歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

長編歴史小説

黄花太平記 第一部

14.博多合戦

 探題館は、今日の櫛田神社の近くにあったと推定される。

 決死の菊池、阿蘇勢は、神社付近の民家に放火し、探題館に延焼させようとした。

 この放火は、当時の人々に強い印象を残したようである。この事件に関して、いくつもの伝説が生まれている。

  『太平記』の記事によると、武時の一行が神社の前を通りかかったおり、武時の乗馬が立ちすくんで動かなくなってしまった。これに怒った武時は、「どんな神でも、大義のための戦を止めることはできぬ。なんなら、この矢を受けてみよ」と叫び、神殿の扉に二本の矢を放った。その矢は、社殿に潜んでいた大蛇を射抜き、武時の乗馬は呪縛から解き放たれ、動けるようになったという。

 これとは別に、『博多日記』の記事によると、武時が神社に放火したさい、二羽の白い鳩が探題館の上空に突然現れた。そのとたんに風向きが変わり、放火による炎と煙は、逆に菊池勢に吹き付けて彼らを苦しめたという。これは、神の使いの鳩が、菊池方に神罰を下したという書きようである。

  二つの説話の相違は、筆者の立場を反映している。『太平記』の著者は宮方贔屓で、『博多日記』の著者は博多在住の僧侶で、少弐方贔屓であった。

 しかし、この『博多日記』の記述は、一面の真実を伝えているようである。なぜなら、菊池勢の火攻め失敗の原因は、風向きの急変によるものと考えられるからだ。炎は探題館どころか逆に菊池、阿蘇勢の方に伸び、彼らの行軍は却って手間取ったと言われる。

  しかし櫛田浜の敗北で手薄になった館は、もはや風前のともしびであった。たちまち大手門が打ち破られ、中庭で壮絶な斬り合いが始まった。 英時の仁徳を慕う守備兵たちの奮戦は目覚ましかった。約二百名のうち七十名までが討ち死にをしても、決してひるまなかった。しかしそれも、時間とともに限界に近づく。

 「お屋形さま、もはやいけません、お覚悟をっ」体中に手傷を負った守備側の若武者が、英時の居室に転がり込んで来た。

  「おう、心得たり」英時は短刀を抜いた。

 「わしが見事腹を切ったら、この首を隠せ。菊池入道ごときに、この首をさらされたくはないからな」 英時が、今こそ腹に短刀を突き入れようとしたその時である。中庭の敵の動きがとたんに慌ただしくなったのは。

  「もしや」英時は希望に瞳を輝かせた。援軍の到着か。

  「お屋形っ、お喜びくだされ。少弐、大友勢が駆けつけてくれました」長岡六郎が喜色満面で転がり込んで来た。「自害の必要はござらんぞ」

 「そうか、そうか、そうかっ」

 英時は、久しぶりに白い歯を見せて笑った。

※                 ※

 少弐、大友の裏切りの子細は、武時たちの想像どおりであった。

 少弐貞経は、既に博多に招集される以前から宮方の勝利を絶望視し、菊池を裏切ることに決めていた。しかも、土壇場で裏切ることによって菊池氏を死地に追い込もうと画策していたのだ。

  少弐氏の盟友、豊後の大友氏もこれに同意した。二人は陣中に転がり込んで来た菊池の使者を切り捨てるとともに、ただちに出陣の準備を整え、六千の兵力で探題の救援に駆けつけて来たのであった。

 だが、彼らの裏切り行為にも弁護の余地はある。彼らはもともと、菊池氏とは異なり鎌倉幕府の重要な構成員である。それゆえ、鎮西探題に不満を抱いてはいても、それだけの理由では積極的に倒幕に踏み出す動機とはならないのである。彼らに言わせれば、探題に味方して幕府のために戦うことこそ大義であったのだ。なまじ勤王の心が篤い武時は、やはり彼らのこうした心の機微を読み切れなかったのだ。

  それでも、彼らが武時との盟約を土壇場で覆した事実は、どう考えても正当化できない。これは明らかに、菊池討滅と探題救援を同時に演ずることによって、自分たちの地位を高めようという野望が働いたためであろう。

 これが菊池と少弐の決定的対立を招き、やがて南北朝の九州を激しい戦乱に陥れる魔の種子となる。

  いずれにしても、小人数の菊池、阿蘇勢は虎口に飛び込んだ形となった。

  「覚勝、探題館はお前に任せたぞ。おいと大宮司で裏切り者どもは食い止める」

  覚勝勢以外の菊池、阿蘇両勢は、直ちにきびすを返し、市街に侵入して来た少弐、大友軍に突入した。決死の菊池、阿蘇勢の勢いはものすごく、二度、三度と敵の大軍を撃退した。しかし夜明け前からの戦闘の連続に、この頃には菊池、阿蘇両勢ともに疲労の極致に達していたのだ。

  「おのれい」

  「くそうっ」

  無念の叫びを上げながら、次々と朱に染まって行くのは、ほとんど菊池あるいは阿蘇の兵である。わずか四百足らずの兵力では六千の大軍と勝負になるはずはないのだ。

  何度目かの突撃の後、武時と頼隆は偶然の邂逅を果たした。

  「父上、よくぞご無事で」

 「そういうお前もな」

  「次郎兄上は・・・」

  「菊池に帰ってくれたよ」

 「良かった。それを聞いて安心しました」

  「本当は、お前も帰したかったのだが・・・」 武時は何を思ったか指折り数え、まゆを曇らせた。 「三郎、お前、まだ結ばれてから二十日も経っておらんのか」

  「いいえ、本当に幸せな二十日間でございました。三郎には、もはや悔いはありません。これも父上のお陰です」頼隆は泥だらけの顔でほほ笑んだ。

 「そうか、おいはせめて早苗に一度だけでも、ととさまと呼ばれてみたかったが」

  「・・・早苗のことなら、あの世から見守ってあげられるではありませんか」

  「そうだな、どれ、そろそろ行くか」

 「そうですな」 全身傷だらけの二人の武将は、笑みを互いに交わしながら、最後の突撃に赴いた。

  頼隆がその瞬間馬上から投げ捨てたものは、愛する妻からもらった小さなお守りであった。これは乱戦の中で踏みにじられ、やがて粉々に砕け散った。

  武時と頼隆の親子が、少弐の大軍に取り囲まれ壮絶な討ち死にを遂げたのは、それから間もなくの事であった・・・・・・

※                 ※

 一方、大友勢と激闘中の阿蘇勢は、菊池武時勢の全滅の知らせを受けると絶望し、混乱状態に陥った。

  「おのれっ、寂阿どのの仇を討つのだっ」阿蘇惟直は必死に叫んだ。怒りの余り一時的な発狂状態に陥ったのか、ただ一騎で敵中に切り込もうとさえした。

 「これはいかん」 従軍していた阿蘇惟澄は、これ以上の戦いが無意味であることを悟った。

  「大宮司、もはやいけません。退却しましょう」惟澄は、一人で突撃しようとする惟直に馬を添わせ、彼の背中にしがみつき、必死でとめた。

  「はなせっ、惟澄。養子の分際で出過ぎたまねをするなっ」

 「やむをえん・・」惟澄は刀のつかで当て身を食らわせて惟直を気絶させ、その巨体を自分の馬腹に横たえた。

 「全軍退却じゃ」惟澄の号令一下、疲れ切った阿蘇勢は、肥後に向かって敗走を始めた。

 大友勢は鉾を収めて追撃しなかったため、多くの兵が無事に生還できたのである。

※                 ※

 菊池武時戦死と同じころ、弟の覚勝入道武正も最後を迎えようとしていた。

  覚勝は手勢七十人とともに、英時の首をねらって探題館で奮戦した。

  「雑魚どもはどけっ」 覚勝自慢の長刀が一閃されるたび、探題兵の誰かが朱に染まって突っぷした。覚勝の部下たちもこれに負けじと奮闘し、探題館の最後の門を突破することに成功したのだ。

  「よし、行けるぞ」 一人突出した覚勝に油断があったのだろうか。それとも明け方からの疲れが出たのであろうか。政庁の建物の階段でつまずき転倒した覚勝は、政庁から飛び出して来た最後の予備隊に滅多斬りにされたのだ。

 「おのれっ」

  血まみれの覚勝は、それでも起き上がろうとした。しかし、さしもの豪傑の膂力ももはや限界だった。鬼のような形相で長刀を杖におき上がった覚勝は、そのまま前のめりに突っぷして、ついに帰らぬ人となったのだ。息子の二郎三郎も、その他の郎党たちも、全員彼に続いた。

 政庁の庭は死体で埋め尽くされ、血は河となって流れた。

※                ※

 いわゆる博多合戦は、こうして終息した。

 討ち取られた菊池方の将兵は百人を越え、捕虜は見せしめのために全て斬られた。武時、覚勝、頼隆の首級は犬射の馬場にさらされた。

  『太平記』は、菊池武時の玉砕を、大義のために死地に赴いた古代中国の英傑(例えば、始皇帝を暗殺しようとした荊軻けいか )に儀して大いに称えている。ところが、『博多日記』では、菊池方の敗因を櫛田神社の天罰と見なして突き放している。こういうところに、著者の視点の違いがよく出ていて面白い。

  さて、荒れ果てた探題館で、北条英時は、少弐貞経と大友貞宗を引見した。

  「諸君のおかげで凶徒どもを討伐することができました。英時、心からお礼を申します。かたじけのうござった」英時は、心から頭を下げた。

  「いえ、幕府にお仕えする御家人として当然のことでござる」と、大友貞宗。

 「これで謀反人どもも懲りたで御座ろう。かくなるうえは肥後に出兵し、菊池、阿蘇両家の息の根を止めるべきで御座ろう」と、少弐貞経。そのかたわらには嫡子の太郎頼尚がかしこまっている。頼尚は父に代わり、今度の合戦の総指揮をとったのだった。

  「妙恵どのの言うとおりじゃ。早速、豊前に駐屯している肥後守、規矩きく 高政たかまさ を肥後に遣わそう・・。今度の謀反さわぎが全て終わった暁には、少弐、大友両家には莫大な恩賞を取らせようぞ」

  「ありがたきお言葉」少弐、大友の面々は頭を下げた。 堅粕の陣に引き上げてから、少弐貞経は太郎頼尚を本営に呼んだ。

  「お呼びですか、父上」

 「おお、太郎。本日の菊池征伐、見事であったな」

 「いいえ、思いもよらず苦戦しまして御座ります」

 「ふふふ、父の前で謙遜することはないぞ。お前はもはや武藤少弐の惣領として十分の資格を身につけた。そこで、わしはお前に家督を譲ろうと考えたのじゃ」 思いがけぬ父の言葉に、頼尚は戸惑った。

  「父上はまだこんなにお元気なのに、遁世には早すぎるのではありませんか・・・」

  「太郎、わしの心を察するが良い」 頼尚は父の目を覗き、その意図を悟った。貞経は、やはり心のどこかで自分の裏切り行為を責めているのだ。冷徹で合理的な貞経も、やはり人間である。それゆえの心の痛みが、彼を遁世に踏み切らせたのではあるまいか。

  「分かりました、父上」太郎頼尚は、静かに頭を下げた。

 近くの大友の陣では、そのころ酒宴が開かれていたが、惣領の大友貞宗は一人浮かぬ顔であった。彼も、やはり菊池武時を裏切ったことを内心で悔いていたのである。家を守るということはどんなに難しいことか。自分の行為は後世に汚名を残すであろう。いや、それよりも菊池氏に深い恨みを残すことであろう。

  一方、菊池勢壊滅の知らせに、博多の民間人の中で最も心を痛めたのは梅富屋庄吾郎であろう。戦況を見に行っていた弥次六の知らせで頼隆の戦死を知った庄吾郎は、娘の胸の内を察し肩を落とした。しかし、武重が生き延びてくれたのは唯一の吉事であった。彼がいれば、菊池の家はなんとか安泰であろう。今の自分にできることは、武時と頼隆の冥福を祈るのみである。

 その菊池武重と阿蘇大宮司惟直は、筑後高良山こうらさん で十三日の夜まで敗兵の収容に当たっていた。

  「お許しください」 阿蘇惟澄は、大宮司に頭を下げた。戦場で当て身を食らわせたことを謝ったのだ。

 「何を言う、惟澄。お前のお陰で助かったぞ。あそこでおいが死んだら、残された阿蘇社は途方に暮れたことだろう。お前は家を救ったのだ。」惟直は、義弟の肩に手をおいて優しく語った。

  菊池武重は、もはや悲しまなかった。袖ケ浦で父と別れたときに、こうなる結果は見えていたからだった。父や弟たちは、死してその名を歴史に留めたのだ。そう考えて自分を慰めていたのだった。

 しかし、その武重をさらなる悲報が襲った。

  「若、たいへんです。作次が血まみれで参っております」 郎党の一人が、血相を変えて注進してきた。

 「なにっ、作次が」 武重は、たちまち蒼白になった。作次というのは、松若丸の護衛につけた郎党の一人である。その作次が来たということは、愛児の身に何かあったに違いない。

  武重の前に通された血まみれの郎党は、いきなりひれ伏すと大声で泣き出した。

 「どうした、松若の身に何か・・・」

 「わ、我ら一同、筑後横隈よこくま で大友一族の義匡よしまさ の待ち伏せにあい、おいを残して皆殺しにされました。ま、松若どのもっ」 作次の絶叫にも似た報告は、その場を凍りつかせた。

 武重は、両眼を大きく見開いたまま凝固した。

 「そ、それだけを報告したくて、恥を忍んでここまで来たのです。で、では御免っ」作次はそう叫ぶと、やにわに腰のものを抜き、自らの喉を突き刺し、その場で絶命した。

  血まみれの作次の死体の前で、やがて正気を取り戻した武重は、天に向かって絶叫した。

 「お、おのれい、大友、少弐っ。この恨みは忘れんぞ。貴様らとは同じ天を抱かぬ。覚えていろっ、今に目にもの見せてくれん」

 初夏の夜空は、武重の悲痛な絶叫を静かに受け止めた。

ページ上部へ