歴史ぱびりよん

25.一色探題の滅亡

京都が一面の焼け野原となったころ、九州では征西府の大遠征の準備が完了しようとしていた。その狙いは、一色探題の息の根を止めることにあった。

菊池武光率いる主力は、筑前を制圧し、同時に懐良親王と菊池武澄率いる別動隊が、肥前を制圧する手筈である。今や征西府軍は、二方面作戦を展開できるほどに力を増していたのである。針摺原の決戦以来、既に北九州の豪族の多くは征西府に心を寄せており、遠征軍の進路は開けていた。

大宰府南方に進出した武光隊は、参集して来た豪族を併せて五千の大軍となり、迎撃してきた一色範光勢を敗走させると、そこで一旦動きを止めた。実は、武光隊は北九州の一色方の目を反らすための囮部隊であり、征西府軍の本当の目的は、武澄隊による肥前一国、特に小城の千葉氏の打倒にあったのである。

肥前の豪族たちが次々に征西府に靡いて行く状況の中で、 千葉 ( ちば ) 胤泰 ( たねやす ) だけは固く節を守って探題のために働いていた。逆に言うなら、千葉氏さえ屈服させれば、肥前は征西府に完全に制圧されることになる。だが、千葉氏の本城である 晴気 ( はるけ ) 城は無双の要害で、ここ数年の菊池勢の攻撃にも揺るがないでいたのである。

「おいに、とっておきの策がありもうす」

九月一日、晴気城を包囲した菊池武澄勢五千の本陣で、城武顕は予て立案した作戦を万座に提言した。城武顕は、今では隠居した父・隆顕に代わって、菊池氏の大黒柱となっていた。その気性は冷静沈着。そして、武重とともに中央で転戦した経験は、彼を父以上の謀将に鍛え上げていた。

「面白い、やってみよ」懐良親王は、武顕の突飛な計略に眼を輝かせた。

この時代の常識的な城攻めの方法は、寄せ手が特に速戦を望まない場合、 対城 ( むかいじろ ) と呼ばれる砦を敵城の向かいに築き、そこを策源地として防衛側の疲れを待つものであった。そして、征西府軍もこの常道に従って、対城を晴気城の真向かいに築き上げた。

「なんだ、あの対城は。見るからに隙だらけだ」守将の千葉胤泰は、城の櫓から眺めて感想をもらした。「よしよし、夜襲を仕掛けて奪い取ってくれようぞ」

その夜、千葉勢の精鋭五百騎が闇に乗じて出撃してきた。疾風のごとき勢いで征西府軍の対城に突進する。空堀を乗り越え、城壁を圧し破り、瞬く間に砦の中央に飛び込んだ。しかし・・・。

「おやっ、なんだこの対城は」

「誰もおらんぞ」

「もぬけの殻じゃぞっ」

「しまったあ、これは罠じゃ。我らは嵌められたぞ」

気づいた時には、もう遅かった。この対城は、実は張りぼて同然の代物で、全ての柱に切れ込みが入れてあり、外から縄を引っ張れば土台から倒壊する仕組みになっていたのだ。轟音とともに崩れ落ちた城壁に潰され、ほとんどの千葉兵が圧死した。かろうじて外に逃れた者も、待ち伏せしていた菊池勢に取り巻かれ、討ち取られるか降参したのである。

「うまく行ったなあ、武顕」付近の丘から戦況を見ていた菊池武澄が、傍らに侍する謀将に微笑みかけた。

「千葉勢の有り様は、あたかも蟻が砂糖壷に魅かれて集まるようでしたな。この戦法を、今後『 陶壷 ( とうこ ) の陣』と名付けましょう」無口な武顕も、喜声を隠し切れないでいた。

一瞬にして麾下の精鋭を全滅させられた千葉胤泰は、完全に戦意を喪失した。この翌日には開城し、頭を下げて征西府の軍門に降ったのである。ここに、念願の肥前平定が実現した。

「武澄よ、これでお前も名実ともに肥前国司の座を手に入れたな」親王は、武澄の肩に手を置いて言った。

「ええ、元弘の恩賞で肥前国司に任命されて以来、任務に就けずに自分の無力さを嘆いていましたが、ついに悲願を達成できました」武澄は、かすかに涙ぐんでいた。

「よし、この足で豊後に進み、大友氏時を叩くぞ」親王は、拳を振り上げた。

晴気城を進発した武澄隊は、九月中旬に筑前に入り、少弐頼尚が寄越した援軍の将、少弐頼澄(頼尚の三男)らと合流し、一万近い大軍となって豊後に侵入した。その間、武光隊は筑前南部に待機し、不測の事態に備えた。

針摺原の傷が癒えぬ大友軍の動きは鈍かった。それでも、一族内で屈指の名将といわれる 志賀 ( しが ) 頼房 ( よりふさ ) を派遣して迎撃した。頼房の戦振りは見事で、現地住民の協力を得て国境付近で武澄軍を阻止した。だが、見かねた武光隊が東進してきたため、慌てて兵を引いた。

このため大友軍は、惣領の氏時が高崎山に、その兄の氏泰が国府に立て籠もって征西府軍の鋭鋒を避ける作戦に出た。だが、勢いに乗る征西府軍を阻止するのは不可能だった。十月下旬には国府が陥落し、あの大友氏泰が、ついに征西府の軍門に下ったのである。

「情けないぞ、兄上。よりによって菊池ごときに降参するとはっ」密かに兄の氏泰に対抗意識を燃やす氏時は、兄の腰の弱さを嘲笑した。しかし、その笑いはやがて引きつった。菊池武光の大軍が高崎山城を完全に包囲し、火を吹くように攻め立てたのである。

大友氏時は、悲鳴を上げた。

一方、懐良と武澄の軍は北進し、豊前に侵入した。ここには、一色方の大豪族、宇都宮守綱が君臨していた。だが、いかに関東出身の名門・宇都宮氏といえども、菊池軍の『鳥雲の陣』に勝てるはずはなかった。たちまち蹴散らされ、呆気なく降参してしまった。

「ようし、これで一色探題に味方する豪族は、北九州からいなくなった。一気に博多を攻撃し、探題を滅ぼすぞっ」懐良は叫んだ。

ここに、菊池武光は高崎山の包囲を解いて武澄軍と合流し、少弐頼尚とも示し合わせ、二万を超える大軍となって博多に迫ったのである。

          ※                 ※

「二十三年・・・・・」一色道猷入道範氏は、指折り数えた。自分が九州の長官として職務に勤しんだ歳月である。「長かったな。いや、短かかったというべきだろうか」

「父上、何をしておられますか。急がないと、船が出てしまいますぞ」嫡男の直氏が、父の部屋に駆け込んで促した。その顔は真っ白にこわばっている。

「ああ、分かっている。ただ、これまでの我らの苦労が、いったい何だったのか、考えを巡らしていたのよ・・・・・」範氏は、ほっとため息をついた。

絶対絶命の窮地に追い詰められた一色親子は、いったん長門の厚東 義武 ( ことうよしたけ ) を頼って九州を離れることに決めたのである。だが、一色範氏は直感的に悟っていた。自分たちが、二度と九州に復帰することができないことを。

征西府軍が博多市街に突入したとき、一色範氏、直氏、範光の親子とその手勢は、既に海の上であった。ここに、征西府の丸鷹の旗が博多の空に翻った。

時に文和四年、同時に正平十年(1355)十月末日、二十余年にわたって全九州に君臨した室町幕府の鎮西探題は、征西府と菊池氏によって九州を放逐されたのである。

「ついにやったな、武澄」

「これで、博多の富は、すべて我々征西府のものですな」

懐良親王と菊池武澄は、手に手を取って喜びを表した。

菊池武澄は、さっそく梅富屋を始めとする博多商人たちを招集し、こう言い渡した。

「征西府の公表を申し伝える。征西将軍宮は、本日より博多商人たちに貿易の自由を布告する。大いに競争し、店を栄えさせよとのお達しであるぞ」

商人たちは、この布告に拍手喝采だった。ここに、九州は完全に室町幕府の手を離れ、一つの独立国の外観を呈するようになった。今や、肥前の松浦党を始め、北九州の海賊たちも悉く征西府に屈したので、倭寇から菊池に入る収入も格段に増えていた。

一方、菊池武光とその主力部隊は、博多の陥落を見届けると、後のことは親王と武澄に任せ、その進路を南へと向けていた。疾風のごとき勢いで薩摩に突入する。その狙いは、一気に南九州をも平定することにあったのだ。薩摩守護の島津氏は、かなり以前から日向の畠山直顕と戦争状態にあったため、武光軍の侵入によって両面作戦を強要され、苦戦に陥った。

「このままでは、一族滅亡じゃっ」焦った島津貞久は、一カ月のうちに五回も京に使いを送り、足利将軍の援軍を求めた。だが、焦土と化した都で実の息子と争う尊氏にはそんな余裕などあるはずもなかった。

ここに、島津氏も征西府に講和の申し入れをし、丸鷹の旗に屈服したのである。

ここに九州は、ついに征西府によって平定されたのである。

菊池一族の人々の歓声は、青く広い空を覆い尽くした。

         ※                 ※

さて、年が明けた正平十一年(1356)正月十七日、戦勝の余韻に沸き立つ肥後菊池に賀名生からの使いがやって来て、後村上天皇からの祝辞の言葉を述べた。

「征西府が九州を制圧したことは、年の始めの何よりも喜ばしい出来事であった。賀名生の面々は、みな涙を流して喜んでいる。かくなる上は、全九州の軍勢を率いて東上し、京都を奪還してもらいたい。なお、その際には、必ず五条頼元も同行するように。なにしろ、先帝以来の廷臣で生き残っているのは頼元ただ一人。賀名生は寂しくていかぬ」

このような趣旨の帝の書状は、既に予期されていたことといえ、征西府の首脳たちに論争の渦を巻き起こした。

「もはや後顧の憂いはない。帝のいうように、直ちに東上の軍を起こすべきだ」五条親子を始め、与一武隆らの血気盛んな武将たちは積極策を主張した。

「おいは、反対だ」菊池武光は、しかし断固として積極策を否定した。

「なぜじゃ、兄上。もう九州には敵はいないぜ。あえて言うなら、日向の畠山がいるが、奴は島津との争いに忙しくて何の脅威にもならんよ」与一は、唾をとばして反論する。

「まだ、御三家が残っておる」

「だって、御三家はみんな降参しとるじゃないか。少弐などは、熊野午王の起請文まで書いて忠誠を誓ってるぞ。大友も島津も、すっかり小さくなっておるじゃないか」

「いや、彼らは我らに心から屈服しているわけではない。彼らは、東国出身の名門意識が強く、我が菊池家を蔑視している以上、必ずや牙を剥く時が来る。その牙を抜くまでは、東上は危険だ」

「いつじゃ、いつ牙を抜けるのじゃ」五条頼元が口を出した。「わしとて、もう年じゃぞ。長くは生きられぬ。せめてもう一度、都の土を踏みたいのじゃ」

「頼元卿は、畿内の戦況をご存じか。我が賀名生軍は、もう三度も京を奪い返していながら、いつも三カ月たたずに敵に奪還されている。その理由がお分かりか」

「・・・・・?」

「長期的な見通しを持たずに、砂糖壷に群がる蟻のように京に突進するからです。もともと京は、攻め易く守りにくい土地なのに、攻めることばかり考えて守るための方策を忘れているためなのです。そして、今の征西府が東上しても、結局同じ運命になることは目に見えています。ここはこの武光を信じて、しばらく辛抱してくだされ。完全に無敵の備えを設け、東上軍を起こす所存でござるから」

「わしは、武光を信じるぞ」懐良親王が、上座から重々しく言った。「これまで武光を信じて成功して来たのだ。これからも信じて行こうぞ、頼元」

「分かりました。宮様がそうおっしゃるなら」五条頼元は、しぶしぶ頷いた。

こうして、この日の会は開けた。

菊池武光は知っていたのだ。一色探題を追放しても、決して九州平定とは言い切れないことを。本当の九州平定は、御三家、特に少弐頼尚を倒して始めて達成できることを。菊池の旗を都にはためかせるのは、その後でなければならないのだ。