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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

20.武重、上京す

 「一体どうなってるんじゃ」

  拳を震わせてわめいているのは、木野五郎武茂である。彼は非常に楽観的な性格であるが、怒ると結構こわいのである。

  「・・・五郎、ここでわめいても始まらんぞ。兄弟の中では、おいの次に年長なんだから、もっとどっしりしてくれねば困るぞ」

  呆れ顔で、弟の怒りで真っ赤な顔を眺めながら、菊池次郎武重は静かに言った。

  ここは、菊池深川城の武重の居室である。突然たずねて来て大声でわめく武茂を、持て余し気味の武重であった。

  「だって兄上、悔しいとは思わんのかっ。あの少弐は筑前、筑後、豊前三国の守護。大友は豊後、肥前、肥後三国の守護。島津とて薩摩、大隅、日向の三国の守護じゃぞ。つまり筑紫の九つの国は、すべて三人衆に取られちまったじゃないか。あんなに苦労した我らは、一体どうなるんじゃ」

  「早まるな、お前の考えは浅いぞ。まだ国司の選任は決まっておらん。新政府では守護よりも国司が重んじられるのだ。きっと今に都からの沙汰がある」

  「兄上は甘いわい。日向の国司は誰だか知っとるのか。俊雅しゅんが 僧正じゃぞ。坊主じゃ。それが帝の親戚というだけで一国の国司じゃっ。他の国の国司もきっと公家さんか坊さんが任命されるに違いないわい」

  弟の言葉に、武重の心にも不安が根差して来た。噂では、今度の恩賞沙汰はコネや賄賂に左右されていると聞く。少弐や大友、それに島津は、足利尊氏のコネのお陰で恩賞にありついたのだというが・・・。

  「・・・これは一度、上洛した方がよいかも知れぬなあ」武重は低くつぶやいた。

 「そうじゃっ、兄上。なんなら、おいも付き合うぜ」と、武茂は膝をすすめた。

  「早まるな。まだ上洛と決めたわけではない。一族を集めて相談してみよう」

 それから数日後、菊池一族の面々が続々と深川城に詰めかけて来た。城隆顕、武顕の親子を始め、赤星あかほし 武幸たけゆき や、武重にとって大叔父にあたる菊池武村ら、皆緊張した面持ちで集まって来た。もちろん武重の弟たち、武茂、武澄、武吉、武豊、武敏も集合した。ただし四郎隆舜は、肺病が悪化したため、この集まりには参加できなかった。

 「皆の者、遠慮なく意見を言ってもらいたい」武重は、万座を見回して言った。その声には少しずつ、惣領としての威厳が加わりつつあった。

  「おいは当然上洛するべきと思います。お公家さんたちの行賞は、ちっとも当てにならんですばい」赤星武幸が言った。

  「まったく同感」と、日ごろ無口な城隆顕も口を出す。

  「絶対に上洛するべきですばい。そうしましょう。そう決まった。おいと隆顕どの、それに六郎兄は畿内に詳しい。我らが一緒なら絶対安心ですぞ。だから、連れて行ってくだされい」お調子者の七郎武吉が、先走った発言をした。

  「ははは、いつの間にか上洛することに決まったようじゃなあ」菊池武村が大笑いしながら口を挟んだ。この人は、死んだ武時の父の弟である。したがって随分と高齢だったが、老いてますます矍鑠としているのだった。

 「そのようですな、大叔父上。ついでに随員も決まったようですぞ」武重は頭を掻いた。「隆顕どのと六郎と七郎について来てもらうことにしようか」

  「そんなの狡いぞ」いきなり、すっとんきょうな声を上げたのは九郎武敏であった。「おいも都を見たいですばい。いつも六郎兄さんと七郎兄さんばかりでは不公平じゃ」

 「だったら、おいも行きたいな。都の女は綺麗というしな」 この五郎武茂のとぼけた声で、万座は笑いに包まれ、九郎の本気の意思表示は紛らわされてしまった。

 「問題は虎若と章子どのだよ。こっそり都までついて行きかねない」

 八郎武豊のこの冗談で、集会は厳粛な会議の場から宴会場に変貌し始めた。いつのまにか酒肴が並び、真っ赤な顔で歌い出す者も現れた。

  「やれやれ、結局こうなるのか」 肩をすくめながらも、武重は暖かいものを感じていた。

 四カ月前、博多から命からがら逃げ帰ったときは前途に全く自信がもてなかったが、今ではとにかく一族の皆が、笑って顔を合わせることができるようになったのだ。父は冥府で喜んでくれるだろうか。それとも、脳天気な自分たちを見て鼻を鳴らすであろうか。

  武重たち一行が京に旅立ったのは、それから間もなくのことであった。随行するのは若党十二名。なにしろ都の状況が流動的だから、あまり多くの供を連れて行っても足手まといになりかねないからだ。

  「それでは母上、行って参ります。裕子、家のことは任せたぞ」武重は、城の門前で母や妻たちに別れを告げた。

  「気をつけてお行き。都の水は慣れないのだから、お腹に気を付けるんだよ」赤ん坊の早苗を抱きながら、智子は立派になった我が子を誇らしげに見つめた。

 「お帰りを待っていますわ」裕子は、笑顔で夫を送った。この夫婦も、愛児が殺されて暫くの間は仲が冷えきっていたのだが、今ではようやく愛を取り戻しかけていた。

 「五郎、留守は任せたぞ。あまり軽率なことはするなよ」母と妻の言葉に強く頷きながら、武重は弟の中で最年長の木野武茂に顔を向けた。

 「兄上、大船に乗った気でいてくだされ。おいがいれば家は安泰よ。都でのんびりしてくるが良いですばい。ははは」武茂は胸を張った。

  「うん、その意気だ」武重は弟の肩をたたいた。

 城下で見送る家族や良民に手を振りながら、武重の一行は故郷を後にした。 そして、北上する彼らが最初に訪れたのは、博多の梅富屋であった。

 「おお、これは次郎どの。ご立派になられましたなあ」庄吾郎は、約一年振りの武重の変わりように驚いた。

 「庄吾郎どの、博多合戦のおりには色々と世話になりもうした。あのときお借りした分は、いずれ耳をそろえてお返し申す所存」武重は静かに頭を下げた。

 武重が庄吾郎と対面したのは、本店の懐かしい座敷の上であった。最後にここに座ったのは、確か鎮西探題の命令で石塁の修築に来たときであった。あのときは三郎も一緒だった。しかし今では探題も三郎もいない。あの妙子の笑い声も、もはや聞くことができない。

  「そうだ、大智禅師はいかがなされたかご存じですか」回想にふけっていた武重は、急に気掛かりな名前を思い出したのである。

  「大智さまは、加賀のお寺に戻られたきり消息はありませぬが・・・なにしろ畿内は戦続きでしたからのう」庄吾郎も心配そうな顔である。「次郎どの、もとい武重どの。都で大智さまにお会いなされたら、どうかよろしくお伝えくだされ」

 「それは、もちろんです」武重は微笑んだ。しかし、大智が自分の顔を覚えてくれているかどうか。「ところで、先程港の様子を見て来たのですが、随分繁盛なさっていますね」

  「いやあ、これはお恥ずかしい。実は伊予の土居道増さまから舶来品の特注がありまして、てんてこまいなのです」

  「ほう、他に商人も居ように、土居どのは、なぜ梅富に特注を?」武重は首をかしげた。

  「さあ、気まぐれでございましょう。土居さまや得能さまは、帝の覚えがめでたい一族。ちょっとした贅沢をしたいのでございましょう」

  「ほう、そんなものでござろうか」武重は神妙にうなずいたが、土居道増の本心を見破っていた。土居道増は以前、梅富屋に海賊行為をしかけたことがある。しかし梅富が盟友の菊池氏に協力したことを知って、宮方大勝利の今、何らかの罪滅ぼしをしたかったのであろう。意外に道増が律義なのには驚いた・・・ 。

 「ところで武重さま、都までどうやって参られますか」と、庄吾郎。

 「うん、肥前の松浦党に頼んで長門に渡してもらい、陸路を採るつもりですが」

  「それよりも我々の商船に便乗して行きませんか。噂では、恩賞問題で都へ上る武士が数多く、陸路は混雑してるそうですぞ」

  「おお、そうさせてもらえますか。それは願ってもないこと。恩に着ますぞ」 武重は、庄吾郎の手をとると強く握った。商人の庄吾郎が、昔から損得抜きで自分たちのことを気にかけてくれるのが嬉しかった。

 しかし武重は、その情にほだされて妙子の近況について聞くことができなかった。彼女があんなことになったのは、もともと菊池氏に原因がある。その罪悪感が、若き惣領の舌を縛ったのである。

※                 ※

 さて、無事に堺浦に到着し、陸路京に向かった菊池氏の一行は、都の慌ただしさに驚いた。

 戦災で荒れ果てた町並みは未だ復興されておらず、所々に貧民窟ができている。その一方で、大通りは多くの商店や京童で賑わい、いばりくさった武士たちが悠々闊歩しており、酒屋や娼窟が大繁盛である。

 「どうも大変な所ですなあ」五条の大通りの片隅で、城隆顕が嘆息した。

 「この奇妙な賑やかさには、ついて行けん」その横で、六郎武澄も呆れ顔である。

 「楠木正成さまはどこにおるのじゃろか。お会いしたいのう」正成贔屓の七郎武吉は、しきりに辺りを見回している。

  そこへ、町人に都の状況を聞きに行った若党の源三げんざ が帰って来た。

 「お屋形、恩賞方への道のりが分かりましたぞ。恩賞関係の調査は皆、そこでなされているようですばい」

 「それで、楠木さまの所在は分かったのか。」と、武吉は身を乗り出した。

  「いいえ・・・なにしろ訛りがひどくて、ろくに言葉が通じないのです。これだけ聞き出すのに一苦労でしたので・・・」

  「ほうか」武吉は肩を落とした。

 「なあに、そのうち会えるよ。それよりもさっそく、恩賞方に向かうとしよう」

 武重は、正成のことより恩賞問題の方が気になっていた。

  その時である。大通りが妙にざわついたかと思うと、派手な衣装に身をまとった大勢の武士たちの行列が、町角を曲がって近づいて来るのが目にとまった。行列の中央には大きな輿がどっかりと座り、その上には一人の初老の華麗に着飾った派手な姿があった。

  「なんだい、あの派手なのは」武吉は目を丸くした。

 「家紋か何か見えないか、源三」武重は、目のきく源三に声をかけた。

  「・・・笠印が見えます。帆掛け船の絵柄ですばい」

  「帆掛け船だって。それじゃあ、あれは名和どのだ」

  武重は、名和家の家紋のいわれを聞いたことがあった。名和氏は本来武士ではなく、武装商人に過ぎないので家紋をもっていなかった。そこで、後醍醐天皇が船上山で自ら描いてあげた家紋が帆掛け船だったという。その名誉な名和伯耆守長年の行列に、こんなところで出くわすとは。

  名和長年の行列に、京童たちはあわてて道を開けた。しかし、彼らの目にはなぜか馬鹿にしたような色があった。

  「あれ見い、伯耆はんが行くで」 「いつもの行列というわけやな」 「くさやの臭いがするがな」 「仕方あらへん。伯耆はんは、元が漁師さかいに」 「やれやれ、花の都も魚屋の天下に成り下がったわい」

 このような辛辣な噂話にも、菊池氏一行の羨望の眼差しにも気づかずに、名和長年の華麗な行列は二条内裏に向かってゆっくりと歩を進めるのであった。

  群衆に紛れて行列をやり過ごした菊池武重の一行は、やがて五条大橋に差しかかった。ここには、物乞いや浮浪者が、橋のたもとや川べりに大勢たむろしていて、一種異様な臭気が漂っていた。

 「これが花の都の姿か」

  「なんだか、がっかりだな」

  菊池の若党たちは、鼻を押さえながら、口々に言った。早くも、故郷を懐かしむ声が出る。そんなとき・・・。

  「おや、喧嘩みたいだな」目ざとい武吉が声を上げた。

 見ると、橋の中央で、柄の悪い五、六人の武士たちが、だれかを取り囲んで騒いでいる。抜刀していないところを見ると、それほど深刻な喧嘩でもなさそうだが、それでも、周囲には大勢のやじ馬が集まっている。

 「なんだ、女じゃないか」武吉が笑みを浮かべた。

  「本当だ、女一人を大勢で取り囲むとはどういうこっちゃ」と、武澄。

 「女牛若丸を囲む、髪の黒い弁慶どもの目当ては何でしょう」城隆顕も、呆れ顔でつぶやいた。

 静かにやじ馬に紛れ込んだ武重たちは、すぐに事情を飲み込むことができた。遊女が酔っ払いにからまれているのである。

  「この売女めっ、人の顔見て笑いやがって、何がおかしいんだっ」

 酔っ払った武士の一人が、ロレツの回らない口調で怒鳴ると、遊女は少しも恐れず、笑みを浮かべて言い放った。

  「何言ってるんだい。いい男が昼間っから酒の臭いをふりまいてさ。なにがおかしいって、それこそお笑いさね」

  「ちっくしょう、誰様のお陰で大手を振るって橋の上を歩けると思ってるんだ。お、俺たちが、命をかけて北条幕府を倒したからじゃねえか」

 「えらそうな口利くじゃない。自分たちが恩賞欲しさにやったくせに。恩着せがましいたらありゃしないよ。そのしけた面じゃ、どうせ恩賞も貰えなかったんだろ」

 「て、てめえっ、もう許せねえ」茶色の胴巻きを纏った武士の一人が、無意識に刀の鯉口に手をやった。酔いに任せて、本当に女を斬るつもりだったかもしれない。

  「待たないか」 そのとき、彼らの前に立ち塞がったのは、外ならぬ菊池武重であった。若党たちも気づかぬうちに、やじ馬をかき分けて喧嘩の輪の中に入っていたのである。

  「なんだ、てめえは」 武重の巨体にたじろぎながら、茶色胴巻きの酔漢が喚いた。

 「誰でもよかたい。同じ武家として、この場を見ていられなかったものだ。女一人にみっともなかとよ」武重は、眼光鋭く、酔っ払いたちを睨みつけた。

 「けったいな言葉遣いで、格好つけやがって。構わねえ、やっちまえ」

 相手が女ゆえに抑えていた、彼らの怒りが爆発した。 しかし、しょせんは酔っ払い。五人がかりでも武重の敵ではなかった。次々に跳ね飛ばされ、泥を噛みながらのたうちまわる運命にあった。やじ馬たちは大喜びである。

 「おおきに。あんた、顔は怖いけれど、いいお侍なのね」遊女が寄り添って来た。

 「しらふだったからな。ばってん、酔っ払いを怒らすとは、いったいどういうつもりだ。下手すっと斬られてたかもしれんぞ」

  厳しい顔で睨んだ武重は、しかし、遊女の美貌に心を打たれた。白絹のような肌に、亜麻のような黒髪。山吹色の小袖に漂う色香。京女とは、こうしたものか。

  「我がもの顔で、大橋を闊歩する田舎侍が許せなかっただけやわ。うちの兄さんは、大塔宮のために討ち死にしたのに、何の沙汰もない。うちも、お屋敷に住めると思っていたのに、すっかり当てがはずれちまったよ。お陰でひどい芸妓暮らし。やんなっちゃう」女は、言い放った。

  「ほ、ほうか」武重は、少年のように頬を赤く染めながら、小さくうなずいた。「気持ちはわかるけど、自棄になっちゃいけんよ。きっと、そのうち良いこともあるさ」

 「うふふふ、おおきに」女は微笑んだ。「お侍さん、あとで遊びにおいでよ。うちは、春香楼しゅんこうろう の小夕梨こゆり 。すぐそこの店さ。安くしとくよ」

 そう言い捨てるや、女は身を翻して去って行った。いつの間にか野次馬も去り、後に残るは菊池氏一行だけである。 なんて素敵に笑うんだろう。武重は、郷里の妻のことも、前途に待ち構える困難のことも忘れて、しばし女の残り香に浸っていた。

 「兄上、抜け駆けはないぜ」武吉が、呆れたように言った。

  「そうですばい。いくら別嬪だからって、一人だけいい格好するなんて」いつも真面目な武澄も、兄の背中を指で突いた。

  「一族の家督たる方が、こともあろうに酔っ払いの集団と喧嘩するとは。以後は、そのような軽挙妄動は謹んでください」

 城隆顕が、一人だけ深刻な顔で諌めたが、外の若党たちは、お屋形の武勇を絶賛し、今の遊女の品評に夢中になっていた。彼らは、武重の武勇を高く買っていたので、でしゃばって喧嘩に介入することなく、楽しみながら顛末をうかがっていたのだった。

 そんな弟たちの態度もどこ吹く風。再び馬に乗った武重の脳裏には、美女の笑顔がしばし焼き付いて離れなかった。

  「小夕梨か、忘れまいぞ・・・」

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