歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

長編歴史小説

黄花太平記 第一部

16.二人の侵入者

 「そうか、しかしこれからが大変だぞ」

 規矩勢の帰還を知った武重は、腕組みしながらつぶやいた。荒れ果てた田畑や城館の復旧に全力を尽くさねばならないからだ。

  「行方不明の尊良親王もお捜ししなければなりませんな」

 親王が少弐家に連れ去られたことを知らない城隆顕は、その身を案じてうつむいた。親王にもしものことがあれば、やはり菊池家の責任である。

  このように、高千穂山の菊池首脳部は多くの難しい問題に直面していたので、虎若丸の行方不明に気づかなかったとしても、それは仕方なかったのである。

 武時の九男、虎若丸の出奔が知れたのは、彼らがいよいよ菊池に戻ろうとするその日のことであった。

  「困った奴だ」吐き捨てるように武重は言った。

 「最後に虎若を見たのはいつだ」

 「二日前に、源三が見たのが最後のようですばい」と、五郎武茂が答えた。

 「ならば、規矩勢に捕まった訳でも無さそうだが・・・。しかし乱暴者の九郎(武敏)ならともかく、あの虎若がなあ・・・」

  虎若の将来を嘱望している武重としては、この九歳下の弟の身が心配でならなかった。

 「た、大変だ、兄上」 突然、七郎武吉が、この粗末な仮陣屋に血相を変えて駆け込んで来た。

  「どうしたんだ」武重はまたか、という顔で振り返った。

 「そ、それが、おいの母者と妙子どのの姿が今朝から見当たらないのですばいっ」

 「なんだと・・・」

 七郎の母は章子あきこ と言って、亡き武時の四人目の妻である。いつも控えめな彼女の行方不明とは尋常ではない。しかも結ばれたばかりの夫、頼隆を失って悲嘆にくれる妙子も一緒となれば、ますますただ事とは言えない。

  「よもや自殺と言うことは・・・・」武重はうめいた。

  「まさか、おいのようなかわいい息子を残して、母上が死ぬわけなかと」武吉は兄を睨みつけた。

 「お前の母の心配じゃない。妙子どのが気掛かりなのだ。それに、気立ての優しい章子どのは、妙子どのに同情して心中することも有り得るぞ」

 「ま、まさか」笑いに紛らそうとする武吉も、多少顔を引きつらせているのだった。

 ※                  ※

 家族の心配をよそに、虎若丸は菊池川を下り、一人で博多を目指していたのだが、二日遅れで、章子と妙子が、同じ道を後ろに歩んでいるとは知る由もなかったのである。

  「むっ」虎若丸は、背後に忍び寄る怪しい気配を感じ、とっさに腰を屈めた。

  「そこに居るのは何者だ」

  「そう言うお主から先に名乗るがよい」背後の木陰の隅から、凛とした声が響いた。

 「・・・・・・・」虎若は、思わず笑みを浮かべた。その声は、聞き覚えがある。

 「なんだ、ご辺は菊池虎若丸ではないか」 木陰から姿を現したのは、誰あらん阿蘇惟澄であった。

  「やあ、惟澄どの。御身お一人か」

  「まあな」

  「何をなさっておられるのじゃ」

 「ご辺こそ、子供が一人でこんなところで遊んでいては危ないぞ」

 「遊んでいるのではない。これから博多まで行くのじゃ」

  「何しに」

 「決まってるだろう。父や兄の首を取り返しに行くのじゃ」

  「・・・一人でか」

  「ああ」

 「一人では心もとないであろう。おいも同道しよう。」

  「・・・それは助かる」

 こうして菊池虎若丸と阿蘇惟澄は、奇妙な二人旅を続けることになった。

 どうやら惟澄も、博多に向かう途中、偶然虎若と出会ったものであるらしい。しかしその目的について、彼は言おうとしなかったし、虎若も無理に聞こうとはしなかった。

 行く先々で菊池、阿蘇に対する落ち武者狩りはいまだに続いていたが、二人は少しも悪びれずに胸を張って道を進めたので、何の支障も起きずに博多に近づくことができたのである。

  二人が博多市街に着いたのは、三月末日の夕刻であった。博多市民の話によると、菊池武時らの首級は、昼間は犬射の馬場にさらされているのだが、夜には盗難を恐れて屋内にしまい込まれるのだという。

  「ははは、虎若、先を越されたな。お前のような無鉄砲物のことは、先刻計算済みということらしいぞ」惟澄は、鼻で笑った。

  「なあに、どうせ昼間だって監視は厳しいんだ。二人でやるなら夜の方が好都合」

  「おいおい、二人とは何のことだ。おいは関係ないぜ」

  「それじゃあ惟澄どのは、何のために博多くんだりまで出て来たのさ」

  「ふふん、おいには他にやることがあるからな」

  「おいには教えられないことか」

  「まあな。だが奉行所に関係することは確かだ」

  そう言う惟澄の瞳には、ある懐かしい女性の面影が映っていたのである。

※                 ※

 ちょうどそのころ、奉行所の一画にある牢獄では、草野沙弥加が一人煩悶していた。

 規矩高政暗殺に失敗したあげくこのような辱めを受けるとは。沙弥加のように誇り高い女性にとって、奴隷としての未来は死よりも辛い苦痛であったのだ。

 沙弥加は、阿蘇大宮司の側近の娘ということで、特に独房をあてがわれていた。しかしそのことが彼女に深刻な決意をさせようとは、皮肉であった。 彼女の脳裏に父、母、兄の顔が走馬灯のように浮かんでは消えた。しかし何故か許婚の顔は浮かばなかった。その代わり、幼なじみの阿蘇惟澄の逞しい笑顔が懐かしく思われたのは不思議なことであった。

  「なぜかしら」

 既に生への執着を捨てた沙弥加の表情は、天女のように神々しく輝いていた。しかし暗い独房の中では、誰に見られることも無いのだ。沙弥加の表情は、もしも彼女が館の塀のすぐ外まで惟澄が来ていることを知っていたら、違った美しさになっていたに違いないのに。

  沙弥加は静かに天に祈ると、やがて死の衝動へと自分をつき動かした。

※                ※

 その夜、奉行所の塀の外で二つの人影が睨み合っていた。

  「惟澄どの、本当にやるのか」

  「そうとも。虎若はここにいろ。危険を感じたら先に逃げていいからな」

  「いや、おいもついて行く。じゃなきゃ父上の首の在りかが分からんからな」

  「・・・勝手にしろ」

 こうして阿蘇惟澄と菊池虎若丸の二人は、壁際の松の木を伝わって奉行所の内部に忍び込んだのである。

  残党狩りの進捗に満足していた探題側は、まさかたった二人の侵入者があるとは考えなかったのか、館の警備は著しく手薄であった。もっとも、館の警備を担当するのは、探題を密かに憎む少弐氏の兵であったから、平時であっても仕事熱心のはずは無かった。

  奉行たちはほとんど帰宅してしまった様子であったが、まだ明かりがついている部屋がいくつかあった。現代で言うところの残業組であろう。やがてその一室に、二つの影が静かに入って行った。

 「ん、誰じゃ」

 文書が山積みになった机から眠そうな目を向けた団子鼻の役人は、二人組の侵入者に仰天した。しかし、助けを求める暇は無かった。躍りかかった惟澄に組み敷かれ、広い手のひらで口をふさがれてしまったからである。

  「おい、静かにしておいの話を聞け」低い声で惟澄は膝の下の役人に話しかけた。

 額に玉の汗を浮かべた役人は、言うなりになるしか無かった。その間、虎若は入り口に陣取り、見張りに立っていた。

  「なあ、おいは、先日肥後の阿蘇大社で捕虜になった者たちを探しているのじゃ。仕事の邪魔かとは思うが、教えてくれんかの」惟澄は、腰のものの鯉口に手をおきながら役人の口から手を放した。

  「うう、今日までは、この奉行所の裏に集められていたのだが・・・」しゃべらなければ命が危ない役人は、職責も忘れて惟澄の質問に答えようとした。

 「それで、今はどこなんだ」

  「うう、監視を強めるために、承天寺しょうてんじ に分宿させているんだ」

  「よし」身を翻して外へ出ようとした惟澄は、何を思ったかしばし足を止めた。

 「どうして寺に移ることになったんだ」

  「それが・・・、今日の夕刻、舌を噛んで自殺を図った女がいたのでな。捕虜一人一人の見張りを厳しくするためだそうな」

 「そ、その女は何者だ。名は何という」

 「阿蘇大宮司の若党の娘で、確か草野なにがしとか」

  「なにっ・・・それでその娘は・・・」惟澄の瞳孔が大きく開いた。

  「可哀想に。死んじまったよ」

  次の瞬間、惟澄は理性を失った。やにわに太刀を抜くと、役人を足蹴にし、めった斬りにし、その血潮に真っ赤に染まった。

  「ど、どうしたんだっ」入り口の虎若は事の事情がよく飲め込めず、ただ呆然とするのみであった。

 そこへ、異変を察知した探題兵が殺到してきた。しかし、怒りの余り半狂乱の惟澄にとって、彼らは憎しみを向けるための好餌に過ぎなかった。

  「惟澄どの、逃げよう」初めて実戦で刀を抜いた虎若だが、冷静な判断力を失わなかったのは流石であった。

 虎若の声で半ば理性を取り戻した惟澄は、追いすがる敵を次々に切り捨てながら、虎若を庇いつつ館の出口へと向かった。

 「何という使い手だっ」

 惟澄の築いた死体の山を目の当たりにして、警備兵たちは戦意を喪失していた。その一瞬の隙を突いて、二人組はなんとか遁走に成功したのである。

  二人は市街の暗闇の中を、一目散に南に向かって駆け抜けて行った。 知らせを受けて怒ったのは、探題館守備の最高責任者である少弐太郎頼尚である。

 「馬鹿者っ、館に侵入されて逃げられましたで済むと思うかっ。馬引けい」

 頼尚は、数騎の若党とともに宿舎を飛び出し、惟澄たちの後を追ったのである。軽率な行動ではあったが、覇気がなさしめるわざとも言えた。

 「おかしい、相手が徒歩の二人連れならば、今頃には追いついているはずだが・・・」

 郊外まで駒を進めた頼尚主従は当惑した。ここまでは見晴らしが効く道沿いであったが、辺りには樹木が数本茂っているだけで、人の気配は全く感じられなかったからである。

  「きっと違う道を行ったので御座いましょう」と、若党の一人が言った。

  「いや、館の警備の者は、確かにこちらと言ったぞ」頼尚は当惑顔である。

 彼らは暗闇のため気づかなかったのだが、そのすぐ近くに小さな小川が流れており、その丸木橋の下で四つの目がこちらを凝視していたのだった。その目の持ち主こそ彼らの捜索の対象、菊池虎若丸と阿蘇惟澄に他ならなかったのである。

  「惟澄どの、あの白馬の武者は誰じゃ」と、虎若。

  「どうやら、少弐頼尚のようだ」血走る目で暗闇を見つめた惟澄は、低い声で答えた。

  「それじゃあ、あいつは父上や兄上の仇の張本人じゃないか」

  いきなり橋のたもとを飛び出そうとした虎若は、その瞬間、惟澄の太い腕に遮られた。

  「この馬鹿、死にに行くつもりかっ」

 「放せっ、邪魔するな」 暴れる虎若を、惟澄は必死に取り押さえた。

 「仇なら大きくなってからでも討てるだろう。今は命を惜しめ」

  「そういう惟澄どのはなんだよ。さっき奉行所で大暴れしたじゃないか。おかげでおいは、父上や兄上の首を諦めなきゃならなくなったんだぞ」

  「・・・そうだったな。済まなかった」惟澄は目を伏せた。

  その間に、捜索を諦めた頼尚主従は、騎首を探題館へとひるがえしていた。

  その時である。惟澄が、さっきまでの態度はどこへやら、天をあおいで号泣し始めたのは。

  虎若は呆気に取られて、ただその様を見つめていた。

 「畜生、畜生、畜生っ」

 こぶしを震わせて泣き叫ぶ惟澄の様子は、まるで気違いであった。 そんな惟澄を見かねて、虎若はその手を彼の肩に置き、静かに話しかけた。

 「そんなに泣くなよ、惟澄どの」

 「黙れ、好いた女を殺されたおいの気持ちが、お前のような子供に分かるかっ」 そう言ってしまってから、惟澄は後悔した。虎若は父と兄と叔父を同時に失っているのだった。 「す、済まん、虎若・・・おいが言い過ぎた」

 しかし、しばし唇をかみしめていた虎若は、やがて弾けるような笑顔を見せた。

  「なあに・・・、気にしなくてもいいさ。どうせ父上の首を奪い返した所で、死んだ人達が生き返るはずもないんだし。あんたの気持ちも、分かるような気がするよ。でも元気出せ。おいがついてるじゃないか」

 やっぱりただの子供じゃないな、と惟澄は思った。

 「御辺は、つくづく強いなあ、虎若」

  「これに懲りずに、これからも仲良くやっていこうぜ、惟澄の兄貴」

 「ふふっ、よろしくな」

 小さな丸木橋のたもとで、二人は堅く手を握りあった。

ページ上部へ