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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

18.鎌倉幕府の滅亡

 中央情勢の急激な変化は、当然九州にも波及した。

 ここ鎮西探題館では、連日のように逼迫した情勢への対応が議論されていた。しかし、誰がこのような運命の逆転を予見し得たであろうか・・。

  「新田はともかく、あの足利までもが寝返るとは」

 沈痛な表情でつぶやいたのは、探題北条英時である。彼の妹は足利高氏の正妻でもあった。そのような関係から、高氏の北条氏に対する反抗は、彼にとっては意外だったのである。

  「しかも、その高氏めの御教書が多数、この筑紫にも入って来ておるそうです」

  「こうなっては、少弐や大友の動向にも油断はなりませんぞ」

  「もう一度、忠誠の起請文を書かせるべきではありますまいか」 口々に言う部下たちに、英時は頭を横に振ってから低い声で答えた。

  「実は、既に御三家(少弐、大友、島津)に召集令を発したのだ。しかし、誰一人として返事をして来ないのだ」

 「なんと・・・」

 事態の深刻さに、一同は絶句した。

 「殿、それがしが少弐の真意を探って参りましょう」やがて満座の中から声を出したのは、英時側近の長岡六郎であった。

  「おお、行ってくれるか。そちなら心強い。だが無茶はするなよ」

 「お任せください」

 こうして長岡六郎は、少弐氏の本拠である大宰府有智山うちやま へと向かったのだった。

 有智山城下に着いた長岡は、辺りの緊迫感に驚いた。武装した殺伐な武士たちが、城下に続々と駆けつけているではないか。

  「これはどうしたことだ。まるで戦の準備ではないか」

  長岡は、不吉な予感に襲われていた。 意を決して有智山城を訪れた長岡は、家督を継いで惣領となったばかりの少弐頼尚と対面した。頼尚は、今や『新少弐どの』と呼ばれ、隠居した父貞経に代わって立派に家中を治めているのだった。

 「これは長岡どの、ご無沙汰ぶりでござる。して本日は何用で見えられたのですかな」 屈託のない笑顔を見せる頼尚に、長岡はいきなり食ってかかった。

  「新少弐どの、今の事態を何と心得る。今こそ筑紫の御家人衆は鎮西探題を中心に団結し、難事を乗り切るべきではござらぬか。しかるに、何ゆえ探題への出頭を渋るのか」

  「・・・これは申し訳無い。なにしろ体調を崩しておりましてな」

 「ほう、元気そうに見えますがの・・・そんなことより、城下に兵を集めているご様子だが、一体何のためでござる。菊池や阿蘇はあの体たらくで、戦の相手もありますまいに」

 「それが、長岡どのには思いもよらぬ敵が、すぐ近くにいましてな」

 この時、頼尚の意味ありげな冷たく光る目を見た長岡は、そのすべてを悟った。

  「おおお、おのれっ」

 やにわに抜刀するや、長岡は頼尚めがけて切りつけた。突然のことに、頼尚の対応は遅れた。しかし、近くにあった将棋盤を盾にして、かろうじて第一撃を防ぎきったのである。

 頼尚は大の将棋愛好家であり、部下に命じて肌身はなさず将棋盤を持ち歩かせていた。その習慣が今、頼尚の命を救ったことになる。

 「殿、何事っ」

 急を知って、室外に待機していた少弐氏の郎党が次々に駆けつけて来た。多勢に無勢、長岡は滅多斬りにされ、なます のようになった。しかしその目は、最後の瞬間まで食い入るように頼尚に注がれていた。もしも視線に人を殺す力があったなら、頼尚の命もこの時奪われていたことであろう。

  しかし、頼尚は悠然と血まみれの長岡の死体に目をやりながら、不敵な笑みを浮かべて言った。

  「これからは足利どのの時代よ。我が家は、いつまでも滅び行く過去の遺物に拘泥してはおれん。我らが生き延びるためには、もはや探題を倒すしか道はないのだっ」

※                 ※

 この頃、菊池一族は本拠に帰っていた。しかし、規矩高政の再来を警戒し、いつでもまた逃げられるように、家財や武器、食料はすべて九州山中の隠し砦に保管してあった。

  彼らには、やることが沢山あった。荒れ果てた館を修築しなければならなかったし、規矩勢の略奪にあった民を慰め、田畑の修復をしなければならなかったのである。

  無事に博多から帰って来た虎若と章子は、武重に散々叱られたものの、元気に働いていた。しかし妙子の発狂は、彼らの心理に暗い影を投げかけていたのだ。妙子のように、理性を失った方がましだと思う未亡人が、たくさん居たからである。

  さて、長岡六郎が無残な最期を遂げたちょうどその頃、菊池深川城では、少弐家家老の饗庭弾正が菊池武重と対面していた。

  「すると、尊良親王は少弐に保護されているのですか」と、武重。

  「そのとおり。我々は錦の御旗を抱いた官軍ですぞ。どうじゃ次郎殿、我らに同心し、新しい帝の世で共に栄えようではありませんか。恩賞は思いのままですぞ」饗庭弾正は膝を進めた。

  「断る」武重は目を剥いた。

 「な、何故ですか」弾正は耳を疑った。

 「父の仇と手を組むのは、忠孝の道に反するからじゃ」

 「・・そこをもう少し考えなされ。ここで探題攻めに一役買っておかないと、あとでお立場がまずくなりましょうぞ」

  「くどいぞ貴様っ。命が惜しければとっとと出て行けっ。この変節漢っ」武重は腰の刀に手をやった。その歯はバリバリと音を立てて鳴った。

 「後で後悔なさるなっ」弾正はそう言い捨てるや、跳びはねるように席を立ち、あわてて去って行った。

  武重は広い客間にただ一人、肩をふるわせて座りこんでいた。

 どうせ探題を攻めるなら、どうしてあの時、父を裏切って殺したのだ。可哀想な弟も、叔父も、松若も、犬死に同然ではないか。狂ってしまった妙子をどうやって慰めろと言うのか。そこまでして少弐が手柄を独占したいのか。一時的にも菊池の下風に立つのが嫌だから、それだけの理由で我らを裏切ったのか。武重の頬を一筋の涙が彩った。

 それから数日後、少弐、大友、島津を中核とする七千の軍勢が、博多に向かって突進して行った。もちろん、その中に菊池勢の姿はなかった。

※                ※

 鎮西探題が圧倒的な大軍に包囲されつつある頃、新田義貞は鎌倉を攻めあぐんでいた。

  鎌倉は三方を山に、残る一方を海に囲まれた天然の要塞である。しかも、そこに立て籠もるのは、幕府に命を捧げた一万を越える死に物狂いの兵であった。

 執権北条守時みずから先頭に立って出陣し、新田勢は各地で食い止められていた。しかし守時は五月十八日、無謀とも言える突撃を敢行し、州崎すざき というところで戦死した。彼は妹婿の足利高氏の寝返りに責任を感じており、覚悟の自殺を図ったものであろうか。

 しかし守時は執権といっても飾り物であり、幕府の実権は北条相模入道高時と内管領うちのかんれい 長崎ながさき 高資たかすけ が握っていたため、幕府軍の抵抗は一向に弱まらなかったのである。

  「いかん、このままでは・・・」

 義貞は焦った。知らせによれば、畿内の大塔宮や足利高氏の援軍がこちらに向かいつつあると言う。しかし、源氏の嫡流でありながら、これまで落ちぶれ果てていた新田の武名を再び天下に轟かすためには、援軍の力を借りず、自力で鎌倉を落とす必要があるのだ。

  五月十九日、義貞の部将・大館宗おおだてむね うじ は、奇襲作戦を敢行した。稲村ヶ崎の干潮を利用し、浅瀬をわたって鎌倉中心部への侵入に成功したのである。しかし着想は良かったが、宗氏の手勢は少なすぎた。圧倒的多数の幕府勢と競り合っているうちに満潮となり、退路を断たれた大館勢は、大将もろとも全滅の憂き目にあったのだ。

 しかし、彼らの犠牲が義貞に勝機を与えた。

 「北条めら、まさか我らが、再び稲村ヶ崎を、しかも全力を挙げて渡渉するつもりとは夢にも思うまい」

 義貞は、密かに大軍を稲村ヶ崎に集め、その間敵の目をそらすために他方面で陽動作戦を行わせた。そして幕府軍はこれに見事に引っ掛かったのである。

 「海神よ、しばし我らを護りたまえ」

 五月二十二日夕刻、義貞は黄金造りの宝刀を稲村の海に投じた。その瞬間、みるみるうちに潮が引き始めたではないか。

 これは潮の満ち干の時間帯を計算にいれた義貞の演出であったが、兵士たちの勇気は百倍した。

 そして新田勢数千は、一気に鎌倉突入を開始したのである。

  大館勢を全滅させて油断したためか、稲村ヶ崎への注意を怠っていた幕府軍は、義貞自ら率いる大軍の乱入に混乱状態に陥った。他方面の新田勢も、この機に乗じて総攻撃を開始。

 もはや勝負は決まったのである。

 相模入道を始め、北条一族は紅蓮の炎の中に消え去った。

  源頼朝以来、百三十年にわたって日本に君臨して来た鎌倉幕府は、こうして最期を遂げたのである。

  鎮西探題館を猛攻中の少弐頼尚が、鎌倉陥落の知らせを受けたのは、五月二十五日のことであった。

 この時、屋形を守るのは北条英時以下その直属の百名程度であった。他は皆、少弐の七千の軍勢に恐れをなして逃げてしまったのである。

  「よし、これで探題の首を取れば、筑紫の実権は再び我ら少弐のものとなろう。恩賞も思いのままだ」頼尚は不敵に笑った。 そして、少弐、大友、島津らによる総攻撃が開始された。

  「みんな、良くここまで頑張ってくれたな」鎧姿の英時は、大広間に集合した一族の顔を見渡し、労った。だれ一人として、無傷のものはいなかった。みな、血まみれで疲れきっていた。館に点けられた猛火は、やがてこの大広間にも広がることであろう。それまでに武士らしい最期を遂げることが、彼らの唯一の望みであったのだ。

 「豊前駐屯中の規矩高政どのが、間に合ってくれていれば・・・」

 「おそらく高政どのも、各地の宮方に苦戦しているのでござろう」

  「それにしても、少弐と大友は、まことの変節漢よのう」

 「七度生まれ変わって、この恨み晴らしてくれようぞ」

  口々に言う一族の者を制し、英時は言った。 「今更愚痴を言っても始まらぬ。もはや時間もない。潔く死出の旅路へ出ようではありませんか」

 「それではお先に」

 「お先に」

  次々と腹を切って突っ伏してゆく人々。その中に英時の姿もあった。

 薄れ行く意識の中で、英時はこの国の将来に思いをはせていた。このままでは収まるまい。多くの女子供が泣き叫ぶ世の中に成るのであろう。そして、彼らを救うのは、後醍醐天皇でも足利高氏でも無理であろう。だが、自分の犠牲を無駄にしてほしくは無い。

  燃え上がる探題館を背景に、少弐、大友、島津勢の凱歌がこだました。

 翌二十六日、厚東ことう 、大内氏らに敗れた長門探題北条時直が、関門海峡を渡って九州に逃げて来た。鎮西探題の力を借りるつもりだったのである。しかし探題館には寒々しい焼け跡が残るだけであり、博多市街は錦旗を振りかざした少弐、大友勢らで埋め尽くされていたのだ。やむを得ず、時直は少弐頼尚の軍門に降った。

 「神妙であるぞ」 頼尚は、精一杯の威厳を見せて時直の降伏を受け入れた。

  鎌倉幕府の設置した探題は、こうしてその全てが滅亡した。

 奈良に逃げ込んでいた旧千早城攻城軍も、鎌倉の滅亡を聞いて武装解除し、その全軍が降伏した。

 船上山の後醍醐天皇は、六波羅の陥落を聞いた五月十八日、都に向かって出発した。

 その天皇のもとに、楠木正成が駆けつけて来たのは六月二日、播磨西宮郊外であった。

 「正成、すべてお前のお陰ぞ。朕は忘れぬ。大儀であった」 天皇は特別に正成を輿の近くに招き、直接声をかけた。

  「・・・これも、帝のおん徳のなせる業にござります」正成はあまりの感動に、これだけ言うのが精一杯であった。

  「正成、都までの道程、そちが先陣となれ」天皇は優しく言った。

  「ははあっ」あまりの名誉に、正成は目もくらむような思いであった。そして、これはまさに、楠木正成絶頂の時であった。

  そのとき、騎馬武者が一騎、駆けつけて来た。

 「新田義貞さまからの知らせですっ。鎌倉は先月二十二日に陥落、東国はことごとく平定されましたぞっ」

  行列が歓声で埋め尽くされた。その前途には、永遠の栄光が待ち受けているかのように感じられたのだった。

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