歴史ぱびりよん

第二話 土佐岡豊

石谷孫九郎を説得するのにいくらか難航したのだが、結局、この婚姻は纏まった。そして、孫九郎頼辰が石谷家の代表となって、長宗我部家との間の細々とした事務手続きを行った。

新朗と新婦は、一条邸で一度だけ顔合わせをした。この時は、互いに無表情かつ無言で儀礼的な挨拶を交わしたのみ。長宮は明らかに大喜びであったが、小夜はまったく無感動だった。

結納は土佐で行うことになったので、誰かが花嫁を海の向こうまで連れていかねばならぬ。石谷孫九郎とともに、蜷川新右衛門もその一行に加わることになった。もちろん、足利将軍・義輝から密命を受けて、土佐の実情を偵察するのが本当の目的である。

吉日を選んで、(さかい)(うら)からの出帆だ。空は快晴。順風を受け、一行を乗せた宍喰屋の商船は、鳴門の渦を悠々と突破した。

長宗我部元親とその側近たちは、結婚準備の都合上、別の商船に乗って先発しているので、石谷家の身内だけが一つの船に残った形である。小夜と石谷孫九郎、そして蜷川新右衛門は、船酔いにも冒されず元気いっぱいで、揺れる甲板の上から迫り来る土佐の山々の威容に瞠目していた。

「あそこが室戸岬、そして和歌で謡われる(かんの)(うら)か。奇麗じゃな」

「それにしても、海岸線から山しか無い国やな、ここは」

「お伽草子に出て来る鬼ヶ島って、きっとこんな感じじゃろ」

「わしらは、さしずめ桃太郎とそのお供かな?」

「お兄さんたち、止めてくださいな。そんな話は」小夜は、思わず両手で耳を塞いだ。

そんな義妹の様子を優しげに見つめながら、蜷川新右衛門は上機嫌だった。政所の執務室に暗い表情で籠もっているよりも、こうやって初めて経験する豊かな景色を眺めながら、太陽に当たっている方が遙かに楽しい。歌の着想も、いろいろと浮かんで来る。思わず、「黒南風(くろはえ)の 波間にかすむ 黒き峯」と詠んで、周囲が無反応なので白けてしまった。小夜も孫九郎も、連歌の相手としては不足である。

石谷孫九郎は、黄金色の陽光の中で大きく伸びをした。「お公家さんたちが都落ちをするのを見るたびに、その境遇を気の毒だと感じていたけども、この美しい風景を見ていると案外そうでは無かったやら」

「ははは。お主も都落ちしたくなったかな? 考えてみれば、土佐中村には一条の分家があるのだし、意外と住み心地は良いかもしれないぞ」新右衛門は快活に笑った。

蜷川・石谷両家が親しくしている京・烏丸の一条内基卿は、実は土佐の()()郡と高岡郡を領有する一条家の本家の当主なのである。

「応仁の乱」以来の戦国乱世の進展によって、全国各地に点在する皇室や公家の荘園は、地方大名や豪族たちによって激しく浸食されていた。そんな中、京にただ座っているだけでは生活が貧しくなる一方なので、覇気のある公家はむしろ地方の荘園に本拠を移し、現場で直接的な利権を確保しようとした。

摂関家の筆頭と呼ばれる藤原一条家も、教房(のりふさ)卿の代になって土佐中村に移住して勢力を伸ばした一つである。すなわち、一条内基卿が京の一等地にお屋敷を構えていられるのは、土佐の分家の当主である一条兼(いちじょうかね)(さだ)からの「仕送り」のお陰なのであった。

この家が、本家と分家一丸となって長宗我部家に肩入れしている理由は、土佐の有力者である長宗我部家との関係が、中村の分家の安定にとって絶対的に必要だからであった。だからこそ、一条内基卿は権大納言という高い家格を持ちながら、田舎豪族に過ぎない長宗我部元親の結婚の面倒まで見ているのである。

長宗我部家も、一条家に恩義を感じている。前述のとおり、いったん滅亡した長宗我部家にお家再興が成ったのは、土佐中村の一条家の権威のお陰なのだった。

蜷川新右衛門は、明智十兵衛の協力もあって、こういった情報を脳内に蓄積していた。「いろはの会」の長期戦略いかんにかかわらず、長宗我部家の重要性は意外に高い。

やがて商船は、潮江(うしおえ)の港に近づいて行った。港には何隻もの商船が横付けされており、波戸場では大勢の商人や漁師が出迎えに立っている。土佐に商船の出入りが多いのは、この国の良質な木材や漆が目当てである。この国は、流通経済の面から見ても、決して侮れる土地ではなかった。

 

まずは、浦戸湾に面した潮江港に置かれた宍喰屋の屋敷で一泊した。

翌朝、出迎えの商人頭や長宗我部家の代官から儀礼的な挨拶を受けた後、潮江の港から長宗我部家の本城・(おこ)()までは、馬や輿を使って内陸に一里(約四キロ)の距離だった。

長宗我部はもともと内陸部の所領から身を起こしたので、海沿いの土地は占領地の扱いなのだった。また、この当時は治水技術が未熟だったために、河口や海に近い低地はしばしば洪水に見舞われた。長宗我部の本城が海から遠いのは、そういう理由にもよる。

道中で見かける人々は、見なれない鳶色の服装をして聞きなれない言葉で喋っている。牛や馬も小柄で、それぞれの農地の面積も、上方に比べると随分と小ぶりな感じだった。だけど、活気に満ちているのだった。みんな、驚くほどに元気で明るい表情を見せている。

より印象的だったのは、野良仕事をする農民たちの姿である。みんな田圃の入口に粗末な槍を一本立てているのだが、その槍の下には、これまた粗末な革鎧と笠とが纏めて置かれている。新右衛門が、案内役の武士に「あれは何ですか?」と訊ねると、「一領(いちりょう)具足(ぐそく)」との応えが返るだけで、それ以上のことは教えてくれなかった。

現在の高知市街に当たるこの低湿地は、山がちの土佐の中では、珍しく平坦な所である。収穫前の田圃では黄色い稲が爽やかに育ち、涼やかな風がその上を渡る。目を移せば、濃い緑の山々がその稜線を北方に大きく横たわらせている。一言でいえば風光明媚である。

「鬼の国だと思っていたけれど、ちゃんと人間が住む人間の国じゃないか」

石谷孫九郎は、あぜ道を行く馬上で何度も頷いた。彼は、可愛い義妹を田舎に嫁に出すことを、なんとか自分自身に納得させようとしているのだろう。

「だけど、訛りがキツいし、いろいろ上方と違うところも多そうだ。水や食べ物はどうだろうか?」新右衛門が、同じく馬上から周囲の田園を見渡しながら応えた。

「うん。慣れない水だから、きっとお腹を壊すやろう」と、孫九郎。

「お兄さんたち、止めてや!」四隅を人夫に担がれた輿の中から、悲鳴にも似た声がする。きっと、両手で耳を塞いでいるのだろう。

「まあ、心配するな。そのうち慣れるじゃろ」新右衛門は、輿を見下ろしつつ楽しげに笑った。

岡豊城は、田地に囲まれた小高い丘に築かれた山城である。ここは、長宗我部家が信濃から入土して以来の本貫地だ。とは言え、茶色い板塀と空堀が巡らされただけの構えであるから、要害堅固とはお世辞にも言えない。

城の入口では、長宗我部元親とその一族や家臣団が総出で迎えてくれた。屈強な兵士たちが新右衛門や孫九郎の轡を取り、小夜の乗った輿も人夫たちから従卒の手に渡った。丘を登りつつ空堀と檜造りの門を二つ潜ったところに二の丸があり、一行はそこで旅装を解き、埃まみれの手足を洗った。ここからでも、なかなかの展望が得られる。

新右衛門が、木の柵が渡された崖から黄色く輝く田畑を見渡していると、本丸から礼装の武士が訪れ、一同を饗応したいので本丸まで来て欲しいとのことだった。

一行が歩いて本丸まで出向くと、大広間に車座になった長宗我部一門、そして冷たい水と菓子が待っていた。礼装の長宗我部元親が、左右に座る一門や家臣、そして侍女たちを紹介してくれたのだが、二十名近くともなると、数が多すぎてその場では覚えきれなかった。

まだお昼前だったが、その場で簡単な歓迎会となる。新右衛門が文吏たちと、孫九郎が武将たちと歓談している間、花嫁となる小夜は、長宗我部元親とその侍女たちに連れられて、新築の奥の間を案内してもらった。

「檜の良い香りがしはりますね」小夜がお世辞を言うと、城の主は嬉しそうな顔をして、「檜は土佐の自慢じゃきに」と応えた。

風通しのよさそうな窓際に立って城下の田園風景を眺めていると、小夜はふと、違和感を覚えて振り返った。背後に回った元親が、じっと彼女の尻を見つめているのである。

「なんですか?」

「よき、肉おきじゃの。あしは、女子の尻が大好きじゃきに」と、相好を崩す。ムズムズさせた唇の端から、かすかにヨダレが垂れている。

あまりの気持ちの悪さと激しい怒りに襲われて、小夜は全身をブルブルと震わせた。思わず右手が平手打ちの暴挙に出そうになったので、右手を必死に後ろに回して檜の壁を引っ掻いた。

何を勘違いしたのか、元親はますます上機嫌だ。

「小夜どのは美しいの」

「うち、帰ります」

「なに?」

「京に帰りたいです」

「京に帰って、何をするやき?」

「うちの生活を」

「狭くて暗い街の中で、だらだらと日を過ごすだけじゃろう? ここにいれば、そなたは四国の女主人になれるがぜよ」

「四国。四国の何やて?」

「あしはいずれ、四国の王になる男ぜよ」元親は、ヨダレを拭って胸を反りかえらせた。

小夜は、頭がクラクラして来た。この小さな山城の主は、変人なだけでなく、狂人でもあるのか。思い切り引っぱたいてやろうかと右手を前に回したとき、家臣が血相を変えて駆け込んできた。

「お館さま! 敵襲ぜよ!」

「バカな! 何の敵じゃ」

安芸(あき)です。安芸備後守です! 無慮五千はおりますきに」

 

長宗我部元親は、瞬時に変わった。その表情は引き締まり、垂れていた両眼は吊り上がり、全身に青々とした気が満ちた。脱兎のごとく駆け出すと、本丸の望楼に駆け上がり東の方角に目をやった。

小夜も檜の窓から眼下を眺めたが、なるほど東の山ひだから黒い群れが広がりつつある。あの山の向こうに領土を持つのが安芸氏であり、長宗我部家の宿敵であることを後に知る。それが、いきなり攻めて来たというのだ。

とたんに、城のあちこちから()()(がい)が鳴り始めた。

思わず客間から庭に駆け出した蜷川新右衛門と石谷孫九郎は、遠望して城下の異変を目の当たりにした。それまで田畑で農作業に勤しんでいた農民たちが、法螺貝を聞いて一斉に走り出し、各々の田畑の入口に立てておいた槍と鎧と笠を身に纏うと、それぞれの土地の指揮官らしき者に呼ばれて、あちこちで隊伍を組み始めたのである。

「足軽か! ここでは、百姓がみんな足軽なのか!」孫九郎が声を上げると、先ほどまで彼の話し相手をしていた重臣・(ひさ)(たけ)(ちか)(のぶ)が、彼の後ろで大きく頷いた。

「これが、長宗我部家の一領具足です」

城の上から見ていると、隊伍を奇麗に組み終わった足軽たちは、足並みを揃えて岡豊城へと走り始めた。全部で五百名にはなるだろう。

足軽は本来、補助兵力である。補助兵力だけで、これだけすぐに集まるのだから、武士階級から成る主力を交えた総兵力はどれだけになるだろうかと楽観していると、どうやらこの城には幹部クラスの武将しか滞在していないことに気付いた。聞いてみたところ、実は長宗我部家の主力部隊はすべて、北方の宿敵・本山氏の本城を包囲するために出張っているため、ここ岡豊城はガラ空きの状態なのだという。

「ダメじゃないか!」蜷川新右衛門は、思わず叫んだ。

いろいろな疑問が脳裏に渦巻く。どうして、宿敵・安芸(あき)(くに)(とら)が東に健在だというのに、本拠地をガラ空きにしていたのか。どうして誰も、安芸氏からの攻撃の可能性を考えなかったのか。

実は、長宗我部元親は、安芸からの攻撃を封じ込めるために様々な外交的な手当てを打っていた。これはよく誤解されているのだが、世は戦国時代とは言え、大義名分の無い戦争は基本的に有り得ない。したがって、相手側に開戦の口実を与えさえしなければ、理論的には戦争を避けられるはずなのである。ところが、元親が上洛して留守にしているうちに、安芸郡に隣接する夜須(やす)城主であり長宗我部の重臣である吉田(よしだ)重俊(しげとし)が暴走して、安芸領の馬ノ上城を乗っ取ってしまうという椿事が起きていた。これは、宣戦布告の絶好の口実であるのだから、長宗我部の急激な成長に神経を尖らせる安芸備後守国虎にとっては、むしろ渡りに船と言えた。

元親をはじめ岡豊城の面々は、こういった危機的な状況を知らなかった。だからこそ、手薄な本城に花嫁を迎えて、呑気に結婚式を挙げようとしていたのである。

長宗我部家は、かつて蜷川新右衛門が観察したように「緩い」家だった。そのため、家臣が勝手に行動して主家の大方針を誤らせることがしばしば起きるのだが、この時もそうなったのである。

長宗我部元親はこうした事情を後から聞かされ、内心で吉田重俊に激怒した。しかしながら、元々三千貫の小さな所領から身を起こした長宗我部家は、寛仁の心構えで味方を多く集めなければならぬ。だから、むしろ家臣の暴走や我儘を黙認し、それを梃子にするような政略が必要とされる家なのだった。だから、元親は何も言わなかった。ただ、法螺貝を鳴らして城下の一領具足を集め、同時に狼煙を上げて夜須城の吉田勢に急を知らせるよう指示を出したのである。

 

国分川をザブザブと西に渡った安芸の総勢五千は、まっしぐらに岡豊城に押し寄せた。これを迎え撃つ長宗我部勢は、城主以下十数名の重臣たちと五百の一領具足であるから、戦う前からその劣勢は明らかであった。

城下に展開する安芸勢は、これ見よがしに農家に火を放ち、あるいは田圃を踏み荒らしたりする。農村の子女らは、法螺貝とともにいち早く西方に避難しているので無事だが、城内で惨状を見守る一領具足の面々にとっては、これは正視に堪えない光景であろう。彼らの間から、ギリギリと歯軋りの音がするのである。

「お館さま、あれを!」

目の良い福留飛騨守が指をさした敵軍の一角に、一条家の旗印が見える。どうやら寄せ手側に、土佐中村の一条勢が参加しているらしい。安芸と一条は昔から縁戚関係にあるので、そのこと自体は不自然ではない。しかしながら、一条は長宗我部とも友好関係にあるのだから、これは一種の背信行為であろう。

だが、それに気付いても長宗我部元親は泰然自若としている。この戦国乱世では、その程度の背信は珍しくもない。彼は、庭の崖っぷちで眼下の敵軍の展開を見守っている蜷川新右衛門と石谷孫九郎のもとに歩み寄ると、「客人たちは、本丸の奥の間で小夜どのをお守りくだされ」と指示を出した。

石谷孫九郎は、白い歯を見せてカラカラと笑った。「長宮どのは、美濃源氏の武勇を高く買っておいでじゃが、まだその実力は未見であろう。これからご馳走つかまつる」

蜷川新右衛門は、武芸は不得手であったが、この成り行きでは仕方がない。ため息をつきつつ、彼も防衛軍への参加を表明した。

元親は笑顔を見せると、二人を連れて本丸の武器庫に向かった。そこには、上方に比べると粗末ながらも、甲冑、刀槍、弓矢が整然と並べられている。石谷孫九郎は四枚合わせの強弓を見つけると、嬉しそうに何度も弦を弾いた。蜷川新右衛門は(うち)(がたな)をしぶしぶ手に取り、長宮は一間槍をブンブンと振った。それから一同、甲冑を身につける。

武装した客人二人が大手門に出て行くのを見送ると、長宗我部元親は奥へと戻った。奥座敷に座る小夜は、侍女たちに囲まれて気丈に唇を固く噛んでいたが、その全身から不安が溢れ出している。元親は新妻の前にすっくと立つと、「心配は要らぬ。小夜はこのわしが必ず守ってみせる」と鋭く告げた。

小夜は、この成り行きを極めて悲観的に考えていたのだが、体内の美濃源氏の血が彼女に弱音を吐かせなかった。それで、夫に向かって軽く頭を下げた。

「勝利を確信しております」

「それでこそ、我が妻よ」元親は嬉しそうに笑顔を向けると、槍を振りながら戦場へと走り去った。

さて安芸勢は、城を包囲したり付け城(砦)を築くような回りくどい事はしなかった。城方の無勢に気付くと、一気に本丸目がけて突進して来た。

迎え撃つ一領具足は、一間槍を横一列に並べてこれを食い止めようとする。武芸に秀でた長宗我部家の重臣たちは、各々が強弓を振って後方から槍衾を援護する。それでも、寄せ手は城方の十倍いるから、終始押され気味の城方は緩い坂道をジリジリと後退しつつ、たちまち二の丸まで押し込まれた。ここでしばし膠着状態となったが、寄せ手が別方向から二の丸の裏手目がけて浸攻を始めたので、城方はここも放棄して本丸に立て籠もった。

一つしかない大手門を挟んでの激しい攻防となる。ここが落ちれば後がない。

一領具足の槍衾の後方に並んだ強弓の使い手たちは、ここを先途とばかりに敵の勇士を狙撃した。中でも目覚ましい活躍を見せたのが石谷孫九郎頼辰で、四枚合わせの強弓をビンと鳴らすたびに、突出して来た安芸方の先鋒の豪傑が、朱に染まって倒れ伏すのだった。

「さすがは、美濃源氏の強者じゃ」元親はじめ重臣の面々は、緊迫した状況も忘れて客将の武勇を褒めそやした。

厳密には、石谷頼辰は源氏ではない。彼は美濃の斉藤家(姓は藤原)から石谷家に養子に入った人物だから、DNA的には藤原氏なのである。だが、この時代はDNAという概念自体がそれほど重視されておらず、むしろ「家」が大切であった。そういう意味で、頼辰を源氏と考えるのは決して間違いではない。

蜷川新右衛門は、義弟の活躍を誇らしげに見つめつつ、打刀を構え後方にただ立っていた。文吏である彼は、戦いが苦手なのである。

その新右衛門の傍らに立つ長宗我部元親は、彼の祖父・兼序が、これと似た状況の中で自決したことを想起していただろうけど、その素振りを顔には決して出さない。薄い笑みを浮かべつつ、守りが破られそうな箇所を見つけると、重臣たちによる援護射撃を的確に指示するのだった。

やがて、一向に進捗しない戦況に寄せ手が焦りを見せ始めたころ、安芸家の謀臣・有沢(ありさわ)石見(いわみ)が部下に指示して、二つの生首を一領具足に向かって投げつけさせた。それから「これは吉田親子の首級じゃ。夜須城は、すでに陥落した。おまんらが待ち望んでいる援軍は来やせんぜよ!」と叫ばせた。これすなわち、城方の士気を挫く作戦である。

さすがの一領具足も、たまらず動揺を見せかけた。

しかし、その上に彼らの主の高らかな笑い声が覆い被さったのである。

「がはははは! それが吉田大備後と小備後の首級じゃと? 奴らは確かにブサイクだが、そこまで酷い面相ではないぜよ! そんな見え見えの偽首を投げつけて、何を焦っておるのか。さては実際に援軍が近くに迫っているので、おまんら、もはや逃げ腰なんじゃろ!」

元親の高らかな笑い声に合わせて、重臣一同と一領具足も「がはははは」と呵呵大笑した。ここに、長宗我部勢の士気はかえって高まった形である。相対的に、寄せ手の士気は低迷を始めてその鋭鋒は鈍くなった。二つの首級が偽首だと知っているのは、他ならぬ彼らだから。

やがて、実際に夜須城の援軍五百騎が駆け付けて、寄せ手の背後を襲ったとき、早朝からの行軍と続けざまの戦闘とで疲労し切っていた安芸勢は、ひとたまりも無かったのである。

「それ、追い討て!」

元親の合図とともに、弓を刀槍に持ち替えた重臣たちは、敗走する敵の背後に追いすがった。中でも、長宗我部家筆頭の勇士・福留(ふくどめ)飛騨(ひだ)(のかみ)親政(ちかまさ)の活躍は凄まじく、「福留の荒切り」は長らく土佐の語り草となった。

こうして安芸勢は、大量の遺棄死体を残しつつ、ほうほうの体で東へ向かって逃走したのである。

城主の元親自身が槍を振って追撃戦に参加したものだから、夕方近くになって奥の間に現れたとき、彼の甲冑姿は汗と返り血とでズブ濡れだった。

「どうじゃ! 見ておったか、我が雄姿を?」

「祝着にございます」正座して出迎えた小夜は、静かに頭を下げた。

「これで分かったろう? 京にいるより、土佐の方が遙かに安全だぜよ」汗まみれで血まみれの城主は胸を張る。

「京では、いきなり居宅を攻められることは有りまへんけど」と、言いかけてから、小夜は首をかしげた。かつて将軍家なり石谷家が戦に巻き込まれたとき、味方してくれる町人は一人でもいただろうか? 命を捨てて一緒に戦ってくれる武者は何人いただろうか? 何よりも、避難民として町中を逃げ回る自分に向かって、「必ず守る」と言ってくれるような強い男は、家族の他に一人でもいただろうか?

なるほど、夫婦とはこういうものなのか。小夜は、なんとなく納得した。不安はもちろんだが、ある種の安らぎも同時に感じるのだ。

「二度とこんなことは起きぬと約束する。そしてこれからも、あしが小夜を守ってやるきに」

長宗我部元親は、泥まみれの兜の下で優しく微笑んだのである。

 

死体の処理と破損箇所の修築に追われる岡豊城の客間に、土佐一条家の家老・土居宗(どいそう)(さん)が現れたのは、この戦いから二日後のことだった。

落ち着いた物腰の初老の宗三は、「今回の寄せ手に一条勢三千が加勢していたのは手違いであった」ことを強調し、それについて詫びの言葉を述べた。一条家は、安芸家に加勢に出した手勢が、他ならぬ長宗我部家に差し向けられる予定であるなど露知らなかったのだという。そして、お詫びのついでに、長宗我部家と安芸家の和睦の周旋をしたいと言い出した。

「ふむ」長宗我部元親は鷹揚に頷いた。

一条家の本音など、簡単に透けて見える。安芸家と縁戚関係にある一条兼定は、内心では長宗我部家の急激すぎる勢力伸長が気に入らないのである。また、政治的に見ても、土佐の豊かな中心地帯に強力過ぎる統一政権が出来るのは好ましくない。だから、安芸と共謀して長宗我部を攻め潰すか、せめて大打撃を与えようと考えたのだろう。しかし、その意図が完全なる失敗に終わったものだから、大急ぎで関係修復の使者を送り、ついでに安芸家を保護するために和睦の話を持ち出したのであろう。

このころの土佐一条家は、次第に権謀術数に走り暴力的になって来ていた。だけど京の一条内基卿の態度は、表裏のない好意に溢れていたのだから、どうやら一条本家と土佐一条家との間に隙間風が吹き始めているようだ。これは、長い目で見れば好材料かもしれぬ。

だが、今の長宗我部も、一条や安芸との全面戦争を避けたいのは同じだった。まずは、北方のライバル・本山氏を全力で叩きたい。そこで元親は、土佐一条家の家老を歓待し、その提案を快く受けたのである。

土居宗三は、難しい役目を果たし終えて心からの安堵を見せた。その夜の酒宴では、京の一条家と縁のある蜷川新右衛門や石谷孫九郎を交えて、最近の上方の文物や土佐中村の生活を話題のタネにして、大いに盛り上がったのである。

「すると、土佐一条家は、もはや完全なる戦国大名なのですね」新右衛門が、カツヲの焼き物を箸で突きながら言った。

「そうです。伊予(愛媛県)に攻め込んで領地を増やすことばかり考えております。だから、連歌の会などもう何十年もやっておりません。ああ、昔は良かったなあ。蜷川新右衛門どの、どうかお仲間たちと一緒に中村に遊びに来ませんか? ぜひ、連歌をやりましょうよ」宗三は、酔眼の中に懇願の色を滲ませた。

「機会があれば、ぜひ」新右衛門は笑顔で頷いたが、遠くの上座から聞き耳を立てている長宮の様子がさっきから気になっていた。土居宗三が主家に不満を抱いている様子を敏感に感じ取り、何か善からぬことを企んでいるのかもしれぬ。

その一方、もう一人の客人・石谷孫九郎はといえば、離れた席で福留飛騨や江村小備後といった長宗我部家の武辺の士たちと何度も酒杯を重ねつつ、大いに武勇談を楽しんでいるのだった。

 

多事多忙の間に、吸江庵での祝言も終わった。

小夜はいつのまにか長宗我部家に馴染んでいて、元親ともとっくに夫婦の関係になっているようだった。

「女って、よく分からないな」石谷孫九郎は、帰りの商船の甲板で楽しそうに笑った。「来るときは、あんなに嫌がっていたくせにな」

「馴染むのが早いのだ。生き物としては、男より上等なのかもしれないよ。特に、こんな明日をも知れない時代では」蜷川新右衛門は、海風に向かって大きく伸びをした。

「義兄上は、大樹さまに、これからいろいろ報告するのじゃろ?」孫九郎は、「いろはの会」のことも、新右衛門が将軍から受けた密命のことも知っている。

「長宗我部は、いろいろと面白い家だからね」

蜷川新右衛門が特に興味を惹かれたのは、「一領具足」というシステムであった。

領内の農民を雑役夫として徴用すること自体は、どこの戦国武将でもやっている。それ自体は少しも珍しくない。しかし、長宗我部家のユニークさは、むしろ農民こそが兵力の中枢である点だった。

一領具足はもともと、わずか三千貫の所領から身を起こし慢性的な兵力不足に悩んでいた長宗我部国親が、窮余の一策として始めたシステムであるらしい。彼は、兵力不足を解消するために、領内の成人男子すべてを潜在的兵力として活用しようと考えたのだ。だが、領民に無理やり兵役を課すのでは意味がない。士気の低い兵士は、戦場では役に立たないからだ。すなわち、一領具足を有効とする前提としては、領内の民の多くが長宗我部家に篤い忠誠を抱き、この家を愛してくれることが不可欠となる。

ところが、長宗我部領の税金は高いのだ。新右衛門が文吏に訊き出したところ、どうやら六公四民であるようだ(税率六十パーセント)。これは、同時代の平均より遙かに高い。それなのに、どうして領民が長宗我部を愛せるのだろうか?

ここまで思索を進めた新右衛門は、城内でしばしば奇妙な光景を見かけたことを思い出した。明らかに農夫や樵や漁民と思われる青年が、当たり前のように岡豊城にやって来て、当たり前のように(そう)(自治会議)を開き、しかも軍議にさえ参加していた。これは、極めて異例のことである。他の国では、そんな話は聞いたことがない。

なるほど、長宗我部家では「領内のすべての人が平等に政治参加する」という型を作っているのだ。だから農夫も樵も漁師も、みんな長宗我部家の一員としての強い自覚を持っているし、みんなで長宗我部家を創っていると思っている。もちろん長宗我部家の側も、新しい領土が手に入った時は、それを一領具足らに公正に分配してくれる。だからこそ、庶民は税が少々高くても不満に感じないし、積極的に戦に参加してくれるのだ。それが結局、長い目で見れば自分たち全員の利益と幸福に繋がると信じられるからだ。

彼らの君主である長宗我部元親も、やはり非凡なのだろう。

いろいろと複雑な性格だし、奇人変人のようなところもあるけれど、実はたいへんな努力家で勉強家だ。新右衛門が軽く当たってみたところ、元親は、孫子呉子はもちろん、(りく)(とう)などの中国の兵法書を完全に読破している。それどころか、彼は孔子(論語)の愛好家でもあって、儒学の教養に関しては新右衛門を遙かに凌いでいることが分かった。さすが、読書のしすぎで若いころに姫若子などと嘲られていただけのことはある。ただ、教養が中国の古典に偏る傾向が感じられるのだが、これは「秦の始皇帝の子孫である」という強烈な自負心が彼の源にあるからと思われた。

それ以上に興味深いのは、元親の中に宿る「仁」である。彼は、明らかに策謀家で計算高い人物なのだが、その腹黒さの目的は個人的な私利私欲ではなくて、領内に住む万民の幸福にあるのだった。その想いが全身からオーラのように滲み出ていて、それで家臣のみならず領民もみな懐くのである。

元親は論語の愛読者だから、孔子が説く「仁」についてはよく勉強しているだろう。だが、仁徳というものは、計算して装えるものではない。彼自身が生来持っている愛嬌ないし人柄が、周囲に愛され懐かれているのである。

「おそらく、長宮は英雄なのだろう」蜷川新右衛門は、腕組みしながら呟いた。「大樹さまには、そう報告するつもりだ。だが、長宗我部家を朝廷と幕府を救済するための即戦力にするのは難しいな」

「それはそうじゃな。なにしろ城下の百姓に頼って、かろうじて城を守っている体たらく」孫九郎が肩をゆすった。

「いや、それ以上に志の問題だ。長宮は英雄かもしれないが、日本全体のことを考えるような、そんな器の人物ではない。彼が朝廷や幕府や一条家にしきりに取り入っているのは、今の土佐での立場を有利に運びたいからだ。それだけのことだ」

「まだ分からないじゃろう。長宮はまだ二十五歳だし、身代もまだまだ小さい。それに、今回の小夜との結婚には、それなりの大きな絵が背後にあるような気がする。わしは、面白い家じゃと思う」

「面白い家であることは間違いない」新右衛門は頷いた。「特に、領民を政に参加させるあの在り方は、もしかすると非常に深い意味があるのかもしれない。考えてみれば、今の朝廷や幕府がこんな惨めな有様に陥ったのは、領民に対する思いやりに欠けていたからではなかったか? 派閥抗争や私利私欲に溺れて、悪政や戦に苦しむ庶民をないがしろにして来た報いではなかったか?」

石谷孫九郎は、難しい顔をして押し黙った。義兄の言うことは正鵠を射ている。京童たちは、今では朝廷のことも幕府のこともまったく信頼していない。みんな自分のことで頭がいっぱいで、だからこそ一揆や下剋上が頻発するのだし、不安になった人々の間に一向宗や耶蘇(やそ)教(キリスト教)などの宗教勢力がはびこる土壌が生まれるのだ。

「よい勉強になった。政所の仕事にも大いに生かせそうな経験をした」

蜷川新右衛門は、次第に近づいてくる堺の港に向けて、鋭い視線を投げたのである。