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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

2.武敏一番乗り

 肥後の民は、その点では幸せであった。菊池武重を国司として迎えることが出来たからである。武重は、善政をしいたのである。

  菊池武重は、肥後一国を自分の領土として扱った訳ではない。自家が地頭職を有するところは別として、豪族たちの所領の統治は彼らに委任し、時折口を挟むに止めた。そして肥後菊池を新たな国府とするべく、交通網を整備し、市を拡張し、潅漑を多く造った。これらの武重の業績は、今日でも菊池市で目にすることが出来る。

 菊池の城下町は大いに発展し、商人や旅人が気軽に立ち寄れる街となった。交易所には海外の珍しい品が軒を連ね(これらは、対馬の宗氏から届けられるのだ)、米蔵は五穀で潤った。肥後は当時から有名な米所だったのである。

 「謀反人どもの気持ちが分からんわい」菊池に遊びに来た阿蘇大宮司惟直これなお が言った。「何を好んで戦に明け暮れるのかのう。規矩高政にしろ糸田貞義にしろ、少弐の大軍に囲まれながら、もう半年も城の中でねばっとるわ」

  「規矩高政は、親族の仇のもとで残りの生涯を過ごすことが耐えられなかったのでしょう。奴はこの菊池を荒らした憎い男ですが、なんとなくその気持ちは分かります」武重は静かに答えた。

 「そんなもんかのう、親族の仇か。と言うことは、北条一門を根絶すれば、もう戦は起こらないということですな」阿蘇惟直は、腕組みしながらつぶやいた。

  二カ月前の建武元年三月、朝廷は、見せしめのため、降伏した旧千早城攻撃軍の大将を根こそぎ斬首した。しかし諸国の反乱は治まらなかった。しかも、戦の種火は北条残党だけでは無かったのである。

  「武重どの、都の噂はご存じですか」惟直は、厳粛な顔で身を乗り出した。

  「いや、なんですか」

  「京にいる我が父、惟時からの知らせによると、大塔宮護良親王と足利尊氏どのの仲が、一触即発だとか」

 「そ、それは真ですか」武重の顔はこわばった。

 「うむ、大塔宮は、既に何度も尊氏暗殺を企てたそうです。しかし尊氏どのもさるもの、常に警戒を怠らないので、宮の計画はいつも不発に終わるそうな」

 「楠木正成どのは、その計画にはかかわっているのでしょうか」心配そうな武重。

 「いや、楠木どのは、むしろ宮を宥めているそうですぞ。そこで宮は、鎌倉から今度上洛してきた新田義貞どのを頼ろうとしたが、新田どのにも断られたそうで。なんだか宮が気の毒ですなあ」

  なんてことだ、一致団結して事にあたるべき朝廷内部が二つに割れているとは。武重は、思わず拳を強く握り締めた。

 ところで、阿蘇惟直は大きな恩賞をもらったわけでは無いが、建武の新政を歓迎していた。その理由は、後醍醐天皇の寺社優遇政策にあった。天皇は、元弘三年十月に阿蘇大社などの大きな寺社の「本所領職ほんじょりょうじき 」を廃止した。簡単に言うなら、寺社の法人税を全額免除したのだ。天皇としては、国司権力の伸長によって十分な国庫収入が見込まれるので、この措置に踏み切ったわけだが、阿蘇大社としては大喜びのわけである。

 後の南北朝時代に多くの寺社が南朝に味方したのは、このような背景によるのだ。

  「お屋形、相良さがら 頼広よりひろ どのが参っておりますが」客間の外から若党の源三が声をかけた。

  「おお、もうそんな時刻か」武重は、あわてて立ち上がった。「大宮司、仕事が入ってしまった。すまないが、しばらくそこでおくつろぎください」

  「なんの、そろそろお暇しようと思っていたところです。それにしても、国司の仕事は大変ですなあ」にこやかに、惟直も立ち上がった。

  「・・・帝は、法令をすぐに変更なされるので、なおさら大変ですばい。時々、矛盾する綸旨をお出しになるし・・・」思わず愚痴が出る武重。

  「まあ、頑張ってくだされ」薮蛇だったかな、と思いながら、惟直は挨拶を交わし、阿蘇大社への帰路についた。

  ところで、相良一族は、肥後南部の大豪族であり、肥後では菊池、阿蘇、合志に匹敵する氏族であった。その惣領頼広は、土地をめぐる訴訟問題で菊池にやって来たのだった。

  別室に通された相良頼広は、武重が入ってくるなり頭を下げて言った。

 「菊池武重どの、相良頼広でごわす。人吉ひとよし 庄のことで伺いました」

 「人吉庄のことは、京に上程なされましたかな」頼広と差し向かいになった武重は、うんざりした口調で言った。この手の訴訟沙汰は実に多いのだ。

  相良氏は、もともと肥後南部の多良木たらぎ 庄と人吉庄を領有していたが、理不尽な理由で人吉庄北方を北条一門に奪われてしまった。そこで、相良一族は少弐頼尚の鎮西探題攻撃に参加し、その恩賞として人吉庄北方を望んだのである。これは少弐頼尚が承認し、京の足利尊氏も追認した。しかし、後醍醐天皇はこれを真っ向から否認し、人吉北方を皇室領と決めてしまったのである。

  「もちろん、何度も何度も京に申し立てをしたでごわんど、帝はどうしても採り上げてくれんのでごわすっ。国司どの、どうか貴君の裁量で、よしなに計らってくれんか」

 「裁量とは、どういうことですか」と、当惑顔の武重。

  「貴君が人吉に派遣している代官を、引き上げて欲しいのでごわす。京には、黙っておれば分かりません。そうしてくだされば、お礼はいくらでもしますんで」

 「・・すると、この武重の一存で人吉を返還して欲しいと」

  「そのとおりでごわす。国司どのっ。お頼みしもうす」

 「断る」

  「な、なぜ」必死な形相の頼広。

 「おいは、帝の信任を受けた国司です。相良どのには気の毒なれど、帝がお決めになったことには従わなければなりもはん。勝手な行為は出来ませぬ」

 「そんな殺生な。我らは、人吉を奪還するために倒幕に立ち上がったのでごわす。人吉さえ返してもらえれば、官位も恩賞もいりもあはん。その、たった一つの望みすらかなえてもらえないなんて、あんまりではごわさぬか」

  「綸言りんげん 汗のごとし、と言う。一度帝がおっしゃったことは絶対であるぞ。残念だが、おいには何もしてやれぬ。諦めるがよい」冷ややかに、武重は言い放った。

  「・・・・犬め」

  「・・今、なんと言われた」

  「犬め、と言ったのだ」相良頼広は、さっきまでの態度はどこへやら、鬼のような形相で武重を睨むのだ。「なにが肥後守だっ、公家と朝廷の犬に成り下がりおって。貴様、それでも武士かっ。恥を知れ」

  「言葉を謹め、相良。逆臣となりたいか」武重は、冷静を装って諭した。

  「ふん、なにが綸言汗のごとし、だ。おいだって知ってるぞ。一度決まった恩賞が、賄賂や女の告げ口によって簡単に変更されることをな。播磨の赤松どのなど、一度播磨の守護に任じられて喜んだのもつかの間、翌日には新田義貞に取り上げられたそうではないか。こんないい加減な行賞があってたまるかよ。ああ、鎌倉幕府の方がマシだった」

 「・・・相良どの、今の発言は聞かなかったことにしよう。早々に立ち去るが良い」

 怒りに駆られ、足早に立ち去って行く相良頼広の足音を背中で聞きながら、菊池武重は暗澹たる思いでいた。鎌倉幕府の方がマシ、か。あれは相良の本音だろう。いや、相良だけではない。多くの武士たちが、心の奥底でそう思っているのだろう。それが、規矩高政の反乱を強く支え、長引かせているのに違いないのだ。

 規矩高政と糸田貞義の乱は、七月に入っても鎮圧することが出来なかったのである。

※                   ※

 肥後菊池に綸旨が届いたのは、七月も中旬のことであった。少弐頼尚に協力して、規矩、糸田を鎮圧せよ、との御命である。

  「筑前も筑後も、少弐の持ち場じゃあないか。何でおいたちが関係するんだよ」集まって来た一族の中で、詰まらなそうに叫んだのは五郎武茂である。

  「規矩も少弐も、我らにとっては憎い敵。勝手につぶしあえば良いのよ」いつもは温厚な城隆顕も、冷たく言い放った。

  「じゃが、ものは考えようだぞ、武茂、隆顕。菊池の武勇を天下に知らしめる舞台が我らに与えられたのだとは思わぬか」武茂の大叔父、武村が口を出した。「あの少弐が手を焼く敵を、天子さまのために我らが打ち滅ぼすのだ。考えてみれば痛快この上ないぞ」

 「言われて見れば、それもそうじゃな」文句を言っていた連中も、すっかりおとなしくなった。さすがは武村、だてに年をとってはいないのだ。

  「次郎兄者、今度はおいに出陣させてくれっ」九郎武敏が進み出た。

  「ああいいとも、自慢の武勇をおおいに発揮するがええ」万座の中心にいた武重は、にこやかに頷いた。

  九郎武敏を先陣とした菊池勢は、速やかに出陣した。その中には、城隆顕、赤星武幸を始め、老将菊池武村、七郎武吉の姿もあった。意外なのは、肺を病んで日ごろ臥せっている四郎隆舜たかあき の鎧姿が見られたことである。自分の寿命が長くないことを知っての、覚悟の出陣であったのだ。

 総大将の菊池武重の命令一下、一千の菊池勢は、糸田貞義の立て籠もる筑後堀口城に攻めかかった。共に攻撃に参加したのは、綸旨によって動員された大友貞載、黒木、草野、三原、秋月、伊東、松浦氏の軍勢であった。

 菊池勢の勢いは猛烈であった。先陣の菊池武敏は、自ら先頭に立って士気を鼓舞した。数日の攻防の後、ついに大手門が破られ、寄せ手の大軍は堀口城内になだれ込んだ。

  「者共、我に続けっ」 弱冠十七歳の菊池九郎武敏は、疾風のように先頭に立って突入した。遮る敵は、次々と打ち倒す。刀が折れれば敵の刀を奪う。

 「九郎どのを討たすなっ」菊池の若党たちに続いて、他の諸氏の兵も怒涛のように後に続いた。無茶苦茶な力攻めだったが、これは結果的に成功した。 追い詰められた守将の糸田貞義は、自ら刀を取って最後の突撃を敢行した。

  「誰やあるっ。我こそは総大将糸田豊前守貞義なり。いざ尋常に勝負せよっ」 炎上する城閣を背景に、貞義の咆哮が周囲を圧する。

  「良き敵なり、ござんなれ、我は菊池武敏なりっ」若武者は大声で叫び返すと、全速力で貞義に討ちかかった。

  火の粉の中で、壮絶な一騎打ちが展開される。貞義の気力が勝つか、武敏の若さが勝つか。その間にも、貞義の部下たちは次々に討ち取られ、無残な首なし死体をさらして行く。

 「うっ」 武敏の鋭い突きによろめいた貞義は、足元の石段に躓き、仰向けに転倒した。

  「その首もらった」 次の一瞬、武敏の突きは貞義の喉笛を深くえぐっていた・・・。

 燃える堀口城を背景に、官軍の凱歌が筑後の空を彩った。

 同じころ、筑前では帆柱岳城の最後が近づいていた。ここは規矩高政の本城だけあって抵抗は一段と激しかったが、寄せ手は少弐頼尚、大友氏泰、島津貞久、そして豊前国司の宇都うつの 宮冬綱みやふゆつな からなる、一万をゆうに越える圧倒的な大軍であった。三千の規矩勢に適う相手では無かったのだ。

 寄せ手の総攻撃の前に、規矩勢の抵抗はついに瓦解した。 自ら天守に火を放ち、短刀を脇腹に突き入れた規矩高政は、薄れ行く意識の中で、かつて自分が捕虜にした阿蘇大宮司の若党の妹を思い出していた。

 彼女は女だてらに高政を暗殺しようとしたが、その執念の謎が今やっと高政には理解できたのである。

 政務の才能がある自分は、建武政権でも羽振りを利かすことができたかもしれない。しかし、一族の仇と妥協することはやっぱり出来なかった。一族を侵した者に、せめて一矢報いてやりたかったのだ・・・。

 規矩高政と糸田貞義の首は、かくして都に送られ、獄門にかけられた。考えてみれば呆気ない幕切れであった。

 九州の平定に続いて、四国の北条重時の乱も土居道どいみち ます と得能とくのう 道綱みちつな の活躍によって平定された。また、越後の反乱は新田一族によって制圧され、関東の反乱は鎌倉に駐屯していた足利直義によって鎮圧される運命にあった。奥州でも、北畠顕家の活躍によって叛徒たちは追い詰められていた。

 朝廷は、この成果に大いに喜び、新政の在り方について反省する必要を感じなかった。

 しかし、これらの北条党の反乱は、やがて来るべき大乱の前兆にしか過ぎなかったのである・・・。

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