる事は無い。さ、早く菊池へ帰るのだ」

 「お父上・・・お気をつけて・・・」

 それと同じころ、武重も愛児を送り出そうとしていた。

  「松若よ、母上の言うことをよく聞いて、いい子にしてろよ」

  「はあい、ととさま」

  名残惜しそうに何度も振り返りながら、虎若とその小さな弟たちは、従者に連れられて南へと去って行った。小さな松若丸も、眠い目をこすりながら、手を引かれて行った。

 菊池、阿蘇の両軍が出陣したのは、それから間もなくのことである。合わせて五百の兵は浜手に向かって突進した。

 しかし武時は、出陣と同時に少弐と大友の陣に使者を出すことを忘れなかった。少弐、大友氏は合わせて六千の兵力を博多に連れて来ている。彼らの力が加われば、博多の占領は決して夢ではないのである。

  北条武蔵八郎と武田八郎に率いられた五百の探題勢が息浜に到着したのは、夜明けに間もない時刻であった。奇襲には持って来いの時間である。しかし、静寂の陣に飛び込んだ探題勢は目を見張った。

  「いかん、もぬけの殻だ」

  「野郎めら、どこに行きやがった」

 「馬蹄の跡が浜手の方に続いています」

 「篝火は、消えてからまだそんなに経っていません」

  「奴ら、博多市街に向かったな。よし、追え。まだ追いつくぞ」

  探題勢は、慌てて櫛田浜くしだはま の方へ駆け出した。 しかし彼らを待ち受けていたのは、大きな陥穽であった。

  「しまった、伏兵だっ」

 行軍体型のまま櫛田浜に出て来た探題勢は、待ち構えていた菊池、阿蘇両勢の突然の逆襲を受けたのだ。降り注ぐ矢の雨の中で、騎馬武者たちの悲鳴が浜辺にこだまする。

  「おのれい菊池め阿蘇め。我こそは寄せ手の大将武田八郎なるぞ。我と思わんものは勝負せい」浮足立った味方の士気を高めようと、武田八郎は太刀で矢を切り払い、愛馬を左右に乗り回しながら一騎討ちの相手を求めた。

 この時代、大将自らの一騎討ちは異常なことではなかった。戦争は、古風な勇気が尊重される比較的のどかなものだったのだ。

  「よき敵なり。藤原(菊池)次郎武重、見参っ」 進み出たのは次郎武重であった。

 「おうっ、相手にとって不足はないわっ」 八郎は、太刀を縦横に振り回しながら突っ込んで来た。

  だが、勝負は実にあっけなくついた。八郎の前に駒を進めた武重は、相手を十分に引き付けておいて、自慢の剛腕からの一撃を浴びせたのだ。

  「うぐっ」 武田八郎は、口ほどにもなく馬上からもんどり打って転倒し、居合わせた郎党たちにかつがれて戦場から離脱した。

  夜が明け白み始めるころには、戦いの帰趨は明白となっていた。探題勢の壊滅的敗北である。敗残兵は朝日の陽光を浴びながら、散り散りになって逃げて行った。

 「やりました、父上。これで探題館の防備は薄くなりました。一気に探題館に突入しましょう」

  汗の匂いを振り撒きながら駆け寄る頼隆の言葉も耳に入らぬかのように、武時は敗残兵の逃げ落ちる方向を訝しげに見定めていた。

 「どうなさいました、父上。凱歌をあげてください」

 「あ、ああ、そうだったな」我に返った武時は、血刀を奮って凱歌の音頭を取った。

 「えい、えい、おう」 櫛田浜の血と汗との異臭の中に、菊池、阿蘇勢の勝鬨の声が響き渡った。

※                ※

 櫛田浜の敗報は、探題館を震撼とさせた。

  「うむ、菊池と阿蘇の武力を侮り過ぎていたか」北条英時は、ほぞを噛んだ。

  「探題どの、お早くっ」鎧兜を抱えて英時の居室に走りこんで来た郎党が叫んだ。どうやら、これを着ろということらしい。

  「そんなものは要らぬ。それよりも御家人たちに救援を命ずるのだ」英時は相変わらず強気である。少弐や大友を始めとする御家人たちの援軍が得られないようでは、自分が武装した所で所詮勝ち目はないのだ・・・。

 その頃、戦いの帰趨を握る男・少弐貞経は、堅粕かたかす に陣を張っていた。

  「殿、菊池の若党が二名参っておりますが」 郎党の報告を聞き、貞経は最後の決意を固める必要を感じた。

  「よし、通すがよい。わしが直々に会う」 やがて貞経の前に現れた汗まみれの若党たちは、口々に武時からの口上を伝えた。

  「我らは本日未明、探題勢の攻撃を受けました」

  「ゆえに挙兵の日は、一日繰り上がり、本日十三日となりました」

  「我が殿武時は、かねての盟約に従い、妙恵さまが旗揚げなさることをを待ち望んでおられますっ。どうか、ご決意を」

  彼らの言葉を目を閉じて聞き入っていた貞経は、やがて口を開いた。

  「はてな、年をとると物覚えが悪くなる。なんのことやらさっぱり分からんわい」

 「な、なんですと」驚愕した菊池の若党二名は、まん幕の後ろに隠れていた少弐兵たちにたちまち取り押さえられた。

 「お主たちは、このわしに反逆者の汚名を着せようというのか。許せんっ。ええい、かまわん、この場でこやつらを切り捨ていっ」

  菊池の若党は、最後まで事態を把握することができなかった。何故なら、自分たちの置かれた立場を理解する前に、その首と胴が永遠に離れてしまったからである。

  「おそらく菊池の使者は、大友のところへも行っているはずだ。迷わず切り捨てるように、具簡どのに伝えよ」死体の後片付けを眺めながら、貞経は身近に控えている郎党に命じた。

 そんなこととも知らず、勢いに乗る菊池、阿蘇の両軍は、暁の中を博多市街に突入した。

 起きぬけの市民たちは、一揃えの錦旗とともにひるがえる菊池の『並び鷹羽』と阿蘇の『違い鷹羽』の旗を見て驚愕した。そして、返り血を浴びた若党たちの声を聞いた。

  「我らは、船上山の帝の綸旨を得て旗揚げするものぞ」

  「安全を望むものは、事が済むまで隠れているがよい」

 「志あるものは、我らに続けっ。これは正義の戦じゃぞ」

 梅富屋庄吾郎は、黒煙をあげる探題館の方角を見つめながら、娘婿の身の上を案じ、ほとんど祈るような気持ちでいた。もっとも、この場合彼に出来ることはそのくらいのものであった。

  菊池武時は、博多西南の袖ケ浦に本陣を置き、波音を耳にしながら戦況を見定めていた。しかし、その武時の元に、戦局を決定づける突然の凶報が飛び込んで来た。それをもたらしたのは、大友貞宗のところに使者に立った若党の一人であった。

 「お、お屋形様、無念ですばいっ。大友貞宗、心変わり致しましたぞっ」 全速力で走って来たのか、汗だくの若党は肩で息をしている。

  「なんと・・・。それでお前の連れはどうした」武時は目を見張った。

  「さ、貞宗めに斬られましてございます。おいは一瞬の隙をついて、辛うじて逃げて来た次第。む、無念っ」若党はこう言うと、大声で泣き叫び始めた。

 武時は、目を閉じて空を仰いだ。やはり、櫛田浜で感じた予感は本物であった。探題の敗残兵が向かったのは大友の陣だったか。そういえば、少弐の元へ向かった若党たちも戻って来ない。おそらく永久に戻らないだろう。

 「ご苦労だった。・・・お主は、もう退がって休め」

  「いえ、おいも戦いますっ」若党は、顔を紅潮させたまま飛び出して行った。

  「父上、ここは死中に活路を見いだすしかござらん」そばで聞いていた武重が叫んだ。

  「おのれ、大友貞宗。土壇場で寝返るとは見下げ果てた奴め。それでも一国の守護か」三郎頼隆も、こぶしを震わせて憤っている。

 「大友だけではあるまいて。大友貞宗は、自分一人では決断できぬ男。きっと少弐貞経の口馬に乗せられたに違いないですばい」覚勝も目に涙を一杯にためている。

 「いや、これはおいの失策じゃ」と、武時は蒼白な唇を動かした。「おいに、人を見る目がなかったばかりに、人間と変節漢の見極めが出来なかったばかりに、みんなを死地に追い込んでしまった。愚かなおいを許してくれ」

  「何を言う、兄上。おいたちは生きるも死ぬも一緒ですばい。水臭いことを言ってる暇があったら、善後策を講じましょう」覚勝が必死に励ました。

  「・・・うむ、済まない弟よ。おいはここまで来て引き下がる訳に行かぬ。せめて探題英時と刺し違えて見せる」

  「兄上、その意気じゃ。おいも続きますぞ」と、覚勝。

 「父上、最後まで一緒ですぞ」と、頼隆。

  「父上、菊池の魂、見せてやりましょうぞ」と、武重。

  ちょうどそこへ、市街へ檄を飛ばして帰って来た阿蘇大宮司惟直が入って来た。

  「やあ、朝敵英時めは館に閉じこもって覚悟を決めたそうですぞ。今こそ総攻撃をかけるときですぞ。ははは・・・・んっ、どうした皆の衆、やけに湿っぽい顔をして。勝ち戦ですぞ」何も知らない惟直はいい気なものである。

 「大宮司、実はな・・・」武時は、少弐と大友の背信について語った。

  「なんと」大宮司惟直は目を見張った。「それはゆゆしき大事じゃ。・・・・寂阿どのは、これからどうなさるおつもりじゃ」

 「ここまで来て逃げる訳にはいかぬ。死してなお名を残すまでよ」

  「さすが寂阿どの。しかし、まだ負けと決めつけるのは早計ですぞ。裏切り者どもが動き出す前に英時を討ち取ることができれば、奴らとて気を変えるかも知れぬではないか。よし、そうと決まれば前進あるのみ。さあ、行きましょうぞ、寂阿どの」

  「うむ」武時は大きくうなずいた。しかし、彼は大宮司ほど楽観的にはなれなかった。 阿蘇大宮司勢と覚勝、頼隆の手勢が進発した後、武時は次郎武重を呼び寄せたのだ。

  「父上、何用ですか。急がねば機を失いましょうぞ」

  「次郎、お前はここから手勢を連れて、菊池に帰れ」

  「ええっ」思いがけない父の言葉に、武重は絶句した。

 「一族の未来のために、また、天下のために、お前を今ここで死なせる訳には行かないのだ。菊池に帰り、城を固め、堀をおこし、父たちの雪辱を晴らしてくれ」武時は一言一言に力を込めて語った。

  「ば、ばってん、菊池には四郎以下の弟たちが残っています。おいが帰る必要はござらん。それよりも、父上や頼隆と生死を共にしとうござる」

  「四郎たちでは荷が重すぎるのだ」武時は静かな眼差しで、その大きな両手で息子の両肩を強く握った。「お前の気持ちはよく分かる。しかし、これからこの国は大きな動乱に見舞われるであろう。次郎、お前はわが子ながら偉い奴だ。こんなところで犬死にさせたくないのだ。だから菊池に帰って、天下のために生き延びて欲しい」

  「い、いやですっ」武重の顔は涙でくしゃくしゃになり、もはや父の顔すら正視することができなかった。

  「これ程言ってもなぜ分からんか!これ以上父に逆らうなら、もはや息子とは認めぬぞ。親子の縁を切るっ」武時の一喝が、愛児の心をえぐった。

  両肩をつかまれた武重の巨体は、しばしば小刻みに震えていたが、やがて悲痛な嘆息とともに、ぴたりと止まった。

 「分かってくれたんだな、次郎」

 「ち、父上」

  「よし、それでこそ、おいの次郎だ。これは、おいの辞世の句だ。おまえの母に渡してくれ。そして、おいの分も生きぬいてくれ」

 武時は鎧の袖を短刀で切り取り、それと辞世をしたためた一枚の懐紙を武重に渡し、再び馬上の人となった。

  「次郎よ、さらば」

 側近に守られて死地へと赴く父の姿を、涙で濡れる次郎武重の瞳が、いつまでも見送っていた・・・。

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