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23.明日への 階 ( きざはし )

「そうか、負けたか」

肥後菊池の武朝は、畿内に派遣していた郎党の新吉から、応永の乱の顛末を聞いて目を伏せた。

「あの大内どのを倒すとは、幕府の権威は想像以上に強固なものなのだな・・・」

密かに南朝再興を企図していた武朝は、ここに全ての望みが断たれた事を知った。

「そうだ、顕良の宮はどうなった」彼はふっと顔を上げて、新吉に尋ねた。

「宮様は、澄安どのや貞雄どのとともに、未だ行方知れずでごわす」

「なんてことだ・・・」武朝は、再び俯いた。「宮様にもしものことあらば、亡き懐良の宮や大叔母上に申し訳がたたぬ・・」

その翌日、広福寺に早苗を訪ねた武朝は、倒幕の失敗と顕良の失踪について打ち明け、自己の不明について虚心坦懐にわびた。

「申し訳ありません、大叔母上。おいの軽率な決断で、大切な宮の身を危険にさらし、のみならず、我が一族の運命を危機に陥れてしまいました」

「・・・ばってん、きっと、これでいいのよ」早苗は、しかし茶をすすりながら平然と言った。「なまじ反乱が成功していたら、また世は乱れる。うちが見て来た悲しい出来事が、まだまだ続く。うちは、もう二度とあんな目にはあいたくない。せめて、老後を平和な空気の中で、家族に囲まれて笑顔で過ごしたいのよ」

「わかりもした。幕府の沙汰がどうなるかは予断を許しませんが、おいはもう不逞な考えは捨てます。民が笑顔で過ごせる世の中を造るために働きます」

「そいが一番よ。きっと、その言葉を聞いて、武時公も武重公も、おはんの爺さまも父上さまも、彼岸で喜んでいなさるよ」

「ほんに、そうでしょうか。おいの無力さに歯軋りしてはおわさぬか」

「・・・武時公を始めとするご先祖たちは、なにも戦が好きだったわけじゃないんだよ。子孫たちが安心して暮らせる世の中を目指して、仕方なしに戦をしてきたのよ。そして、武朝や、もう戦は終わった。おはんが命をかけて守ろうとした帝は、戦をやめて敵と和睦したんじゃないか。これからは、幕府と心を合わせて、ほんに楽しい世の中を造って行く時なんじゃないかねえ」

「・・・・・・」武朝は、無言でうなずいた。確かに、早苗の言うとおりに生きられるのなら、それに越したことはないのだ。

ただ、現実には、北九州での渋川探題と少弐貞頼の反目は日増しに高まっているし、南九州でも島津氏と相良、伊東氏は激しく対立している。そして、幕府の統制力はとても九州全体には及ばない。そのような情勢で、九州の要、肥後に住む菊池一族が、これらに中立であり続けることは難しいのだ。

しかし武朝は、それでも平和への努力は続けるべきだと思った。早苗の言葉は、生涯心に留め置こうと強く思った。

その早苗は、武朝が帰った後、重いため息をついてうずくまった。

「顕良や、無事で、無事でいておくれ・・・」武朝の前では気丈に振る舞ったものの、彼女の胸は、実は心配で張り裂けそうになっていたのだった。

              ※                 ※

それから数日後、幕府の使者が肥後菊池を訪れた。使者は、応永の乱については何も触れずに、菊池武朝を正式に肥後の守護として任命するとの、将軍義持の書状を届けてきたのであった。

「この武朝、幕府のために変わらぬ忠勤を励むつもりにごわす」正装の武朝は、隈府城の大広間での使者との会見において、大いに恭順の意を示しておいた。

だが、彼には幕府の腹積もりが見えていた。幕府は、探題と対立する少弐氏を孤立させるため、菊池氏を懐柔しようとしているのだ。

「その手に乗るか。今や少弐は盟友だ。見捨てるわけにはいかぬわ」武朝は、その内心で強く誓っていた。

事実、菊池氏と少弐氏の友情は、両氏の滅亡の時まで続くことになる。

              ※                 ※

それからしばらく経ったある日の早朝、肥後菊池に薄汚れた山伏の一団がやって来た。

隈府城の城門に現れた一行は、それこそ熱烈な歓迎を受け、いたれり尽くせりの扱いを受けたのである。

ただちに、早馬が広福寺に飛んだ。

「素覚尼どの、朗報ですぞ。顕良の宮が、澄安どのや貞雄どのに守られて、ただいま隈府に到着なさいました」

昼過ぎに早馬の騎士を出迎えた早苗は、待ち望んでいた朗報に小躍りして喜んだ。

「すぐに城に参ります。おはんは先に帰って、その旨をみんなに伝えておくれ」

心躍らせて登城した彼女は、大広間で酒を酌み交わす一族の輪に駆け込んで行った。

城主の武朝は、酒瓶をもって宴席を回り、肥前家の武将たちをねぎらっている最中だった。堺から生還した武将たちは、みんなひどい有り様だった。片目の者、ひどい火傷を負って皮膚が崩れた者、腕が一本しかない者。よほど苦しい戦いであったことがしのばれる。

「これは大叔母上、よくぞ参られた」武朝は、笑顔で早苗を出迎えた。「顕良の宮なら、お疲れになられたとやらで、先に寝所にお下がりになりましたぞ。大叔母上のために寝所を用意してありますので、今日はお休みになられて、宮とは明日対面してはどうじゃろか」

「・・・顕良は、無事なのね。怪我はしていないのね・・・」早苗は、武朝を睨んだ。

「ご安心あれ」武朝の隣で座っていた貞雄が、白い歯を光らせた。「我らは、全身全霊を捧げて宮を守り抜きました。宮様は、かすり傷一つ負ってはおりません」

そう言った貞雄の、杯を持つ右手には、指が二本しか残っていなかった。

聞けば、堺の菊池勢二百は、炎の中を敵と戦いながら港へと撤退し、避難のために出港間近の梅富屋船に助けられたのだという。幕府の目を逃れて密かに博多で傷の治療を受けた一行百余名は、山伏に変装して、やっと菊池までたどり着いたのだという。

「我らは、曾祖父の武澄のころより、梅富屋には妙な縁があるようでごわすな」貞雄の兄、澄安も、話の輪に参加して来た。彼には、一見すると外傷は見当たらないが、実は背中に深い矢傷を負っているのだという。

「うん、今度お礼に参らねばいかんな」武朝は、大きく頷いた。

「そういえば、五三郎(梅富屋の主)どのから言伝を頼まれていました。先代・庄吾郎どのの娘、妙子どのの気の病が治ったとのことでごわす。妙子どのは、あの戦で堺におって、激しい戦に巻き込まれ、刺激を受けて病がほんぷくしたとのこと。いやあ、戦も人助けに役立つことがあるのですなあ」澄安は、遠い目をして言った。

「ほう、妙子どのと言えば、大伯父の頼隆公の妻女だった人だの」

「そう。随分な齢になってから正気を取り戻したのねえ、ほんに目出度い」

武朝も早苗も、久しぶりの幸せな話題に心を和ませた。

「妙子どの、もとい妙梅尼どのは、博多に移り住み、夫君を始めとする戦で亡くなった人達の菩提をとむらって余生を送るとのことですばい」貞雄が言った。

「そう、立派ねえ。妙子さんに会いたいわ・・・」早苗は、その目を優しく輝かせた。

その翌日、早苗は念願の顕良との対面を果たした。

「お祖母さま・・・」すっかり日焼けした宮は、その細面を弱々しく震わせた。

「怖かっただろう、もう大丈夫だよ。お祖母さまが武朝に良く言っておいたから、もう危ない目にはあわせないよ」早苗は、最愛の孫の両肩を抱いた。

「嫌だ」十六歳の顕良は、祖母の手を振りほどいて大きくかぶりを振った。

「私は、幕府に殺された人々の無念を忘れることはできません。私を大切にしてくれた大内義弘どのや、私を庇って倒れた大勢の武士たちの恨みを、晴らさずにはおけませぬ」

これを聞いて、早苗は愕然とした。どうして男はこうなのだろう。悲惨な戦場で幾多の屍を乗り越えても、それでも戦が恋しく思えるのだろうか。

「・・・勝手にしんさい。困って泣きついても、お祖母さまは知らないよ」

「いつまでも、私を子供扱いしないでくだされ。私は、私の信じる道を歩きます」

「・・・・・」

早苗は、すっかり憂鬱になって寺に帰って行った。

ところが、早苗を待っていたのは、懐かしい人達からの二通の手紙であった。一通は、あの少弐翠から。もう一通は、今川了俊から。

あわてて机に向かった早苗は、不思議な縁で結ばれた女友達からの手紙を、まず開いた。 翠は、安芸にいた。

夫・直冬の病死後、出家した彼女は、夫の終焉の地を離れがたく、現地の住職に甘えて寺に入り、なんとなく抜け殻のような暮らしをしていたという。近ごろは、なぜかしきりに早苗のことが気になって、こうして久しぶりに筆をとったのだという。また、気が向いたら大宰府に帰って、再び少弐一族とともに暮らすかもしれない、とあった。

「そうよ」早苗は、少女のような笑みを浮かべ、思わず膝を打った。「もう菊池と少弐は友達なんだもの。翠さんが来れば、今まで以上に、余計な気を使わずに友達づきあいできるじゃない。是非とも九州に帰ってくれるように手紙を出さなきゃ・・・」

次に早苗は、今川了俊からの手紙を開いた。

了俊は、遠江で隠居生活を送っていた。

文学愛好家の彼にとって、応永の乱に連座し謹慎処分になったことは、それほどの苦痛ではなかった。もはや政治への野心を捨てた了俊は、執筆活動に熱中し、詩作にふけった。『道ゆきぶり』を再稿し、『九州御合戦記』や『難太平記』といった歴史ものを著した。特に『難太平記』は今日まで現存し、南北朝史を研究する上で極めて重要な情報を我々に提供してくれるのである。

また了俊は、自分の生活のことだけでなく、綾香とその子供たちについても近況報告してくれていた。綾香は、先月をもって四児の母になったという。家族は、みな息災らしい。

「今川さまは、まだ約束を守ってくれていないわ」早苗は、いたずらっぽい笑顔で一人ごちた。「京の進んだ歌を教えてくれるはずだったのに、まだかなえて貰っていないわ。さいそくの手紙を書かなくちゃ」

こうして早苗は、ずっと筆を動かして、すっかり夜更かししてしまった。それがよくなかったのだろうか。翌日の夕方から高熱を発し、床についてしまったのである。

夏が去り秋が来ても、彼女の容態は一向によくならなかった。やがて冬が来る。

「そろそろ、お迎えが来るのかねえ」早苗は、お見舞いに来た次女の佳奈子に言った。

「いやだわ、お母さま」佳奈子は、口に手を当てて笑った。「うちより、絶対長生きするわよ、母さまは」

「そうだといいけど・・・ところで、武朝や顕良は、近ごろどうしているの」

「・・・・お城にいるわ。政務が忙しくてお見舞いに来られないみたいね」

佳奈子は、とりあえずそう答えた。しかし、実際には彼らは戦場にいたのである。渋川探題と大内盛見の連合軍に苦戦する少弐貞頼を救援するため出陣した菊池勢は、北九州で激しい戦いに巻き込まれていたのであった。あの顕良も、陣頭で奮戦しているという。だが佳奈子は、母に心配をかけまいとして、あえて真相を語ろうとはしなかったのである。

「みんな忙しいんだろうね。ところで、梅富屋はどうしているか知ってるかい」

「妙子さんは、まだまだ元気みたいよ。梅富屋は、近ごろやっと・・・なんて言ったっけ・・ああ、そうそう、 勘合 ( かんごう ) 貿易 ( ぼうえき ) の仲間入りを幕府に認めて貰って、どんどん海外に出て儲けているみたい」佳奈子は、聞きかじりの知識を披露した。

勘合貿易とは、幕府発行の勘合苻を持つ商人にのみ貿易を許す制度で、私貿易と倭寇活動を制限する目的を持つのだという。

この制度に関連して、応永八年(1401)五月、京では足利義満がいよいよ明との国交を開き、 宣帝 ( せんてい ) (二世皇帝)によって念願の日本国王に任命された。懐良親王と征西府の栄光は、ここに完全に室町幕府のものとなったのである。

「みんな、頑張っているのね。うちも、へたばってはいられないわ・・あ、痛」

「だめだめ、起き上がろうとするなんて無理よ。もう少し寝てなさいな」

「・・・若いころの丈夫な体が欲しいわ・・・」早苗は、ため息をついた。

             ※                 ※

早苗の容態が急激に悪くなったのは、応永八年の暮れであった。高熱とうわ言を発し、昏睡状態が断続的に起こった。

急を知って大宰府から駆けつけた僧衣の少弐翠は、死にかけた幼な友達の拳を握ってこう言った。

「うちは、早苗さんに本当に親切にしてもらったわ。せめて、その万分の一のお返しをしたいのよ。だからお願い、生きて。もう一度笑顔を見せてよ」

いまだに気品を失わない翠の両目から、涙のしずくが滴り落ちた。

かたわらの机上の早苗の文箱には、遠江の老将から送られて来た歌集が、読まれることなく埋もれていた。

菊池早苗が息を引き取ったのは、応永九年二月のよく晴れた日だった。享年六十八。

彼女は、息を引き取る直前、病床に集う人々に笑顔を向けてこう言った。

「うちは、大智さまに会いに行く。聖護寺まで馬に乗ってね。ばってん、みんなのことは、絶対に忘れないからね・・・」

この言葉を最後に、南北朝時代を数奇な運命に導かれて生きた、一人の女性の人生が幕を降ろした。ここに、一つの時代が終わりを告げたのだ。早苗をよく知る人々は、皆そのような感慨を強く抱いたのである。

菊池武朝は、筑前からの凱旋行軍の途中で早苗の悲報を知った。彼は、一族の 赤星 ( あかほし ) 武続 ( たけつぐ ) と力を合わせ、渋川探題の軍勢を散々に打ち破ったばかりであった。

「そうか・・・」甲冑姿の武朝は、思わず天を仰いで深いため息をついた。「あの大叔母上が亡くなるなんて、なんだかとても信じられん」

「ねえ肥後守、祖母上は、私を憎んでいるだろうか」傍らの顕良が、項垂れた顔を上げて武朝に問うた。「私は、あまり祖母さまに優しくしてあげなかったから・・・」

「孫を憎む人などありえませぬよ。とくに、あの人はね・・・」武朝は、小柄な手を顕良の肩においた。「これから、霊前で精一杯孝行してあげなされ」

「むろん、そうするつもりだよ」

「・・・さあ、顔を上げてくだされ。我らは戦に勝ったのでごわすぞ。これからも勝つでしょう。九州は、決して幕府や中国大名の思いどおりにはならないことを見せてやるのです」

菊池武朝は、その鋭い眼光で夕焼け雲を睨んだ。そして、心の中で、大好きだった大叔母に語りかけた。

「愚かとお笑いかもしれない。ばってん、我らは武士なのでごわす。戦が不毛だからと言って、避けるわけには参らぬのでごわす。そして、おいのやり方は、必ず一族を幸せにします。見ていてくだされ、大叔母上。菊池の並び鷹羽が、再び大きくはためく日を」

菊池武朝の小柄な体躯は、明日への 階 ( きざはし ) を駆け上がる自信に膨れ上がり、仁王のように雄々しく屹立する。

そして、その頭上に翻る菊池の旗は、夕焼けを一身に受けて真っ赤に映えるのであった。

菊池一族の新たな栄光は、今再び大きく輝き出そうとしていた。

 

  黄花太平記  完結

参考文献一覧

[専 門 書]

吉川弘文館 人物叢書

『菊池氏三代』        1966年  杉本尚雄  著

『細川頼之』         1972年  小川  信  著

『今川了俊』         1964年  川添昭二  著

熊本県出版文化会館

『九州太平記』        1991年  荒木栄司  著

『菊池一族の興亡』      1988年  荒木栄司  著

新人物往来社

『菊池一族』         1990年  阿蘇品保夫著

海鳥社

『武藤少弐興亡史』      1989年  渡辺文吉  著

教育者 歴史新書

『中世の九州』        1979年  外山幹夫  著

『倭寇』           1982年  田中健夫  著

立風書房

『南北朝史100話』     1991年  小川  信  監修

講談社学術文庫

『足利時代史』        1979年  田中義成  著

中公文庫

『楠木正成』         1989年  植村清二  著

人物往来社

『日本の合戦2 南北朝の争乱』1965年  高柳光寿  監修

小学館

『日本の歴史⑫中世武士団』  1974年  石井  進  著

学習研究社

『歴史群像シリーズ⑩戦乱南北朝』1988年

[小 説]

講談社文庫

『私本太平記』        1990年 吉川英治   著

『新太平記』         1986年 山岡荘八   著

富士見書房 時代小説文庫

『吉野朝太平記』       1991年 鷲尾雨工   著

平凡社

『山河太平記』        1979年 陳 舜臣   著

新潮社

『武王の門』         1989年 北方謙三   著

文春文庫

『炎の塔 小説大内義弘』   1991年 古 川  薫 著

『武将列伝二、三』      1975年 海音寺潮五郎 著

『悪人列伝二』        1975年 海音寺潮五郎 著

河出文庫

『楠木正成』         1988年 大谷晃一   著