歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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長編歴史小説

黄花太平記 第一部

21.恩賞沙汰

 初めての京都の珍しさに夢中になって、あれこれと道草したためか、夕刻近くになってやっと恩賞方にたどりついた菊池一行は、屋形の邸内はおろか門の外まであふれ出る武士の群れに仰天した。

 武士たちは皆、てんでばらばらの服装で、話す言葉も様々であった。

  「おらあ、待ちくたびれたずら」

  「ほんに、いつまで待たせるつもりだぜよ」

 「おいどんは、はるばる薩摩から来たでごわすが、家族のためにも、ここで何日でも頑張らねばなりもあはん」

  彼らの口調から、相当長いこと並んでいることが窺える。

  「兄上、困ったの。おいたちもここに並ばねばあかんのかのう」七郎武吉が途方に暮れて肩をすくめた。

 「ここにいるのは、何の伝もない田舎侍だ。なにもここに並ぶことはない」武重はむすりと言った。

  「それじゃあ兄上、足利どのの奉行所にでも顔を出しますか。我らは一応、足利どのの御教書を受け取ってますからの」と、六郎武澄。

 「ばってん、我らは鎮西探題攻撃に参加しなかったからな。足利どのは、我らを認めてはくださるまいよ」武重は吐息をついた。

 「兄上は馬鹿だ。なんであのとき少弐の使いを追い返したんじゃ。一緒に探題を攻撃すればよかったのに」武澄は肩をいからせた。

 「何を言うか、六郎。父の仇と手を組むなど論外だぞ。それに、亡き父の意志は、帝の御心を安んずることにあって、足利の走狗に成り下がることにはなかったはずだ」

 「それじゃあ、他にどんな伝があると言うのです」

 「大塔宮がいる。宮は征夷大将軍だ。きっと力になってくれる」

 「へえ、あれほど宮のために尽くした赤松どのや四条しじょう 隆資たかすけ どのや高間たかま 行秀ゆきひで どのが、恩賞をもらったという話は一度も聞きませんぞ。宮にはもはや実権はないのじゃ。名ばかりの将軍なのじゃ。・・・あああ、亡き父が都で路頭に迷う我らを見たら、何と思うでしょうかな」

  「・・・言ったな、六郎。それだけは言って欲しくなかったぞ」

  「ああ、何度でも言ってやる。兄上は目先の利かぬ馬鹿者で、親不孝者じゃ」

  今にも取っ組み合いの喧嘩に及ぼうとした兄弟を止めたのは、武吉のすっとんきょうな声であった。

  「あっ、正成どのっ」

 驚いて振り返った武重と武澄の前に、馬上の小柄な武者の笑顔があった。

  「やあ、これは菊池武吉どのではありませんか。おや、こちらは武澄どのか。いやあ久しぶりですなあ」

  楠木正成は、数名の従者とともに今しがた恩賞方を退出して来たところで、偶然、菊池武吉の姿を目に止めたのである。

  「菊池どのが都に上られておるとは知りませなんだ・・そちらの大柄な方はもしや」

 「菊池武重ですばい」 武重は、この偶然の出会いに運命的なものを感じた。

  「おお、これはお初にお目にかかります」正成は、馬から降りて目礼した。「拙者は、楠木河内守正成と申す者、以後お見知りおきください」

  「いつぞやは弟たちが面倒かけました。本来なら、お便りをしたところなれど、多忙でござってな、ご容赦くだされ」

 武重はそう言いながら、正成を観察した。一見貧相に見えるが、その瞳には計り知れない叡知が感じられる。名和長年のように着飾っていないところを見ると、無欲な人柄なのであろう。どことなく疲れた表情だが、仕事がうまくいかないのだろうか。

 「・・・過ぐる博多合戦のおり、父君武時どのは残念なことでした。しかし、菊池一族のあの奮戦があればこそ鎮西探題の権威は失墜し、五月の探題攻めの時、あれほど多くの豪族が少弐、大友のもとに参じたのです。少弐、大友の功績の源は、全て菊池どのにありと申せましょう」

 正成は武重の心境を思いやって、優しく声をかけた。その一方で、菊池の新たな惣領武重の面構えを観察し、単に体が大きいだけではない、器のほうも相当なものだろう、と内心頼もしく感じていたのだった。

※                 ※

 数刻後、四条よんじょう 猪熊いのくま 坊門ぼうもん。。

 「なんですと、菊池どのにまだ恩賞沙汰が無いとは、ほんまですか」 屋敷の主・楠木正成は、客間で菊池武重に上京の目的を聞かされて愕然とした。

 「それで、これから足利尊氏どのか大塔宮を訪ねようかと思案しておったのですばい」

  武重は、顔を伏せ声を落とした。

  「その必要はありまへん」正成は胸を張って力強く答えた。「わいに任せてくだされ。近日中に、方々に必ず朗報をもたらして進ぜよう。直接、帝に奏聞しても構いまへん」

 「か、かたじけない、河内守どの」菊池武重は深く頭を下げた。都に来て、初めて人の情に触れたような気がしていた。

  「まあ、しばらくはここに逗留するが良いでしょう。だだっ広いだけで何もありませんが、官営の宿舎や町中の宿屋よりはなんぼか増しでござろうて」正成は、どんと胸をたたいて微笑んだ。しかし、その笑いは、少し淋しげであった。

 ともかく、こうして菊池氏一行は、正成の京屋敷にしばらく厄介になり、恩賞沙汰を待つこととなった。

 その菊池武重のもとを阿蘇前大宮司惟時が訪れたのは、それから数日後のことであった。その時ちょうど内裏での会議に出かけており、亭主の正成は留守であったので、その執事の恩地左近がとりついでくれた。そして武重と惟時は屋敷の離れで対面することとなった。

  「次郎どの、久しぶりじゃ。それにしても、しばらく見ぬ間に立派になられましたな」

  「惟時どのも、元気そうで何よりです。今はどちらにおわすので」

  「うむ、実は足利どのの口利きで、内裏のそばに泊めてもらっているのじゃよ」 阿蘇惟時は白い歯を見せて笑った。

 この前阿蘇大宮司は、年の頃は五十を少し過ぎたところであろうか。その子の惟直を小柄にした感じの小太りな体格をしている。時々斜めに人を見る癖も、息子によく似ていた。

 「そういえば、惟時どのは、六波羅攻めの時から足利どのについているのでしたな」武重は思案気に言った。この人は、希望どおりの恩賞を貰うことができたのだろうか。

 「ふふふ、実はその前、形だけじゃが幕府の千早城攻撃軍に加わっていたのじゃよ。本当なら、楠木どのの屋敷に出せる面では無いのだが・・・」惟時は低く笑った。

 息子の惟直が菊池氏とともに幕府に追われているころ、父の惟時は幕府軍の中にいた。これは、宮方に回った息子が例え倒れても、父親が幕府方で生き残れば家自体は安泰であるとの計算によるものである。これが乱世の姿なのかも知れないけれど、武重は浅ましい事だと思った。一族は、常に一体でなければならないと思った。

  「して、わざわざ足をお運びくださったのは何用ですか」そういうわけで、武重は少し冷たく切り出した。

  「おお、そうであった」惟時は威儀を正した。「なあ、次郎どの、奉行所に参って足利尊氏どのに会って見ぬか」

 「・・・なぜですか」

  「いや、なに、菊池が理不尽にも恩賞沙汰から漏れていると聞いてな。きっと尊氏どのなら、何とかしてくださるであろうと思ってな。あの方は帝にすら一目置かれておるからのう」

 「・・・ばってん、我らは足利どのの御教書を受け取っておきながら、鎮西探題攻撃に参加しませなんだ。足利どのが便宜を図ってくれるとは、とても思えませんが」

 「はっははは、次郎どのは尊氏どのの人柄をご存じないと見える。あの方ほど度量が広く寛容な仁は、この惟時、他に知らぬ。そんな小さなことにこだわって、別け隔てするような方ではござらんよ。だから一度会って見ぬか。きっと恩賞のこともよろしく取り計らってくださる」惟時はひざを進めた。

  「・・・ばってん、恩賞のことはこの屋敷の主、楠木正成どのが取り計らうと言ってくださってます。ですから、お言葉は嬉しいのですがこの度は遠慮させていただきます」 武重は、きっぱりと言った。

  「そうか、それは残念じゃ」惟時は眉をしかめた。「まあ、楠木どのも、今を時めく三木一草じゃからな」

 「惟時どの、三木一草とは何のことですか・・・・何かの官職でしょうか」

 「えっ、ああ、お主はまだ知らんのか。別に官職ではないぞ。まあ、幕府が倒れてから急に羽振りのよくなった四人のことを、京童がそう言って囃しておるのじゃ。四人とは楠 正成、名和伯 守長年、結 親光、千ぐさ 忠顕のことよ。『き』が付くのが三人で三木、『くさ』が付くのが一人で一草、しめて三木一草というわけよ」

 「なんだ・・・つまらぬ駄洒落ですな」武重はがっかりした。

  「まあな、幕府の時代は下っ端だったのに、今では帝と口を聞けるほどの栄達ぶりゆえ京童がやっかんでるのよ。・・・まあ、あまり良い意味の洒落ではないわな」惟時は眉をしかめた。

  武重は、名和長年の行列に対する京童の態度を思い出し、長年の心事を思いやった。長年があんなに派手な格好で豪勢な行列を仕立てるのは、虚栄心によるのではなく、京童になめられたくない一心がなさしめるものなのかもしれない・・・。

 ※                  ※

 一方そのころ、二条内裏では、帝を前に御前会議が開かれていた。

 議題は恩賞問題についてである。

 後醍醐天皇は、地方行政官による恩賞沙汰を禁止し、恩賞の決定はすべて自らが綸旨によって行うことに決めていた。つまり、菊池武重が訪れた恩賞方も、実は単なる審査機関にすぎなかったのだ。これは、天皇による絶対専制体制を目指す建前からは、当然だったかも知れないが、そのために恩賞あるいは本領安堵を求める全国の武士がいっせいに京に殺到し、都の治安と恩賞方の事務を大混乱させる結果となった。武重が恩賞方で見た行列は、これだったのである。

 なお、菊池氏上洛の一カ月前には、個別安堵法が撤廃され、幕府に味方した者以外の領土は、自動的に安堵(保証)されることになった。

 個別安堵法は、日本中の武士を混乱に陥れた悪法であった。なにしろ、鎌倉幕府の法令をすべて廃止し、帝の個別的な認可を得ない土地所有を全て無効にすると定めたのだから無茶苦茶である。日本中の武士が、帝の認可を得ようと京に殺到し大変な混乱となったので、この悪法は廃止されることになったのだった。

 それでも、倒幕の恩賞目当てに上京する武士たちの数は凄まじく、とても天皇一人ではこなしきれない。そこで、さしも強気な天皇も、下級武士の恩賞決定機関として雑訴決断所を設けることにした。だが、天皇は事あるごとに雑訴決断所の決定に口を挟み、既決事項を覆すことが多かった。これは、ますます恩賞審理を混乱させると同時に、政府の信頼を大いに損なうこととなった。

 さて、御所の下座でひれ伏す楠木正成は、開会の挨拶を聞きながら、窮屈な思いを味わっていた。なぜなら、この会議の出席者の中で、『大塔宮派』に属するは彼一人だけだったからである。

  このころ都では、二つの派閥が対立していた。大塔宮の吉野閥と、後醍醐天皇の寵姫、阿野廉子れんし の伯耆閥である。

  前者は、帝が隠岐に流されている間、畿内で大塔宮とともに幕府軍に抵抗を続けた、赤松則村や高間行秀、殿ノ法院でんのほういん 良忠りょうちゅう 、四条隆資といった人達から成る。

  後者は、帝とともに隠岐や伯耆で苦労した人達、名和長年、千種忠顕、結城親光、その他の公家たちから成る。

 正成は、大塔宮との共同作戦が多かったため、周囲から吉野閥と思われていたのである。

 この両派の争いは、帝位継承争いも絡んで複雑な様相を見せていた。伯耆閥を牛耳る阿野廉子は、自分の子供を皇太子に立てるため、自分の子ではない大塔宮を排斥しようとし、天皇に働きかけていた。天皇も、征夷大将軍になりたがるなど自分の専制の邪魔になる大塔宮を煙たく思っていたので、大塔宮に僧籍に戻るよう勧告したこともあった。

 こうしたわけで、大塔宮の吉野閥は新政府内では非常に不遇であったのだ。 赤松則村が、あれほどの活躍にもかかわらず恩賞を与えられないのは、このような背景があったからである。

  一方、楠木正成が、吉野閥と見なされながらも三木一草として栄達できたのは、単に後醍醐天皇個人に信任されていたからに過ぎない。

 天皇は愛憎の念が非常に激しく、人を面識の有無で、あからさまに差別する傾向にあった。 その後醍醐天皇は、菊池武時や武重とは面識がない。彼らに対する恩賞沙汰が遅れているのは、そのためであろう。

 正成がこのような考えにふけっている間に会議は進み、いつのまにか九州に関する国司の任命が問題となっていた。

  「麿は、少弐一族に筑紫北部の国司を任せ、彼らの歓心を買うべきと考える」と、発言したのは坊門ぼうもん 清忠きよただ 卿であった。

  「いや、それはあきまへん。少弐は鎌倉幕府の覚えめでたい一族だったさかい、誇り高く、我らに容易に靡こうとはしますまい。延いては、公家一党の妨げとなるでしょう。やはり国司は、我ら公卿で独占するべきでっしゃろ」と、二条にじょう 為冬ためふゆ 卿。

  公家たちは、武士を番犬同然の地位に引き落とすことをねらっていたから、強い武家を取り立てるのには抵抗を感じるのである。足利尊氏に官職のみ与えて、飼い殺し同然にしているのはそのためである。

 「それでは、筑紫北部の国司の件でありますが・・・・」洞院とういん 実世さねよ が切り出した。

  「洞院卿、筑北はいろいろと難しい。まずは肥後あたりから決めたらいかが」と、五条頼元よりもと 卿が遮った。

  「頼元の言うとおりせよ」と、御簾の後ろの声。

 「ははあ」一同は頭を下げる。

  「やはり肥後国司は、阿蘇惟時どのしかありまへん。六波羅攻めの際のあの活躍は、国司たるに十分な働きでっしゃろ」と、二条為冬。

  「為冬卿の申すこと、もっとも」

  「阿蘇どのしかおらへん」公家たちは口々に言った。

 その時である。はるか下座から、凛とした声が響き渡ったのは。

 「おそれながら申し上げます」

 振り返った公家たちは、頭を深く下げたまま発せられる楠木正成の声に、少々驚いた。武士の分際で議定に口をはさむとは、何という身の程知らずよ。

 正成はその場の剣呑な空気を察したが、かまわず続けた。

 「このたびの御新政に功あった者多しと言えど、いずれも身命をまっとうしております。ひとり、勅諚によって一命を落としたる者は、ただ菊池武時のみでござりましょう。あの者こそ忠厚という点でもっとも、第一とすべきではありませんか」

  坊門清忠は、正成の発言の内容など聞いていなかった。ただ、その発言行為自体に腹を立てていた。それで怒りの言葉を発しようとしたとき、御簾からの声がそれを遮った。

  「実世、菊池に対する恩賞はどうなっておるか」厳かな声。

 「は、それが、討ち死にした豪族は菊池入道のみですので、審理を後回しにしていたところでおじゃります」洞院実世は、しどろもどろである。

 「うむ、菊池入道は、少弐と大友に裏切られて敗れたと聞く。それで少弐の方に恩賞が厚いのでは道理が通らぬであろう。正成の申すこともっともである。よって、菊池一族に対する恩賞について、十分な審議を行うべきである。」

 帝のお言葉に、万座は平伏した。

 そしてこの瞬間、南北朝時代における少弐と菊池の去就は定まったのである。

※                 ※

 御前会議から数日後、菊池一族に対する行賞が明らかとなった。

  恩賞方に出頭した菊池武重は、あまりのことに耳を疑った。

  菊池武重を肥後国司。

  菊池武澄を肥前国司。

 木野武茂を対馬国司。

  読み上げる役人の声が、とても現実のものとは思えなかった。

 武士でありながら、国司に任命されたものがごく少数であることは、武重もよく知っていた。それが三ヶ国の国司とは。三木一草以上の栄達ではあるまいか。自分たちは、一夜のうちに新政府の要人となったのである。

  楠木邸に帰った武重は、その瞳を熱く濡らしながら、正成の前で深々と頭を下げた。

  「河内守どの、本当にかたじけない。この武重、何と言ってお礼を述べたらよいのか分かりません。亡き父も、これでやっと浮かばれます」

 「なあに、当然のことや。わいは、前から公家さんの勝手な行賞に文句を言いたかった所やった、それだけのこと。・・・それにしても、思ったより好結果が出ましたなあ。わいも自分の恩賞をせがんだ方が良かったかも知れへん。いやあ、惜しいことをしたわ」

 しかし、頭をかいて照れる正成を見つめる武重の目は、深い感謝と尊敬に満ちていた。

 この恩は生涯忘れるまい。

 菊池武重は、堅く心に誓うのだった。

  菊池一行は、その翌日から官営の京屋敷に引き移ることとなった。武重、武澄、武吉の三人兄弟、それに城隆顕は、馬を寄り添わせながら、二条通りを胸を張って行進するのであった。

  しかし、そんな彼らを面白くなさそうに見つめる者があった。誰あらん、阿蘇惟時である。

 彼は、密かに肥後国司の職をねらい、以前から足利尊氏を通して伯耆閥に働きかけていたのである。 彼がこの前、武重を訪ねた真意は、自分が国司になった場合、顔見知りの武重が肥後の守護になってくれれば何かと都合が良いので、共に手を携えて尊氏に縋り、大友(現肥後守護)を肥後から追い落とす算段をするつもりだったのである。 ところが、こともあろうに武重に国司をさらわれてしまった。

 「ふうん、三木一草のコネも馬鹿にならんと言うことか・・・」 阿蘇惟時は、大通りの片隅で唇を歪めつつ低くつぶやいた。

※                ※

 菊池武重は、兄弟たちとともに国司の職責や心構えについて内裏で打ち合わせする必要があったので、一月近く都に残らねばならなかった。

 彼らはその間、お祝いに駆けつけてくれる土居、得能氏や松浦氏らの接待に忙しく、ろくに都見物もできないうちに晩秋になり、任地に赴任するために都の雑踏を後にする時節となった。

 「ああ、もう一度、あの五条大橋の遊女に逢いたいものよ」 なんとなく、都に後ろ髪引かれる気分の武重である。

  そんなある日、二条に新築された彼らの邸宅を、一人の懐かしい人物が訪れた。

  「おお、これは」客を出迎えた武重は、思わず感動で胸を一杯にした。 「大智様、しばらくぶりですなあ」

  武重の前に座るのは、よそ行きの袈裟を纏った大智禅師だったのである。

  「次郎どの、もとい肥後守どのも、息災で何よりですわい」

  「お互い様ですよ・・・それで大智どの、どうしてまた都に」

 「今度、我が寺の檀家になられた五条頼元卿に私用がありまして」

 「ああ、頼元卿は加賀の国司になられたのでしたな」

  「武重どの、この度は、国司への任官、おめでとうござります」大智は、両手をついて祝辞を述べた。

 「これも、皆様方の苦心の賜物と申せましょう。・・・それにしても、寂阿さまはお気の毒でした」大智は、厳しい表情で言い、両手を合わせて合掌した。「しかし、寂阿さまは、自分の正義を貫いて人生をまっとうなされたのじゃ。この世に未練はありますまい。きっと成仏なされていることでしょう」

  「かたじけない、大智どの」菊池武重は、頭を掻いた。自分だって都に来た当初は、このような栄達は思いもよらなかったのである。

 「このお屋敷も、博多の鎮西探題館よりも、はるかに立派ですぞ」

 「これはお恥ずかしい」

 「ところで肥後どの」

  「今までどおり、次郎で結構ですよ」

  「ははは、それでは次郎どの。つかぬ事を申すようですが、三郎どのと妙子どのは、あの後、どうなされたのかお教え願えませんか」

 何げない大智の質問は、武重の表情に陰を落とした。

  「大智どのは、ご存じありませなんだか・・・」武重は、意を決して、三郎頼隆の死と、その妻妙子の発狂について訥々と語った。

 「なんと」大智は目を丸くした。「それは知りませなんだ。おいたわしや、おいたわしや・・・」

  両者の間に、しばしの間沈黙が幕を下ろし、冷たい空気が流れた。 やがて、先に口を開いたのは、武重の方であった。

  「大智どの、もはや肥後国内は我らの自由ですばい。大智どのは、肥後にお寺を持ちたいのだと、梅富屋で聞きました。どうでしょう、肥後にお移りなさいませんか。我らでお守り致す所存ですが・・・」

 「かたじけない次郎どの」大智の目は、感謝で輝いた。「しかしの、わしには加賀でやり残したことが沢山あって、手が放せないのですじゃ」

 「それでは、手が空きましたら、どうか肥後へ」

 「・・その時は、喜んで」

  二人は、笑顔を見交わした。

※                 ※

 菊池氏一行が故郷肥後に向かって出発したのは、その数日後のことであった。

 しかしその旅路は、前途多難な新政府の国司としての、新たなる戦いへの道程でもあったのである。

   第一部  完  

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