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長編歴史小説

黄花太平記 第二部

4.新田義貞との出会い

 菊池武重は、深川城の中庭で、連日のように若党たちに槍の特訓を行わせた。 彼はとりあえず、槍を歩兵用の武器として利用しようと考えていたのである。

 この訓練には、常に武村が立会い、いろいろな技術指導を行ったので、若党たちの 上達振りは目覚しかった。

 「もう少しじゃな」武村は、すっかり白くなった髭をひねりながら呟いた。

  「じゃどん、おいの上洛に連れて行くには、間に合いませんな」傍らで訓練を指揮 する武重が言った。

  「そうじゃな。まあ、都で何かあったら菊池に知らせるが良い。すっかり仕上がっ た千本槍隊を率いて、駆けつけて進ぜよう」武村は、にっこり微笑んだ。

  「大叔父上、いろいろとかたじけない」武重は頭を下げた。

 「なあに、水臭いことは無しじゃ。・・どれ、今日の訓練はここまでとするかい」 武村の合図を見て、若党たちは隊列を解いた。

 八月の残暑の中ゆえ、みんな汗びっ しょりである。ここに集められた若党は、一族内で最も将来を嘱望されているえり抜 きの四十人なのであった。その誇りのためであろう。彼らの表情は生き生きと輝いて いた。 武村と別れた武重は、居館の裏庭に回った。裏庭の井戸で水浴びがしたくなった のだ。

 すると、水浴びを済ませ体を拭っている彼の前に、よちよち歩きの赤ちゃんが やって来た。赤ちゃんは、ぺたっと地べたに尻餅をつくと、珍しそうに武重の巨体を 見つめた。

  「やあ、早苗」武重は、優しい眼差しで赤ちゃんに語りかけた。物心付かないうち に父を亡くしたこの妹が、不憫でならなかった。

  「まあ、早苗さま、こんなところに」母の侍女の桔梗ききょう が、館の角から姿を現した。彼女は早苗の乳母でもあった。「お屋形様、お邪魔でしたら申し訳ありません」

 「なあに、構わんよ。・・母上がこちらに来ておられるのか」

  「ええ、お寺からお越しになりました。お館様が仕事中と聞いて、居間でお待ちでございます。・・あら、こちらに見えられましたわ」

 桔梗の言うとおり、居館の角を回って一人の尼がやってきた。誰あらん、故武時の正妻で、武重と早苗の母にあたる智子なのである。

 彼女は、暫く前に仏門に入り、東福寺の比丘尼びくに 慈春じしゅん となっていたのだ。

  「次郎どの、お久しぶりじゃ」

  「母上もご機嫌うるわしゅう」武重はにっこりと笑った。

 久々の対面から暫く後、居間で対座する武重と智子の姿があった。

  「なんですって、早苗を仏門に」引きつった声は、武重である。

 「まだ決めたわけでは無いのです。でも、あの子にとって、その方が幸せなのではないかと思案したのじゃ。それで、次郎どのに相談に来たのです」と、智子は淡々と語った。

  「おいは、反対ですばい」

 「どうして」

  「人の一生は、その本人に決めさせるべきだからです。大きくなってから、早苗自身に決めさせてはいかがですか」

  「ふふっ・・・次郎どのは、きっとそう言うと思った」智子は微笑んだ。「次郎どのの言うとおりにしましょう。ちょっと寂しいけれど」

 智子は出家の身だから、いつも早苗と一緒に居るわけにはいかない。それが寂しいから、早苗も寺に入れようと考えたらしいのだ。でも、それが早苗のためになるかどうか分からない。それで武重に相談に来たのであるらしい。

  「寂しかったら、いつでも遊びに来て下さればよい。ここは母上の家なのですから」

 「ありがとう、次郎どの」

 智子は、幸せな気持ちのまま東福寺に帰って行った。

※                 ※

 それから数日後、菊池武重は手勢百騎を率いて上洛の途についた。

 一族で同行するのは、菊池武吉、菊池武豊ら少数であった。留守を預かるのは、木野武茂と九郎武敏。六郎武澄は、肥前国府に仕事が残っていたため、今回の上洛には参加できなかった。

 一行は、博多で松浦党と合流し、一緒の船で瀬戸内海を渡ることにした。松浦氏も、武者所に参加する予定であった。

 この松浦一族は、肥前北部の豪族であり、強力な水軍を有し高名であった。彼らは、対馬のそう 一族と結託し、高麗にまで海賊行為を働きに行くといわれている。しかし一族内部の団結力は弱く、今度の上洛に参加したのは松浦さだむ の一党だけであった。

  さて、博多に到着した菊池武重は、いつものように梅富屋を訪れた。庄吾郎は、武重の訪問を大いに喜んだ。このころ梅富屋は大いに繁盛しており、博多で一、二を争う豪商となっていたのだった。

 「庄吾郎どの、妙子どのの容態はいかが」 武重は、ついに今まで言えなかったことを切り出した。

  「ええ、肥後守さまが紹介してくださった高麗の医師のお陰で、少しは良くなりました。わたしが誰か分かるようになったのです。本当にありがとうございます」庄吾郎は、笑顔で武重に頭を下げた。

 「それは良かった。高麗の医師を紹介できたのは、弟の武茂が対馬国司だったからです。弟が国司になれたのはご新政のお陰。と言うことは、梅富屋にとっても、ご新政さまさまですなあ」武重は喜色満面であった。

  「妙子のことはそうですが・・・。商売の方はどうも」 庄吾郎は、なぜか渋い顔で口ごもるのだ。

 「どうかなさいましたか」

 「いや、帝の叡慮が良く分からないのです。関所を全て撤廃すると思し召されたので、われら商人のことを大事にしてくれるかと思いきや、結局空手形でした。しかも、今度の徳政令の発布で、畿内の金貸しは大いに困っておりますよ」首をひねる庄吾郎。

 徳政令というのは、いわゆる借金棒引き令のことである。後醍醐天皇は、借金で首の回らない側近を救済するために、この徳政令を発布したのであるが、この結果、畿内を中心とする信用経済は大混乱に陥った。

 後醍醐天皇とその取り巻きの経済政策は、実に出鱈目であった。中には先進的で優れた政策もあったのだが、それを実施する能力を持った官僚がいないため、却って混乱を強めてしまった。こうして、かつてあれほど倒幕に協力した流通業者や商人の心は、次第に建武政権から離れて行くことになる。

  しばし憂鬱な顔をしていた庄吾郎は、やがていつもの笑顔を取り戻すと、武重に妙子の消息を教えた。

  「妙子は、和泉いずみ (大阪府)の国で出家して尼になっております。おそらく肥後守さまを覚えてはいないでしょうが、哀れに思し召されたなら訪ねてやってくだされ」

 「ええ、そういたしましょう」

 武重は頷いたが、本気で妙子を訪ねるつもりは無かった。何げなく訪ねるには、妙子はあまりにも哀れすぎるからだ。 やがて庄吾郎に別れを告げた武重は、松浦定とともに九州を後にした。

※                 ※

 一年振りの京は、あまり変わり映えしなかった。戦災復興は不十分であるし、酒屋と娼窟が大繁盛。変わったところと言えば、道々にあふれていた恩賞目当ての武士たちが姿を消したくらいのものである。

 「良かった。さすがに恩賞審理は解決したらしい」 しきりに頷く武重を見て、松浦定は呆れた口調で言った。

  「知らないのかね、肥後どの。いつまでたっても審理に片がつかないから、みんな諦めて故郷に帰っちまっただけなんだよ」

 「それは本当か」

 「おうとも、みんな怒ってるぜ。このままじゃ済まないと思うな」

  「・・・ほうか」武重は肩を落とした。

 このこともあって、松浦と別れて懐かしい二条の屋敷にたどり着いた菊池氏一行の中で、武重は前途に対するいくばくかの不安を拭うことができずにいるのだった。

  その翌朝、少しばかり朝寝をした武重は、七郎武吉の廊下を走ってくる足音に目を覚ました。

 「兄上、二条河原に面白いものがあるぜ」寝室に飛び込んで来た武吉が叫んだ。

 「なんだ、朝っぱらからうるさいぞ」眼をこすりながら、武重は跳び起きた。

  「面白い落書なんだよ。今、源三をやって書き写させてるんだ。兄上も早く支度しなよ。一緒に見に行こうぜ」

 「相変わらず落ち着かない奴だな、お前。子供じゃないんだ。そんなにはしゃぐな」

  「でも、急がないと役人に持ってかれちまうぜ」

  「役人が・・・」首をかしげながら、武重は身支度した。「今日は武者所に出頭する日だ。いつまでも落書なんぞに関わっておれんぞ」

 二条河原に馬を走らせた菊池兄弟は、河原の樹に馬をつなぐと、大きな立札の前に群がる群衆の間に割り込んだ。群衆の中には、立札の内容を書き写す、菊池家若党・源三の姿もあった。

  「お侍さん、あっしは字が読めないんで。ありゃあ、なんて書いてあるんですかい」 隣にいた町人が、武重にこう話しかけてきた。

 武重はそれで、立札に貼り付けてある落書を声を出して読み上げる羽目になった。

 「此比都ニハヤル物。夜討、強盗、にせ 綸旨りんじ 。召人、早馬、虚騒動。生頸なまくび 、還俗、自由にわか 出家。にわか 大名だいみょう 、迷物まよいもの 。安堵、恩賞、虚軍からいくさ 。本領ハナルル訴訟人。文書入タル細葛ほそつづら 。追従、讒人そしひと 、禅律僧。下克上スルなり 出物でもの 。・・・なんじゃこりゃあ」

 「どうだ、兄上、面白かろう」すぐ横に、武吉の嬉しそうな顔。

 「このぼっけもんっ、これは御政道批判ではないかっ。こんなものを兄に読ませて楽しいのか、おまえは」武重は憤った。

 「ふふっ、さしずめおいたちは俄大名ってとこだね。楠木さまは、下克上する成出者ってとこかな。・・・兄上は嫌かも知れないけれど、これが京童の本音なのさ。おいはこの落書が気に入ったぜ」

  武重は弟の顔を恐ろしい形相でにらみつけていたが、やがて身を翻すと源三に飛び掛かり、その手から落書の写しを奪い取ると、それをビリビリに引き裂いてしまった。

  「せっかく、やっと半分写し終わったのに・・・・」源三は肩をすくめた。

 この落書の内容は非常に膨大であった。それほど、京童の政府に対する鬱憤が大きいということであろうか。この有名な落書は、昼前には役人によって撤去されてしまったが、全文は事前に写し取られ、後世に伝えられている。

※                 ※

 苦い気持ちのまま二条河原から帰った菊池武重は、正装し、数名の供を連れて武者所へと向かった。京到着を報告するためである。

  武者所の談議所に案内された武重は、やがて重々しい足音が廊下を近づいてくるのを感じた。

 足音の主は扉を開けて部屋に入ってくると、下座でかしこまっている武重を見て微笑んだ。

  「やあ、菊池どの。はるばるご苦労でした」その人物は、上座にどんと腰を下ろすと、大きな目をぐりぐりさせながら名乗りをあげた。「俺が新田越後守義貞です」

 ああ、この人が鎌倉攻略の大将か。武重は顔を上げると、義貞の目を見つめながら挨拶した。そして義貞の人物を観察した。

  「おいは、肥後国司・菊池武重ですばい。帝のお召しに与かり、武者所に勤めることと相成りました。新田さまには、以後よろしくお願い申し上げます」

  「ははは、いいから、いいから」義貞は大きく手を打ち振った。面倒くさいことが苦手のようだ。

 「筑紫での活躍は見事でした。いやあ、俺も心強い味方が出来て嬉しゅうござるよ。・・肥後どのには、一番方でこの義貞の片腕になってもらう所存。こちらこそ、これからお頼みもうす」 義貞は軽く頭を下げると、悪戯っぽく笑った。

  新田義貞は年の頃三十半ば。日焼けした笑顔が妙に子供っぽい、豪快な男である。その仕草や素振りにもどこか可愛げがあり、鎌倉を焼き払い北条一門を討ち果たした猛将とはとても思えなかった。

 しかし、彼は紛れも無く新政の元勲であり、武者所の長官であり、そして源氏の嫡流として武家の棟梁を自任する勇者なのである。

  「肥後どのは、今朝の二条河原の落書をご存じか」と、義貞がたずねた。

  「ええ、見に行って少しだけ読みました」

  「どう思われた」

  「けしからん、と思いました」

  「ほう、どうけしからんと思われたか」

 「恐れ多くも、何も分からぬ庶民の分際で、帝の御政道を批判するとは許すべきことではありませぬ。帝は、今までの古い時代遅れの国のあり方を反省し、新規まき直しをなされているのだと理解しております。となれば、一時的な混乱は当然のこと。それをいちいち非難するのは浅はかでしょう」

 「・・・ふむ、貴君の考えは、この義貞と同じじゃ。我らは朝廷の臣下。帝を信ずることが何よりも大切なのじゃ」義貞は、楽しそうに笑った。「俺は、肥後どのとは馬が合いそうじゃな」

 「かたじけないお言葉」武重も、義貞とは仲良くやって行けそうに感じていた。

  「・・武者所の仕事は楽ではないぞ。敵は北条残党のみにあらず。帝に反感を有する者は、公家の中にもおる。皇族の中にもおる。栄進した武士の中にもおるかも知れぬ。彼らの魔手から帝をお護りするのが、我らの役目なのじゃ。名誉なことぞ」

  新田義貞は、昂然と胸を張った。

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